万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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咆哮3つ

 12月26日。嵐から一夜明け、天には真逆の太陽が輝いてターフを微力ながら乾かしている。前日の偉業達成に人々の熱が冷めやらぬ中、一年の集大成が始まろうとしていた。

 まずはホープフルステークス。ジュニア級GⅠ最後の一戦を勝ち抜いたのは、豊富なスタミナで勝負を仕掛けたエアダブリンだった。

 人々は、来年のクラシックでエアダブリンはナリタブライアンのライバルになるか。いや、メイクデビューはまだだがサクラローレルも資質ありだと口々に話し合っている。

 しかし、やがてファンファーレが響けば観客たちの意識はすべてターフへと引き戻される。ゲートの中で鬼たちが笑う。いつまでも来年の話などしているんじゃない、今年はまだ終わっていないのだからと。

 『不滅の逃亡者』『傷だらけの帝王』『赤緑の刺客』、一昨年のクラシックで三強と呼ばれたウマ娘たちに、唯一参戦している今年の三強は太刀打ちできるのか。

 トウカイテイオーは静養明け、ツインターボは距離不安でそれぞれ人気をやや落とし、ナイスネイチャは安定感はあるものの1着には力不足ではないかとされたため、一番人気はビワハヤヒデが手にしたが、二番人気のナイスネイチャとは僅かな差だ。

 

 ゲートの中でエンジンがふかされる。誰もが、彼女が真っ先にゲートを飛び出すとわかっていた。最後はともかく、いつだって最初は彼女が一番なのだ。

 

『さぁ、有記念スタートです!! まずはツインターボが後ろを引き離しにかかります!!』

 

 "領域(ゾーン)"とともにハナを切ったツインターボが早速大きくリードを獲りに行く。しかし、それを許さない影が2つ。

 

『先頭ツインターボ、軽快に逃げております。トウカイテイオーとビワハヤヒデ、先行脚質の2人がしっかりとツインターボに追随する。真後ろにヤマニンゼファー、短距離敗戦の雪辱を果たし三階級制覇なるか。そのやや後ろにエルカーサリバーとベガ、前目につけている差し集団先頭はマチカネタンホイザ、並んでナイスネイチャ、やや後方イクノディクタスとウィッシュドリーム、追う形でセキテイリュウオーが続く。差し集団最後尾は様子を見ながらの走りなのかもうひとりの復帰戦サンエイサンキュー。エルウェーウィンがもう一度ビワハヤヒデに土をつけんと最後方で脚を溜める。出遅れが響いたホワイトストーン最後尾』

 

 14人中9人がGⅠウマ娘。屈指の有記念はまさに集大成というほかない。

 ツインターボの破滅逃げによってレースのペースは跳ね上がる。しかし、比較的小回りで最終直線の短い中山2500mでツインターボの独走を許せばその差を埋めることは困難。誰もがこの殺人的ハイペースに付き合うしかない。

 

(クッ……ソ!!)

 

(ぐぅ……っ!)

 

 大阪杯でツインターボを差し切ったトウカイテイオーと、勝利の方程式を築き上げたビワハヤヒデの表情は苦しい。しかし当然だ。2人が見つけ出した勝ち筋は所詮、掻き乱す者がいないことが前提なのだから。

 いや、ツインターボとのマッチレース同然だから、駆け引きを投げ捨てたタイムトライアルをするという力技なトウカイテイオーはともかく、ビワハヤヒデの勝利の方程式は工作に対応できるようになってはいる。

 しかし、それは並の妨害であればの話だ。

 

(これほどまでに式が乱されるかッ!! ナイスネイチャ……ッ!!)

 

 少しでも消費を抑えたいハイペースであるにも関わらず、尽きず止まらず動かされ続ける盤面。爆心地は当然、ナイスネイチャ。

 しかしナイスネイチャにも余裕はない。普段よりも遥かに乱れからの復帰が早い。それもビワハヤヒデだけでなく全員の。

 ツインターボという掛かり続ける逃げと、ビワハヤヒデというブレないペースメーカーが、出走者の基準として牽制からの立ち直りを早めていた。

 しかしだからと言って攻め手を緩めればナイスネイチャの勝ち目は限りなく薄くなる。素の身体能力や才能では劣っているのだから。

 

(ダメだ、ターボだけじゃなくてネイチャやビワハヤヒデも警戒しないと……でもそれじゃターボが……!!)

