万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
「マックイーン! 大丈夫!?」
「ライアンさん……? もう、大袈裟ですわ」
NHKマイルカップの僅か2日後、メジロライアンはメジロ家の一室に駆け込んでいた。メジロマックイーンがあやめ賞の後、メジロ家の主治医によって処置を受けたと聞いたからである。
一目散に武田主治医のもとへ駆けつけると、既に処置は終わり自室で休んでいると聞かされ、方向転換して突撃した次第だった。
「ただの
ならよかった、とは言えなかった。確かに
だからと言って発症していいわけもない。そもそも、メジロマックイーンが
「でも……」
「それより!」
話を逸らした、というわけでもなく、メジロマックイーンはずいっとメジロライアンに詰め寄る。その目には責めるような光が宿っていて、反射的にメジロライアンは目を背けた。
「なんですの、あの皐月賞での走りは」
「うっ……」
「メジロの誇りはどこに置いてきましたの」
皐月賞、メジロライアンは2着だった。結果だけならそう悪いものとは言えないだろう。しかし、その走りは正直決して強いレースと呼べるものではなかった。
惜敗であればよかった。しかし結果は1着のハクタイセイと3バ身差。しかも精神的に完全に飲まれながらのゴールである。
「……じゃあ、もう、マックイーンがとってよ……クラシックも……天皇賞も……」
「!!」
「あたしじゃムリなんだよ……もう……」
メジロライアンから漏れた本音。今までただ強い責任感によって堰き止められ続けていた、どうしようもなく弱い部分。
どれだけ鍛え続けても強くならない。期待されるのが怖い、期待に応えられないのが怖い、期待を裏切るのが怖い。
「結局、あたしはメジロの誇りのためになんて走れてない。期待を裏切るのが、失望されるのが怖いから……保身なんだよ……」
普段のメジロライアンからなら絶対に出ないであろう、己を深く傷つける心の膿が、深く重くらしい重圧感に押しつぶされて流れ出る。何もかも投げ出し逃げてしまえたら。いっそ楽だろう。本能に身を任せてしまえたら。
「あたしは……マックイーンみたいに強くないんだ……」
自分よりも年下で、しかし自分よりも大きな一族の期待を背負っているメジロマックイーンをみるたび、劣等感が積もっていく。
今までは耐えられていた重圧は自分と周りとの意識の溝を自覚する度に重くなる。泥濘に足がハマったように、ゆっくり。
「どうして……マックイーンはそんなに強くあれるの……? 期待を重く感じないの……? 怖く、ないの……?」
手を伸ばせば触れられる距離にいるはずのメジロマックイーンが、どうしようもなく遠くにいるかのように思える。
あの重圧を受けて、どうしてそんなにもしゃんと立っていられるのか。知りたくて、メジロライアンはそう訊ねた。
「当たり前ですわ。天皇賞を勝つことがメジロ家における私の大義。期待はそれを私が成すと皆様が信じていらっしゃるというだけ。期待があろうとなかろうと、私の大義は変わらないのですから」
そんな、強く自信に満ち溢れたメジロマックイーンの言葉に、メジロライアンはどこか違和感を覚えた。なにか食い違っているような、そんな違和感。
自分が意固地になっているからだろうかと自分を納得させようとするメジロライアンに対して、メジロマックイーンは悍ましいほどにするりと言い放つ。
「それに、恐らく、私が日本ダービーで1着をとっても、世間はともかくメジロ家の方々は眉一つ動かさないでしょうから」
メジロマックイーンの言葉を、メジロライアンは一瞬理解できなかった。
「……え……?」
「直系の子孫であるとはいえ、私の母は一度メジロから出た身。それなのに私がこうしてメジロの家で多くのことを学ぶことができているのは、ただひとえに私には
メジロライアンには、クラシックディスタンスの才能があった。しかし、
そんな折に現れた、本家の血が流れる長距離覇者の才能を持った娘。それに、メジロ家が食いつかないはずがない。
「……そんな顔をしなくとも、別に、両親と引き離されたわけではありませんわ。会いたいときに会いに行けたので……話したことはありませんでしたっけ?」
「…………」
「まぁ、そういうわけですので、私のメジロ家での存在理由は天皇賞をとることにあります。メジロ家の未来を切り拓くための第一歩となるライアンさんと違って、私がクラシックを勝ったところでメジロ家は何も変わりません。とはいえ、菊花賞は流石に私も本気でとりにいきますが……」
