万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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星を目指す者

 宝塚記念のスタートは異様な程に静かだった。

 正確にはそれが正常なのだろう。しかし、あのナイスネイチャがまたなにか仕掛けるのだろうと考えていた他のウマ娘たちからすれば肩透かしに終わるような開幕だったのは間違いない。

 なんの障害もなく、メジロパーマーがいつものようにハナを取ってグングンとレースのペースを上げていく。天皇賞の再上映、異なっているのは、今度こそメジロパーマーが逆噴射することは――この2200mの舞台では――ないだろうことと、それは他のウマ娘たちにも言えるということだ。

 先行のウマ娘たちは幾人かはメジロパーマーに食らいつき、ハイペースについていっている。レオダーバンが外めに控え、フジヤマケンザンは内につけている。

 ナイスネイチャはバ群の中、最内の内ラチギリギリを静かに走っていた。そのやや後ろで、イクノディクタスが警戒しながら脚を溜める。

 

(何も仕掛けてこない……? いえ、もう既に何か仕込みをしていて、私たちが気づいていないだけ……?)

 

 背筋に薄ら寒い汗が伝う。だが、実際ナイスネイチャが何をしているのかはまったくわからない。本当に、ただそこでセオリー通りに走っているように見える。

 そんな危機感を抱いているのはイクノディクタスだけではない。不気味なほどにいつも通り走れている現状に、ナイスネイチャとの対戦経験があるウマ娘は皆訝しんでいた。

 そのうち、ナイスネイチャばかりに警戒し続けてもどツボにハマると無理やり意識を切り替えた者と、それでもナイスネイチャを警戒し続ける者とがおよそ半数ずつ。仁川の坂を登り、コーナーへと入っていく。

 

 カランカランと、金属同士がぶつかり合う音が響き、ウマ娘の鋭敏な聴覚がそれを拾う。幾人がその正体を確認する。ある意味では予想通り、音の発生源はナイスネイチャだった。ナイスネイチャの腰に巻かれたリボンについている金具が、内ラチにぶつかって音を立てていた。

 

(ネイちゃんにしちゃあばかになりきなせせくり方さ。なんか企んどんのけ?)

 

 フジヤマケンザンは先団からその音を聞き取ったが、しかし警戒以上のことはできない。気を散らそうとしているならあからさますぎるし、それを気にするというのは思うツボだからだ。

 ただ、ハナを気持ちよく駆けているメジロパーマーをそのままにしておくのはまずい。ナイスネイチャが障害物なら、メジロパーマーは制限時間だ。

 ナイスネイチャがメジロパーマーを撃ち落とすことを期待する、というのはあまりに消極的で無責任だろう。宝塚記念に出走するほど自分の走りに自負のあるウマ娘たちはそれに頼ろうとせず、自分たちの力でもメジロパーマーを追い落とそうとする。

 そして、メジロパーマーも当然おとなしくそれにやられるようなウマ娘ではない。レースは緊迫のハイペースを更新し続けていた。

 

 そのままレースは続き、向正面も終わりに差し掛かろうとしている。コーナーのはじめから軽い下り坂になっている阪神の終盤、レオダーバンが"領域(ゾーン)"に入り、咆哮とともにスパートに入る。

 

 誰も気づいていない。自分が擬似的な"領域(ゾーン)"に入っていたことに。

 

 レオダーバンの咆哮とともに、()()()()()()()()()()()()の耳に硝子が割れるような音が響いた。

 

 会場が騒然とする。実況が言葉を失った。何が起こったのかがわからない。ただ、レオダーバンが何かをやった結果、走っている全員が皆一様に異変を見せたのだ。

 一番軽くてイクノディクタスやメジロパーマーのように軽い失速、しかしウマ娘によってはよろめき大きく失速する者もいる。

 そして恐らくそれを為したであろうレオダーバンさえ、動揺とともに"領域(ゾーン)"を失い失速しているのだ。

 

 完全に無事に走っているのはただひとり。しかし、それならナイスネイチャは一体なにをやった?

