万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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今回で"アテナ"関連は終わらせるので長いです。
次話ほぼ会話無しで丸々一話使うよりいいよね。


所詮子供

「タイシン、ちょっといいッスか?」

 

 皐月賞を数日後に控えたある日のトレーニング前、ナリタタイシンに話しかけてきたのは中央トレセン学園の風紀委員長、バンブーメモリーだった。

 普段あまり交友のない相手ではあるが、今日ナリタタイシンはバンブーメモリーに話しかけられる心当たりがあった。

 

「……なに?」

 

「ついさっき、タイシンの部屋から美浦寮の先輩が出てきたッス。だから一応、タイシンから部屋に入る許可を貰ってるのか聞こうとしたら逃げ出したんで、捕まえて今は生徒指導室にいるッス。それでタイシンには、部屋に問題がないか確認してほしいんスけど……」

 

 いくらなんでも、交友関係の広くないナリタタイシンの、しかもスーパークリークが部屋を出て一人部屋と化している寮室に、他寮の先輩が入るのは不自然過ぎる。

 ナリタタイシンに対する風評――というか、妬み嫉みの声はバンブーメモリーも把握していたため、部屋が荒らされている可能性も考慮して確認をしてもらいたいのだろう。

 現状把握のためとはいえ、仮定被害者の部屋に勝手に入る権限は風紀委員長とて持っていないとバンブーメモリーは考えていた。

 ナリタタイシンは「わかった」と了承を返し、LANEで網に「多分かかった」とメッセージを送ると、バンブーメモリーを連れて自室へと向かった。

 

 結論から言えば、部屋は荒されていなかった。賞金で買い替えたゲーミングPCも、中古の配信機材も、網から贈られた高そうな(実際高い)ジューサーも手を付けられていない。

 ただ、勉強机の上に置かれていた小包、勝負服在中と書かれた伝票の貼ってある枕ほどの大きさの小包だけが、ズタズタに切り裂かれていた。

 「確定か」、とナリタタイシンは溜息を吐きながら、机の上の小包を拾い上げた。

 

 ナリタタイシンの勝負服が届いたのは今朝で、これは皐月賞に出走するウマ娘としてはかなり遅い時期だ。そして、この到着を知っているのは学園内ではチーム《ミラ》のメンバーと、小包を届けたたづな女史のみ。

 だから知っているはずがないのだ。勝負服を注文した、"アテナ"の父親の勤める会社の関係者以外は。その関係者が、外部に漏らさなければ。

 

(普通、こんな見え見えの罠に突っ込んでくる……?)

 

 ナリタタイシンはそう考える。つまるところ、網が提案した作戦は単純なものだ。あえて"アテナ"の父親が勤めている会社に勝負服製作を依頼した。

 さらに"アテナ"にその情報が回るようにした。具体的には《ミラ》メンバーのSNSへの書き込みや、笹本に依頼しての拡散などだ。あとはそれを耳に挟んだ"アテナ"が父親から情報を手に入れれば、なにか仕掛けてくるのではないかと。

 どの会社に依頼したかは知っていても、いつ到着するのか知っている人間は限られる。

 もちろんこれだけではなく他にもいくつか餌を撒いたが、引っ掛かったのは結局これだけだった。それがよりにもよって一番個人の特定がしやすい仕掛けだったから、ナリタタイシンは呆れていたのだ。

 実際、確かにナリタタイシンや網の立場から見ればバレバレではあるのだが、そうでないならば情報が少なすぎて警戒するのは無理というものだろう。"アテナ"にしてみれば、自分はまだバレていないことが前提なのだから。

 

(まぁ、ゲームのシナリオを相手にしてるわけでもなく、相手も所詮同い年の子供なんだからこんなものか……)

 

 そこまで考えて、ふとナリタタイシンは背中に冷たい圧を感じて振り返った。そこには、見るも無惨になった小包を見て、表情を失くし据わった目をしたバンブーメモリーが立っていた。

 完全にプリティーフィルターが外れてシングレナイズされている。持っている竹刀が軋んで音を立てている。

 バンブーメモリーというウマ娘は決して気性が激しいタイプではない。だが彼女は『夢』を背負って走るウマ娘だ。彼女自身、一度提出した勝負服の草案が諸事情で通らなかった経験もあるからこそ、ウマ娘の『夢』が詰まった勝負服への蛮行を見て、憤りが心を埋め尽くしたのだろう。

 たとえその怒りが実行犯へ向かおうともナリタタイシンには関係ない。しかし、勘違いは解いておこうと、ナリタタイシンは小包の中から切り裂かれて穴だらけになったそれを取り出した。

