万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
ナリタタイシンに通報する素振りはなかったのにもかかわらずそこに立っていたふたりの警察官の姿に男たちが狼狽する。警官のそばにはショッピングモールの警備員もおり、逃げることはまず難しいだろう。
おまけに、少なくとも未成年喫煙の現行犯である。言い逃れもできない状況で、男たちはあえなくショッピングモールの警備員控室へ連れて行かれ事情聴取を受けることとなった。
ナリタタイシンは念の為に持ってきていた帽子を目深に被ってから、前を歩く警察官に続いて歩きながら、ウマホのLANEアプリを開いてビワハヤヒデから来ていたメッセージに対して、合流が遅れる旨を伝える返信を送る。警備員控室に着くと、男たちとは別室に通された。
「すぐ保護者の方が来てくれるそうだから、今はゆっくり休んでね」
付き添っていた警備員からそう声をかけられる。間違いなく子供扱いされているのだが、悪意からでないだけマシだとナリタタイシンはそっと受け流した。
警察官からナリタタイシンへの事情聴取が終わった頃に、保護者という立場でやってきた網馬が部屋へ入ってきた。網馬はナリタタイシンに一言「お疲れさまです」と告げると、警察官に勧められて着席する。
ふたりの間の淡白なやり取りを警察官は一瞬訝しんだが、それで今回の加害者と被害者の関係が変わるわけではないため気にしないことにした。
それから間もなく、男たちの事情聴取を行っていた警察官がもうひとりへ何やら報告し、ナリタタイシンへ問いかけた。
「ナリタタイシンさんの証言とあちらの証言で食い違っている点があるのですが、その点について確認させていただいてもよろしいでしょうか」
男たちは未成年喫煙と火災報知器への細工こそ認めたものの、ナリタタイシンへの暴行は否認していた。旧友であるナリタタイシンに久しぶりに再会したため話をしていたのだが、自分たちが未成年喫煙をしたことに腹を立てたのか液体を噴きかけてきたのだと主張したのだ。
警察官もその言い分を鵜呑みにはしていないようで、心情的にはナリタタイシン寄りであったのだが、なにぶん現場は防犯カメラのないトイレの中であったため、いくら状況証拠が揃っていても一方的に否定することもできない状況だった。
そんな警察官の質問に答えたのは網馬だった。
「それでしたら、こちらが役に立つかと」
「こちらは……?」
「ナリタタイシンが被害に遭った際の会話の録音です」
網馬の言葉に「何故そんなものがあるのか?」という訝しげな表情を返す警察官へ、網馬は冷静に説明を始める。
笹本からの忠告があったあと、ナリタタイシンは網馬にそのことを相談していた。本来は抱え込むタイプであったナリタタイシンだが、網馬の前に隠し事は無駄だったためだ。
そこで考えられた対策のうちのひとつが、ナリタタイシンがカバンに着けていたストラップだ。このストラップが果たす役目に近いもので説明するなら、Blowertooth*1の通話用イヤホンだろうか。ただし、これにはマイクとボタンしかついていないが。
ストラップのボタンを押すと、設定された番号へ通話が繋がる。この際、自動的にスピーカーモードにしてくれる。ナリタタイシンはこれを使って、密かに網馬へと連絡を取っていた。
普段はLANEを使って連絡を取っているため、通話の方に連絡が来れば非常事態だと判断し、すぐに録音できるというわけである。それとはまた別のウマホを使って通報したのも網馬だった。
録音器具を持たせるのではなくこのような方法を取った理由は、相手に奪われて録音を消されたり、その場で気づかれて消すように強要されるのを防ぐためだ。
その説明で納得した警察官たちは録音された音声を再生し始め、おおよそナリタタイシンの証言と一致していることを確認した。正確には始めのほうが途切れていたため多目的トイレへ引き込まれたのか否か、その後どういう経緯で録音の状況になったかは不明だったが、少なくとも男たちが偽証をしていたことは明らかであり、偽証罪が追加されたかたちだ。
