万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
7月の上旬、チーム《ミラ》《カノープス》と地方出身組による合同海外合宿が始まった。
渡航費用や滞在費用はすべて網馬持ちでありそれだけでも数千万円ほどの出費になるため、BCシリーズに参加しない《カノープス》のメンバーやイズミスイセンのトレーナーである児玉からはかなり恐縮されていたが、網馬にとっては経費で落ちるこれらの費用を負担することは税金対策にもなるためそれほど損というわけでもない。
ちなみにであるが、ハシルショウグンに関してはBCチャレンジに指定されているフェブラリーステークスを勝利しているため、10月からは指定の宿泊施設に泊まった場合の宿泊費とレース登録料が大会運営負担となっている。
イクノディクタスも出走予定のフラワーボウルステークスに勝てばBCフィリー&メアターフへの優先出走権と費用補助を受けられるのだが、今年のBCフィリー&メアターフはデルマーレース場での11f――約2200mであり、成績的にマイルのレースの方が良いと判断したことからBCマイルへ出走予定としたようだ。
そして、《ミラ》のメンバーに関しては――
『ヤァ! よく来たネ、待ってたヨ、ライス!』
『うん、しばらくお世話になるね、シア』
アメリカのクラシック無敗三冠を達成した優駿、シアトルスルーを師に持つ良家のお嬢様であり、ライスシャワーの友人でもあるダンツシアトルの実家が所有する使われていない別荘を、好意から*1借りることになっていた。
当然、使用人などはついていないためその辺りは自炊だが、アイネスフウジン、ナイスネイチャ、ナリタタイシンと自炊要員は豊富な《ミラ》には問題がない。
フランスやイギリスと違ってアメリカには安くて多い店がかなりあるから、食費くらいは《ミラ》以外のメンバーでも捻出できるだろう。
さて、アメリカのレース環境と言えばダートである。しかも、日本の砂と違う土寄りのダートであることは最早語るまでもない。よって、日本のダートに慣れ親しんでいた地方出身組のふたりはまず感覚の切り替えを余儀なくされる。
逆に芝質は軽く、欧州よりは日本の芝に近いため、アメリカのGⅠに挑戦する気がなく、単に合宿に来たメンバーも感覚のズレなくトレーニングができるだろう。
もっとも、《カノープス》のデビュー済みメンバーは皆この機会にアメリカのレースに出走するようだが。
さて、《ミラ》メンバーのトレーニング内容を見ていこう。まずツインターボだが、アイネスフウジンが完全にサポーターとして付き、徹底的にスタミナ増加のトレーニングをする。
具体的には主に
日本とアメリカのトレーニング環境の違い。主だったものは土質の違いや敷地面積の違いなどがあるが、敷地面積からくるプールの広さもそのひとつだ。アメリカには日本と比べ、広く深いトレーニング用プールがいくつもある。
ちなみに、逆にあまり違いがないのはトレーニングマシンだ。だから、海外合宿などする場合の主な目的は、遠征のために現地の芝質、土質に慣れるためか、メンタルトレーニングを兼ねるため、慰安を兼ねるためのいずれかになる。マシントレーニングばかりなら日本でやっても大差ないのだ。
ツインターボのトレーニングには、菊花賞のためにスタミナをつける必要があるナリタタイシンも付き合うこととなった。
ナイスネイチャは総合的なトレーニングをしながら、アメリカのレース観戦をしにいくようだ。
実は、宝塚記念で彼女が行った《疑似領域破壊》は欠点が多い。経験が豊富な相手や威圧を受け流すような精神性の相手にはそもそも効きにくいし、ナイスネイチャが能動的に採れる手段ではそもそも疑似領域を破壊しきれない可能性がある。
また、破壊直後に"
宝塚記念には領域破壊を得意とするレオダーバンが出走していたからこそ、確実に効果が出ると考えてこの作戦を軸にしたのだ。
とはいえ、単純に疑似領域状態にするだけでもスタミナや精神力を削る効果や、他の作戦にはめやすくする効果はあるので、完全に無駄ではないのだが。
ともかく、そんな欠点だらけの作戦が巧くいったからと言って油断はできない。そのため、アメリカで行われているようなラフプレーも作戦に取り込もうと観戦することにしたのである。
また、アメリカの図書館に置かれている蔵書や論文もチェックして、とにかくここでしか得られない知識を溜め込むことにした。お陰で、次回の定期試験でナイスネイチャの英語の点数が急上昇することとなるのは余談である。
ライスシャワーはツインターボと同じように背嚢型低酸素マシンを背負った状態で、大型坂路トレーニングを行う。これは来年のステイヤーズミリオンを見越してのトレーニングだ。
今までライスシャワーが走ってきたコースもそうだったが、欧州のコースは坂の起伏が大きいものが多い。その中でも、ステイヤーズミリオンに指定されているゴールドカップが開催されるアスコットレース場は、世界各国のレース場の中でも屈指の高低差を持つコースなのだ。
なにせ高低差22m。中山レース場の約4倍もの高低差を持つコースを4000m走るのだ。はっきり言って正気の沙汰ではない。
ライスシャワーが坂への対応が巧いと言えど、それほどの起伏は未知の領域だ。それこそ、長距離でなくていいから事前にアスコットレース場のレースに出ることを想定するほどに。
打てる対策はすべて打つつもりで、網馬とライスシャワーはトレーニングに挑む。世界最強のステイヤーとしての名を維持するために。
マーベラスサンデーについては網馬の見立ての結果、骨と内臓が弱い傾向にあることがわかったため、食生活の改善と水泳での全身の筋肉トレーニングを行うことになった。
それに加えて、彼女の
しかし、この才能を武器にまで昇華できれば、それはマーベラスサンデーの強みになりうる。網馬はそう確信していた。
なお、マーベラスサンデーとの会話は日本語より英語のほうがスムーズに理解できることがわかったのも余談である。
普段とは異なる環境でのトレーニングは、何よりメンタルに強い負荷をかける。彼女たちにとってもっとも鍛えられたのは精神力だろう。
何より、アメリカという地の名物であるジャンクフードや大盛りメニューの誘惑による
☆★☆
『それじゃあ、シアは年末辺りにはデビューするんだ』
『ウン! 《ミラ》には今年デビューの娘はいないノ?』
『マーベラスは来年デビューの予定だし……うん、今はいないかな……』
★☆★
時は過ぎて9月。菊花賞出走予定のナリタタイシンと秋の天皇賞出走予定のナイスネイチャ。そのコンディション管理をする網馬と、網馬から直接トレーニングの指示を受けなくてはならないマーベラスサンデーは日本へと帰国した。
ツインターボはアイネスフウジン、ライスシャワーのふたりと共にアメリカに残り、BCシリーズまで滞在することになる。
そして――
「頼むっ!! アタシを、チーム《ミラ》に入れてくれっ!!」
「……あー……えーと、まずお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
網馬の前で深く頭を下げ懇願するウマ娘。やや明るめの鹿毛に小柄な体躯。まだあどけなさを残す顔のつぶらな瞳は、しかし何か覚悟に満ちていた。
「アタシはビコーペガサス。どうしても、勝ちたい人がいるんだ!!」