万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
チーム《ミラ》ではGⅠレースを勝利した際に祝勝会を行う。これは決して珍しいことではなく、祝勝会を行う慣習は多くのチームに存在する。
むしろ、ほとんどのチームは重賞勝利であったりGⅠ入着であったりと緩い条件でも祝勝会をすることさえあることを考えれば、《ミラ》の方針は厳しいとも言える。
それでも祝勝会の頻度はすべてのチームの中でトップクラスなのが《ミラ》というか、網馬のトレーナーとしての面目躍如である。
そんな祝勝会は、基本的に主役であるその日の勝者の希望で決めることが多い。
ツインターボは遠慮せず食べたいものを希望するし、ライスシャワーは遠慮こそするものの
そして、今回が初めての祝勝会主役となった皐月賞ウマ娘、ナリタタイシンの希望であるが。
「なんでもいい」
母親に夕飯の献立何がいいか聞かれたときの思春期男子か。
ただし著しい違いとして、献立を聞いている人間に本当になんでも用意できるだけの財力があるという点がある。
とはいえ「なんでもいい」と言われたときは、大抵の場合なんでもよくはない。「なにがいいか」は曖昧だが「なにが嫌か」はハッキリしているケースが多いのでそれを察する必要がある。
結果として、外食をそれほど好まないナリタタイシンに配慮し、チームルームに寿司の出前をとることになった。比較的お
一般的な店のものと比べ一貫一貫が小さく握られているのが特徴で、少食のナリタタイシンが色々なネタを食べられるようにと網馬が配慮した結果の選択だった。
ということで、チームルームのテーブルには所狭しと寿司桶が並び、その隙間に飲み物であったり醤油皿であったり、あるいは味噌汁*1であったりが置かれている。
「ツインターボ、落ち着いて食え。そんながっつかなくても多分すぐにはなくならねぇから。多分」
「ネイちゃん、ソレとってほしいの」
「ん、これですか? ほいどうぞ〜」
「んー! ターボもちょうだい!」
「へ? これワサビだよ? ターボ大丈夫?」
《ミラ》の祝勝会では、基本的に乾杯の音頭は取られない。仕切りたがり屋がいないから、というのもあるが、大抵ツインターボが先走って食べ始めるからである。
ワサビをつけた寿司を食べたツインターボが悶えているのを見ながら、ナリタタイシンはチビチビと寿司をつまむ。網馬の誤算は配慮したにもかかわらず、ナリタタイシンが結局サーモンしか食べていないことであるが、その辺りは個人の自由なので特に言及しないことにした。
「何回食べても大トロより中トロのほうが美味しく感じる……やっぱ庶民舌じゃこんなもんかねぇ……」
「今のうちに食っとけ。歳取ると体が受け付けなくなるぞ」
「トレーナーさん、商店街のジジババみたいなこと言いますなぁ」
網馬の忠告をナイスネイチャが茶化す。
実を言うと、網馬も、成人男性としてはという前提がつくが、食は細い方である。そしてそれ以上に偏食家であり、目の前の寿司ネタも半分以上は食べられない。*2
大トロも嫌いではないのだが脂っぽいところが好きになれず、ナイスネイチャと同じく中トロのほうが好みであった。
「ネイチャー、麦茶とってー」
「ん、どぞー」
「ありがと! んー! このブリ、美味ーベラス☆」
「……ん!? あれ!? マーベラスなんでいるの!?」
ごく当然のように《ミラ》に交ざって寿司を囲んでいたのは、ナイスネイチャのルームメイトでありよくつるんでいる友人のひとり、マーベラスサンデーであった。
ナイスネイチャの驚き交じりの質問に、何故かマーベラスサンデーのほうが不思議そうに首を傾げる。
「そうそう、いい機会だから紹介しておく。新しく《ミラ》に加入したマーベラスサンデーだ。デビューはまだ先になるがトレーニングには参加することになる。かなり独特な感性を持っているが慣れろ」
「マジで!!? うぇ、え? ホントに!?」
困惑するナイスネイチャを
実を言うと、マーベラスサンデーからの加入希望は皐月賞よりも前に声掛けされていた。ただその直後、間が悪くナリタタイシン襲撃事件と勝負服襲撃事件が立て続けに発生し、その流れでアンチ一斉摘発のための根回しをしていたために、加入受理だけして紹介ができていなかったのだ。
いやそれでもルームメイトである自分にくらいマーベラスサンデーからなにかあっても……などと絶句するナイスネイチャ。もちろんマーベラスサンデーの加入が嫌なわけではなくむしろ歓迎してはいるが、複雑な心境はあるものである。
そんな感情を込め、ナイスネイチャがマーベラスサンデーの頬を両手で挟み込むと、むにょっと潰れた頬に挟まれた口からイクラが一粒発射されナイスネイチャの額にヒットした。
「それじゃ、マーベラスサンデーも加えて今後の予定を話しておく。飯食いながらでもいいから聞いてくれ」