 

(軌道修正で精一杯、こちらから牽制を入れるのは不可能か……わかってはいたが厳しいな……)

 

 苦戦しながらも、しかし最善か次善のペースで走り続けるトウカイテイオーとビワハヤヒデ。その後ろ、ヤマニンゼファーがスリップストリームを得つつも冷や汗を垂らす。

 

(なんて乱気流……それだけではありませんね……気を抜いたら雲の果てまで飛ばされてしまう……)

 

(くっ、マーク対策にまで気を回せん……)

 

 風はヤマニンゼファーに味方する。しかし、そのヤマニンゼファーも未知のハイペースにガリガリとスタミナを削られている。

 レースは中盤に入り、思うようにリードを取れていないツインターボがギアを1つ上げる。ここから先はスタミナが保つ保証のない破滅との境界線。

 それでもツインターボは脚を止めない。コーナーの最短距離をなぞり向正面の直線、下り坂の《逆落とし》で息を入れ、スタミナ消費を最小限に保ちつつ後続を引き離す。

 その坂の半ば辺りで、ツインターボの脚がにわかに重くなった。崩れそうになるバランスを持ち直し、ツインターボは再び前を見る。

 その異変は後続にも発生していた。ナイスネイチャの引っ張るような威圧とも、イブキマイカグラの纏わりつくような威圧とも、ライスシャワーの冷たく引き裂くような威圧とも、ユーザーフレンドリーの駆るような威圧とも、イズミスイセンの圧し潰すような威圧とも違う。

 空間そのものが歪み、重たくなったかのような、荘厳な峡間にも似た威圧。そこにあるのは、竜の王が坐する谷。セキテイリュウオーの発する"領域(ゾーン)"。

 距離の関係で比較的影響が薄かったツインターボと先行集団の距離が離れる。しかしそれでも、思ったよりも距離は離せていない。10バ身程か。

 向正面を越え第3コーナー、そしてツインターボだけが最終コーナーへ辿り着いたとき、遂にその時がやってきた。

 

「っく……ップハァッ!!?」

 

 ツインターボが息を詰まらせ、失速を始めた。観客席から――或いは別の世界であれば、様式美的なその奮闘に称賛交じりの喝采さえ叫ばれたであろう逆噴射に――悲鳴交じりの声があがる。

 持っていたリードをすべて吐き出しながら懸命にゴールを目指すツインターボ。しかしそれで逃げきるには、今日レースを共にしているウマ娘たちは甘くない。

 "領域(ゾーン)"を発現させたビワハヤヒデとトウカイテイオーがツインターボに迫り、そのまま抜き去って先に最終直線へ到達した。

 ほぼ間をおかず、ヤマニンゼファーがツインターボを躱して最終直線へ入る。そして、短いその直線で"領域(ゾーン)"を発動させようとしたときだった。

 ヤマニンゼファーが足を踏ん張りそこねバランスを崩した。転倒こそしなかったものの、大きく集中を乱されたヤマニンゼファーが外へ膨らみ、"領域(ゾーン)"を展開できず最終直線へ入る。

 

(これでゼファーは終わり……ッ!! あと3人!!) 

 

 それは、ナイスネイチャの策だ。嵐の後の重バ場、最内はツインターボのルートで、そのやや外をトウカイテイオーが通るとして、ビワハヤヒデが"領域(ゾーン)"を発動させるために最終コーナーで内から追い抜くには()()を通るしかない。

 であれば、"領域(ゾーン)"を発動させ踏み込んだ最終コーナー終わり際の()()の芝は、雨とホープフルステークスとビワハヤヒデによって荒れた滑りやすい芝になる。

 ナイスネイチャはこのハイペースとスリップストリームによってヤマニンゼファーが牽制を読み取りにくくなっていることを利用して、少しずつそのレーンを通るように誘導していたのだ。図らずも、セキテイリュウオーの"領域(ゾーン)"もそれを助長させる結果になった。

 

 早めにあがってきていたナイスネイチャがツインターボとヤマニンゼファーを躱して最終直線へ入る。それと同時に、ナイスネイチャから不可視の鎖が放たれた。《八方睨み》と《独占力》、そう名称される技術だ。

 それは、トウカイテイオーよりもビワハヤヒデにより大きな効果をもたらした。

 

(っ゛っ……!! こんな、これほどまでかっ……!?)

 

(どけっ、ビワハヤヒデッ!! そこは……テイオーの隣(そこ)はアタシの場所だっ!!)

 

 ジワジワと縮まる彼我の距離。しかし、冷静に回るナイスネイチャの頭が答えを弾き出した。このままでは届かない。ナイスネイチャの脚は最速で回っている。それでも、トウカイテイオーとビワハヤヒデに追い付くには至らない。

 視界が少しずつ暗闇に染まる。それは壁、あるいは底。自分の限界。どうやっても超えることのできない、絶対的な壁。

 

(ハハ……才能の差、努力の差、埋まらない差……所詮は小手先じゃこの程度なのかなぁ……まぁ、多分テイオーもドリームシリーズに行くし、そこでまた戦うことになるでしょ。また勉強して、強くなって、今度こそ……)

 

 ナイスネイチャの思考が止まる。

 

(……今度? それっていつ来るの? その今度も、また今度って言うの? どうして二度と来ないかもしれない今度を簡単に受け入れられるの? ……そうだ、限界なんて、アタシの弱さなんてとっくに知ってたじゃん。それでも、ここがアタシの限界なんて、そんなの納得できるわけ無いじゃん!!)

