万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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 こいつサボりすぎじゃない?
 いや難産だったんだって。


獅子は谷より戻りて頂にて陽を仰ぐ

 シリウスシンボリにとってシンボリルドルフという存在がどのようなものであるか、という問いに、簡潔に返すことができる回答をシリウスシンボリは持っていない。

 同じシンボリ家に所属する本家と分家の娘であり幼馴染というのが、おそらくパーソナルデータとして提出する場合の模範回答だろう。客観的な事実だけを羅列し、そこに心情などの不確かなものは介在していない。

 

 シンボリルドルフとの邂逅を、シリウスシンボリは記憶していない。いつの間にか傍にいて、いつの間にかそれが当たり前になっていたのが物心ついた頃だった。

 ウマ娘というのは、三女神から真名(まな)を授かるまで、禍から身を隠すための仮の名を与えられる。などというのはもはや古い格式であり、今では単なる場繋ぎの渾名という性格が強いが、ともかくシンボリルドルフがシンボリルドルフと呼ばれる前、ルナと呼ばれていた頃の彼女は狂気的(Lunatic)の名に恥じない気性難であり、気の赴くままにシリウスシンボリを連れ回すのが常だった。

 そして、シリウスシンボリ自身もシンボリルドルフに並び立てるのは自分だけだとごく自然にそう考えていた。他者が隣を通ることさえ許さない生まれながらの王者がそれを許しているのは自分だけだと、思い上がりでなくそう考えていた。

 『全てのウマ娘が幸福であれる世界』という、ウマ娘個人としてはあまりにも巨大で傲慢な夢をバカ正直に叶えようとする姿さえ、シリウスシンボリにはドン・キホーテなどには見えなかった。 

 

 だから、シンボリルドルフが思い描く未来で、自分が隣にいないことなど考えてもみなかった。

 

 突然だった。皐月賞のあと、図書室に籠もったシンボリルドルフが、次に見たときは見る影もなくなっていた。

 生まれ持っての王は造り物の王様に成り果てていた。獅子は牙と爪をへし折って人間のふりをしていた。取り繕った仮面の裏を、誰にも見せなくなっていて、そんな状態で分不相応な夢を、前よりも下手くそに叶えようとしていた。シリウスシンボリには何も告げないままに。

 誰よりも強く自由だったはずの獅子は、自ら強さを削ぎ、檻の中で藻掻いていて。それを見て褒めそやす大衆が、何より褒めそやされて満足している獅子自体が気持ち悪くて、認められなくて、何度も吐いた。

 都合のいいように解釈して、シンボリルドルフが取りこぼした者たちを掬う役を勝手に任されていれば、ある日贈られたのは怖くもなんともない咎めるような視線と叱責の言葉で。

 シンボリルドルフは自分の力だけで夢を叶えようとしていて。そこにシリウスシンボリの力など欠片も必要ないのだと突きつけられて。

 

 そしてシリウスシンボリは孤高になった。かつて在った獅子のように。

 

 

 

 シリウスシンボリの意識が微睡みの中から浮かび上がった。

 いつもの溜まり場、本格的に寒さが増してきたなか吹く空風(からかぜ)も気にせず居眠りをしていたシリウスシンボリの耳に聞こえてきたのは、取り巻きたちのかしましい声だった。

 

「いやむりっしょ。あんなスヤスヤなシリウスさん見たことある? 起こせない起こせない」

 

「しかしナイター。来客なのだから起こさないと後ほど怒られるのはあなたですよ」

 

「チョー見苦しいってファイバー。ジャンケンで負けたんだから行ってこいって」

 

「頼まれたの自分なのになんとか他に押し付けようとジャンケン提案して初っ端一人負けしたワイパーは流石に情けなさすぎるよなぁ!!」

 

「うっせぇし! 主に声量が!! あとそこまで本名からかけ離れたらもはやあだ名でもなんでもないんだよ!! アタシにワイパー要素もファイバー要素もナイター要素もねぇだろ!!」

 

「あんたもチョーうるさいんだけど」

 

 来年……いや、年が明けたから今年メイクデビューを迎える予定のグループ。全員運のいいことに入れるチームを見つけたにもかかわらず、何が楽しいのか隙を見てはこの溜まり場へやってきてはトレーニングをしていく物好きたちだ。

 会話の内容を聞いて、シリウスシンボリが欠伸をしながら身を起こすと、騒いでいた4人娘はピタリと騒ぐのをやめて慌て始めた。その様子を見て、「起こしてしまったかって起こしに来たんだろう」とシリウスシンボリは喉の奥で笑った。

 

「あ、えっと、シリウスさん、オハヨウゴザイマス……」

 

