万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
「隣、よろしいですか?」
中央トレセン学園のカフェテリアでコーヒーを嗜んでいた網馬に、聞き慣れない声がかかった。風体、人相に加えバックボーンに実績と、中央トレセン学園内でもイレギュラーであり触れにくい存在である網馬は、同業者の交友関係が著しく狭い。プライベートで交流があるのは《カノープス》の南坂くらいである。
しかしそんな実力派イロモノである網馬は非常に目立つ。近づきがたい存在ではあるが、同じ空間にいると嫌でも目を引くタイプだ。そんなわけで多くの視線を浴びながらのコーヒーブレイクだった網馬に声をかけたのは、当然ながらそれほど交流のない人物。
しかし、網馬もよく知る人物ではあった。というより、今日日トレーナー業を営んでいて彼女を知らない者はそう多くないだろう。何せ、スーパークリークに天皇賞春秋連覇を、メジロマックイーンに春の天皇賞三連覇を与え、デビュー6年にして天皇賞を計5つ。春の天皇賞でも4つ取っている*1『盾女』にして『若き天才トレーナー』。
チーム《フォーマルハウト》担当トレーナー、奈瀬文乃。
「……構いませんよ」
色々な勘案が網馬の頭を巡り、しかし結果的に同席を許した。カフェテリアがざわつく。網馬も奈瀬と同じく『若き天才』と呼ばれるタイプのトレーナーである。
天才と呼ばれる若い男女がこうして膝を交えていれば、色恋に結びつけたくなるのが人の性というもの。しかも、ここは特にその傾向にある女子高生という生物が棲息する場である。
しかしその心配はない。そう網馬が判断したのは相手が奈瀬だからであった。別に彼女を信頼しているわけでもない。まぁ簡単に言えば、『奈瀬とスーパークリークはデキている』という噂が、少なくとも七十五日ではどうにもならなさそうな程度には流れているためだ。
その噂の真偽は定かではないし網馬には興味ないが、とりあえずこのような密会にも見える状況でも妙な誤解は呼ばないだろうと判断したためだ。
これがタマモクロスやエルウェーウィン、ロンシャンボーイなどを擁するチーム《アルシャウカット》のトレーナー、小宮山勝美などであれば、またひと騒動あったかもしれないが。
しばらく間をおいて奈瀬が切り出した話題は、雑談や世間話のような内容ではあったが、彼女の声のトーンからそれが本題であることは察することができた。
「……あの娘……サイレンススズカをスカウトされたと聞きました」
「……えぇ、先日正式に加入していただきました」
サイレンススズカを狙っていたチームやトレーナーは多かった。チーム《リギル》でも勧誘をしていたし、メジロラモーヌやアグネスレディー、ダイイチルビーに、《ミラ》と関わりが強いところではニシノフラワーなどのティアラ路線活躍ウマ娘を多く担当し『クイーンメーカー』と渾名される、チーム《シェダル》の担当トレーナー、小内忠や、前述の小宮山も勧誘していたほどだ。
奈瀬もそのひとりだったのだろう。そう網馬が予想を立てていると、奈瀬がそう遠くない答えを話し始める。
「僕も、彼女をスカウトしようと思っていたんです。彼女の模擬レースで、気持ちよく逃げる彼女に魅せられて……当時、まだハイペースの逃げはそれほど根付いていませんでしたから」
他のトレーナーなら、サイレンススズカに先行を勧めるだろう。それは間違っていない。ある種のギャンブルであるハイペースな逃げよりも、王道で地力向上に繋がり、脚への負担も少ない先行のほうがいい。
しかし、奈瀬の頭からは逃げを打つサイレンススズカの姿が焼き付いて離れなかった。
「大変、不躾な問であることは承知の上です。網馬さん、サイレンススズカを、どのように育成しますか?」
「ツインターボと同じように、大逃げで。彼女にはその才能があります。どれほど血を繋いでも、どれほど技を繋いでも決して手に入らない天賦の才が。そしてそれ以上に、彼女にとって控えた走りなど
ツインターボとはまた別の意味で、サイレンススズカも先頭でしか走れない。それは彼女の普段の言動を見ていれば容易に想像がついた。
サイレンススズカのモチベーションは勝つことでも走ることでもない。誰よりも前に、誰よりも先に、そこにある景色を見ることにあるのだから。