 

 ナイスネイチャの前の壁に光が溢れる。壁の向こう側、自分の肌も見えないほどに暗いその場所に、壁が崩れた向こうから光が差し込んだ。

 

(いつかきっとその先へなんて言いたくない。乗り越えるなら今だ。アタシもたまには、主役になってみたいじゃん)

 

 

 

 ツインターボは懸命に走り続けていた。しかし、それでも身体は重くなり、脚はどんどん回らなくなってくる。すぐ後ろまで後続が迫り、前にある背中は遥か遠い。

 

《いいよ、もう》

 

 心の底で諦めが首をもたげる。エンジンはとうに止まったまま。

 

《2400mだってギリギリだったんだもん、2500mなんてはなから無理だったんだ》

 

(…………)

 

《相手はみんな2500mが得意なやつらだ。失速したターボに勝てるわけないよ》

 

(……うるさい)

 

《もういいよ諦めたって。誰も責めないし失望もしないよ。BCターフだって勝ったんだ。テイオーにも1回勝ってる。それで――》

 

(うるさいッッ!!)

 

 ()()()()()を怒鳴りつけ、前を睨むツインターボの眼は、まだ死んでいない。

 

(BCターフで勝ったからなんだっ、1回勝ってるからなんだっ!! 今!! ここで!! テイオーに勝たなきゃなんの意味もないっ!!)

 

《勝ってどうするの。それで一体、何が変わるの。この1回勝ったくらいで何も変わらない。今まで通り、ターボはテイオーやネイチャと並んで三強。誰が一番強いなんて考える人いないよ》

 

(誰が考えるかなんてどうでもいいっ!!)

 

《ビワハヤヒデだって強かったじゃん。あのトレーナーが言うくらいなんだから、負けたって仕方な――》

 

(仕方ないなんて聞き(言い)たくないっ!! アタシは、諦めるなんて絶対に嫌だッ!!!)

 

 ツインターボのエンジンが、()()()()()()()()

 

《嫌だ嫌だって駄々こねてても仕方ないでしょ。それなら、どうするんだよ》

 

(わかんないなら、そこで見てろよ)

 

 

 

「いつまでも、名脇役なんて言わせないっ!!!」

「これが諦めないってことだぁッ!!!」

 

 膨れ上がる存在感に、ビワハヤヒデが総毛立つ。残り250m、余裕なんてもうないはずなのに、その距離がどこまでも続いているかのように思えた。両脇を2つの影が抜けていく。遠ざかる背中があっという間に小さくなるようだ。

 

「「トウカイテイオオオオオオォォォォォッッ!!!」」

 

 トウカイテイオーは振り向かない。ただ近づいてくる好敵手の咆哮に笑って、更に加速した。三度の骨折、長期休養。幾人もの強敵。善戦はできるだろう、しかし、それを乗り越えて勝つなんて絶対に無理だと多くの人が言った。

 それでも少なくともこのふたりは、直接聞いたわけではないけれど、トウカイテイオーが勝てないだなんて考えてもいなかったはずだ。そして他にも、自分を信じる人がいる。だから。

 

「"絶対"を破るのは、ボクだああァァァァッ!!」

 

 熱は観客席を伝播し、病にかかったかのように皆がただ信じる者の名を叫ぶ。

 

『ツインターボ!! 負けるなっ!! お前を倒すのはウチだっ!!』

『トウカイテイオー!! 俺様に勝っておいて負けるなんざ赦さねぇぞ!!』

「けっぱれ!! マチタンさん、イクノさん、けっぱれええええっ!!」

「リュウオーパイセンやるときゃやるよなぁ!!?」

「チョー頑張れっ!! リュウオー先輩ーっ!!」

「行けっ! ハヤヒデ、負けるなっ!!」

「ハ゛ヤ゛ヒ゛デ゛エエエエエエエエッ!!」

「走れっ……テイオー……っ!!」

「姉貴……ッ!!」

「たーぼさあああああああんん!! がんばれええええええええ!!」

「気張りやぁ、ネイちゃん!!」

「サンキューさんっ!! 頑張ってぇっ!!」

『"絶対"を蹴飛ばせっ! トウカイテイオーっ!!』

「ターボっ、走れええええええっ!!」

「ネイチャちゃあああん!! テイオーちゃああああん!! 頑張れえええええっ!!」

「まくれっ、ぶっトばせッ!!! ネイチャァッ!!!」

「壁を越えろっ!! ナイスネイチャッ!!」

 

 

 

「「「ウオオオオオオオオオオオオオッ!!!」」」

 

 

 

 中山の最終直線、残り200m。3つの影が並んだ。

 その瞬間、過去も未来も消え去った。

 ただ、今と今のぶつかりあう、魂のデッドヒート。

 

 それは、戯れにも見えた。死闘にも見えた。

 

 決着はハナ差。栄光を手にし、その手を掲げたのは――

 

「……ッ、勝ったあああああああああッ!!!」

 

 その『勝者』の名は、ツインターボ。

 

 きっとその日、レースのすべてがそこにあった。




 当初のプロットではこれが最終レースでしたが、なんかまだ続くみたいです。
 ただこれを書くのも1つの目標だったんで気持ち的には一区切りですね。

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