万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
ゲートが開くと同時にスタートをきったのは、誰もが予想していた通りメジロパーマーだ。昨年と同じ構図だが、もはや誰もメジロパーマーが3200mを逃げ切れないとは考えていない。
今年の阪神大賞典、阪神3000mを大逃げし、最終直線で差してきたマチカネタンホイザを、仁川の上りで
そして、二番手で追走するのもまた去年と同じメジロマックイーンだ。去年と同じように走っていたら勝てない。メジロパーマーはハッキリとそれを認識していた。
そしてそれだけではない。今年の天皇賞には、
(……ッ! なるほど、これが……)
メジロマックイーンに向けられる鋭く冷たい圧力。ライスシャワーの殺意のような威圧は、王者たるメジロマックイーンの精神すら揺らがせる。
しかしそれでも、メジロマックイーンはスタミナ配分を誤らない。幼少期から繰り返し鍛えられてきた、自身のスタミナを把握する感覚は、ライスシャワーの威圧の中でも見失われない。
ライスシャワーの撹乱によってペースをズラされても、自身に残っているスタミナさえ把握できていればそこから逆算して修正できる。メジロマックイーンが王者たる
「絶対の強さは時に人を退屈させる」。トウカイテイオーを差し置いて、今最も"絶対"に近いとされているウマ娘によってレースは支配される。
ペースメイクはメジロパーマーが、精神的な優位はライスシャワーが握っていても、メジロマックイーン自身が
グッドウッドカップではヴィンテージクロップを相手に圧倒的な精神力で、英セントレジャーではユーザーフレンドリーを相手に超長距離の適性差で、そして菊花賞では同期の好敵手たちを相手に燃やし尽くすスタミナの量でライスシャワーは勝ち抜いてきた。
しかし、今回の天皇賞、メジロマックイーンはそれらすべてにおいて格上である。だからこそ、格上の相手を倒すほどの爆発力が必要だった。
本来、その爆発力こそがライスシャワーの武器である。相手を定め、絶対に勝つのだと、自らの大切な存在のために己を振り絞って戦うのだと、鬼を宿すほどに研ぎ澄まされた精神で以て打倒する。それがライスシャワーというウマ娘だった。
しかし、今ここにいるライスシャワーは違う。網馬の処置によってメンタルが安定し、全体的なステータス自体は他の世界線を歩んだライスシャワーよりも上だろう。ただし、下振れがなくなり安定したということは、上振れることもなくなったということでもある。
さらに、ライスシャワーは未だにレースに対する明確なモチベーションを見つけられずにいた。英セントレジャーの時から変わらず続く目的意識の欠如。下手に初手で安定させてしまったが故に、そしてそれでも大抵の相手には勝てる状況だったが故に表面化してこなかった。だから網馬さえも見逃していた問題が、今ここで表出した。
と、長々解説してきたが、多くの人にはこの一言で十分だろう。
今のライスシャワーには、鬼が宿っていない。
レースは間もなく後半、1600m地点に差し掛かる。マイルが1走終わるほどの時間、ほとんど動きなく進んでいたレースが、ここで動く。
(……さぁ、参ります)
余裕を持って序盤を走り、要所でのクールダウンや綿密なレースプランニングをこなし、コーナーでの無駄を最小限に抑え、己に蓄えたエネルギーを適切に消費して。十分に確保したスタミナを以て、春の盾の王者がきらめきを放つ。
日経賞で覚醒した2つ目の"
観客がざわめく。実況が一瞬言葉を失い、掛かったのではないかと疑いを持つ。1600mのスパートなど正気の沙汰ではない。1000mでもロングスパートと呼ばれるのだから。
それを一番感じているのは、このハイペースを演出してきたメジロパーマーだった。背後から迫ってくる圧力。昨年よりも遥かに早い段階で迫り始めたそれに大きな焦りが湧く。
しかし、メジロパーマーも既にアクセルを目一杯にふかしている。ジリジリと迫ってくるメジロマックイーンを相手に対抗する手札がないのだ。
一方のライスシャワーは、メジロマックイーンを相手に冷静にマークを続けていた。それは自然、
さらに、ライスシャワーも"
(マックイーンさん……流石……! これが、日本最高峰の
(これがライスシャワーさんの"
3人が後続を引き離して最終コーナー、メジロマックイーンが2つ目の――正確にはこちらが1つ目だが――"
遂に、ライスシャワーの"
それでもメジロパーマーは諦めず、脚を緩めることはしない。この程度の苦境、挫折、今まで散々味わってきたのだから。
(ライスシャワーさん、あなたを見縊るわけでも、侮るわけでもない。しかし、メジロ家のウマ娘、春の王者として、このレースは譲れない!!)
メジロマックイーンは軽やかに淀の坂を降りていく。速度を落とさず、さりとて膨らまず、スムーズに最終直線へと突入する。
一方、ほとんど最内を走るメジロパーマーの
ここまで、メジロマックイーンとライスシャワーの間の距離が1バ身より広がったことはない。ステイヤーとして、メジロ家の技術の粋を詰め込まれたメジロマックイーンの走りに、ライスシャワーは確かについていっていた。
(負けない……この人に……マックイーンさんに勝ちたいっ!!)
遂に、ライスシャワーが完全にメジロマックイーンを意識するに至った。
膨れ上がる殺気、しかし、メジロマックイーンはその荊棘が自らの
ガリガリと削られる精神とスタミナ。メジロマックイーンを律するのはただその使命感のみ。それだけで、メジロマックイーンは悲鳴を上げる身体を動かし続ける。
(足りない……これじゃ足りない……まだ、上がある……!)
