万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
メジロマックイーン。メジロ家令嬢。菊花賞ウマ娘。天皇賞師弟三代制覇。春の天皇賞三連覇。『名優』。クールビューティ。近付きがたい雰囲気を持った高貴なる少女。引退して早半年、最近はメディア露出も減り、ミステリアスさも併せ持つようになった。
このような世間一般からの彼女への評価は、メジロマックイーンの徹底した自制心によるイメージ戦略によるものが大きい。すなわち、メジロ家令嬢たるもの、いついかなる時も優雅たれ。
これはメジロ家の方針開拓を目的として育てられたメジロライアンや、メジロ家の異端児である
しかし、メジロマックイーンのそれは病的なまでに徹底されていた。それ故に、メジロマックイーンの素の性格を知る者はメジロ家の極一部に限られている。それこそ、彼女のトレーナーですら知らないのだ。
本来の彼女はむしろ享楽的な性格をしている。それ故に、そんな自己を抑圧し続ける生活は彼女に強いフラストレーションを与え続けていた。
にも関わらず、彼女がそれに耐え続けることができたのは、ひとえに彼女に才能があったからだろう。努力が結果に繋がり、目標を達成できるだけの才能。たとえ彼女にとっては好ましくない長距離レースへの才能であっても、だ。レースを好んでいないとはいえ、ウマ娘の本能として走ることは快感であり、それで称賛を得る、目標に達することは十分なストレス解消になっていた。
何が言いたいのかといえば、その才をいかんなく発揮できていたターフ上から離れ、メジロ家の未来を担うためのトレーナーの勉強を始めた彼女の前には初めて、凡才の立場という名の壁が立ちはだかっていた。
思うように進まない進捗、過去問題集での自主模擬試験も結果は出ず、最後のレースで脚に抱えた故障によってストレスを解消するために体を動かすことさえままならない。
それでもこの半年、メジロマックイーンはよく耐えたほうだった。ステイヤーとして、そしてメジロ家の令嬢として己を律し続けた精神力を遺憾なく発揮して。
しかし、努力を続けただけで結果が出るならば多くのウマ娘が涙を溢しながらターフを去ることはない。
メジロマックイーンのメディア露出が減った理由はトレーナー試験への勉強へ時間を割いたからではあれど、それは最大の理由ではない。
精神的負担による自律神経失調、適応障害、軽度の鬱。それらに処方された薬による身体的負荷の蓄積で大きくやつれた姿を衆目へ晒すことを、彼女自身が嫌ったのが最大の理由だ。
それでも彼女は進むことをやめようとしない。かつてメジロライアンはメジロマックイーンに施されたそれを呪いと呼んだが、その呪縛の鎖は逃さないための足枷ではない。立ち止まることを許さず前へと引きずり続ける
「ねぇ、マックイーン。もう、トレーナー目指すの止めなよ」
その姿は、
虚ろ、という表現がピッタリなほどに何も映っていない瞳。やつれているのにもかかわらず、その表情だけがかつてのように凛と律されたまま残っている。
「なんでそんなになってまでトレーナーになりたいのさ」
「……私には、メジロ家の誇りを次代に繋ぐ責務があります。次期総帥はラモーヌさんが就くでしょうけれど、天皇賞への技術を受け継げるのは私しかいません。絶やしてはならないのです」
額面通り受け取れば、いや、もしも健康的な者が言っていれば感じ入るものもあっただろう。しかし、今のメジロマックイーンではただ痛々しいだけで。
こんな言葉を吐かせるのか。使命という名の呪縛を、誇りという名の足枷を、伝統という名の洗脳を、期待と言う名の強制を、夢という名の妄執を、子供に擦り付けた大人たちは。
ギリと知らず歯を鳴らすメジロパーマー。メジロ家の誇りは、名は、こんなになってまで継がせるだけの価値が本当にあるのか。