しかし同時に、ナリタタイシンが男へなにか液体を噴きつけたことも確認された。そのことについて問われたナリタタイシンは、ズボンのポケットに入っていた小さなスプレー――正確には霧吹きを取り出してテーブルに置いた。
「必要なら手荷物検査も受けますけど、持ってるスプレーはそれだけですよ」
「中身をお聞きしても?」
「ただの水です。暴力に訴えるより余程安全でしょう?」
ナリタタイシンはそう敬語で問いかける。まさか過剰防衛とは言わないよね? という圧を感じられる敬語であったが。
正確に言えば、顔に水をかけただけでも暴行罪は成立しうる。しかしこの場合、ナリタタイシンひとりに対して相手はふたり、しかも手には火の着いたタバコという
その分、かなりの至近距離でしか効果がないが、ある程度距離さえ空いていればウマ娘の身体能力で逃げ切ることはできると割り切っての判断だった。
警察官はナリタタイシンの言い分を信用したようだったが、相手からごねられたときに嘘をつくことはできないためと、中身の検査のためにスプレーを押収、及びナリタタイシンの所持品検査を行い、ナリタタイシンと網馬を解放した。
翌日、ナリタタイシンはトレーニングの前に網馬に呼び止められた。
「あのふたり、罪を認めたとさ。それと、やっぱり誘導したやつがいるそうだ」
「やっぱり……」
男たちは何者かによって、ナリタタイシンがあのショッピングモールへ来ることを事前に聞かされていた。さらに、ナリタタイシンの活躍や、体に痕が残らない攻撃についても入れ知恵されていたようだ。
しかし、その何者かの特徴は精々がガタイのいい男性だったということくらいしか判明しなかった。
「今回の加害者から辿って教唆犯を見つけるのは難しいだろうな……」
「……"アテナ"が怪しいのは確かなんだけど、笹本も怪しくない?」
リギルに所属するサブトレーナー、笹本。ナリタタイシンに"アテナ"のことを忠告してきたチャラ男である。過去に彼から被害を受けたことはないが、今回のように何人も人を挟んでいたならばわからない。
それに、ナリタタイシンが昨日あのショッピングモールへ行くという情報が漏れていたのも気になる。トレセン学園内でしか、その話題を出したことはないからだ。
「ないとは言い切れないな。少なくとも、トレセン学園内に誰かしら主犯と繋がっている人物がいることは確かなわけだし……」
"アテナ"の情報そのものが、彼から目を逸らすためのフェイクである可能性だって否定できない。
結局のところ、今回の事件はナリタタイシンに危害を加えようとする何者かが存在すること以外は何もわからなかったと言っていい。
とはいえ、ナリタタイシンの中で焦燥感はそれほど燻っていない。理由はいくつかあるが、特に大きいのは男たちとの対面で常に精神的余裕を持っていられたことだ。
かつて心を抉っていた言葉がただの戯言にしか聞こえないほどに空虚に思えたことが、ナリタタイシンに確かな成長の実感を与えていた。
「念の為、これからはほとぼりが冷めるまでは外出時には『岡っ
「このまま何もなければそれでいいし、仕掛けてくるとすれば……だよね」
「まぁ、そのために餌をチラつかせたからな。届くのは明後日、動くとすればそこだろう」
「うん……ところで、あのふたりは結局どうするの?」
「未成年だからな。少年法が適用されるだろうから、民事で訴えて賠償金をむしり取る。金はいらんが見せしめは必要だからな。ただ、少し時間を置く。訴えるのは皐月賞のあとだ」
GⅠウマ娘という肩書があれば、ただの重賞ウマ娘よりも多くの賠償金を請求できる。慰謝料――心の痛みだけの問題ではなく、彼女たちの体それ自体が数億の収入をもたらす商売道具なのだ。
彼らが行った蛮行は、工場の大型機械を壊そうとしたことと同義だと言っていい。
既にナリタタイシンが皐月賞を穫ることを前提に話している網馬に、ナリタタイシンは若干の呆れを浮かべた。
それから数日後、皐月賞まであと数日と迫ったタイミングで、再び事態が動いた。