「聞こえてた。それでダイバー、客は?」

 

「あ、あっちに……あとシリウスさん、アタシ、ダイバー要素もねぇっす……」

 

「この前足滑らせて池にダイブしてたなぁ!!」

 

「シャラップ!! スター、シャラップ!!」

 

 なんやかんや騒いでやかましい4人娘をスルーし、シリウスシンボリは指された方へ顔を向ける。そこにいたのは見知った顔であり、かつ最近見ていなかった珍しい顔。

 

「本当に最近珍しい客が多い。私になにか用事か? スズパレード」

 

 シンボリルドルフの同期でもあり、()()()()()()()()()()()()()*1シリウスシンボリと同じようにシンボリルドルフに振り回されていたうちのひとり。宝塚記念制覇者のスズパレードだった。

 ドリームシリーズに登録していながら学園を休学し、全国を放浪してろくにレースに出ていない彼女は、学園に常駐していながらドリームシリーズに登録していないシリウスシンボリとはある意味真逆の存在だろう。

 そんなスズパレードがトレセン学園に戻っている事自体珍しく、シリウスシンボリに会いに来ることはなおのこと珍しい。ふたりの間に親交はほぼないと言ってよく、シンボリルドルフだけが彼女たちを繋ぐ唯一の(よすが)なのだから。

 

「用事というか、お誘いかね」

 

「誘い? デートでもしたいのか?」

 

「あんたとのデートはプランニングが大変そうだね。まぁ似たようなもんだが、わたしが誘うのはドリームシリーズの観戦だよ。もうすぐウィンター・ドリーム・クラシックだろう?」

 

「あぁ……なるほど。お前はいい加減まともに繋がる連絡手段を持て。わざわざ会いに来なくても良かっただろう」

 

「つれないねぇ。久々に顔を見たかっただけだというのに」

 

「嘘つけ」

 

「はは、それじゃ当日現地集合で。すっぽかしたらあの写真ばら撒くから」

 

 スズパレードがドリームシリーズの名を出すとシリウスシンボリは一瞬眉を顰めたが、あくまで観戦と知って表情を和らげる。

 シリウスシンボリが承諾しながらも呈した苦情をあっさりと流し、スズパレードは去っていく。

 その様子を眺めていた4人娘は、なにやらコソコソ*2と話し合っていた。

 

「あれ……確か今回の出場者って……」

 

「ライバーは思わせぶりな言い方好きだよなぁ!!」

 

「配信業はしてねぇけど!?」

 

「マンちゃんもライターもチョーうるさい……って、あ〜、カイチョーさん出てんのね……これシリウスさん荒れん?」

 

「会長のレースは観ようとしませんからね、シリウスさんは。チョーさんそのあたりなにか知ってますか?」

 

「いや、知らんけど」

 

「痴情のモツレだよなぁ!!」

 

「「スターシャラップ!!」」

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「……ハメたな?」

 

「なんのことやら」

 

「痴情のモツレだなぁ!!」

 

「マンちゃんチョー黙って、マジで」

 

 ウィンター・ドリーム・クラシック当日。東京レース場。

 あからさまなまでに不機嫌なシリウスシンボリが飄々としたスズパレードを睨めつけ、その後ろで4人娘*3がシリウスシンボリの怒りに震えていた。

 

「お前の連絡先が通じないから断りの連絡を入れられなかったんだが?」

 

「断らせるつもりはなかったから問題ないね」

 

 シリウスシンボリのこめかみに青筋が浮かぶが、スズパレードはそれを気にせず踵を返し会場へと歩いていく。

 

「安心しな。今回のはきっとシリウスも気に入るさ」

 

「……チッ」

 

 スズパレードの口ぶりが思わせぶりなのはいつものことだが、今回のスズパレードの口調からはどうにもこれまでのそれとは違う、歓喜のような興奮のようなものを感じたシリウスシンボリは、舌打ちをひとつうつと結局スズパレードについていくことにした。

 

「……どうしよ。アタシあの雰囲気のふたりにチョーついていきたくねぇ……」

 

「ご安心を。おふたりからは10mほど離れた席でチケットをお取りしています」

 

「ゴンさん流石だよなぁ!!」

 

「ゴンさんではなくパラさんと呼びなさいスターさん」

 

 

 

 場内には既に歓声が響いていた。シリウスシンボリが見る限り、ターフ上にシンボリルドルフの姿はまだ見えない。どれほどシンボリルドルフの人気が高いかが窺えて、それが自分の知る、自分の信じるシンボリルドルフからかけ離れたものであることに、シリウスシンボリは密かにほぞを噛んだ。

