万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
光陰矢の如し。*1日本ダービーから長いようで短い1週間が経った。
同じ府中で開催された安田記念はツインターボやナイスネイチャと同期のヤマニンゼファーが制覇し、TTNだけではないということを再認識させた。
柴原の死は様々な媒体で華々しいドラマとして流され世間の話題を席巻した。『虎は死して皮を留め人は死して名を残す』などというが、どちらも人によって飾り立てられ消費されるという意味では同じなのかもしれない。
「あっ、ハヤヒデーっ!! 遅いよー! 遅刻!」
「フッ、待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」
「辛くない側の台詞じゃん」
「松見って誰!!!!?!?!?」
「チケット、黙って」
BNWの3人は、皐月賞の前、ショッピングモールの一件で台無しになってしまった物見遊山を改めて行おうと集まっていた。
特に宛も目的もなく歩き、話をする。菊花賞まで時間がある彼女たちは、そのくらいの余裕を手に入れていた。
「そうか、夏休み中はタイシンは海外合宿か」
「まだひと月は先のことだから気が早いけどね」
「いーなー……《レグルス》も海外行かないかなぁ」
「流石に厳しいんじゃない……? 今ごたついてるし、そもそも資金力の差が……」
チーム《レグルス》は結局、一岡サブトレーナーが継ぐこととなった。チームを新設するには実績が足りていないが、引き継ぎということであればリンデンリリーとエリザベス女王杯を制覇している一岡にはその資格があった。
柴原の甥で同じくトレーナーである柴原
「ごたついてるって言うならあの時出てたチーム全部そうじゃん」
「まぁ、それはそうなんだけど……」
「私たちに配慮した結果だから、申し訳ないな……」
日本ダービー出走チームのトレーナーが共同で行った騒動は、当然問題となった。世論の反発はあったが、それでも『問題としない』という前例を作るべきではないと判断したのだ。
特に重かったのが実際に違反行動である、閉会前のウマ娘を連れ出した《リギル》の笹本と《ミラ》のツインターボ、ライスシャワー、その責任者である網馬であり、次いで違反行為こそないものの犯罪一歩手前であった《カノープス》の南坂であった。
《ミラ》は罰金処分であり、網馬のポケットマネーから出したため実質被害はなし。笹本はそれに公道での速度超過が追加されるわけだが、それもまぁ、払えない金額ではない。
南坂は電子計算機損壊等業務妨害罪と見なされる可能性があったが、URAからの口添えにより『業務妨害に至っておらず、むしろ観客の混乱を抑える行為』と判断され起訴には至らなかった。
世間からの評価は比較的良好と言ったところだろうか。結局、日本人はお涙頂戴のドラマに弱い。
「しかし、これで私だけがクラシックの冠を取っていないことになるのか。菊では覚悟しておいてもらおう」
「そ。アタシも負けるつもりはないけど」
ビワハヤヒデは、世間的にはマイラーよりのミドルディスタンスランナーと言われている。ジュニア期にマイルを多く走り、成績も良好だったのが大きいだろう。
しかし、ナリタタイシンは知っている。ビワハヤヒデの本領はクラシックディスタンス以上の距離であると。油断などできようはずもない。
そんなやりとりの後、違和感に気がつく。こういった話題のとき真っ先に騒ぎ出すウイニングチケットがやけに静かなのだ。
確かに彼女の射程距離は2400mそこそこが限界だろうが、それで諦めるような性格でないのは百も承知だ。
「チケット?」
「大丈夫か、チケット。やはりまだ……」
「あ……ううん、違うんだ。えっと……」
トレーナーを亡くしたことが、やはりまだ吹っ切れていないのかと慮るふたりに、モゴモゴと口を動かしてから、ウイニングチケットは話し始めた。
「アタシ……菊花賞が終わったら、引退しようと思ってるんだ……」
「……へ?」
「チケット、それは……」
ウイニングチケットは早熟型である。本格化のピークが日本ダービーと被っていたから、彼女はあれほどまでのパフォーマンスを見せることができた。
しかし同時に、彼女の全盛期は決して長く続くものではなかった。早熟型にしても高い実力の代償。そのことをウイニングチケット自身察しての発言なのか、いやそれでもウイニングチケットにしては諦めが早すぎないかと顔を
それを見て、ウイニングチケットは急いで
「ち、違う違う!! そう言うんじゃなくて、さ……やりたいことができたんだよ」
「やりたいこと……?」
「うん……アタシ、レース実況アナウンサーになりたいんだ」
レース実況アナウンサー。それは文字通りウマ娘レースにおいて実況を担当する各局のアナウンサーのことであり、ある意味では、ウマ娘を除く関係者の中で一番の花形とも言える存在である。
時に正確に、時に劇的に、観客の興奮を、驚愕を、悲嘆を、喝采を代弁する存在であり、『レースのドラマ』とは切っても切れない存在である。
「まぁ……チケットなら向いてると思うけど……どうしたの、急に」
「あー……そりゃあね? アタシの限界が見えちゃったからって理由もなくはないけど……届ける仕事をやってみたくなったんだ」
ウイニングチケットは濁して伝える。だが、ナリタタイシンも、ビワハヤヒデも、なんとなく伝わった。ウイニングチケットはその声を張り上げて、天国まで届かせたいのだ。彼に聞こえるように。
安直な、子供っぽい考えだと斜に構えた意見がナリタタイシンの頭をよぎる。それと同時に、自分にはない純粋な、それでもしっかりと地に足がついた目標を掲げたウイニングチケットを羨んだ。
自分はどうだろうか。バカにしていた奴らを見返して、その後は?