その答えを聞いて、奈瀬は安堵と喜色を滲ませた微笑みを見せた。それは例えば、以前BCシリーズから帰ってきたツインターボとハシルショウグンへと想いをぶつけてきた小学生ほどのウマ娘たち――マルちゃんとリユちゃんなどと呼び合っていたか。――のような瞳。
「見つけた」
差し込まれた声に、網馬はどこか寒気を感じて目を向ける。その先にいたのは、学園という舞台において異色な色を纏った少女だった。
それは有り体に言えば、網馬と同じ全身黒ずくめ……ただし、網馬がスーツ一式である一方、少女が纏っているのは黒を基調としたモノトーンに僅かに黄色の差し色が入ったゴシックアンドロリータ、いわゆるゴスロリである。
青薔薇と黄薔薇のコサージュとヴェールがついた黒のボンネット。多くのフリルとレースで装飾されたフリルシャツとパニエ付きのエプロンドレス。腰には黄色いリボンがついている。
ハイソックスと編上げのエナメルブーツも黒。同じく黒のレースグローブがはめられた手には、フリル付きの日傘を持っている。
髪は黒鹿毛の超ロング。いわゆる姫カットにされた前髪には、ヴェール越しにハート型の流星が見える。カラーコンタクトでも入れているのだろうか、瞳は鮮やかなまでの赤。
見事なゴスロリ衣装であり非常に完成度が高い、その手の趣味を持つ者でなくても見惚れるような出で立ちであるのだが、問題がひとつ。中央トレセン学園は、原則として制服着用を義務付けている。
つまり網馬の前に現れたこの生徒は派手に校則違反を遂行中であるわけなのだが、その手のことにうるさいはずの風紀委員、バンブーメモリーは、彼女の姿が目に入っているはずなのにカフェテリアの一席で友人と談笑中なのが見て取れる。
「……あぁ、黒騎士様。聖域から課せられた戒めは問題にはなりません。何故ならこの衣裳は我が魂の戦装束であるからです」
何言ってんだコイツ。
文脈から話の対象が自分しかいないことを察した
マーベラスサンデーというある種の独自言語を操る担当ウマ娘を持ってたが故に、元々上流階級間の会話で鍛えられた言葉の裏や行間を読む能力が最近さらに向上するというあまり嬉しくない成長を見せた網馬は、黒鹿毛のウマ娘の言葉を脳内で速やかに翻訳し始める。
「……勝負服だから校則違反にはならない……です、か? いえ、というより、黒騎士って……」
「貴方様のことです。青薔薇の死神姫を守る、この世界の特異点たる黒騎士様」
誰だ。いや、ライスシャワーか。
本人が聞いたら間違いなく発狂するであろう二つ名を臆面もなく口にしながら、影のある笑顔を向ける少女は、ふと気づいたように声を上げた。
「わたしとしたことが名乗りを忘れるとは……失礼いたしました。わたしはそちらにいらっしゃる
一瞬、網馬は偽名を疑ったが、ふとマーベラスサンデーのライバルとなりうるウマ娘を調べていたときに見た名前が頭に浮かんだ。ダンスパートナーというティアラ路線を走るウマ娘の妹として、ダンスインザダークという名前が挙がっていたはずだと。
「待ってダーク……あまりこう、誤解を招くことは言わないでほしい……」
推測するに『旦那様』やら『伴侶』やらに反応したであろう奈瀬がストップをかける。事実、カフェテリアにいるウマ娘たちはダンスインザダークの発言に反応し、「二人目……?」「ハーレム……」「そういうのもあるのか……」などと囁きあっている。浮気とか二股とかそういう言い方がない辺り信用はされているようだ。
「旦那様、誤解ではなく正当なる理解です。わたしと旦那様は前世よりの縁にて繋がっている魂の伴侶。彼方ではわたしの至らなさより冠をふたつ落とし、旅路も道半ばで終えてしまいましたが、再び此世に舞い戻ったからにはあのような無様は晒しません。今度こそ貴方様に初めてのダービーを捧げ、3つの冠を戴いて見せましょう。そしてきっとその先へと……」
「ダーク。君が何言っているのかは正直良くわからないが、君は僕のパートナーだ。君が望むなら、僕は必ず君を
「……ふ、ふふ……ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……あぁ、旦那様、わたしの、わたしだけの騎士様……貴方が憶えておらずともわたしは憶えています。必ずこの魂に焼き付いた
不気味に笑うダンスインザダーク。困惑する奈瀬トレーナー。ざわつくカフェテリア。「修羅場ってやつだなぁ!!」叫ぶスターマン。
網馬はそっとその場を去った。
何故か初期プロットからいたやつ。
一方初期プロットに影も形もない死ねどす氏。