 席について、改めてターフ上を眺める。同じ府中の舞台でかつて自分が破ったミホシンザンや、()()アイネスフウジンの姉弟子であると昨今再び注目を集めている『優しすぎるダービーウマ娘』ウィナーズサークルなどがウォーミングアップを行っている。

 

 不意に、シリウスシンボリの隣、スズパレードとは反対側の席に誰かが座った。なんの気なしにシリウスシンボリがチラリとそちらを見て、そこにいた見知った顔に目を瞠ったあと、これもスズパレードの仕込みだと思い至りスズパレードへ半目を向ける。

 

「……どうも」

 

「……まさか、お前まで呼ばれてるとは思わなかったな、ビゼンニシキ。()()()()とのいざこざはもういいのか?」

 

 未だ脚にはイップスのギプスを嵌めたまま、松葉杖を手にしたビゼンニシキがそこに座っていた。

 ビゼンニシキはシリウスシンボリの質問に、少し微笑んでから答えた。

 

「きっと、見ていればわかるよ」

 

「は? それどういう――」

 

 シリウスシンボリがその真意を聞こうとしたときだった。突如、歓声がやんだ。

 シンボリルドルフが現れたのか、いや、それにしてもこの沈黙はなんだと、シリウスシンボリは注目をターフ上へ戻し、そして、それを見た。

 そこには確かに、シンボリルドルフが立っていた。

 

 見慣れてしまった勝負服(緑の軍服)ではなく、紅葉模様の着物を纏ったシンボリルドルフがそこにいた。

 

「――ハハ」

 

 シリウスシンボリは知っている。その目に宿る鋭い光を。尖すぎる、獣の眼光を。

 シリウスシンボリは覚えている。観客にもライバルにも一瞥もくれず、一言もかけず、ひとり無遠慮にゲートへ入るあの威風堂々たる様を。

 自分が追い続けてきたものだ。負い続けてきたものだ。知らないはずが、忘れているはずがない。

 

 それを知る者が、ターフ上にもいた。

 ミホシンザン。()()()のシンボリルドルフを知る彼女は戦慄する。自然災害のような不運にぶつかってしまったことを呪いながら、しかしどうしようもなく高揚している自分の精神を抑えつける。

 シンボリルドルフの隣のゲートに入る。走ってもいないのに痛いほどに脈打つ心臓の鼓動を無視して、ただゲートだけに集中する。

 

 そして、蹂躙が始まった。

 

 アナウンサーさえ何も言えない。言葉が見つからない。いつものシンボリルドルフであればレースを支配し、一切の無駄なく、淡々と勝利を拾いに行く。そんな戦い方をしていたはずだ。

 今のシンボリルドルフも確かにレースを支配してはいる。しかし、それはいつもの計算しつくされた戦術によるものではない。

 シンボリルドルフから溢れ出る、怖気の走るほど強く重い覇気。力ずくで押さえ込んでいるかのような無理矢理の支配。

 走り始めた直後だというのに、選手たちが皆一様に苦しげな顔をしているのがその証左だ。

 

 全身に受ける圧力を堪えて、ウィナーズサークルが脚を溜めることも諦めて前へ出る。シンボリルドルフから発せられる覇気を少しでも周りではなく自分へ集中させるためにシンボリルドルフを至近距離でマークする。

 このままでは、()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう判断し、躊躇いなく己の勝ちを捨てた。

 その様子を見て、他のウマ娘は僅かに冷静さを取り戻す。今ここにいるのは皆、歴史に名を刻むに十分な優駿たちだ。

 

 しかし、そんな希望さえ、獅子は踏み砕いて前へ行く。

 

「……なんて顔して観てるの、シリウス」

 

 ビゼンニシキが呟く。それはそうだろう、シリウスシンボリの浮かべた笑みは、飢えた肉食獣のそれだ。

 何があったかなんてどうでもいい、求めていたものが今そこにあるというだけで全身が疼く。今あそこを走っていない自分を殺してしまいたくなるほどに。

 

 最終直線、ミホシンザンが動く。師に授かった大鉈を引き抜き、大外からシンボリルドルフを仕留めに行く。

 他のウマ娘も、おおよそベストタイミングと言える仕掛けでスパートを始め、ウィナーズサークルを振り切ったシンボリルドルフを猛追する。

 

 話は変わるが、URA史上で"領域(ゾーン)"が会場全体を範囲に巻き込み、観客の全員が目撃するまでに拡がったのはこれまで僅か3回。

 

 『幻』トキノミノルが日本ダービーで見せた、すべてが白黒に染まり、彼女以外のすべてが()()()()()()()()()()()()()かのように見えたという時間。

