万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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シェイドロールの怪物

 レースは何事もなく進行している。長距離のレースでは序盤の動きが緩やかであることもその理由だが、ビワハヤヒデのレースコントロール能力で前残りしやすいスローペースに抑えられ、各ウマ娘が仕掛けにくい、動きにくい状況にあることも理由だ。

 平穏に進む長距離レース。昨年のような波乱も、一昨年のような混乱もない、なんのスリルもないレース。多くの観客の間ではそうだった。

 しかし、ほんの一部。それは例えば皇帝の杖であったり、天賦の直感を持つウマ娘と非凡なるそのトレーナーであったり、或いは中継を観ていた英国の若き天才であったり。そして或いは、黒き怪人であったり。

 彼らはそれを見て、すぐに気づいた。ビワハヤヒデの走りに潜む、明確な()()に。

 

(……マジか……クソ、神戸新聞杯は生で見るべきだったか……!)

 

 中継からは伝わりきらない、直接観て、初めてそれに気がついた。ビワハヤヒデの身体能力が上がっている。

 成長することが異常なのではない。夏という長い時間、合宿もある。日本ダービーと比べれば成長して然るべきだ。しかし、その成長度合いは網が想定していたビワハヤヒデの成長曲線を大きく上回るものだった。

 そもそも、網はビワハヤヒデを『劣化しにくい準早熟型』だと考えていた。GⅠ勝利こそないものの、すべてのレース、多くの重賞で全連対。特に、()()()()()()()()()()()()()()()()相手にあそこまで詰め寄った力量。

 ナリタタイシンもどちらかと言えば早熟型で、ウイニングチケットは超早熟型。それと張り合って一歩及ばないビワハヤヒデも、ふたりよりは緩やかだが菊花賞後、クラシック期の終わり頃にピークを迎えるくらいの成長曲線を考えていたのだ。

 しかし、目の前のレースを走る芦毛のウマ娘の走りから感じられる余裕はそうではない。本気の走りであっても、全力の走りかもしれなくても、死力の走りでは決してない。その余裕を埋めるだけの能力が備わっているとすれば――

 

(ビワハヤヒデは、()()()()()()()()か……っ!)

 

 夏の先、秋のGⅠ戦線から本格的な成長が始まる、晩成型。

 

 強行軍のツケが回ってきた。情報収集に欠けがあった。網はそんなケアレスミスを自嘲する。

 逃げを打ったウマ娘の後方、3番手の位置を追走するビワハヤヒデはいつも通り。憎らしいほどに涼しい顔をして、逃げウマ娘に縄を着け巧みにペースを調整している。

 ナリタタイシンは最後方。脚を溜め、最終直線の切れ味にすべてを懸ける。強硬策で少しずつ位置を上げ、仕掛けていないギリギリを狙って走っている。

 

(……さて、ここまではおおよそ計算通りと言ったところか)

 

 ビワハヤヒデが息を入れながら背後を確認する。間もなく終盤、ビワハヤヒデはスパートをかけ始めるタイミングだ。

 ビワハヤヒデの視線の先にいるのはナリタタイシンとウイニングチケット。今回最も警戒しているふたりだ。とはいえ、ウイニングチケットにはそれほど大きな警戒を抱いているわけではない。

 問題はナリタタイシン、彼女は乱数の振れ幅が大きいため、勝利の方程式から逸脱する確率が最も高い。今回負けるとすればナリタタイシン。ビワハヤヒデは内心でそうアタリをつけていた。

 メンタルをフィジカルに変える力、或いは爆発力。ビワハヤヒデの持っていない才能。

 

(持っていないものを羨んでも仕方ない。ないならないなりに……積み上げるだけだ)

 

 そしてビワハヤヒデが"領域(ゾーン)"に入る。好位追走の完成形。常に先頭集団を陣取りペースをコントロールし、終盤近くで逃げを捉えて先頭に躍り出る。そんな積み重ねてきた実戦経験が"領域(ゾーン)"に昇華したもの。

 後続を突き離すようにスピードを上げるビワハヤヒデと、それに食いついて行こうとする後続。しかしビワハヤヒデにつられてスピードを上げたウマ娘は、淀の上りに阻まれて少しずつ距離を離されていく。

 ツジユートピアンは早々に躱され垂れ始めたが、同じく躱されたシュアリーウィンはビワハヤヒデのすぐ後ろで食い下がっている。しかし限界は近そうだ。

 最終コーナー手前になってウイニングチケットが仕掛ける。

 

(だが、そこから仕掛けたらチケットのスタミナではゴールまで保たない)

 

 ビワハヤヒデは冷静に分析する。ウイニングチケットの領域はここで入るタイプではなく、垂れ始めてからは発動しない。これでおおよそ、ウイニングチケットに勝ちの目はなくなった。

 

(あとは――ッ!!)