 観客や実況といった外から観ている者はナイスネイチャの"領域(ゾーン)"を疑う。しかし、実際にそれを受けた出走者は違うとわかっている。何をされたかわからない。

 

 だが、ナイスネイチャがやったことは単純だ。まずひとつは直接的な牽制を控えたこと。ただし、音や気配を利用して無意識に選択を絞るような牽制はむしろ増やしていた。そうすることで、気づかないうちに相手に負担を押し付けることが、この作戦の下準備。

 例えば、金具と内ラチをぶつけて音を鳴らし、心理的に内ラチから遠ざけることで、コーナーで膨らませて脚を消費させたこともそのひとつだ。

 

 そしてもうひとつ。最序盤からゆっくりと、バ群全体に少しずつ威圧をかけていたこと。

 普段の《八方睨み》は突然威圧をぶつけることで動揺させる技術だが、今回のこれは違う。相手が気づかない程度の威圧を積み上げることで、相手は無意識に対抗するように威圧を放って相殺しようとする。

 こう言うとファンタジーにも聞こえるが、要するに自覚がないうちに『気を張って警戒する』のだ。そうすることで、出走者全員が"領域(ゾーン)"に満たない過集中状態に入れられた。

 全員の威圧が相互に干渉しあい、威圧の網ができていく。こうなると、あとはナイスネイチャは何もしなくていい。参加者同士が威圧で潰し合うからだ。

 

 ナイスネイチャの長所である『脳への酸素供給量が多いことによる、レース中の思考能力』は、実はそのまま『レース中に過集中になりにくく、"領域(ゾーン)"に入りにくい』という短所に変わる。

 しかしそれが、さらに利点へとひっくり返った。他のウマ娘がレオダーバンの"領域(ゾーン)"によって、強制的に入れられていた擬似的な"領域(ゾーン)"を割られダメージを受けたとき、ひとり過集中になっていなかったナイスネイチャは影響を受けず冷静にスパートを始めた。

 レオダーバンがよろめいたのは単純に軽い酸欠になったからだ。それまでずっと過集中状態で、普段よりも呼吸が少なくなっていたのに、咆哮でさらに酸素を消費したことが原因だろう。

 

 ナイスネイチャが最内から一気に追い抜いていく。彼女の牽制によって内ラチ付近のレーンには、ダイユウサクの有記念のように空白地帯が出来上がっていた。

 しかし他のウマ娘も歴戦。メジロパーマーやフジヤマケンザンなど、早いうちに立て直したウマ娘は数テンポ遅れながらもスパートに入りナイスネイチャから逃げる。

 ナイスネイチャの走力は平凡だ。このままなら逃げ切られてしまうだろう。だから、ナイスネイチャはさらに策を用意する。

 

 先頭集団を迎えるは仁川の大坂。高低差1.9mに脚を踏み入れたメジロパーマーはそれを越えようとして、初めて自分の左脚が想定以上に消費していることに気がついた。

 それは他のウマ娘も同様だ。左脚にかかっていた負荷が急坂で爆発し一気に失速していく。それでも根性で踏ん張る者もいるが、最早加速とは言えずなんとか粘っている状態だ。

 ナイスネイチャはこのレース中ずっと内ラチ沿いにおり、全員の右側から牽制を行っていた。それで全員の意識が右側に向いたにも関わらず、実際にナイスネイチャが使った策は、例えばコーナーで膨らませながら、それをできるだけ抑えようと左脚で踏ん張らせるように、どれも左脚へ負担がかかるものだった。

 威圧網が完成して自身の手が空いてからは、威圧を右側から集中させることでそれを加速させている。右に意識を向けさせることで、体は無意識に右脚を庇うような走り方になる。そしてその分、左脚に負担がかかっていたのだ。

 先団のうち垂れてきたウマ娘が後続をブロックし、空いた内を走っていたナイスネイチャが抜け出す。

 

 しかし、その後ろをピッタリとついてきていたウマ娘が、ナイスネイチャの外を抜けて躱しかけた。

 

(イッ……ク、ノオォォォォォォ!!)

 

(ネイチャさんの策を読む必要はなかった。ネイチャさんと同じ走りをすれば、一部を除いて策を掻い潜りスリップストリームも得られる。精神的な策は、根性で乗り切ればいいっ……!!)