絶対的な速度差が隔たる1バ身を埋めるために、ライスシャワーの荊棘がメジロマックイーンを解放し、ライスシャワー自身に巻き付く。
今までのレースで最もスタミナを消費させられ、それでもまだ余裕が残る自身の体力を荊棘に捧げ、ただひとりに向けられていた意識が一度ライスシャワー自身へ戻ったことで、彼女の集中力は一歩先へと踏み込む。
その時、メジロマックイーンは鐘の音を聞いた。
景色が塗り替わる。聳える黒の教会から鐘の音が響き、足下の薔薇が月光に照らされて蕾を開く。
ライスシャワーに巻き付いていた荊棘も花開く。かつては『不可能』を、そして今は『奇跡』を司る青い薔薇。
(ライスだって、咲いてみせる!!)
加速したライスシャワーがメジロマックイーンに詰め寄っていく。その距離は最早、半バ身もない。
メジロマックイーンは、レースが嫌いだった。
幼い頃、その才能を見出され、彼女はメジロを抜けた母のもとからメジロ家へと引き取られた。あとになってみれば自由に会いに行けることはわかったのだが、その当時のメジロマックイーンにとっては両親から引き離されたように感じた。
しかし、そんなメジロマックイーンの感情を押し留めたのが、母親の嬉しそうな微笑みだった。
メジロマックイーンの母親には走る才能がなかった。だからこそ、半ば政略結婚としてメジロの外へ嫁いだのだ。
そんな状況で、自らの娘がメジロを冠した名を授かり、一族の使命である天皇賞を走る才能を見出されたのだから、親として嬉しくないはずがない。
だからメジロマックイーンはその時、寂しさを飲み込んだ。
レースよりも家族と観戦に行った野球のほうが好きだと言う気持ちを飲み込んだ。
高尚な舞台よりもくだらない映画のほうが好きだと言う気持ちを飲み込んだ。
高価なディナーよりも甘ったるいケーキのほうが好きだと言う気持ちを飲み込んだ。
自分がメジロ家として立派に成長すれば、母親は喜んでくれる。会いに行くたびに見られるその笑顔のために、メジロマックイーンはその名に相応しいウマ娘になると誓ったのだ。
メジロと言う家に連綿と受け継がれてきた
長い距離を走ることは苦痛で、楽しいと思えなくて、逃げたくなるときも、理不尽な大人を蹴り飛ばしたくなるときもあった。しかし、それを律するだけの異常なまでの自制心がメジロマックイーンには備わってしまっていた。
誇りを杖に、菊の舞台と二度の春を勝ち取った。メジロの名に恥じない、己の使命を全うした。そうして走ってきて、では、今はどうだ?
昨年の天皇賞、自分は確かに使命を以て走った。では、この天皇賞は。変わらないはずだ。前人未到の同一GⅠ三連覇、それを天皇賞で成し遂げることで、メジロの悲願は間違いなく完成する。
今自分は、それを原動力に走っているのか。
(勝ちたい)
違う。
勝たなければならないのだ。メジロ家のウマ娘として。
(勝ちたい……負けたくない)
理性にひびが入る。本能が鎌首をもたげる。自らを律していたメジロ家としての使命という大義を、初めて見失う。
(勝ちたいっ!! 私の、
初めてレースを楽しいと感じた。いつだってメジロ家の使命に押し潰されそうになりながら、その重圧を存在証明として走ってきた。
でも、今は違う。メジロ家の誇りではない。春の王者となった、『名優』メジロマックイーンとしての誇りが、勝ちたいと叫んでいる。
極限まで研ぎ澄ました誇りが、翼に変わる。
(私は今、夢を駆けている!!)
ライスシャワーがその背を捉えようとした瞬間、メジロマックイーンの走りが息を吹き返した。
それどころか、加速する。限界を超え、天まで昇るかのように翼を広げて、速度を上げ続ける。今まで誰も到達したことがない、『3つ目の"
ライスシャワーもそれに食らいつく。ふたりがもつれ合うようにゴール板を越えた瞬間、誰もが息を呑んだ。
メジロパーマーを差し切ったイブキマイカグラが3着に表示され、1着と2着は写真判定。それほど時間を待たず、観客から怒号のような歓声が上がった。
ハナ差で、1着、メジロマックイーン。
前人未到、春の天皇賞三連覇達成。
世界を制したライスシャワーは強い。しかし、やはり日本のメジロマックイーンは最強と呼ぶに相応しいウマ娘だった。
誇りを守りきった王者と、ギリギリまで追い詰めた刺客。ふたりを讃える声が響く中、ライスシャワーは爽やかな悔しさを滲ませながらメジロマックイーンに声をかける。
「おめでとう、マックイーンさん。ライス負けちゃったけど……次は負けないよ。いつか、ドリームシリーズでリベンジしてみせるから……!」
手を差し出したライスシャワーの言葉を受け止め、微笑んでその手を握り返したメジロマックイーンは、ライスシャワー以外誰にも聞こえないような、ただなんでもないことを言うかのような声量で、ライスシャワーに応えた。
「ありがとうございます。でも――申し訳ありません。次は、ありません。私は、
王者が下した選択を、驚愕の表情で受け取る刺客。その顔から目を逸らし、メジロマックイーンは
この流れでライスが勝たん展開ある???
いやいつもの逆張りじゃなくてね。決めてた展開なんで。必要な展開なんで。許し亭許して。