万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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緑と赤緑

 ナイスネイチャが出走予定の宝塚記念が迫り、同時にツインターボの帝王賞も近づいている。網としてはツインターボがハシルショウグンに勝つイメージがつかない――これは当然で、ツインターボはダートを走れないことはないが本職とは数段劣る。ライスシャワーが1200mでサクラバクシンオーに挑むようなものである――ため、本人が満足できればそれでいいかと思っている。このレースに関しては、目的は()()()だ。

 ただし、ナイスネイチャに関してはそうはいかない。と、少なくともナイスネイチャ自身はそう思っている。最後に勝ったのは年始の日経新春杯、GⅠに至っては菊花賞以来丸一年勝っていない。焦りの感情が表れて当然だ。

 と言っても、彼女が学んだ作戦や戦術が身になっていないわけではない。人は多くは1位しか見ないが、GⅠという大舞台で入着し続けるなどという芸当はただ事ではない。

 だが、それでも、タイムに表れない成長、相対的な基準しかない評価。対戦相手がいなければあまりにもわかりにくい進歩は、その存在をナイスネイチャ自身に疑問視させていた。

 

(ううん――たとえ本当に進歩していても、勝てなきゃ意味がない)

 

 かつてのナイスネイチャならば、入着という結果で満足していた――あるいは妥協していただろう。しかし、速く走ることに見切りをつけ、勝つための技術を学んでいるのだ。

 レースという、相手よりも速く走るという本能を慰める側面が多分に含まれている舞台でそれだけを極めるのは紛うことなく邪道で、自分はそれを歩んでいる。

 なのだから、そこに妥協があってはいけない。速く走ることを妥協し、勝利まで妥協しては、何も残らない。ナイスネイチャはそう自分を追い込み、貪欲に知識を吸収しようとしていた。

 

 宝塚記念2週間前。ナイスネイチャは学園の図書室にいた。網から渡された本に書かれていた戦術はすべて覚え、どう運用するかを試行錯誤する段階にいる。

 戦術をより効果的に運用するための知識。素材を調理するためのレシピのヒントを求めて、この図書室にやってきた。

 『知は力なり』。中央トレーニングセンター学園現理事長ノーザンテーストの座右の銘を徹し、彼女は私財を惜しげもなく使い、ウマ娘のレース関係のもののみに拘らず多くの蔵書を図書室へ収めている。

 とはいえ、ナイスネイチャは今回奇を衒う気はない。中には料理のレシピやら詩集やらで新たな作戦を思いつくトレーナーもいるらしいが、生憎自分にそんな才能はないと知っているからだ。

 ナイスネイチャが目をつけたのは、ウマ娘の解剖学について書かれた入門書のようなものだった。戦術の効果が何に由来するものなのかを分析し、応用の幅を拡げるのが目的だ。

 

 その本を取ろうと手を伸ばし、背表紙に指が触れそうになった瞬間、ナイスネイチャは反対側から別人の手も伸びてきていることに気づき、しかし手を止めるには間に合わず指同士が触れ合った。

 

「っあ、す、すみません!」

 

「いえ、こちらこそ」

 

 そこにいたのは長い黒鹿毛のウマ娘だった。細身のスーツを着ており華奢な印象を受ける一方、上背は高く貧弱には見えない。胸に着けられた入校バッジは、この学園の出身者であることを証明している。また、黒縁の眼鏡が印象的だ。

 ナイスネイチャは、その顔がどこかで見たことがあるような気がすれど、上手く思い出すことができずにいた。あるいは、どこか彼女のトレーナーと似通った雰囲気がそれを招いているのだろうか。そのうち、相手のほうが先に、ナイスネイチャの正体に行き当たる。

 

「君、もしかしてナイスネイチャかな? 菊花賞ウマ娘の」

 

「ひゃ、ひゃい!! ご、ご存知で……?」

 

「流石にここ数年の菊花賞ウマ娘を覚えていないようなウマ娘は全国でもそうはいないさ。勝った菊花賞よりも日本ダービーを語られる方が多いのは如何ともし難いが、『帝王』と『逃亡者』に割って入った『赤緑(せきりょく)の刺客』とあっては致し方ないかもね」

 

「そっ、そんな『緑の刺客』に(なぞら)えられるなんて恐れ多い……!」

 

「はは、しかし、君たちTTN世代は何かとTTGと比べられているからね。まぁ、それほど被るんだろうね。とはいえ、私が知っていたのは、よく世話をしていた後輩が君に注目していたからなんだけどね」

 

 黒鹿毛のウマ娘は解剖学の本と、その近くにあった本を1冊取るとナイスネイチャに渡す。

 

「これ、解剖学ならこっちの本もおすすめだよ。初心者向けと明記はされてないけど、初心者でもわかりやすく書かれている」

 

「あ、ありがとうございます……って、それならこっちは先輩が読んでください! ……取ろうとしてました、よね?」

 

「あぁ、確かに読もうとはしていたけど、特段その本にこだわる理由もないんだ。現役時代湯治の機会が多くてね。暇つぶしに本を読み漁っていたら、すっかり濫読派だよ」

 