 

 急激に高まる圧力。遠くからでもわかるほどの威圧が籠もったまなざし。そして、"領域(ゾーン)"。

 鬱蒼と茂った森。それはナリタタイシンの人生に付き纏ってきた多くの障害物の象徴。薄暗い闇夜は彼女の心に落ちた影。その木々の隙間を、ナリタタイシンは()()()を纏って走り抜ける。

 そして、暁光。闇を払う地平の先の夜明け。その光跡こそ復讐の一矢。

 仕掛けたわけではない。ただ、ビワハヤヒデをその鬼脚の射程範囲に収めるため、ジリジリと導火線を辿るように位置を上げている。ただそれだけなのに肌を灼かれるようなプレッシャーが押し寄せる。

 このまま坂を下り、あの最終直線まで行ったら――

 

(上振れても3割、下振れたら8割差し切られるな……)

 

 ビワハヤヒデは冷静にそう断じた。そう断じて、対抗策を打つ。

 

(ッ!?)

 

(……?)

 

 ナリタタイシンが息を呑み、網は目を細める。そして、観客席はざわめいた。ビワハヤヒデが唐突に失速し、シュアリーウィンに差し返されたからだ。

 しかしそのことに1番動揺しているのはシュアリーウィン本人だ。だが降って湧いた好機。すぐに気を取り直してビワハヤヒデをブロックする位置へ移動する。そう、今走っているレーンより、僅かに外側へ。

 

 その瞬間、ビワハヤヒデがシュアリーウィンの内側から差し返し再び先頭に立った。

 

(必要なのはルーティンワークによるスイッチ。理論上、ダービーで偶発的に発現したX(モノ)だけでなく、これでも条件は満たしている)

 

 ルーティンワークによって集中力が増すのは何もウマ娘だけでなくごく普遍的な現象で、だからこそ"領域(ゾーン)"の発動条件にもルーティンワークが密接に関わっている。

 例えば、終盤に3度追い抜く。例えば、残り200mで先団にいる。例えば、例えば、例えば。

 

 そう、例えば、()()()()()()()()()()()()()()()

 

(終盤まで好位を維持し、逃げを捉えて内側から追い抜く。シンプルで隙のない私の『勝利の方程式』を今満たした)

 

 ビワハヤヒデが2つ目の"領域(ゾーン)"へと入る。風景が変わるようなことはない。何故なら今この場の、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

((ゆえに)win(勝つ) Q.E.D(証明終了))

 

 "領域(ゾーン)"によってビワハヤヒデが迫っていたナリタタイシンを突き離し、観客席からは感嘆の声があがる。だが、網はそれを驚愕の表情で、彼らしくなく絶句しながら観ていた。

 

(……んな、バカな……いや、理論上は可能だが、だからって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?)

 

 そうでなければ、あの不可解な急減速と急加速の説明がつかない。仮にあれが"領域(ゾーン)"のスイッチだとすれば、併走などのトレーニングで"領域(ゾーン)"の発動条件を確認することはできない。トレーニングに()()()()()()はないからだ。

 しかし、ビワハヤヒデが公式のレースであの"領域(ゾーン)"を出したことはないし、それ以外の模擬レースを行ったという記録もない。つまり、ビワハヤヒデは初めて使う"領域(ゾーン)"の発動条件を、確信を持って行ったことになる。

 しかも、強敵との死闘ではなく、巨大な感情の発露でもなく、単に綿密な理論だけでその手に掴んだのだ。

 

 『日陰役(Shade role)の怪物』。そんな言葉が網の頭に浮かぶ。ナリタブライアンの走りを見て、できれば相手にしたくないと、確かに怪物のような才能だとそう感じたことを思い出す。

 

(ふざけろ! 姉のほうがよっぽど怪物じみてるじゃねえか!!) 