網馬の声に、寿司を食べ進めながらではあるが全員の目が網馬の方へ向いた。それを確認して、網馬は予定を確認していく。
まずは直近、ライスシャワーの天皇賞だ。三連覇が懸かるメジロの『名優』メジロマックイーンの他、メジロパーマーやレオダーバン、イブキマイカグラなど油断のできない相手が出走する。
とはいえ、ライスシャワーも萎縮はしていない。自然体で、元のポテンシャルを十分活かせる状態だ。おそらく勝てるだろうと網馬は踏んでいる。
続いて、ナリタタイシンの日本ダービーだが、正直に言えば網馬は勝てると思っていない。トレーナーがウマ娘を信じなくてどうすると言われれば甘んじて受け入れるしかないが、それほどまでに日本ダービーでのウイニングチケットは次元の違う位置にいると考えていた。
言ってしまえば、適性の違い。ウイニングチケットの日本ダービーへの適性が高すぎて、相対的に他のウマ娘が低く見える。それこそ、スプリンターがステイヤーに3200mで挑むかのように。
皐月賞でウイニングチケットが沈んだのは、右回りや短い最終直線など不得意な条件が重なったからに過ぎない。むしろ、そんな条件でホープフルステークスを勝ち抜いた地力の高さを網馬は評価していた。
それが終われば、次は宝塚記念。ツインターボの距離ではあるが、本人の希望から今回はツインターボは宝塚記念に出走しない。そのため、今年の宝塚記念はチーム《ミラ》からはナイスネイチャひとりの出走となる。
そして、ツインターボはライバルとの戦いのため、今度は自分が相手の土俵へ立つのだと帝王賞に向けて意気込んでいる。トレーニングでは頻繁に走っているが、実際にレースで走るのは久しぶりであるため、勝ち負けよりも彼女との勝負を満喫してその先の大一番に備えてほしいところだ。
マーベラスサンデーのデビューは来年になる。今年いっぱいはトレーニングと適性分析に集中しておきたい、というのが建前で、網馬としては「本人からの希望がないのなら、ナリタブライアンのクラシックと被せたくない」という本音がある。
あのウマ娘は網馬から見ても怪物だった。できればまともにはやり合いたくはない。とはいえ、わざわざそれを口に出すつもりもないが。
「まぁまずはライスシャワーだ。メジロマックイーンを相手に勝てるだけの実力はもう持ってる。とはいえあちらは歴戦、油断せず胸を借りるつもりで行ってこい」
「う、うん! ライス、頑張る!」
言っては悪いが、メジロマックイーンにとっての春の天皇賞三連覇に比べて、ライスシャワーにとっての長距離無敗記録は重さが足りない。
一方で、メジロマックイーンにとっての春の天皇賞はメジロの執念そのものだ。それが何を成すのか。勝てると思いつつも、網馬はそれを確信しきれなかった。
そして、天皇賞当日。
地下バ道は静かに、しかし確かな熱気で溢れていた。
今ここにいるウマ娘は、皆が皆挑戦者だ。何故なら絶対王者が、この春の天皇賞を連覇し、三連覇に手をかけようという番人がいるから。
栄えあるこの春の天皇賞の舞台で、普段着ている黒を基調とした勝負服ではなく、他の
『名優』メジロマックイーン。
普段の姿こそ冷たく見えて実は相当に親しみやすい愉快な小娘なのではあるが、レースに臨むメジロマックイーンからは親しみやすさなどというものは消え失せる。そこにいるだけで周囲が萎縮する圧倒的な存在感。
そして今回は、そんなメジロマックイーンが明確に意識する相手も出走する。沈黙の地下バ道に現れたのはメジロマックイーンとは正反対の色を纏った少女。
『黒い刺客』ライスシャワー。
日本と英国、ふたつの長距離レースで同世代最強のステイヤーであることを証明し、遂に自国の王者へ刃を突きつける。
「……ライスシャワーさん、本日はよろしくお願いいたします」
「マックイーンさん、勝ちに来たよ」
周囲の雰囲気がざわりと動く。ライスシャワーの静かな宣戦布告に、そしてそれを受け取ったメジロマックイーンから放たれた圧に。その圧を至近距離で受けながら、ライスシャワーはほんの少しも揺るがない。
「いつもやってるやつ、やりに行かなくていいの?」
「お米姉やん相手に舌戦するなんて無駄もええとこやわ。こっちの
それを見ながら、互いの身内について話すのは、メジロマックイーンの姉貴分の一人であるメジロパーマーと、ライスシャワーの妹弟子であるイブキマイカグラだ。
ふたりとも、前回の春の天皇賞では接戦を演じながらも、メジロマックイーンの後塵を拝していた。あれから一年、ライスシャワーという大物を前に隠れてはいるが、彼女たちも間違いなく天皇賞の盾を狙う刺客であった。
「ま、精々寝首かかさせてもらいますわ」
「そ……私も、いつもどおり突っ走るだけさ。器用じゃないんだ、それしか出来ないからね」
互いのプライドがぶつかりあう。勝利を戴くのはただひとり。
天皇賞が始まる。