メジロパーマーは知っている。メジロマックイーンが本来どれほど素朴な少女であるかを。だからこそ、己の背より大きな荷物を背負い込むその姿を見ていられなく、しかし、メジロという
部屋を出て、総帥のいるだろう書斎へ向かう途中、見知った短髪が目に入った。
「パーマー、君もか」
「私も……? ライアンも……てことは……」
「……外に出ようか。ガゼボ*2で話そう」
メジロライアンの表情で何かを察したメジロパーマーは、ともに屋外にあるガゼボへと移動する。当時はまだ10月も初めだが、吹きさらしのガゼボは十分に肌寒い。
「それで、マックイーンのことだけど……お婆様に伺ってみた。なんとかならないかって」
メジロ家初代、現総帥、メジロアサマ。メジロ家を作り上げた女傑であり、メジロマックイーンにレースを教えたメジロティターンの師でもある。故に彼女は、メジロ家内ではもちろん絶大な権力を持っている。
そして、決して情のない人物ではない。だからこそ、何かを期待してメジロライアンはメジロアサマに、メジロマックイーンについて相談したのだ。
結論は、既にメジロアサマにさえどうしようもないとのことだった。
メジロ家の何者かや関係者に強制されてやっているのならば、メジロアサマが庇護して止めることもできる。しかし、メジロマックイーンはあくまで自分の意志でそれをやっているのだ。
メジロマックイーンの精神力は折り紙付きだ。メジロアサマや、次期当主であるメジロラモーヌが何を言っても最早止まる気はないだろう。事実、一度メジロアサマがメジロマックイーンに直接苦言を呈したものの、それは結局止めるまでには至らなかった。
もしもメジロマックイーンの意に沿わないまま止めようとするのならば、物理的に拘束するか、メジロ家そのものを潰してしまうしかない。しかし、それではメジロマックイーンが精神力の主柱を失った果てにどうなるかわからないし、メジロアサマの一存で潰せるほど、メジロ家の社会的影響力は小さなものではない。
「……結局、説得するしかない……か」
メジロライアンとメジロパーマーの考える、次代へのバトンタッチ。それは奇しくも同じものであり、メジロマックイーンとは考えを
すなわち、『継ぐべきは王者の技ではなく、王者の魂である』ということだ。
極論、勝てるなら技などなんでもいい。メジロ家出身の馴致師、トレーナーでなく、新進気鋭の馴致師と若き有望トレーナーに教えを受けたメジロライアンと、友と編み上げた走りでグランプリを勝ち取ったメジロパーマーの間で、その考えが共通していた。
見せなければならないのは『
「……やっぱり、証明するしかない。マックイーン自身に私の走りを見せて、納得させるんだ。メジロ家から離れた私が言うのもなんだけどね」
「うん……でも、問題はどうやって見せるかだよね。マックイーンは部屋から出てこないし、レースもどのレースに出るか……たぶん、生半可なレースじゃ納得してくれない」
少なくともGⅠレース。メジロパーマーの得意距離で候補に挙がるのは、秋の天皇賞、ジャパンカップ、有馬。直接見せるために国内レースに絞るとこれだけになる。
さてどうするか、と、ふたりが悩み始めたときだった。
「わたしにいい考えがある」
聞き慣れない声にふたりが視線を向けると、そこにはトレセン学園の制服を着て青い耳カバーを着けた、前髪に星*3のある青鹿毛のウマ娘が立っていた。
もちろんふたりはその少女に心当たりも見覚えもなく、しかしどこか
「えっと……君は……」
「わたしが誰かは関係ないけど、尋ねられたら答えよう。覚えていられるかはアナタ次第……」
少女はゆっくりと名乗る。しかし、ふたりはあとから思い返しても彼女の名前だけが
「わたしはユーバーレーベン。コンゴトモヨロシク……」
★☆★
それから約2ヶ月半、12月25日、クリスマス。
メジロマックイーンが自分が眠っていたことに気づいたのは、まさに目を覚ましたその時だった。
不本意ながら睡眠をとった彼女の顔は普段よりもマシになっているが、2ヶ月半前からは確実にやつれ具合が悪化している。