 

「落ち着きなよメモリー。ほら、これ」

 

「ぁ……え? ……んん?」

 

 小包から現れたのは勝負服……ではなく、ボロボロのビニールに包まれた使い古されたタオルだった。この作戦は現行犯を捕まえるのではなく、誰がやらせたのかを確定させるための仕掛け。わざわざ本物の勝負服を使う必要はないから、届いた直後に中身を入れ替えておいたのだ。

 

 勝負服が無事であることを説明され安堵したが、しかしそれでもまだ行われた行為自体に憤懣やるかたない様子のバンブーメモリーを伴って、ナリタタイシンは実行犯のいる生徒指導室へやってきた。

 既に網が到着しており、いつもの胡散臭い笑みで実行犯のウマ娘を眺めている。

 一方の実行犯はしおらしくしている……様に見えるが、何度も似たような表情を見てきたナリタタイシンには、それが上辺だけのものであるとわかった。

 実行犯は最高学年にも関わらず未だにスカウトされておらず、チームにも入っていないためデビューしていなかった娘だった。もはやデビューを諦めており、見つかって捕まること自体最初からわかっていてやったのだろう。それで退学になったとしてもどうでもよかった。

 それでも表面上は反省しているように見せていた彼女だったが、ナリタタイシンが部屋に入ってくると一瞬憎悪の宿った視線をナリタタイシンへ向けた。しかし、ナリタタイシンはそんな彼女が何者なのかまるで心当たりがなかった。

 

「ナリタタイシン、彼女に見覚えは?」

 

「……ない。初対面……だと思う」

 

 網の質問に対して正直に答えるナリタタイシン。網はそれを咀嚼して、席を立った。

 

「では、私達はこれで。彼女の扱いについては学園にお任せします」

 

「えっ、はっ!?」

 

 さらりと言い捨ててその場をあとにしようとした網に、たづなが狼狽しきった声をあげながら引き止めた。

 ナリタタイシンも表情こそ出していないが動揺しており、実行犯も驚愕を顕にしていた。

 

「……おっしゃりたいことはわかりますが、もう用はないので。先程も申しましたが、そちらの彼女が切り裂いた小包の中身はすり替えておいたもので、中にはブラックライトを当てると光る塗料を染み込ませたタオルが入っていました。部屋から出てすぐにここに連れてこられたのですから、その塗料が付着した刃物をまだ持っているんでしょう? 確認すればすぐにわかります。ブラックライトがないなら提供しますが?」

 

「えぇ、いや、そうではなくですね……」

 

「罪状の確度でないなら情状酌量の余地があるかどうかですか? ナリタタイシンが他者に危害を及ぼすようなウマ娘だとは思いませんが、仮にそちらの彼女がナリタタイシンによってなんらかの損害を被っていたとして、それがこのような陰湿な犯行に及ぶに足る理由となりますか? そもそもナリタタイシンは先程彼女とは初対面だと断言しましたが、なにかされたと言うなら当然既知の関係でしょう。何故初対面と嘘を吐いたときに糾弾しなかったのですか? というか、先程から何度も動機を聞かれているのに黙秘していますが、報復として行ったなら動機はむしろ言いたいのでは? 自分の動機が情状酌量に値しないと理解している証拠でしょう」

 

「えっと……」

 

「動機自体は興味ありませんしね。彼女が何を思って犯行に及んだのか聞いたところで心動かされることもないでしょう。なんらかの因縁があるならともかく、なんの接点もない相手にいきなり犯罪行為に走る相手の考えなど聞くだけ無駄でしょう。彼女に反省の色がないことは、駿川女史も気づいているでしょう? ナリタタイシンはもうじき皐月賞という大舞台が控えています。無意味なことに時間を使わせたくないのですが」

 

「む、無意味って……」

 

「彼女の犯行の有無で私やナリタタイシンのこれからになにか違いがありますか? 彼女の行為は彼女以外になんの影響も及ぼしていない。無意味以外のなんですか。まぁ、そもそも聞かずとも動機なんて精々嫉妬くらいのものでしょう。くだらない」

 

 いつかの菊花賞のときのような、相手を追い詰めていくような語調ではない。終始淡々と吐き捨てるように。網はこれ以上ここにいる意味を否定した。

 教え子が被害に遭った怒りも、追い詰められているであろう少女への哀れみも、単純な好奇心すらなく、ただ無関心を言葉にするだけ。

 

「……ッ!! あんたにな――」

 

「わかりませんよ」

 

