万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
・イカのフェスがあった
・親知らずを抜いた
グレートブリテン王国初代国王の妃、ウマ娘アン・ステュワート*1により見出された由緒正しきコース、アスコットレース場。ロイヤル・アスコットのレースの数々を含む多くの重賞レースが開催されるイギリス競バの聖地である。
と、同時に。他国、特に日本のウマ娘レースファンや競走ウマ娘からは『稀代のクソコース』、『ゲロマズおにぎり』『自殺の名所』『聖地じゃなくて整地しろ』などと揶揄されることも多い。その理由は、自然の地形をそのまま活かしたコース形状にある。
例えば、クイーンアンステークスで使われる直線1600mは、スタートから250mは平坦だが、残りの1350mが高低差20mの坂になっており、スプリントの距離を登り続けるものとなっている。これは東京レース場最終直線の坂よりも急勾配であり、それが1350m、約8倍の距離続くのとほぼ同等である。
また、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスで使用される2400mでは、スタート直後から760mで高低差20mを下り、僅かな平坦コースのあとに鋭角コーナーを10m分登りながら600m走り、最終直線で500m走りながらさらに10m登ることになる。
わかるだろうか。この途轍もない負担が。東京レース場の坂が160mで2m登るもので、中山レース場でも110mで2.2mの坂だ。それを遥かに超える距離と高低差。
そして、ゴールドカップに使われる4000mコースは、直線のゴールから1350m地点付近をスタート地点として、コースを1周――ほぼ2400m――するコースになっている。そう、1350m登り続け、760mでその登ってきた距離を降り、僅かなモラトリアムの後にまたゴールまで20mの高低差を、ヘアピンコーナーを曲がりながら登り続けるという、どう考えても頭のおかしいコースに。
これこそ、ゴールドカップが世界で最も過酷なレースと呼ばれる
10人立てで始まったゴールドカップ。先頭を切ったのは唯一の逃げ脚質、アルカディアンハイツ。奇しくも英セントレジャーステークスの時と同様2番手にソナスがつけ、3番手にヴィンテージクロップ。ライスシャワーはその後ろに陣取った。ドラムタップスは最後方だ。
ペースは日本の感覚で言えばかなりのスローペース。しかし、洋芝の登りであることに加えて4000mの長丁場となるこのレースでは、このスローペースが適切と言える。
ライスシャワーによる天然の撹乱が、少しずつ他のウマ娘のペースを乱し始める。後方のウマ娘は勿論、近ければ前方へも効果を発揮するそれは強力なデバフだ。
しかし当然、ゴールドカップに出走するようなウマ娘は一筋縄ではいかない。
(……コレか。ライスシャワーの《ペースブレイク》……生憎、リズムキープは得意分野なんでね。この程度で乱せると思うなよ……っと!)
アメリカでロックバンドのメンバーとしても活躍するドラムタップスは、ドラム演奏で鍛えたリズムキープ能力でライスシャワーの撹乱に真っ向から抵抗する。
一方、前方のソナスは早くも"
(前は負けた……でも、今回は負けない……! 勝負だ、ライスシャワー!)