それでもメジロマックイーンの脳裏に浮かぶのは、睡眠で時間を浪費してしまった後悔だ。最早、睡眠時間を確保するよりも眠らずに勉強を続けるほうが効率が悪く結果的に時間の無駄であるという至極簡単なことにさえ思い至らない程に消耗していた。
だからだろう。
「確保」
「!!!?!?!??」
メジロマックイーンは窓からエントリーしてきた見知らぬ青鹿毛のウマ娘に一切反応できないまま、ズタ袋に詰め込まれてしまった。
まともに周囲の状況も確認できないまま、浮遊感から一度飛び降りたということだけ認識し、何処かへと運ばれるのを抵抗もできず受け入れるしかないメジロマックイーン。むしろ、軽く意識が飛びそうになっている。
停止、そしてエンジン音。車に押し込まれたことがわかった。間違いなく誘拐である。残念なことに、メジロマックイーンには誘拐被害に遭うだけの要因がごまんとある。
そう考えていたのだが、思いの外すぐにその考えは覆される。聞き覚えのある声が聞こえてきたためだ。
「ちょっと!? このままじゃシートベルト着けられないよ!?」
ぼんやりのその声を聞いていると、ズタ袋が開かれ解放される。とはいえ、車から飛び降りるわけにもいかないため最早抵抗もできないのだが。
既に発進している車内で手早くシートベルトを締められたメジロマックイーンは状況を確認する。見知った顔はひとり、メジロライアン。
それと、自分を拉致した青鹿毛のウマ娘。当初はサングラスとマスクをつけていたのだが、今は外している。そして、運転手の成人女性。こちらもウマ娘で、髪色は芦毛だ。
「ライアンさん……? 一体何のつもりですの……?」
「マックイーンに見てもらいたいレースがあるんだ。これが最後。これが終わったら、もう何も言わない」
そう言われて、メジロマックイーンの頭にはそれまで何人かの知り合いから言われた
そして、ふとメジロマックイーンが感情とは別のところにある疑問に辿り着いた。
「……でも、有馬記念は明日ですわよね?」
そう、年末の大レース、有馬記念はホープフルステークスとともに明日。ダートのGⅠである東京大賞典も来週の水曜日だ。今日行われるのはGⅢでジュニア級限定のフェアリーステークスくらいで、メジロマックイーンも他に芝、ダートどちらにも大きなレースはないと記憶していた。
雨粒が車の窓を叩く音が車内に響く。今朝から降り続いている雨はどんどん雨脚を強くしている。嵐が近づいていた。
車が到着したのは中山レース場。傘を差していても雨が体を濡らす中、メジロマックイーンは多少ふらつきながらも青鹿毛の少女とメジロライアンに連れられてレース場へ入る。
雨のせいか盛況とは言い難い観客席からそのレースが見えた。
『さぁ、メジロパーマー軽快に逃げております、未だ先頭。平地の「嵐の逃亡者」は
そう。メジロパーマーが走っているレースは平地競走ではなく、しかしれっきとした国際グレード『
その名を、『中山大障害』。4100mを走破する障害レースである。
平地でのレースの才のみを重視して育てられたメジロマックイーンは知らなかったことだが、『長距離のメジロ』とメジロ家が呼ばれた理由はなにも天皇賞だけではない。
メジロアンタレス、メジロマスキットなど、J・GⅠウマ娘も同じく輩出しているからこそ、メジロ家はそう呼ばれていたのだ。
しかし、メジロマックイーンの馴致を務めたメジロティターンやメジロマックイーンのトレーナーである奈瀬はともかく、メジロマックイーンの幼少期に彼女を教育していた人間には、障害レースを軽視していた者が多かった。
だから、見ての通りメジロパーマーがこのまま中山大障害を走破し、トレーナーになることができれば、メジロマックイーンの言う『メジロの名を次代に繋ぐ』という目的は達成できる。メジロマックイーンの理論でも、メジロマックイーンがトレーナーになる必要はなくなる。
だが、
