万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
4月3週、中山レース場、クラシック戦線初戦、皐月賞開催。天候は快晴、芝は良バ場。
「…………」
「おー! かっけー!」
能天気にもはしゃぐツインターボ以外の頭の回るメンバーはナリタタイシンの勝負服を見て、正確にはそのボトムスを見てなんとも微妙な表情を見せていた。
そんな目線の先にいるナリタタイシンも、同様に微妙な表情を浮かべている。
無論、先日の事件では勝負服に傷一つつくことなく、それからも特に問題なく今この時を迎えることになっているのだが、では何が彼女の心を突いているかといえば。
「……新手の皮肉か何かかな……?」
「違うから」
ライスシャワーの溢した通り、それは確かにある意味では皮肉と言えるものになっただろう。
ナリタタイシンの希望は『パンク系』の衣装。それに相応しい、ピンクと黄色を基調としたトップスとインナーに、デニム生地のボトムスという組み合わせになっているのだが。
そのボトムスが、まるで
わざわざ自分の将来に傷をつけてまでして挑んだ犯行は失敗に終わり、にも関わらず相手は傷をつけた衣装をファッションとして取り入れている。
もちろん全て偶然であるのだが、それはまるで「お前のやったことは一から十まで全部無駄」と言っているかのような様相を見せていた。
まぁ、もちろん彼女がこの皐月賞を観ているとも限らないが。
製作当時の"アテナ"の父もまさか自分が丹精込めて傷をつけているダメージジーンズに娘が追加ダメージを与えようとしているとは思うまい。結果的に傷がついたのは娘の経歴と彼の見知らぬウマ娘の経歴と精神だったのだが。
閑話休題。議題は皐月賞で注意すべきことに移る。
「ここまでのレースで慣らしてきたが、とにかく仕掛けどころを間違えないこと、それと自分の走るべきコースを見失わないことが肝心だ」
「焦りは禁物……だよね」
「お前はトップスピードに乗るまでが恐ろしく早い。だからこそ、少しでも早いタイミングで仕掛けるとあっという間にトップスピードに乗ってスタミナが吹っ飛ぶ。適切な場所からスパートできれば、最後尾から全員ぶち抜ける」
この後方不利の中山2000mで。ナリタタイシンは後方一気の追い込み策を採ろうとしていた。近年の皐月賞ウマ娘に追い込みで勝っているウマ娘はいない。遡れば、ミスターシービーまで戻ることとなる。
中山の直線と急坂は、それほどまでに牙を剥く高い壁だ。
「要注意なのはビワハヤヒデだな。勝鞍自体にそれほど目立ったところはないが、やり口が実力を隠してる時のそれだ。それに見てたらわかると思うが、毎回
レースにはイレギュラーが多い。たとえまったく同じメンバーで同じコースを走っても、バ場の状態や天候でレースの展開は大きく左右される。
それなのに、メンバーも、コースも、距離さえ違うレースすべてで同じ勝ち方。しかも、王道の先行抜け出しという実力が如実に現れる作戦でだ。
「それとウイニングチケット。今回は決め手に欠けるが、それでも同じコースであるホープフルと弥生賞を勝ってる」
とはいえ、網馬はこの皐月賞に関しては十中八九勝てると確信していた。それだけの力をナリタタイシンは持っている。イレギュラーがあるとすれば。彼女が揺らぐことがあるとすれば。
「あと、これは念の為に教えておく。今回の出走者に地方から参加してきたウマ娘がいるだろ?」
「あぁ、えっと……イズミスイセン、だっけ? スプリングステークスに勝って話題になってた」
下河邊トレセン学園所属のウマ娘、イズミスイセン。完全なダークブロワーであり、一部ではフロックとも揶揄されているが、少なくとも相応の実力はあると網馬は考えていた。
しかし、それ以上に網馬が気になったのは彼女の素性だった。
「イズミスイセンの姉はヒュブリス。この間の勝負服襲撃の実行犯だ」
☆★☆
ナリタタイシンがパドックのお立ち台から去るのを彼女は見ていた。大きく白とピンクに分かれた色調のシンプルなデザインの勝負服、地方のウマ娘が中央GⅠに出走する際に貸し出される『貸服』を着た彼女こそ、一部からは『オグリキャップの再来』と呼ばれている、この皐月賞のダークブロワー、イズミスイセンだ。
流れる芦毛の髪に右耳に着けた水仙の花をモチーフにした耳飾り。少なくない数の地元の仲間が応援しに来ている中で、彼女もお披露目を終える。