 少女が放とうとした激情の叫びは、あたかもその口がどんな言葉を紡ごうとしているかわかっていたかのように、そのほとんどを言い終わることさえなく遮られた。

 

「ひとつ言っておきます。ナリタタイシンが私にスカウトされた理由には確かに幸運が関わります。ナリタタイシンが私の目に留まるという幸運がなければ彼女は私にスカウトはされなかったでしょうから。しかし、かと言って『自分はスカウトされていないのに何故ナリタタイシンが』などというのは的外れな言い分です」

 

「なにを――」

 

「私は別にナリタタイシンを才能で選んだわけではありませんから」

 

 実行犯は網を睨む。なにを綺麗事を、そう言いたげな顔だ。しかし、その顔は網の言葉によってすぐに別の表情に歪むことになる。

 

「ツインターボとナイスネイチャ。酷いことを言いますが、私の教え子であるこのふたりは決して才能があると言えるようなウマ娘ではない。特にツインターボについては貴女も知っているでしょう? 条件戦を抜けられず散っていくウマ娘がいる。それはつまり、才能の有無関わらずスカウトするトレーナーはいるということです」

 

「――じゃあ……」

 

「勿論運が悪いからでもありませんよ? いくら運が悪くとも、巡り合わせが悪くとも、貴女をスカウトしたいと考えるトレーナーが、この6年間でひとりとして貴女と出逢わないなんてことはあり得ない」

 

 特級に巡り合わせが悪いライスシャワーだって、網と巡り会ったのだ。6年間もの時間を与えられてひとりとも出会えないのなら、そこには運などという不明瞭なものではない明確な理由がある。

 そしてその理由は、ある意味では才能や運よりもなお残酷な理由。

 

「聞きたいですか? それがなにか」

 

 だからこそ、たづなは網がそれを言うのを止めようとした。だからこそ、網は自分の意思で告げるのではなく実行犯のウマ娘側から聞いてくることを促した。

 彼女の脳内には様々な感情が巡っているだろう。今後への諦観、ナリタタイシンへの筋違いな憎悪、網への苛立ち、自分が歩んできた6年間の徒労への憤慨、自分がスカウトされなかったことへの疑問。

 自分は間違っていなかった、だから悪いのはそれ以外だ。耳を塞いでそう信じ込みたかった。網が告げようとしている理由を、こじつけでもいいから否定できればそれができるような気がして、彼女は聞いてしまった。 

 

 

()()()()()()()()()()()()と考えるトレーナーがいなかったんですよ。他者を導き育てることを生業(なりわい)とするトレーナーに対して、嫉妬に狂って犯罪に手を染めるような性根を隠しきれるわけがありませんから」

 

 原因はお前にしかない。そんな意味を含む言葉を告げられて、実行犯は遂に逃げ場を失った。

 

 

 

 生気を失ったかのように、実行犯のウマ娘は聞かれるがまますべてを話した。動機は結局網の予想した通り。

 ナリタタイシンがショッピングモールへ行く日にちを漏らしたのも彼女だった。彼女の後輩でありナリタタイシンの同級生であるウマ娘たちから情報を仕入れていたのだ。

 経緯としては、とある匿名掲示板に建てられているナリタタイシンアンチのスレッドに、中央トレセン学園の生徒だけがわかるというパスワードで入れるチャットルームのURLが貼られたらしい。実行犯はそのチャットルームに入室した後、また別のチャットルームへ誘導され、そこで情報のやりとりをしていたようだ。あまりにもインターネットリテラシーの低い話に、ナリタタイシンも網も頭痛がする思いだった。

 網が問題のスレッドを調べてみたものの、当該のレスは既に削除されていた。履歴からURLを直接辿ってもみたが、チャットルームそれ自体も削除されていたため情報を確定させるには至らなかった。

 しかし、『中央トレセン学園の生徒にだけわかるパスワード』が残っていた。具体的に言えば、学園内の見つかりにくい場所にパスワードの書かれた付箋が貼ってあった。

 つまり、学園内にその付箋を貼った協力者がまだいるということなのだが、それ自体はなんら法にも校則にも違反していないし、候補が広すぎて探すのも面倒なので網はほうっておくことにした。

 余罪があれば最後にわかるし、余罪を調べるのは網の役目ではないからだ。

 

「それで、この後どうするの?」

 

「興信所に丸投げ」

 

「は?」

 

 てっきり、主犯がほぼ確定したことで嬉々として追い詰めに走ると思っていたナリタタイシンは呆けた声を出した。それに対して、網は呆れたように返す。

 