そしてヴィンテージクロップ。彼女は
既にライスシャワーにマークされることによる冷たい威圧も感じているのだろう。グッドウッドカップでの恐怖を思い出し顔には脂汗が滲んでいるが、瞳にはそれを跳ね除けんとする意志が宿っていた。
ライスシャワーは明らかに今までとは違う雰囲気を感じ取っていた。それはそうだろう。アスコットゴールドカップは世界最高峰のステイヤーが集まるレースであり、その理由は、半端なステイヤーではそもそもまともにレースとして走り切ることさえ難しいことにある。
通常、距離が長くなればなるほど逃げや先行などの前方脚質は不利になり、脚を溜めて体力を温存できる差しや追込のような後方脚質が有利になる。だが、このゴールドカップは例外で、余程の実力がない限りは前方脚質のほうが有利なのだ。
何故ならば、後方で脚を溜める余裕など残らないからである。ただ普通に走っているだけでスタミナが尽きる。そこに、脚を溜めようなどと考える余裕はない。そんなゴールドカップを追込で連覇している、後方脚質を後方脚質として機能させているドラムタップスが規格外なのだ。
ほとんどのレースでは有り余るほどのスタミナをつけ、世界最大級の坂を登り切る筋力を身につけたものだけが
1000m地点を過ぎる。世界的にメジャーなクラシックディスタンスであれば既に残り半分になろうとしているところだが、このゴールドカップではまだ1/4に達したばかりだ。
そんな折、突如降り注いだ冷気のような圧力に、坂を登っていたウマ娘たちがバランスを崩しかける。
ヴィンテージクロップは覚えがある。グッドウッドカップのときと同じ、喉元に刃を突きつけられたような、殺気にも似た威圧。
無防備に受ければ呑まれる。しかし身構えれば動きが硬くなる。
(おいおい……このレベルの殺気はマークした相手にしか飛んでこないんじゃなかったのかよ……っと)
("
ドラムタップスも、ソナスも、その底冷えする威圧に慄く。一対一でこそ鋭く光っていたライスシャワーの殺気が、相手から意識されなければマーク対象にしか発せられなかったのははるか昔の話。
勝利への執念を手に入れたライスシャワーの威圧は既に受動的なものではない。特定の強者から勝利を守りきるレースは頂点に立った自覚によって、すべての出走者を狩り尽くして勝利を奪い取るレースへと変わった。
防御手段を持たず真正面から受け止めていたヴィンテージクロップに、ライスシャワーの濃い殺気が襲いかかる。現実と感覚の乖離。ズレる、ズレる、ズレる。
乖離が頂点に達し、緊張の糸が引きちぎれる瞬間、ヴィンテージクロップの首へナイフの幻影が迫り――
(……そう何度も簡単に
大鎌の刃がそれを受け止めた。
ヴィンテージクロップが"
血管迷走神経反射から脱し、冷たくなりかけていた体が戻ってくる。彼女だけではない。先頭を走るアルカディアンハイツも"
彼女の周りに広がるのは楽園の如き光景。精神状態を落ち着かせ、背中に純白の翼を
長い上り坂が終わり、コースは下り坂へと推移する。上りよりも遥かに急勾配な下り坂。日本にはこの規模の下り坂があるコースなどない。
まだレースは1/3を過ぎた程度。しかし、ライスシャワーは今までのレースとは異なる視点からレースを経験して、驚きで胸をいっぱいに埋めていた。
こちらから踏み込めば踏み込むほど、相手は全力で応えて、抗ってくる。脚質では追走する側だろうが、格上を追いかけてばかりだったライスシャワーが今、意識の上でも追いかけられる側に回ったことを自覚した。
周りは強敵ばかりで、コースは過去にないほどに過酷。だからだろうか。勝利への執念は加速し続け、その果てに――
(でも――ライスが一番強い……ッ!!)
鬼が、覚醒めた。
下り坂が終わり僅かな猶予。ここからまた再び上りが始まる。丁度残り2000mを切ったあたりか。先頭は未だアルカディアンハイツがひた走る。
(――っえ……?)
その横に、ライスシャワーが並んだ。
ごく自然に。当たり前のように。ライスシャワーが併走し、そしてなお加速して前へ出ようとしている。それは普通のレースならばよく目にする光景だが、このゴールドカップにおいては、いや、普通のレースでも残り2000mでは見られないだろう。
(……いや、いやいやいや。ウソでしょ)
アルカディアンハイツは自身のペースを保ちながらも、理解できない眼の前の光景をぼんやりと眺める。思わず後ろを振り向き、ライスシャワーがいた位置を確かめる。眼の前に見える背中が幻覚だと信じて。
しかし、そこに見えるのは恐らく自分と同じ表情をしたソナスの姿だけ。
(や……っりやがった、あいつっ!!)