一瞬、パドックから降りた先でナリタタイシンと目があった。どちらからともなく重なった視線を逸らし、一度控室へ戻る。
「いいの? スイセン」
トレーナーである
「うん。今あいつに会ってもレースに良くない影響が残るだけだ。それに、謝罪したところで赦してもらえるとも赦されたいとも思ってないから」
イズミスイセンはかつて、ナリタタイシンを嘲笑していたうちのひとりだった。目の前であからさまに揶揄の言葉を吐いたこともある。
イズミスイセンよりひとつ上の姉、ヒュブリスは、小学校から直接中央トレセン学園に合格した。一方で翌年受験したイズミスイセンは不合格で、そのまま地元の中学校に進学した。
親が目をかけるのはいつも姉になった。親が話題を出すのはいつも姉になった。イズミスイセンと話した時間より、姉と電話をしていた時間の方が長い日もざらにあった。
そんな中で、イズミスイセンはナリタタイシンと出逢った。
並のウマ娘よりは速い。走ることが本能であるウマ娘は、小中学生のうちはレースの世界へ本格的に入る気がないウマ娘でも遊びとして競走することがある。だから、十人並のウマ娘と比べれば才能があることははっきりしていた。
しかし、トゥインクルシリーズを目標とするであろう才能のあるグループの中では話は別だ。たとえ才能という刃を持っていても、それを振り回すにはナリタタイシンはあまりにも貧弱だったからだ。
勝利の先でこそ呼吸ができると感じレースの世界へのめり込んだナリタタイシンだが、踏み込んだ先では、少なくとも中学生の間は高い実力を持っているとは言えなかった。
そして、イズミスイセンはナリタタイシンよりもいつも一歩前にいた。自分よりも下がいる。そのことに、姉への強いコンプレックスがあったイズミスイセンは溜飲を下げていた。
『通用するわけ無いじゃん。あなたみたいな小っちゃいのが』
だから、ナリタタイシンが中央へ進むと聞いて、本当にそう思ったのだ。身の程知らずと。きっと心が折れるだろうと。
しかし、地方のトレセン学園へ進学したイズミスイセンが耳にしたのは、ナリタタイシンが中央トレセン学園に合格したという情報だった。
――合格したからと言って通用するとは限らない。そう心の中で自分を納得させようとしても、そもそも合格さえしなかった自分が浮き彫りになるだけだった。
そもそも、中学からの進学の時に再び中央を受ければよかったのだ。中央を受けたところで地方の受験資格がなくなるわけでもあるまいに。そんな自分が心底嫌になった。
自分が腐っていくのを感じていた。下河邊トレセン学園に入ってから実力は伸びている。トレーナーとも巡り会えた。本格化の時期に合わせるためにデビューこそ前ではあるが限りなく成長を実感できている。
それでも、膿んだ精神がドロドロと心に降り注ぐのを止められなかった。
『似合ってないよ、その制服』
一度だけ、互いにトレセン学園へ入ったあとにナリタタイシンとすれ違ったことがある。
虚勢を張って、かつてのように揶揄の言葉を投げつけて。寮に帰ってから自己嫌悪で吐いた。なんて醜い。
自分の醜さを誤魔化すようにトレーニングに明け暮れて、デビューしてからは地方レースでもトップクラスの実力を身に着けた。交流レースでも中央相手に十分戦える、『オグリキャップの再来』なんて言われて、それでも周りなんて見られず、ただ目の前の醜い自分だけが目に入って。
そんな中、ナリタタイシンが皐月賞に出るのだと知った。
ナリタタイシンは成長していた。身体的にも精神的にも。実力ばかり身についた自分とは違って、ナリタタイシンの表情から見える心の余裕はかつてとまるで違うものだとひと目でわかるほどに。
赦されたいと思った。赦されてはならないと思った。謝って楽になりたいけど、それは自分のエゴだ。ナリタタイシンにとっては、余るほどいる敵のひとりに過ぎない。謝って何になると言うんだと自分に呆れた。
それでも、二度と関わらないまま生きるのは嫌だという我儘を止められなかった。
いっそ醜くてもいい。恥でもいい。赦されなくてもいいから。せめて、自分のほうが上だと宣ったあの言葉だけでも真実にしたかった。
トレーナーに無理を言って芝のトレーニングを積んで、イズミスイセンは中央の切符を手に入れた。かつて諦めた場所に、そして、ナリタタイシンと同じ舞台に立った。
軽蔑も侮蔑も嘲笑も受け入れる。だから。
「今日も私が勝つよ。ナリタタイシン」
賛否両論ありそう。