「あのな、いくら能力があったって俺はウマ娘のトレーナーか資産家の息子でしかないの。身の程ってもんがあるんだよ。餅は餅屋に任せるのが一番。なんでも自分でやるってのはミステリー漫画の見すぎだよ」

 

「まぁ……それはそうか……」

 

「多分だけど、主犯がお前と同い年の子供だとして、そこから実行犯までは2人挟んでる。ひとりは主犯の身近にいる下の身分の人物で、ひとりは特殊便利屋だろうな。しかも、恐らく大きな後ろ盾のないところ」

 

「そこまでわかるもの?」

 

「高校生のできることなんてたかが知れてる。その上で自分まで辿り着かないように人にやらせるとしても、それほど遠い関係の相手に自分の情報を漏らさせず、かつ逆らわせずに言うことを聞かせるのは手間がかかる。弱味を握ってる身近な人物を脅してやらせてるのが一番早くて確実だが、それだけだと足がつく。だから、その身近な人物を脅して、間に特殊便利屋を挟む」

 

 特殊便利屋、なんでも屋などと言えばフィクションの中のもののように聞こえるが、これらの業種は多数存在する。

 無論、彼らの殆どは様々な雑事の代行であったり、人手が必要な場合の手助けなどが基本的な業務だが、稀に、違法行為も請け負うような便利屋も存在する。

 

「暴力団とかがシノギとしてやってる場合もあるんだが……これ言ったらちょっと拙いかもしれないけど、大抵の暴力団ってのはウマ娘レースに絡んでる」

 

「えぇ……」

 

「シューズ会社へ投資してたり、ジュニア教室のパトロンやったり、あとは違法賭博とかな。そういうことがあるから、裏社会ではウマ娘レースに関することにちゃちゃ入れるのはタブーなんだよ。利権や面子が複雑に絡み合いすぎて、どのウマ娘に触ったらどこが出張ってくるかわからないから。下手したら全面戦争になる」

 

「へー……」

 

 なんでそんなこと知ってるんだろう。ナリタタイシンは思ったが賢いので口には出さなかった。

 

「だからウマ娘への嫌がらせの片棒担ぐなんてことするのは、余程全体の情報を把握してるフィクサーみたいなデカいとこか、素人がやってるところくらい。前者に依頼するようなコネも金も高校生が持ってるとは思えない。前者にやらせようとすれば7、8桁の金が動く案件だからな。いくらなんでも親が気づく」

 

 そもそもが数千万円の賞金が発生するウマ娘レースに、利権と面子が絡んでくるのだ。生じるリスクも、それに見合っただけの代金も相応のものになる。

 

「金持ちの娘が使用人の弱味を握って便利屋に依頼させ、便利屋越しに犯行を唆した。恐らくこれが全体像だ。だから、興信所に依頼してその便利屋を探す。そこから依頼した人物を見つけ出して、証拠を掴む。弱味を握られてるならその弱味次第でこっちにつけることもできるからな」

 

「……なんか、"アテナ"が哀れに思えてきた」

 

「そもそも、大層なあだ名があったって言っても所詮中学生の頃のあだ名だからな。それなりに身なりの整った大人からしてみれば所詮子供の浅知恵だ」

 

 だからまずは大人(おれ)に相談をしろよ、と。

 ナリタタイシンはそんな裏の意味が聞こえた気がした。

 

 

 

☆★☆

 

 

 鈴木美穂はウマ娘という種族を嫌っている。

 そんなことを大っぴらにしていれば人種差別だなんだと騒ぎ立てられる世の中を鬱陶しがりながら、表面上はウマ娘相手でも和やかに振る舞っている。まぁ、本人の尺度では、の話だが。

 彼女は人間に寄生しなければ種として存続することもできないのに、さも人間と対等な立場であるかのように振る舞うウマ娘の傲慢を嫌悪していた。

 ミソケイロニスト*1としては比較的ありふれた考えだ。とはいえ、様々な理屈をつけようともその根幹にあるものの種類を数えれば片手で事足りる。

 

 その圧倒的な能力差によって人類が被支配種に成り果てるのではないかという恐怖か、自分と違う存在へのありふれた嫌悪か、単に自らの利益のために都合のよい標的としているのか、あるいは嫉妬か。

 "アテナ"とさえ呼ばれている鈴木の根底にあるのも嫉妬だった。しかし、彼女の傲慢な自尊心は嫉妬しているという事実を自覚することさえ拒絶していた。

 そしてその自尊心は、嫉妬している、見下している、嫌悪しているという負の感情を表に出すことさえ厭った。そんな態度を見せれば、それはウマ娘という種を強く意識してしまっていることの証明になってしまうから。