 

 妹の、ナリタブライアンの強烈すぎる光がビワハヤヒデの姿を眩ませていた。ビワハヤヒデがナリタタイシンの射程から外れる。差しきれない。チェックメイトだ。完全に行き詰まった。

 

「まだ終わってない!!」

 

 だが、この程度で折れるならナリタタイシンは復讐者になどなっていない。発現時間を過ぎ解けていく自らの"領域(ゾーン)"を必死に編み直し、再び過集中の世界へ潜ろうと試みる。しかし無情にも"領域(ゾーン)"は空へと解けていく。

 

(なら創るだけだ!!)

 

 "領域(ゾーン)"はそもそも、その現界に多くの精神力を使う必要がある。幸か不幸か、ナリタタイシンはそれに耐えうるだけの精神力を備え持っていた。その代償として、耐えきれない肉体を犠牲にしながら。

 最終直線が迫り、"領域(ゾーン)"を形にして速度を上げながらも、ナリタタイシンの体に高い負荷がかかっていく。

 

(最後なんだ!! 最後なんだよ!! 3人でこの舞台に立てるのはっ!!)

 

 ガラクタのような肉体だとしても、それで翼が手に入るなら、いくらでも鋳溶かして材料に使ってやろう。そうして、勝機を創り出す。

 観客席から悲鳴が上がる。負荷に耐えきれなくなったナリタタイシンの鼻の血管が破れ、鼻出血として流れ出したのだ。しかしそれでも、ナリタタイシンは脚を止めない。残り400mの最終直線、ビワハヤヒデを再び射程距離に収め、血染めの剃刀(かみそり)を抜き放った。

 ビワハヤヒデとの距離が縮まる。互いに持てるものすべてを使って2つ目の"領域(ゾーン)"を作り上げた末の接戦。淀の平坦な最終直線。観客席に一瞬の沈黙が降りた。

 

 届かず。

 半バ身残し、1着、ビワハヤヒデ。

 

「アイネス!!」

 

 網が叫ぶのと同時に、アイネスフウジンが救急ボックスを持ってナリタタイシンのもとへ急行する。倒れ込みそうになるナリタタイシンを支えて上半身を支えたまま座らせる。

 鼻血が喉へ流れないように下を向かせたタイミングで網がナリタタイシンのもとへ辿り着いて、応急処置を引き継ぐ。

 

「トレーナー……どっち、どっちが……?」

 

「お前の負けだよ。ったく、言いつけ両方とも破りやがって……休ませる気あるのかよお前……」

 

「負け……かぁ……」

 

 ナリタタイシンは悔しげではあるものの、どこか穏やかに息を吐いた。

 

「……ライブ、出るか? 出るならバルーン法で止血して、終わってから病院だ。この量は輸血必要だろうな……」

 

「出る……」

 

「わかった。だがふらついたら引きずり降ろして病院連れてくから、今は休んでおけ。ライスシャワー、ナリタタイシンを控室に……」

 

「タイシン!」

 

 「歩くから、歩くから」と呟きながらも、ライスシャワーによってお姫様抱っこで運ばれるナリタタイシンのもとに、ビワハヤヒデとウイニングチケットがやってくる。

 

「タイシン……網トレーナー、タイシンは大丈夫なのか……?」

 

「えぇ、競走能力に後遺症は残りません。とはいえ、しばらくは療養が必要ですが」

 

「そう、か……」

 

 ビワハヤヒデが幾分か安心したように溜息をつき、ウイニングチケットは号泣する。そうして、控室の前まで来たとき、BNWの誰からともなく拳を突き出し、それが3つぶつかった。

 

「……次はドリームで。ハヤヒデとアタシのレースをチケットが実況。約束」

 

「あぁ……任せておけ」

 

「うん!! ……あれ、なんかアタシだけ目標若干キツくない?」

 

 激闘のクラシックを制した3人が笑い合う。3人が同じレースを走ることはもうない。しかし、三強は確かにここにあった。BNWはBとNとWに。それぞれの夢へと、再び歩み始める。




 姉貴の強さはこんくらい盛っていい。

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