苦手な飛び越しをなんとかこなしながら、他よりハイペースに逃げ続けるメジロパーマー。大雨と強風、バ場は
いつものようにピンと背中を伸ばし、障害のみならずこの嵐と逆境を飛び越えてこそ『嵐の逃亡者』だと。
そして訪れる最終直線で、風は彼女の味方になった。
他のウマ娘が最終直線前の泥濘んだダートで足を取られる中、真っ先に最終直線へ飛び込んだメジロパーマーに吹いた追い風が背中を押す。
嵐の中に太陽が昇る。その熱いくらいの陽射しは友から託された心象の欠片。ひとり加速したメジロパーマーを追おうと最終直線でスパートをかけようとした後続に対して、今度は逆風が吹き荒れた。
上手くスパートをかけられずもたつく他の面々と違い、既に加速を終えていたメジロパーマーはぐんぐんと距離を離して真っ先にゴールへ飛び込んだ。
『ゴール! ゴールです!! 嵐の逃亡者がまたやりました!! URA史上初、平地と障害レース両方のGⅠレースを制覇したウマ娘が、今ここに誕生しました!!!』
あぁ、これだ。そう思った。
まだ物心ついたばかりの子供が、親の喜ぶ顔が見たいとか、家柄の挟持とか、そんな殊勝なもので動くわけがない。
あの日、レースが嫌いですらあったメジロマックイーンの背中を押したのは理屈じゃない。
「……ライアンさん、いえ、ライアン。ありがとうございます。あとで、パーマーにも謝らないといけませんね。他の皆様にも……」
「マックイーン……!!」
メジロマックイーンの表情はやつれたままだが、そこに浮かぶ表情は幽鬼のようなものではなく、本当に穏やかな、想い出を懐かしむような笑みだった。
「……しかし、
「ご、ごめん……アタシも拉致してくるとは知らなかったっていうか……普通に車で送っていくだけだと……」
「そもそも、あの青鹿毛のお方はどなたなんですの!? 運転手の芦毛の方も!!」
「あ〜それは……って、あれ? どこに行ったんだろう」
メジロライアンが周囲を見れど、既に青鹿毛のウマ娘は姿を消していた。名前を思い出そうとしてもどうにも思い出せず首をひねるばかりだった。
「……お師様。計画成功」
「おーう! ナイスだったぜレーちゃん! まぁアタシが介入しなくてもメジロ家が離散するくらいでそんなに歴史が変わるわけでもないんだけどな〜。これで、メジロ家が家としてはレースから身を引くくらいの規模で落ち着くと思うぜ」
青鹿毛のウマ娘が車の助手席に乗り込むと、とある有名映画にも登場した外国車を発車させる。嵐はさらに酷くなるばかりだ。
「さーてこの時代のアタシに会う前に帰んぞー。アタシならなんとかなるとは思うけど面倒事はごめんだかんな! そのためにレーちゃんを矢面に立たせたんだし」
「ラキにお土産も買ったし、
「よっしゃあ! そんじゃ"ブロッケン・G"、出港じゃーい!」
急発進する"ブロッケン・G"。その後ろに積まれた動力源に、いつの間にかセットされていた避雷針とコードから伝わった雷の電力が供給されると、激しい火花が散るとともに、そこには車の影も形もなくなっていた。
☆★☆
メジロマックイーンはひとり立ち尽くしていた。行きに送ってくれたあの車がいなくなっていたためである。
メジロライアンが迎車を手配したあと、空き時間にメジロパーマーと共にトイレへ立った。現在、メジロマックイーンはやつれた顔を一般人に見られないように、何故か残されていた青鹿毛のウマ娘のサングラスとマスクを着けて待っている。の、だが。
(な、なんですの!? この方は!?)
正面のベンチに座っているウマ娘が、滅茶苦茶にこっちを見ている。というか、ガンたれている。バチクソにメンチを切っている。
視線だけで人を殺せそうなウマ娘に見られながら、しかしメジロマックイーンだとバレないためにその視線から目を逸らし続けるメジロマックイーン。メジロライアンが軽く変装をしてメジロマックイーンを迎えに来たのは、それから10分後のことだった。
『なんだあいつ、おもしれー』