万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
「……やっぱ厳しいか……」
網馬はトラックを走るウマ娘たちを見ながら呟く。その視線の先にいるふたりのウマ娘。片やサブトレーナーとして加入したイナリワン。そして片や、新規加入メンバーである鹿毛のウマ娘。
そんな鹿毛のウマ娘への対応に、網馬は頭を悩ませていた。彼女が稀にいる、致命的に芝への適性を持たないウマ娘だったからだ。
野芝と洋芝を走るために必要な能力は全く異なる。逆に言えば、両方の芝が苦手というウマ娘は珍しいのだ。むしろ、野芝とアメリカダート、洋芝と日本ダートのほうがそれぞれ適性は近いとされている。
とは言え、その事自体はあまり広まっていない。洋芝が得意なウマ娘がわざわざ日本のダートの適性があるか試すことはまずないし、その逆もまた然り。そのため現状、あくまで理論上でしかない。
その上で、新人の彼女は野芝も洋芝も走るのが苦手という特殊なタイプだった。走りに妙なクセがついていて、それが原因で野芝では反発力が強すぎて負担が大きくなり、洋芝ではうまく掴めず力が伝わりきらないためだ。
走り方のクセを矯正するのは難しい。トウカイテイオーの場合もそうだったが、彼女の場合は特に走り方の基盤、根幹的なところに問題があった。それこそ馴致の段階で矯正すべきだった問題だ。
それが矯正されていなかったのは、筋肉の使い方のクセであったのが理由だろう。見ただけではわかりにくく、表面化しづらい。直すにしてもその方向性を言語化しづらい。そしてそれは、今から矯正する場合も問題になる。
「一通り走りを見てみたが、こちらの考えは変わらなかった。お前は芝に向いていない。ダートを走る気はないか?」
併走から帰ってきた新人に、だから網馬はそう提案していた。日本のダートで実績を残して、クラシック秋かシニア期からは米国のダートへ挑戦する。そういうプランだ。
網馬としては、これで頷いてくれればよかったのだが……
「嫌なのだ!! ウインディちゃんは絶対、芝で走るのだ!!」
当の本人、シンコウウインディは納得していなかった。しかしまぁ、それは仕方ないことだろう。ご存知の通り日本でダートは下火だ。中央トレセン学園に入学したからには、地方のトレセンでは早々走れない芝を走るものだと考えるのが普通だ。
クラシック三冠を夢見て競走ウマ娘を志した場合もあるだろう。それをいきなりダート路線へ行けと言われても納得できるはずがない。
それにウマ娘の夢と現実を擦り合わせて、一番いいところへ届かせるのがトレーナーの仕事だ。理想論ではあるし、網馬本人の心情とはそれほどその論に近いものではないのだが、少なくとも一般的なトレーナーの目指すべき境地はそこだろうと網馬はそう思っている。
だからまぁ、このシンコウウインディに対してもできる限りのことはしてやろう。
「ウインディちゃんはクラシック三冠をとってチヤホヤされたいのだ!! ダートなんてダサいの走りたくないのだ!!」
それが、シンコウウインディと出会ったときに同じことを言われるまでの網馬の考えだった。
悪意でバカにしているわけではないし、格下とかそういう意味ではなく美的感覚とかポリシーとかそういう価値観的な観点からの言葉なのはわかる。だからわざわざ『ダートはダサい』と言い腐っているその考えを矯正する気も網馬にはないのだがそれはそれ。
義務として、大人として、仕事は責任持って行うけど、蔑ろにされてまで心情を慮ってやるつもりはなかったので、網馬は内心芝路線をバッサリ切り捨て、どう躾をしながらダート路線を了承させるかを考え始めた。
「ならあれだ、トリプルクラウンでも目指すか? アメリカのクラシック三冠。あれならダートだが日本のクラシック三冠と同じくらい注目されてるぞ?」
これは元々、網馬としては苦肉の策だった。BCシリーズとアメリカのクラシックシリーズ、どちらもアメリカの大シリーズではあるが、その難易度はクラシックシリーズのほうが格段に高い。
アメリカのウマ娘レースはビジネス。その回転速度の加速は続いており、日本ほどシニア期が重要視されず、代わりにジュニア期から仕上げる早熟性が重要視される。
当然、クラシックシリーズには早熟の、BCシリーズや日本のクラシックシリーズよりもレースの求める水準の高いウマ娘たちが出走することとなる。ヨーロッパのクラシックシリーズやBCシリーズに勝つことより、アメリカのクラシックに勝つことが難しい理由はそこにあるのだ。