 だから彼女は表面的にはウマ娘とも友好的に接していた。そんな生活で溜まったストレスを解消できる健全な趣味を見つけていれば、あるいは彼女も正道に留まれたのかもしれない。

 しかし、不運なことに、そんな趣味よりも早く彼女は見つけてしまった。ナリタタイシンという存在を。

 

 ナリタタイシンはウマ娘としても平均を上回る容姿をもっているが、しかし鈴木が見つけたときのナリタタイシンは、その少食さからくる慢性的な軽度の栄養失調によって、有り体に言えば貧相な容姿をしていた。

 そんな容姿に加え、どちらかと言えば内向的で鬱屈した感情を外に出さず溜め込むタイプであったこともあり、その態度や雰囲気も手伝って極度に陰鬱な印象を周囲に与えていたのだ。

 ナリタタイシンを揶揄していた者たちの言葉を借りれば『ウジウジしたコミュ障ぼっちの陰キャ』である。

 反抗もせず、助けも求めず、ただ小さく反応を返すだけの彼女は、子供の無垢な残忍さと大人の狡猾な醜悪さを併せ持った思春期の彼らにとって都合のいいサンドバッグであったわけだが、話の本筋である鈴木美穂から離れるため話をもとに戻す。

 

 ウマ娘でありながらウマ娘という種のアドバンテージをことごとく持っておらず、あらゆる点で自分より劣った存在であると認識した鈴木は、ナリタタイシンという個人をウマ娘という種の認識の代表に据えた。

 ナリタタイシンが惨めであればあるほど、自分がウマ娘よりも優れた存在であると思えた。自分が手をくださずとも周りが勝手にナリタタイシンを攻撃する。鈴木はただ眺めているだけで良かった。

 だからこそ、鈴木はウマ娘やナリタタイシンに対する負の執着を周囲に覚られることなく義務教育を終えたのだ。笹本やナリタタイシンからの警戒も、単純に性格が悪いという一点からくるものであり、彼らさえ鈴木のミソケイロニストとしての一面には気づいていなかったのである。

 そして高校へ進学してしまえば、学園生活からウマ娘の姿は減る。多くは地方の、一握りは中央のトレセン学園へ進むし、一般の高校へ進学したウマ娘も、体育の授業などの兼ね合いで1クラスに集められることが多いからである。

 鈴木が認識するウマ娘の情報は、意識して目を背ければそれほどストレスにならない量まで削られていた。

 

 だからあるいは、性根こそ歪んでいるものの自らの手は汚していないこの時点であれば、周囲との折り合いをつけ、ミソケイロニストなりに平穏な人生を生きていけただろう。

 彼女の目の前でナリタタイシンの成功を声高に吹聴する愚か者さえいなければ。

 

 あとはおおよそ、網が推理した通りである。ナリタタイシンの成功を知った鈴木はそれを認められず犯行に及んだ。

 勝負服を破壊しようとしたトレセン生へ教唆した便利屋は網の雇った便利屋によって素早く特定され、そこから鈴木が弱味を握って脅していたハウスキーパーへ辿り着いた。

 あとはそのハウスキーパーへ持たせたICレコーダーによって鈴木による脅迫の犯行場面が録音され、それが証拠となってハウスキーパーへの脅迫罪で起訴される運びとなった。

 

 この起訴で親に露見し、父親が相当な額の示談金を積んだことでハウスキーパーへの脅迫に関しては被害届は取り下げられた。ナリタタイシンへの加害に関しては再間接教唆*2として正犯と見做され、ナリタタイシン(の代理人として網)が示談を拒否したため保護観察処分を受けた。

 少年法によって実名報道は避けられ、網の働きかけで父親の勤務先が巻き込まれることはなかったが、その代償として父親からの厳しい再教育と心療内科及びカウンセラーへの通院が科せられることとなった。

 甘い対処に思えるが、一家全体を勤め先ごと潰すより、親を利用して鈴木へ罰を与え続けるほうがいいと網は考えたのだ。これから先、今までのような贅沢な暮らしはできなくなる。父親と保護司の監察のもと、父親の伝手でアルバイトをしながらミソケイロニーに折り合いをつけていくことになるだろう。

*1
Misochironist。ギリシャ語の「μῖσος mîsos(嫌悪、憎しみ)」と神話の賢人であり、英雄アキレウスの祖母としても知られるウマ娘「Chiron(ケイローン)」を由来とする。

*2
犯罪を教唆するように教唆することを教唆すること。

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