ヴィンテージクロップも歯噛みしながら、徐々に、本当に少しずつ離れていくライスシャワーを睨む。2000mのロングスパートなんて聞いたこともない。それも、このアスコットレース場でだ。
だが、ソナスは驚きながらもその選択を不思議と思っていなかった。だって英セントレジャーステークスでも見せられたのだ。ライスシャワーは
バランスを崩せば地面に衝突するような低い姿勢で下り坂を駆け下り、頭を上げればラチに激突するコーナーの内の内を走る。ライスシャワーとはそういうウマ娘だ。
それに比べれば、2000mロングスパートのなんて安穏なこと。失敗しても失速するだけだ。
坂の中盤、ヘアピンコーナーへと突入する。日本では到底ありえない急角度でのカーブ。とはいえ、膨らむようなスピードで走っていることなど、このコースで行われるレースではそうそうないのだが。
アルカディアンハイツにライスシャワーと競り合うか、通すか、その二択で迷いが生じる。普通ならば通すところだ。この殺人ペースに乗っていけば確実にゴール前で脚が上がる。
しかし、だからこそ恐ろしい。隣で感じるこの気迫から、ライスシャワーがバテる光景が想像できない。
ここから先、もう平坦な道はない。ゴールまでずっと上り坂が続く。長距離で牽制に長ける出走者もいるが、それを出すだけの余裕はない。
一方で、ライスシャワー自身にもそれほど余裕があるわけではない。スタミナ自体は――信じられないことに――保つだろう。しかし、力がうまく芝へ伝わっていないこともはっきりと理解できる。
そもそも、ライスシャワーはそのスタミナで誤魔化してきたものの、未だに洋芝を得意としているわけではない。むしろ、その遅筋を主軸に鍛えられた小柄な体は洋芝を苦手としている。
自分で思っているよりも上がらないスピード。失速を想定してリードを取っておきたいというライスシャワーの考えを嘲笑うかのように、後続との距離は広がらないまま直線へ入る。これで残すはこの直線とコーナー、そして最終直線だけになった。
(クッ……ソ……! これが世代交代ってやつかよ……負け犬の発想だが、コイツが現れる前に連覇できててよかったって思っちまった……コイツがまたアスコットに来るかはわからないけど、次世代のステイヤーたちに同情するぜ……っと)
既に息が上がり始めているのはなんとゴールドカップ連覇のドラムタップスだ。これには観客たちも動揺を隠せない。一体どうしたんだチャンピオンとばかりに声援が上がる。
だがある意味当然だろう。今までのレースとは違う。今回のレースには、ライスシャワーが出ているのだ。引き上げられたハイペースの中、ドラムタップスの脚は確実に消耗していた。
だが恥じることはない。それが普通だ。追込の
体力が切れた者、精神力が切れた者から脱落し、最後まで持ち堪えたなかで一番前にいたウマ娘が勝つ。
だが、最終コーナーを曲がりきって遂にライスシャワーが入ってきたこの最終直線。亀の歩みのようにゆっくりと広がっていくバ群との距離。
切れるだろう。バテるに決まっている。早く脚を上げてくれ。悪夢を目の前に、後続はそう祈りながらも、重く、重くなった脚を回してその背中を追い続ける。
しかし先頭との距離は、いつスタミナが尽きるかとばかり考える観客たちを置き去りに、スタミナが切れてくれと祈る後続の願いを振り切って。
2バ身差。短いようで絶対の距離。
ライスシャワーはこのゴールドカップのゴール後、初めて「心底疲れた」様子を見せながらも、長距離路線の頂点として、観客の声援に応えた。
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ゴールドカップ翌日。空港ロビー。
「……わかった。帰国したらすぐに向かう」
「アイネスお姉さまからだったの? トレーナーさん」
「あぁ」
網馬は通話を切って、眉間を押さえながら振り絞るように呟いた。
「サイレンススズカが左脚を骨折した」
この話のプロット立てたの9月頃なんですよ。
まぁね? だからゴールドカップで2000mロングスパートだって十分ヤバいと思うんですよ。
4000m大逃げがマジで化け物なだけでね? 比べられるとね? ショボく見えるけどね?
君のことだよアポロレインボウうううううううううう!!
Q.二次創作で何度も擦られたサイレンススズカの沈黙の日曜日をどう回避しますか?
A.デビュー前に一回折ります。
【追記】
あっさりし過ぎたので多少加筆。