だがそれでも、芝が致命的に苦手なシンコウウインディが日本の芝クラシックを走るより勝算はあると網馬は踏んだ。
シンコウウインディは本格化の具合にもよるが今年か来年。網馬の掴んでいる情報が、ここから日本のクラシックシリーズの激化が進むと予見していたからだ。
社北グループを中心に、頭角を現し始めた未デビューのウマ娘が増えてきている。社北グループが雇い、そして中央トレセン学園へ派遣している
アメリカ二冠ウマ娘、サンデーサイレンス。日本でアドバイザーを始めた彼女のアドバイスは、その粗暴な性格からは意外なことに的を射ていることが多かった。
ウマ娘個人の個性や特色を重視することで潜在能力を引き出しやすくする。反面それ故に、耐久性と出力のアンバランスさからウマ娘の本能が無意識にかけているリミッターを外しやすく、いともたやすく限界を超えかねない危うさもある――もちろん、そのリスクもきちんと通達した上での指導である。
そんなリスクを鑑みても、アドバイスに従うだけの価値があると、そう考えさせられるだけの実績が、今年デビュー予定とされているウマ娘たちの練習中の走りから見て取れた。
フジキセキ、ジェニュイン、タヤスツヨシ――マーベラスサンデーもその一人であるが――サンデーサイレンスが最初期、それこそ社北グループから声がかかる前に、気まぐれにアドバイスを与えたウマ娘たちが、未デビューとは思えない走りを選抜レースで見せたのだからさもありなん。
網馬も、マーベラスサンデーがサンデーサイレンスから受けたアドバイスを矯正することはしなかった。確かに虚弱気味なマーベラスサンデーには負担が大きいものであったが、その点は網馬がフォローすればいい。サンデーサイレンスのアドバイスにはそう思わせるだけの良い影響があった。
マーベラスサンデーの走りからは、理論よりも感覚派、あるいは超感覚派と呼ぶべきものを感じ、網馬は早々に技術指導を投げた。ある意味ではナイスネイチャと同類、ある意味では対極にいる存在が、マーベラスサンデーと言えた。
そんなマーベラスサンデーにとっては、ガチガチの理論派である網馬からの技術指導よりも、感覚で捉えるサンデーサイレンスのアドバイスのほうが有用なものだったと、網馬は考えたのだ。
その分、マーベラスサンデーには基礎能力トレーニングの充実と体質改善、そして
このサンデーサイレンスの弟子たちが、ちょうどシンコウウインディのクラシックから本格的に数を増やしてくるとなると、その難易度はグンと上がる。それなら、トリプルクラウンのほうが勝算は上ではないか、というのが、網馬の考えだった。
(やれやれ、とんだ問題児を掴まされたもんだ……)
ぶーたれながらも、クラシック三冠と同等の注目度と聞いて興味を持ったのか即拒否はしてこなかったシンコウウインディを見ながら、網馬は内心溜息をつく。
そもそもそんな面倒の塊のようなシンコウウインディをあの数の加入希望者から選んだ理由は、彼女の両親からの打診だった。簡単に言ってしまえば、彼女の父親は網馬家が懇意にしている通訳一族、その中でも
借りというか義理というか、こちらが問題児を押し付けているという罪悪感もあり突っぱねることができなかった。
その性格から周囲との摩擦が多く集団行動が苦手なシンコウウインディ。年齢から考えても情緒が幼く、その割に細かいところにこだわる部分には対人関係や社会行動に不向きな傾向が見られる。
無論、網馬は心理カウンセラーでもなければ心療内科医でもないため診断も断定もできないが。
面倒見のいいイナリワンをサブトレーナーとして雇った理由もそこにある。体の良い保護者である。
芝を走るならかなりの矯正が必要になるし、日本にしろアメリカにしろダートを走るなら芝用に練習していた動きを直す必要があり、どちらにしろ長い時間がかかる。
ただでさえ反骨精神に満ちたシンコウウインディに長い時間の矯正というストレスを与えるのだからストッパーは必要だ。腕っぷしが強く喧嘩慣れしたイナリワンは適役と言えた。
「……とにかく当面は体作りだな」
網馬はシンコウウインディの育成方針を決めて、背後で行われていた
「あたしも網馬さんもね? 別に走っちゃダメって言ってるわけじゃないの。でもね、平時から毎日30km近く走るのはウマ娘でも正気の沙汰じゃないの。ステイヤー適性ないよね? ミドルの走り方で走ってるよね? アホなの?」