 そう苦笑する黒鹿毛のウマ娘の手元をよく見れば、複数の本が館内持ち運び用のカゴに入れられて提がっている。その多くは医療書に属するもので、初心者向けの簡単なものから難解な専門書の類まで入れられていた。

 

「……お医者さん志望なんですか?」

 

「一応、既に免許は持ってるんだ。学生時代からその道に関わってはいたからようやくって感じだけどね」

 

 答えて、黒鹿毛のウマ娘は待つかのように黙る。いや、実際待っているのだろう。ナイスネイチャに、多くのものを聞き出し己のものにしようという気概があるか試すために。

 かつてのナイスネイチャなら遠慮してその一歩を踏み出すことはなかっただろう。しかし、今のナイスネイチャはなによりも勝利を欲している。目の前に転がされたチャンスを拾わないという選択肢はなかった。

 

「えっと……先輩ってライバルとかいたんですか……?」

 

 その第一歩が日和ってこの質問というのも、なんともナイスネイチャらしいが。

 一方の黒鹿毛のウマ娘は、「よりによって自分にその質問をしてくるか」と、本当にナイスネイチャが自分のことを誰だかわかっていないと改めて感じ苦笑する。

 

「あぁ、いたとも。いつも私の前を走る強敵たちが。私は結局、いつも追い縋ってばかりだった。私から助言をするとすれば、相手がまだターフの上にいる間に、思う存分走っておくことだ」

 

「は、ハハ……あっちが出てこないとどうしようも……」

 

「あはっ、それはそうだ! ……そして、よく考えれば戦術面で君の参考になりそうなことは私にはないな。いつも内ラチ沿いを好きなように走っていただけで戦術も何もなかったからなぁ」

 

 あっけらかんとそんなことを今更言い放つ黒鹿毛のウマ娘。はじめこそ知的な雰囲気を――医師免許を取得している以上知的なのは確かなのだろうが――醸し出していたのに、今はどこか抜けているようなイメージが先行している。

 

「アハハ……、って、もうこんな時間!? すみません、アタシこれからトレーニングなんで、この辺りで失礼します!!」

 

「焦らないでちゃんとウォームアップするんだよー。怪我に泣かないようにねー」

 

 急いで本の貸出手続きを終わらせて図書室を出ていくナイスネイチャを見送ってから、黒鹿毛のウマ娘は再び読書へ戻る。

 時計の長針が120°ほど傾いた頃、図書室に新たな来客が入ってきた。長く伸びたツートンの鹿毛に三日月のような流星。知らぬ人などいない『"絶対"なる皇帝』シンボリルドルフだ。

 シンボリルドルフは図書室に入ってきて図書委員と二、三言葉を交わしたあと、振り返って黒鹿毛のウマ娘を目にすると、目を(みは)り早歩きで近づいてきて、頭を下げた。

 

「会長、ご無沙汰しております」

 

「ルドルフ、今の生徒会長は君だろう。いつまでも私なんぞに(へりくだ)るんじゃない。それに、私はあいつの代理でしかない。あの時代、生徒会長は誰かと聞かれたら皆が皆『テンポイントだ』と答えるよ」

 

 そのウマ娘の名、グリーングラス。

 テンポイント、トウショウボーイとともにTTG世代と呼ばれ一時代を築いた英傑のひとり。『第三のウマ娘』『緑の刺客』。

 ナイスネイチャがその名を思い出せなかったのも無理はない。現役時代から成長し顔立ちは面影を残しながらも大きく変わっているし、当時のトレードマークだった緑の鉢巻を外し、黒縁の眼鏡をかけているため印象も違っているのだから。

 彼女の言う通り、当時の生徒会長といえばテンポイントだっただろう。しかし、テンポイントの死後、辞退したトウショウボーイの代わりに生徒会長を引き継いだのが、当時副会長であったグリーングラスであり、シンボリルドルフはちょうどその頃生徒会入りしたのだから、彼女にとって生徒会長はグリーングラスという印象が強いのだ。

 

「さっき、君の言っていたナイスネイチャに会ったよ。あれは確かに君の好きそうなタイプだな。しかし、TTGにはいなかったタイプだ」

 

「先輩方は地力での殴り合いでしたからね……」

 

「強いものは強い。そういう時代だったんだ。それを変えたのは君だろう」

 

 強者でもまだ先があることを、弱者でも強者に迫れることをシンボリルドルフは示した。過程やきっかけはどうあれ、結果的にそうなった。レースの世界はそうやって進歩していく。

 

「常に進化し続けるテイオーは強い。己の強みを知っているツインターボも強い。その壁を、己の弱さを知っているナイスネイチャがどう越えていくか。楽しみですよ」

 

 ナイスネイチャは弱い。こと才能の集まった彼女の周囲のウマ娘たちに比べれば凡百と言ってもいいほどに。彼女の代名詞と言える《八方睨み》だって、押しの弱い彼女より有効的に使えるウマ娘は大勢いる。

 それでも走り続ける姿は、多くのウマ娘たちの救いにもなっている。

 

 『すべてのウマ娘たちに幸福を』。シンボリルドルフの理想に最も近いウマ娘は、ナイスネイチャなのかもしれない。シンボリルドルフはそう考えていた。

 

 間もなく、宝塚記念が来る。

 




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