 『憂姫』クリフジが日本ダービーで見せた、レース場全体を巻き込んだ()()と靖国の桜。

 『最強の戦士』シンザンが有記念で見せた、レース場を真っ二つに叩き割った巨大な大鉈。

 

 そしてここに、この日からもうひとつ例が加わることになる。

 

 花曇の雲を一筋の矢が切り裂き、顔を出したのは太陽ではなく月。

 どこからともなく舞い始めた紅葉は、手で触れた瞬間にはすっと溶けて消えていく。

 初めて目にする"領域(ゾーン)"であるというのに、皆が皆直感的にシンボリルドルフのものであると確信した。

 

 あとのことは語るまでもないだろう。

 1着、シンボリルドルフ。その他には誰も無し。

 

 

 

 シリウスシンボリは天を仰ぐ。失くしたものが返ってきた。それだけのことなのに、こんなにも胸が躍る自分自身に嫌気が差しながらも、顔のニヤつきを抑えられない。

 余韻を楽しんだあとは、もはやウイニングライブなど見る必要もないとシリウスシンボリは席を立つ。そうしてひとり会場から出ていこうとして、あと一歩というとき。

 まだ音楽もかかっておらず、他のウマ娘が位置取りを確認しているそのタイミングで、スピーカーが鳴った。

 

『シリウスシンボリ』

 

 名が呼ばれる。いつもの温和な声色ではなく、あの頃の、人を人とも思っていないかのような冷徹な声。

 条件反射的に歩みを止め、声の方へ耳を傾けるシリウスシンボリに、ステージ上のシンボリルドルフは続ける。

 

『勅令だ。私は皇帝を続ける。お前もそこで続けろ』

 

 それは、シリウスシンボリにとって最も欲しかった言葉で。

 今更いままでやってきたことを改めるような生半可な真似はシンボリルドルフには似合わない。このまま半端なまま引きずるような真似もまたシンボリルドルフには似合わない。

 己の道を逸れぬまま、ただ、取りこぼした者たちを任せると、その口から聞きたかった。彼女が思い描く未来で、傍らでなくてもいい、その瞳の中に自分を写していてほしかった。

 

 追いかけていた一等星を手中に収め、シリウスシンボリは満足げに会場をあとにした。

 

 

 

「ルナを救って、シリウスを救って、私を救って。そのついでにメジロのお嬢さんや矢じりのお嬢さんを救って、それであなたの思い浮かべていた英雄譚は終わりかしら? レド?」

 

「ははは。そんな大層なものじゃないさ。わたしはあくまで、またあの獅子(ライオン)を見たかっただけだよ、ゼン」

 

 ビゼンニシキは思い出す。あの日、シンボリルドルフはわざわざ、引退したビゼンニシキのトレーナーの元へ出向いて謝罪し、ビゼンニシキに会う許可を得てからやってきた。

 自分が変わったこと、変わってまで叶えたい夢があること、ひとりで勝手に抱え込んで、勝手に遠ざけていたこと、今まで謝罪にも来なかったこと。それらを一方的に告げて謝罪するその姿、というか、その強引さに昔の面影を見て、ビゼンニシキはシンボリルドルフが帰ったあとひとりで笑ってしまった。

 ビゼンニシキに、シンボリルドルフに対する恨みはなかった。斜行云々と言うなら自分だってやったことだし、故障はシンボリルドルフとは関係ない。無意識の隔意が生んでいた壁は、会って話をするというあまりに簡単なことで取り除かれた。

 

「そう、ならあの娘に感謝しなきゃね」

 

「ああ。とはいえ、あんたの弟子はわたしには眩しすぎるね。どうやったら今どきあんな娘ができあがるんだか」

 

 ステージで始まったウイニングライブから視線を外し、スズパレードは空を見る。

 "領域(ゾーン)"の月夜は既にそこにはない。ただ、雲ひとつない空に太陽が、キラキラと輝いていた。

*1
ただのシリウスシンボリによる付き合いの長さマウントでありストーリー的には重要ではない。

*2
ひとり除く

*3
ひとり除く




・ナイター、ファイバー、ワイパー、ダイバー、ライバー、ライター
 名前不明。ツッコミ気質だからいじられがち。栗毛の短髪。名前を捩ったあだ名だったはずが山手線ゲーム状態になっている。

・チョーさん
 名前不明。トーセンジョーダンをダウナーにした感じのギャル。栗毛のサイドテール。唯一のティアラ路線志望。「チョー〇〇」が口癖。

・パラさん
 名前不明。丁寧な話し方をする。栗毛姫カット。ゴンさんとは呼ばれたくない。

・マンちゃん、スター
 ほぼ名前が出てる。黙ることを知らない。鹿毛の短ツインテ。チビ。

 この取り巻き4人はクラスメイト。

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