「ぜ、全力で走ってるわけではないので……」
「いや当たり前なの。その頻度と規模のランニングでギャロップするやつはアホ通り越して自殺志願者なの」
「あと走った距離は報告してって言ったよね? ウマホのアプリで万歩計入れてもらったし使い方も教えたよね? なんで記録消しちゃったの?」
「……10kmまでって言われたじゃないですか。それでこのアプリ、5km過ぎてから1kmごとに、『あと何kmです』って通知が入るじゃないですか。『残りこれだけしか走れないのか』って思うと気分が沈んできて……その……気づいたら消してました……」
「アホなの?」
ツインターボの大逃げを見て、「あれこそ理想」「ずっと先頭で気持ちよく走りたい」と熱弁していたところを当のツインターボが発見し、そのまま「弟子にした!」と得意満面に連れてきたことでチーム加入することとなった彼女。
幸いにもツインターボと距離適性はほぼ同じな上、才能だけならツインターボよりも数段上。さらに、網馬的にも面白いと感じる
このウマ娘、ビックリするくらい勝手に走る。放っておけば走ってるし恐らく休日にも走っているため脚にかかる負担がマッハなのだ。
ツインターボはアホはアホなりに考えないお陰でちゃんと誘導すればトレーニングメニューに文句は言わなかったし、スタミナ作り兼体幹トレーニングの水泳もすんなり受け入れた。
しかしこの先頭民族はほぼ走りのないトレーニングメニューに絶句、愕然、消沈し、ふと気づけばトレーニングの合間に走っている始末。本人に悪気はないし恐らく走っているのも本当に無意識のうちになのだと察せるのが逆にたちが悪い。
《ミラ》メンバーには珍しいことに早期にその才能を見出されており、学園生活でも優等生側にいる、遅刻や門限破り以外は比較的品行方正な生徒であったため、それほど手はかからないだろうと考えていた。
しかし実際は比較対象である交友関係が、『幾度となく注意勧告を受けている汚部屋ならぬガラクタ部屋住人の占いマニア』、『将来有望なマイラーでありながら不定期に黒煙を発生させるBBQ通り魔』、『とにかく一挙手一投足がズブい遅刻常習犯』、『煽り癖のあるお調子者で賭け麻雀の常習犯』、『ひたすらにやる気に欠ける粗暴な「気狂い死神の正統後継者」』、『C-Maですら匙を投げかねない素行不良ヤンキーと小柄で虚弱体質ないじめられっ子のコンビ』、『懐に地球を忍ばす美女』、『目を離すといなくなっている神出鬼没なパリピ』、『男性職員に繊細な対応が義務付けられる男性恐怖症のお嬢様』など、あまりにも個性豊かな問題児一歩手前の生徒ばかり――生徒会副会長も友人ではあるが――であったため、相対的にかなりまともに見えていただけで、本人は走ることしか頭にない先頭民族だった。
「アイネス、仕方ない。コイツは走ることと呼吸が同義な国から来た異文化圏のウマ娘だと思え。そもそも俺たちと走ることの意味が違う。多分止まったら死ぬんだ」
「ウソでしょ……魚扱いされてる……」
「でも実際問題どうするの? いくら思考回路から走るのに必要なこと以外オミットされてても、生物学的に一緒な以上脚の負担は減らないの」
「アイネス先輩、《ミラ》に入ってから若干性格変わりましたよね……?」
実はアイネスフウジンは前々から彼女とは交流があったため、先頭民族っぷりは知っていた。そのため、教育係を買って出たのだ。
そんなアイネスフウジンからの問いかけに、網馬はライスシャワーが運んできたダンボールから大量の何かを取り出した。
「えっと……これは……?」
「サポーターだ。主に靭帯への負担を減らすもの、骨への負担を減らすもの、それと骨を守る筋肉以外への負担を減らすものだ。着け方を教えるから、プライベートで走る時はすべて着けてから走れ。それと、睡眠時間、休憩時間を減らすことは許さん。距離はどうでもいいが時間超過はするな。トレーニングもサボるなよ」
次々とサポーターを取り付けられ、タイツの見える範囲がどんどん減っていく脚に対して「ウソでしょ……」の声を漏らすランニングジャンキーに、網馬は淡々と指示を出した。
こうして、《ミラ》に加入したそれぞれ違うタイプの問題児ふたりは、少しずつチームに馴染んでいくことになるのだった。
なお、2次創作で擦り倒されている沈黙の日曜日をどうやって回避するか問題に対して作者はライスシャワーの不幸ネガティブ問題と似たような答えを出します。
つまり絶対王道には行きません。