メジロマックイーンの言葉がほとんど耳に入らない。
メジロの
メジロマックイーンは期待などされていない。そんなものは期待じゃない。呪いだ。古くからの拘泥を、執着を、捨てきれなかった自尊心を、幼い子供に詰め込んで縛り付けるだけの、どろどろとした大人による呪詛だ。
「それにライアンさん、違うでしょう?」
再び鋭くなったメジロマックイーンの声がメジロライアンを現実へ引き戻す。
「あなたは弥生賞を勝利しています。あの時のあなたは迷いもなく、メジロに相応しい勝利を演じました。その時と皐月賞の違いは
「え……あ……」
「アイネスフウジンさん、ですわね」
そうだ。確かにプレッシャーによる精神的な負担もありはした。しかし、あそこまでメジロライアンの精神を揺らしたのはやはり、アイネスフウジンによる中2週という無茶なローテの暴露だったのだ。
「ライアンさん、あなたは優しすぎます。それは、あなたが背負うものではないのです」
「…………」
「私がメジロ家の矜持として天皇賞制覇を背負うように、NHKマイルカップから日本ダービーへの出走と、その結果、故障をしようと敗北をしようと、それを背負うべきはアイネスフウジンさんであり、あなたではないのです。背負うべき責任を間違わないでください」
「……あたし……は……」
「1番背負わなければならないのは、あなたが望んで行動したことの結果に対する責任です。アイネスフウジンさんはそれを自身で負うつもりで決意し、恐らく彼女のトレーナーもそれを支えるつもりで責任をとろうとしています。そこにあなたの介入する隙間はないのですよ」
メジロライアンにメジロマックイーンの言葉が沁みていく。その通りだ。
結局自分は、逃げ道を探していたのだと自嘲する。これだけ多くのものを背負っているから、それが重圧になっても仕方ないと自分を納得させられる言い訳を。
(アイネスが、マックイーンが、自分自身の覚悟で負っているそれと比べれば、あたしの負うそれなんて軽いものだ……)
自分は挑戦者だ。メジロ家からクラシックという戦場に挑戦する者だから、今回の皐月のように励ましの言葉が多くかけられている。
アイネスフウジンは故障すればそこで終わりだ。それでも、その責任を自分で選んだ。メジロマックイーンは王者として天皇賞に挑む。メジロ家の
(それに比べてあたしは……そう、ただ、あたしが負けたくない、それだけだ)
そう思い至り、メジロライアンは自身の頬を張った。痛みに耐えるため一度閉じた目が再び開いたとき、そこにはもう弱気は存在しない。
己を鍛えようと上を向く、麗しき挑戦者の瞳が収まっていた。
「……もう大丈夫そうですわね」
「うん、ごめん、ありがとう」
「それはあなたのトレーナーにおっしゃってあげてください。彼、あなたを元気づけようと私含め皆に色々と聞いて回っておりましたのよ?」
「トレーナーさんが……!」
メジロライアンはもう一度感謝を伝えてメジロマックイーンの部屋を飛び出す。向かう場所はメジロ家のグラウンド。そこに、メジロライアンのトレーナーが待っていた。
メジロ家からの推薦で出会いこそしたが、ここまで1年、共に過ごし、育み、鍛えてきた絆は本物だ。
「……よかった、ライアン、調子は戻ったみたいだな」
「はい! ご迷惑おかけしました!」
「いや。正直、お前が実力出しきれてないのは俺が未熟だからじゃないかと思っているんだ。メジロライアンというウマ娘の今出せる実力は、もっと上にあるんじゃないかと。自分を見直すきっかけになったさ」
「そ、そんなこと!」
「いいんだ。ライアン、次は勝つぞ」
期待ではない。呪いでもない。重圧でさえない。
メジロライアンを見るトレーナーの目を、顔を、彼女は見たことがあった。
それは信頼を超えた、確かな『確信』の顔。
メジロライアンの胸が、魂が、熱く燃える。
(あぁ……アイネスもこんな感覚だったのかな……だったなら、そりゃあ止められないや)
今にも走り出したいと。自分とこの人のために負けたくない、勝ちたいと、魂が叫んでいる。
「――はいっ! トレーナーさんに、自分の担当したウマ娘の中でライアンが1番強かったと、いつまでも言わせる、そんな活躍を見せて差し上げます!」
「! ハッハッハ!! そりゃいいな!! じゃあ、早速ダービーに向けての調整だ!! 皐月賞ウマ娘だかNHKマイルの覇者だか知らんが、お前の筋肉で叩きのめしてやれ!!」
負けたくない。
時代の先端に名を刻んでやる。
日本ダービーまで、あと3週間。