万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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白刃閃く

 メジロライアンはメジロ本家にとっては転換の一手だった。

 まだ秋の天皇賞が3200mを走っていた頃から続く『天皇賞のメジロ』という矜持、あるいは妄執。それをただただ受け継ぐための研鑽を重ねてきたために、メジロ家は時代の流れに置き去りにされ始めていた。

 そんな時代遅れという錆からの脱却。少しずつ他の名門からの遅れを取り戻すため、衰退しつつある長距離特化のノウハウよりも、新進気鋭の指導者を取り入れた打開の一手として、クラシックディスタンスでの力もつけることを目的とした育成をメジロライアンは施された。

 故に、メジロライアンは幼い頃から多くの期待を向けられていた。メジロ家がこれまで守り続けた誇りを新たな形で次代に繋ぐ。それが、メジロライアンに課された使命だった。

 

 メジロライアンが本格的な指導を受け始めて間もなく、分家にいつも黒い服を着た芦毛の少女が現れた。

 どう見てもメジロライアンより年下であるそのウマ娘は、不慣れなお嬢様言葉をたどたどしく使いながら行儀作法の指導を受けていたのが、メジロライアンには印象的に写った。

 メジロマックイーン。元々本家筋のウマ娘が、家同士の顔を繋ぐために嫁いだ先で生まれたダイヤの原石。小さいながらも結果を出し始めていたその家はトレーナー側を輩出する家であったため、メジロ分家に養子として入ってきたのが彼女だった。

 そしてその才能こそ、連綿と続くメジロ家の呪い(・・)、長距離への強い適性だった。メジロマックイーンは、メジロ家の総帥であり始まりのメジロであるメジロアサマの弟子、師弟による春の天皇賞制覇を成し遂げたメジロティターンによって、ステイヤーとしての才能を磨き上げられた。

 

 かくして、クラシックディスタンスへの挑戦を課されたメジロライアンと、メジロ家の矜持を託されたメジロマックイーンは、その代のメジロ家を担う2本の柱となった。

 

 

 

 4月3週、GⅠ、皐月賞開催。

 スポーティな勝負服を纏ったメジロライアンは、しかしまるで集中できずにいた。原因は火を見るより明らか、先週のアイネスフウジンによる宣戦布告だ。

 先週のニュージーランドトロフィーではアイネスフウジンが快勝した。自然、その先のNHKマイルカップにも出走するだろう。順調に進めば更にその先、日本ダービーの舞台で彼女とは相まみえることになる。

 もはや自分が何をしようとその時はやってくる。まだ世間はアイネスフウジンの選択を知らないが、自分と同じように感じた人間たちが反対運動でも起こしてくれればもしかするかもしれない。

 

余裕(・・)そうだな、ライアン殿」

 

「……タイセイ」

 

 メジロライアンに話しかけてきたのはもうひとりの好敵手(ライバル)、ハクタイセイ。芦毛の髪をひとつにまとめ、額には白い鉢巻。白を基調とした戦装束に、黒を基調とした生地に白い星をあしらった陣羽織を重ねたモノトーンの勝負服。腰に佩いた模造刀が彼女の鋭い気配を更に研ぎ澄ましていた。

 

「眼前の敵より先のレースに思いを馳せていると見える。皐月の舞台など取るに足らぬか、あるいは私など眼中にあらずか」

 

「違う! そんなんじゃ……」

 

「わかっている。わかって言っている。違わぬだろう。今この瞬間の私との、私たち皐月に挑む者との戦いと、ひと月先の友に対する憂いと、貴殿の中でどちらの比重が大きいか、何も違わぬだろう!」

 

「っ、ぐぅ……!」

 

「ひと月も先の、そもそも起こるかもわからぬ、自分のことでさえない事柄(こしょう)と比してさえ、皐月の舞台は、メジロの名は軽いのかっ! メジロライアンッ!!」

 

 侮り、軽視、そんなつもりが実際にあるかどうかなど関係ない。事実として軽視されているのだから。

 レース前は目の前のレースにすべての意識を注ぐ。それができないのならせめて自らの足でその舞台を降りる。

 それさえしないのは裏切りだ。共に競う好敵手への、勝利を願う家族友人への、背負うべき家名への、自らの経験を託した指導者への、枠から溢れ出走が叶わなかった者たちへの、そして何より運命を共にするトレーナーへの裏切りだ。

 そうハクタイセイは吼える。

 

「アイネス殿の脚を慮る貴殿の良心は、その裏切りを看過しうるのか!? 二律背反甚だしいぞ!!」

 