不意に自分が空っぽになっていくような感覚に駆られて、ナリタタイシンは身震いした。
「でも……アタシも、菊花賞はふたりと走りたい。アタシには長いかもしれないけど、それでも最後まで走りたいんだ」
ウイニングチケットの目に諦めはない。いつものウイニングチケットの目だ。
「……アタシだって、三冠は逃したけど二冠はまだ諦めてないよ。うちには世界最強クラスのステイヤーがいるしね」
「甘いなタイシン。私はまだ三冠も諦めていない」
「いやそれは流石に諦めなよ」
クラシックに輝く3つの冠。それを過ぎれば、ウイニングチケットは引退、アナウンサーの道へ。ナリタタイシンは洋芝の経験を積み欧州へ。そしてビワハヤヒデは国内で、己の答えを探しに。
いずれ道は分かたれる。けれども、今この時は、3人の歩む道はひとつだった。
☆★☆
府中市内、とあるうさぎカフェ。
個人的な理由でその店に訪れた網馬は、偶然にもライスシャワーと遭遇した。ウサギと戯れる彼女の姿はどこか普段よりもフワフワと……こう、その……普段通りかなぁ?
ともかく、現状ライスシャワーは間違いなくスランプなのである。
ここまで、ライスシャワーはステイヤーとしては比較的短いスパンで走ってきた。ステイヤーは走る距離が長い分、当然だが脚にかかる負担も大きい。だから網馬は夏季の海外レースへの参加を見送り、秋シーズンまでの療養を命じていた。
ライスシャワーのスランプの原因、あるいはきっかけとなったものは把握できている。十中八九、ライバルの不在だろう。
ライスシャワーが認める好敵手であるミホノブルボンとユーザーフレンドリーはどちらもステイヤー路線ではなくクラシックディスタンスを主戦場としている。超長距離で顔を合わせる機会はほとんどない。
そして新たにライバルになるかと思えた、それこそ、ライスシャワーに長距離で初めて勝ち越したメジロマックイーンはその1戦で引退。しかもドリームシリーズには出てこないつもりらしい。
メジロマックイーンに言い方は悪いが勝ち逃げされ、ライスシャワーは不完全燃焼のまま燻っている。その気持ちを、網馬は共感することができた。
まだ彼が親からの関心を諦められなかった時代。目標と、あるいは壁とした長兄の突然の事故死。敵視していた次兄の半幽閉による社会的な死。
行き場を失い空吹かしし続ける熱の煩わしさを、網馬は確かに覚えており――それが、決して届きえない才能の前に経験した挫折よりも苦い記憶であることも覚えている。
ライバルを定める機会を増やせばとも思うが、それは思惑から外れればただただいたずらに脚を消費し、寿命を縮める愚行になりうる。
(そもそも俺は心理カウンセラーじゃねえんだ。共感できたところで門外漢ができることなんて限られてる)
精々、ライスシャワーの眼鏡にかなうようなステイヤーを見つけ出し、レースをマッチングするしかない。結局、行動は現状維持だ。
トレーナーとして活動して5年目。あまりにも遅い、初めての行き詰まりだった。
一方、ライスシャワーは――当然だが――網馬よりも正確に、自分の現状について理解していた。
眠りから覚めたあとのような、あるいは、甘いものをお腹いっぱい食べたあとのような、地に足のつかないふわふわとした感覚。
ひとつひとつ、ライバルと戦いタイトルを取り続け、遂に自分を負かす強敵と出会えた。次の目標に狙いを定めて、その直後にそれは雪のように消え去った。
今足をかけようとしていた頂が消え、その座は幻のまま、自分は頂に腰掛けている。目標がなくなり、成果だけが残った。
言ってしまえば、ライスシャワーは満足してしまったのだ。一息ついて、冷静に俯瞰して、満ち足りてしまった。もう、それでいいか。そう思ってしまった。
多分、ライスシャワーがそれを話せば、網馬は走り続けることを無理強いしない。そのくらいは、この3年間で理解してきた。だからこそ言えないのだ。
