万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
「そうか。そちらまで手が回っていなかったが、彼女も勝ったか」
「羽田盃勝って、次は東京ダービーだって。南関東三冠狙うって言ってた」
東京優駿。別名を日本ダービー、開幕。
皐月賞でしのぎを削りあった、イズミスイセンは日本ダービーへの優先出走権を蹴って一度地方へと戻っていった。
もちろんこれは中央への――語弊を承知でこう称するが――下剋上を諦めたわけではない。ただ、自分の足元を疎かにして勝てるほど中央は甘くないと知っていただけのことだ。
きっかけこそ過去の精算的な意味合いが大きかったものの、地方所属のウマ娘として、地方所属のまま中央のGⅠを制するのはイズミスイセンのもうひとつの目標になっていた。
「……でも、今はあっちを気にしてる余裕なんてない。ハヤヒデならわかってるんでしょ?」
「あぁ……やはり、網馬トレーナーも気付いていたか」
ナリタタイシンとビワハヤヒデの目線の先にいるのは、BNWの最後の一人であり、彼女たちの親友でもある。そして、分析を得意とする者たちの間ではこの日本ダービーの最有力とされているウマ娘、ウイニングチケットである。
普段であればレース前だとしても、ナリタタイシンやビワハヤヒデの姿を見つければ、かなりの声量で話しかけてくる彼女だが、今日は珍しくピリついた雰囲気を出しながらウォームアップに勤しんでいる。
感覚の鋭いウマ娘ならばわかるだろう。菊花賞でキョウエイボーガンが、あるいは大阪杯でレッツゴーターキンが見せた『"
この日本ダービーというレースは、様々な要素がウイニングチケットの得意なものでできている。左回り、長い直線、2400mのクラシックディスタンス。さらに今日は晴天の良バ場。季節は春の終わり。そして、本格化はピークに達している。
「正直に言うとな。今日、この日本ダービーに勝つことのできる方程式は終ぞ見つけることができなかったよ」
「アタシも言われた。絶対に勝てないってさ」
日本ダービーにおけるウイニングチケットをビワハヤヒデは"n+1"と解いた。それは奇しく網馬と同じ見解だ。
日本ダービーを走る何者よりも速く。たとえ己の最大値を出し切ったとして、ウイニングチケットはそれを上回る。
だがそれでも。
「それで、諦めたのか?」
「まさか」
それは諦める理由にはならない。それは走らない理由にはならない。
理屈は、理性は、既に半ば負けを認めてしまっている。それでも、彼女たちの本能が「あの場には自分が必要だ」と叫んでいる。
負けるから諦めるなど、負けるから走らないなど、負けるから手を抜くなど、友に対する侮辱にほかならないと。
何より、勝利への切符がライバルの手にある程度で負けを認めるなと。
「チケットには悪いけどさ、アタシ、三冠穫るつもりだから」
「奇遇だな。私も、皐月を落とした程度で三冠を諦めるほど素直ではないんだ」
もとよりそれは、奪うものなのだから。
勝利を望むは本能だ。
「ハヤヒデ、タイシン」
日本ダービーが、来る。
「勝負だ」
★☆★
『腑抜けた?』
『そや。うちら――リアルシャダイの教え子には憑き物というか、よくあることなんよ』
網馬は、天皇賞のあとにイブキマイカグラから告げられた言葉を思い返す。
正直、あの天皇賞は
しかし結果は、ライスシャワーも同じく覚醒して、なお、敗北。予想外としか言いようがない。なにより、ライスシャワーのタイムは前年までのレコードを更新できてさえいないというのが、網馬には想定外だった。
メジロマックイーンが強くなったのは間違いない。しかし、自分の想定よりもライスシャワーが力を発揮できていなかった。そう考える他ない。
『燃え尽き症候群が近いんかなぁ。自覚がない時とある時は人によって
『燃え尽き症候群……ですか。なるほど……対処法は?』
『人による……としか言えへんな……うちは時間が解決した。もしくはシャグラ姉さんみたいに、直らんまま引退になる可能性も考えなあかん』
イブキマイカグラから得られた情報はここまでだった。
ライスシャワーは他人を理由に走ることができる娘だ。だから、網馬がトレーニングメニューを提示している以上、それをこなすことに対して手を抜いているようには見えない。
だが、精神的に身が入っていないのならば、肉体を鍛えるトレーニングはともかく、技術向上を目的としたトレーニングの効果は薄れかねない。
現状、ライスシャワーの次の目標はひとまず来年のステイヤーズミリオンを制覇することになる。それまでにいくつか長距離のGⅠレースを勝っておきたい。
とはいえ、長距離のGⅠレースというのは思いの外少ないので、しばらく時間が空く計算になる。その間にライスシャワーと話し合う時間を作らなければならないと網馬は考えた。
(ライスシャワーの内心を思いの外把握できていない……ツケが回ってきたか)
最初こそ強烈な矯正をしたが、ライスシャワーはマイペースでこそあれど手はかからなかった。根本的にメンタルが強いため、一度直してしまえば手を加える必要がなかったからだ。
それが裏目に出た。純然たるコミュニケーション不足だった。
「お集まりいただき、ありがとうございます」
部屋に入ってきた男性の声で、網馬の意識が現在へ引き戻される。
日本ダービー当日、出走5時間前。網馬は中央トレセン学園の一室に呼び出されていた。
他に呼び出されたのは皆、日本ダービーに出走予定のウマ娘のトレーナーたちだ。その中には、チーム《リギル》のトレーナーである東条ハナ、サブトレーナーの樫本理子や笹本の姿も見える。
ここにいるトレーナー、サブトレーナーの条件として、日本ダービーの出走者のチームであることの他に、『隠し事が下手ではない』が指定されていた。
「それで、わざわざ集めて何を話そうって? しかも、そちらさんのトレーナーには内緒で?」
あるトレーナーが、この場に皆を集めたその人物に端的に質問を投げる。
たった今入ってきたその男性、チーム《レグルス》のサブトレーナー、
「それを話す前にお願いしたいことがあります。これから話すことは、ここだけのオフレコにしてもらいたい。特に、今日日本ダービーに出走するウマ娘たちとマスコミには、絶対に話さないでください」
その言葉で、網馬は何が起こったのかをおおよそであるが把握した。
日本ダービー関係者が誰も知らないのは問題だが、出走ウマ娘が知ってしまっては間違いなくレースに影響がある。だからこそ、このメンバーなのだろうと。
果たして、一岡の続けた言葉は網馬の予想通りのものだった。
「昨日、柴原先生が倒れました。今は入院していますが容態は芳しくなく……危篤と診断されました」
柴原の名前をちなんだものにするか最後まで悩んだ理由。
必要な展開なので変える気はありません。