 

 イクノディクタスにとっては幸いなことに、ナイスネイチャの走りは平々凡々なそれで、ついていくこと自体はそれほど難しくなかった。

 しかし、イクノディクタス自身の走りもそれほど飛び抜けたものではない。実力は伯仲。ここにきて、ナイスネイチャは初めて格上ではない完全な同格との力比べを体験することになる。

 

(負けないっ!! ていうか、ヴィクトリアマイルと安田記念通って宝塚記念に出るようなローテ通ってきたやつに負けられないっ!!)

 

 完全な横並び、ふたりの視線が交差し、それはやがて本気の威圧のぶつかり合いに変貌する。追い縋るメジロパーマーはそれに割って入る余裕はなく、速度を維持して後ろを突き放すことしかできない。もはや前ふたりのマッチレースと化していた。

 レオダーバンもかくやというほどの咆哮をあげるナイスネイチャと砕けんばかりに歯を食いしばるイクノディクタス。肌に電流が走るような威圧のビリビリとした感覚。

 

 ゴール板を抜け、電光掲示板に着順が映し出される。歓声の中、勝者は拳を握り、小さくガッツポーズをとった。

 

「――っし……!!」

 

 ナイスネイチャ、一年越しのGⅠ制覇。そして、自分の戦術の成長を実感するという課題の達成。ナイスネイチャの中で、何かが芽吹いた。

 

(あとは、これが……テイオーに通用するかどうか)

 

 彼女の目指す先には、かつて目を眩ませた光。

 着実に、彼女らしく一歩一歩光へと向かうその歩みに、かつての躊躇いはもうない。

 

(……ハハッ、3年。3年経ってようやく、あの日のターボと同じところを目指し始めた、かぁ……)

 

 友人たちは、まだ自分の前を走り続けている。しかしそれは、追う背中があるということ。

 

(勝ち逃げはさせない。アンタらがターフにいるうちに、勝ってやるから)

 

 

 

☆★☆

 

 

 

「帝王賞連覇おめでとうございます!」

 

「いやぁ、結構危なかったと思いますよ。ターボがあそこまで粘るとは」

 

 宝塚記念から3日後。帝王賞が終わり、そのインタビュー。ハシルショウグンとのワンツーフィニッシュとはいかず、ツインターボは5着に収まった。

 ツインターボは悔しそうだが満足した表情だ。本当に勝てると思っていたのだろうか。

 

(思ってたんだろうなぁ。バ鹿だし)

 

 網は考える。本当に勝てると思っていて、かつ負けて折れるタイプなら絶対に出走させなかったが、ツインターボはそういうタイプではない。だからこそ本人の希望通りに出走させたのだ。

 

「――それで、ハシルショウグンさんの次走は南部杯でしょうか。それとも、もう一度秋の天皇賞に殴り込んで、ツインターボさんと芝での再戦を?」

 

「はは、流石にそれは……1勝1敗でちょうどいいですし、そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一瞬、何を言われたのかわからないと言うように沈黙が場を支配し、直後に取材陣から大きなざわめきが起こる。ツインターボが三連覇を懸けた秋の天皇賞に出ない。何故か。そしてそれをハシルショウグンが知っているのは何故か。

 その答えとでも言うように、近くで見ていた網とツインターボを筆頭に数人がインタビューをしている取材陣の前に乱入してくる。

 

 南関東クラシック二冠、羽田盃、東京ダービーを制し、ジャパンダートダービーでの三冠に王手をかけた地方の新星、イズミスイセンとそのトレーナー児玉栄子。

 ヴィクトリアマイル、安田記念、宝塚記念を連戦し、そのどれもで入着した『鉄の女』イクノディクタスとそのトレーナー、チーム《カノープス》の南坂慎。

 そしてツインターボとハシルショウグン。シニア級もクラシック級も、芝も砂も、クラウンもティアラも入り交じった集団に困惑する取材陣。

 そんな取材陣に、ハシルショウグンが宣言した。

 

「わたしたちは10月末にアメリカで行われるBCS(ブロワーズカップシリーズ)に参戦します。イズミスイセンがBCダートマイル、イクノディクタスがBCマイル、ターボがBCターフ、わたしがBCクラシックにそれぞれ出走予定で、必要になればトライアルに出走し、優先出走権を得るつもりです」

 

 その発表は、驚きをもって迎えられることとなる。




 費用は網持ち(何人も参加させたほうが面白いからイクノとスイセンを誘った主犯)。
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