「走らなくていい」と言われたら、本当に走れなくなりそうで。引き留めるものがなくなれば、そのままどこかへ漂っていってしまいそうで。
『走りたい』という前向きな動機はなく、ただ『未練』というあやふやなか細い縄で宙ぶらりんになって、今この立ち位置にぶらさがっていた。
これが、あるいは正しい歴史を支え合って歩むライスシャワーとその
「……失礼、電話がかかってきたので席を外しますね」
「あ、うん。わかった。いってらっしゃい」
網馬を見送り、再びウサギと戯れるライスシャワーは、その袖が小さく引っ張られる感覚に気づき振り返る。
そこにいたのは、こう、名状しがたい人物だった。
いや、名状はできる。その黒鹿毛やアシンメトリーの髪型、容姿を見れば、誰もが『ミニチュア版のライスシャワー』と例えるだろう。
小学校低学年くらいだろうか。色々と簡略化なされているが、造り自体は非常に丁寧なライスシャワーの勝負服のコスプレ衣装を纏った少女は、見た目だけならば見事にライスシャワーを再現していた。
しかし、ライスシャワーの袖を引く少女は、ぱかりと口を開けたふてぶてしい表情で見事な仁王立ちを見せており、醸し出す雰囲気がライスシャワーと異なりすぎていた。
両者の目と目が合い、数秒。少女が口を開いた。*2
「よろしくゥ!!」
「????????????????????」
何、この、何。
自分は何をよろしくされたのだろうか。恐らくまず間違いなく自身のファンであろう少女を前に、ライスシャワーの頭はクエスチョンマークで埋まっていた。
「ちょっとミア!? ダメでしょ他のお客さんに迷惑かけちゃ……! へ、も、ももももも、もしかして、本物のライスシャワーさん、ですか……?」
「えっと……はい」
ミアと呼ばれた少女を制止しようとやってきた、恐らく彼女の母親であろう女性は、ライスシャワーが本物であると理解した瞬間に膝から崩れ落ちた。ライスシャワーは未だに自分がスター級有名人である自覚が足りなかった。
彼女がしどろもどろになりながら言うには、母子ともにライスシャワーの大ファンであり、英セントレジャーステークスなどは現地まで見に行ったほどであったらしい。
特に、ミアは周囲から一歩抜けてレースが上手く、いつも勝ってしまうために距離を置かれがちであったことを悩んでいたらしく、そんな折に
「負けるほうが悪い!!」
「でもライスこの開き直り方は危険だと思うな」
「それは私もそう思います……」
「なんだとぉ……」
でも、こうして煽るようになってから、少なくとも遠巻きに見られることはなくなったと母親は苦笑する。ウマ娘の幼少期など対抗意識の塊のようなもので、負け続ければ嫌になるが挑発すればなにくそとなるものだ。
そんな苦笑とライスシャワーの意見にミアは不服そうにしながら、しかしやはり笑顔でライスシャワーに指を突きつける。
「姉貴ィ!!」
「"姉貴"!!!!?!?」
「いつかアンタに勝つから、よろしくゥ!!」
ライスシャワーの袖から手を放し、サムズアップを見せながらミアはそう
ファンから投げつけられた突然の宣戦布告に目を丸くするライスシャワー。
「あたし、
その言葉を聞いて、ライスシャワーはハッとした。好敵手たちを目標にした自分のように、自分を目標にするウマ娘もまた存在するのだと。
その娘たちにとって今のライスシャワーは間違いなく、衰退し始めている長距離路線の
「……わかった。あなたが来るまでライスは
「もちろんサッ!! なんて言ったってあたしの名は――」
戻ってきた網馬が見たものは、ファンであろう母子を見送りながら、どこか晴れ晴れとした様子のライスシャワーだった。
「……なんか、勝手に立ち直ってる……」
フェス行ってきます。マンメンミ。