 ハクタイセイの糾弾にたじろぐメジロライアン。しかしその目から迷いは消えない。

 メジロライアンの弱さはそこにある。どうしても拭えない、いくら体を鍛えようとも脆いままな心の弱さ。メジロライアンの唯一かつ最大の欠点。

 最早、皐月賞(この場)での克服は望めまい。ハクタイセイはメジロライアンに背を向け言い捨てる。

 

「……腑抜けめ。私は勝つ。勝って証明する。芦毛は走る。ハイセイコーの選択は間違っていなかったと。この髪の呪いを断ち切るために、勝つ。貴殿は、そこで見ていればいい」

 

 ハクタイセイの背中を呆然と見送りながら、メジロライアンはただ立ち尽くす。弱さを自覚し、過ちを過ちと認めながらもなお、(わだかま)りが心をブレさせる。

 体験したことはあるだろうか。不安とは、ひとつ湧くとたちどころに心を埋め尽くしていく。思考が定まらなくなり状況判断が追いつかなくなる。

 

『――全ウマ娘、ゲートに収まりました』

 

 目の前で開いたゲートの音が、メジロライアンにはひどく遠くに聞こえた。歓声も、足音も、怒号も、呼吸も、何もかもが遠い。

 いつレースが始まったのかすらメジロライアンにはわからない。出遅れずにスタートすることこそできたが、差しの中でも最後方の位置で走っていた。

 

 一方のハクタイセイは、既にメジロライアンのことは頭にはない。あるのはただ、このレースを制することにすべてを注ぐという意思。

 先頭を行くのはフタバアサカゼ。このレースにアイネスフウジンはいない、フタバアサカゼの単逃げの状態。ハクタイセイは得意の好位追走で機が熟するのを待つ。

 縦に伸びた馬群、よほど内枠に閉じ込められていない限り抜け出るのは容易。ならばあとはそのタイミング。

 最終コーナーを曲がって、フタバアサカゼは先行集団に捕まる。やや外めにつけていたハクタイセイは、ここだと言うようにスパートをかけた。

 

 メジロライアンは自分の目を疑った。

 突如として眼前に現れた、一面の雪原。暗い空に猛吹雪。身も心も凍えていくような漆黒と白銀の世界。闇と雪で一歩前すらもわからない。襲い来る向かい風が脚を重くするのに、脚を動かさないと凍てついてしまいそうだ。

 あまりにも孤独な、周りから隔離された世界。

 

「う、あ、あああああああああぁぁぁ!!」

 

 メジロライアンは反射的に駆け出していた。耐えられなかった。重苦しい、何もかもが嫌になってしまうその世界に取り残されることに。解放されたい、ここから早く出たい。道標もない白の上をがむしゃらに突き進んだ。

 不幸中の幸い、あるいは毒が反転したのか、精神的負荷が許容荷重を超えたことで理性の機能が停止(フリーズ)し、剥き出しになった本能が体に鞭を打つ。

 観客からはただゴールに向かって競い合うウマ娘の姿が見えているだろう。流れた汗が地面に届く前に凍りつく錯覚。それを、この場を走る幾人かのウマ娘が共有していた。

 白の呪い。己につきまとった偏見と蔑視の吹雪を彼女はそう語った。心を凍てつかせ、身を切り刻む吹雪のような呪い。しかし、それを打ち払ったのもまた、白く輝くふたつの光だった。

 

 メジロライアンは見た。目の前の闇を斬り裂く白刃の剣閃。溢れ出す光はこの暗闇の呪縛からの脱出口。

 道を切り拓き、いの一番に駆けていくウマ娘が、芦毛を揺らしてゴール板を突き抜けた。

 

『ハクタイセイゴールイン! ハクタイセイです! 去年のウィナーズサークルに引き続き、またも芦毛のウマ娘がクラシックを制覇しました!!』

 

 ウイニングランを終えたハクタイセイは、観客席へ深々とお辞儀をしてから地下バ道へと消えていく。これからクールダウンと小休憩を挟みライブがあるのだ。

 その背中を、メジロライアンは見つめる。掲示板に点灯する自身の順位は2着。着差は3バ身差。決定的な着差ともうひとつ、あの吹雪荒ぶ世界で幻視した、己の風を味方にして駆ける黒鹿毛の姿がチラついて離れなかった。




メジロ家の設定に自己解釈、独自設定があります。
ウマ娘ではマックイーンのほうが期待されてそうな描写もありましたが、本作品では都合上史実通りメジロライアンへの期待が大きかったという設定でいきます。

芦毛への偏見でハクタイセイが苦しんだのも独自設定です。ただ当時2頭の芦毛が世論を覆した直後とはいえまだ偏見を抜けきっていない人間も多くいたでしょうし、そんなに史実と大差はないのかなと思っています。

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