万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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 なんもかんもポケモンが悪い。




(……アハ……いっそ笑けてくるわコレ……)

 

 ナイスネイチャは浮かんでくる苦笑いを隠すこともせず、それでもしきりに周りに働きかける。

 6月末、宝塚記念。ビワハヤヒデとの都度3度目の対戦となるこのGⅠレースで、ナイスネイチャは初めての経験を味わっていた。

 ()()()()()()()。いくら牽制をしても、フェイクを織り交ぜても、バ群のウマ娘たちはそれを完全にスルーしている。

 出走ウマ娘たちが特に牽制や駆け引きに強いウマ娘ということはない。単純に、ナイスネイチャの牽制や駆け引きを認識する余裕がないのだ。

 認識されない、というのが、ナイスネイチャ自身を認識されていない。マークされていないという状況なら、むしろナイスネイチャに有利に動く。相手の意表を突き、奇襲を仕掛け、大いに乱せるからだ。

 しかし、その仕掛けそのものを認識されないとなると話は別だ。それはつまり仕掛けに反応されないということで、仕掛けていないのと同じ、完全に無意味であるということなのだから。

 

 そんなレースを作っているのが、好位追走、逃げの後ろに張り付いているビワハヤヒデだ。

 レース前。パドックで彼女の姿を見た網は顔を引き攣らせていた。何をどうやったらそこまで仕上げてこられるのかと。

 

『正直、春天で天井だと思ってた。冗談じゃねえ、まだ成長してやがる』

 

(ホント、冗談じゃないよね……こっちはもう打ち止めだっていうのに、涼しい顔しちゃってさ)

 

 すべてはビワハヤヒデの計算通りに。揺らぎも乱れも許されず、必定の敗北へ突き進まされる。圧力で注意力を掻き乱され、脳は楽な方へ楽な方へと流れていく。道を逸れようとすれば細かく修正される。

 確立された得意パターンの押し付け。ビワハヤヒデの必勝ルート。このまま行けばビワハヤヒデの一人勝ちになると誰もがわかっているのに、途中下車などさせてもらえない。

 終盤まで先団を維持し、最終コーナーで逃げを捉え、突き離す。シンプルで隙のない王道の作戦。

 

(ハハ……身体能力で上回られてるのに、頭脳戦でも技術でも負けてちゃやってらんないわ)

 

 東京の最終直線よりはるかに短いのに長く思える最終直線。ナイスネイチャも加速しているはずなのに距離を詰めることすら叶わない。

 着差5バ身。余裕の現れ。決着に意外性はなく、敗北の可能性もなく。真の強さはスリルすら拒む。

 

 

 

 ――その、帰り際。

 阪神レース場の通路でナイスネイチャは偶然、彼女たちの姿を目にした。ひとりは今回の勝者であるBNWが一角、ビワハヤヒデ。そしてもうひとりは、ビワハヤヒデの実妹にして今年のクラシック路線を蹂躙している二冠ウマ娘、ナリタブライアンだ。

 ナイスネイチャは思わず通路の曲がり角で身を隠す。特段隠れなければならないわけでもないのだが、ふたりの会話が気になったのと、それを立ち聞きすることへの呵責から取った行動だった。

 

「流石は姉貴だ。疑っていたわけでもないが、あそこまで余裕の勝利だと清々しいな」

 

 満足げに、どこか誇らしげに姉を称えるナリタブライアンの言葉を、広げたノートを片手に聞いているビワハヤヒデ。その視線はノートから動かない。

 

「しかもまだ強くなっていると来た。はは、年末の有が愉しみだ。あんたの背中を超えるために私は――」

 

「いや」

 

 ビワハヤヒデはノートを閉じ、静かに告げる。

 

「ここまでだ」

 

 沈黙。

 

 耳が痛くなるほどの重い重い静寂が降り、空間を感情が伝播する。混乱と呆然、ナイスネイチャが抱いたこの感情は誰のものか。

 

「――な、にを……」

 

「この宝塚記念を最後に、私はトゥインクル・シリーズを引退する。ブライアン、お前との対決はドリーム・シリーズに持ち越しだ」

 

「なんでだ!! 姉貴はまだ衰えてない!! まだ走れるだろう!!?」

 

 ナリタブライアンの悲痛な叫びはナイスネイチャの、そして数日後に同じ報告を知らされるファンの心情を正確に代弁していた。

 そんな痛々しい妹の姿を前に、しかしビワハヤヒデはあくまで涼しい顔を崩さずに告げる。

 

()()()()()()()()()()()()だ、ブライアン。これ以上の成長で手に入る、手に入ってしまう出力に、私の体は耐えられないんだよ」

 

 「このまま続ければ秋の天皇賞で私の脚は壊れる」。そんなビワハヤヒデの宣告に、ナリタブライアンは瞠目し、場に再び静寂が訪れた。

 ナイスネイチャの胸に訪れたのは絶対強者が去る安堵と勝ち逃げされたことへの虚無感。そんな身勝手な感情に対する自己嫌悪。

 

 ぷちっ。

 

 静か過ぎる廊下に小さな破裂音。

 ナリタブライアンの顎を伝った雫が廊下に落ち、熟れて弾けた木の実のような跡を残す。

 

「……ドリーム・シリーズには来られるんだな?」

 

「あぁ。成長曲線もいずれは下降に向かう。そうすれば、私の限界値が私の強度に見合ったところで収まるだろう」

 

「……わかった」

 

「すまないな。私自身も自分の成長曲線を見誤っていた……長く走れるというのもまた、才能だと痛感したよ」

 

 その言葉には、決して厭味や皮肉ではない、心からの羨望が宿っていた。志半ばで走る力を失う者。あまりにも早く衰えゆく者。走り続けるに足る力さえ得られない者。このターフを去る原因は多すぎる。

 だから、走り続けることができるそれ自体がひとつの恵まれた才能なのだと今ならわかる。振り向けば、足下(そっか)へ続く自身の蹄跡(あしあと)と並んだ、持ち主を失った蹄跡(あしあと)がいくつも残っているのだから。

 ――これ以上は無粋だ。ナイスネイチャはそっと、静かにその場をあとにした。

 

 

 

「それにな、ブライアン。こんなことを私が言うのは傲慢なのだが、私がいなくなったトゥインクル・シリーズというのも捨てたものじゃない。お前の渇きを潤す強者はまだまだいるさ」

 

「どうだろうな……」

 

 ナリタブライアンはクラシック期に入ってから負けていない。ジュニア期の頃は競りかけられると競ってしまう悪癖のせいで何度か負けを経験していたが、それを克服し脚を溜めることを覚えてからは無敵と言っていい強さを誇っている。

 強者との(しのぎ)を削る戦いを望むナリタブライアンにとってもまた、己の成長は求めるものでありながら同時に忌避するものとなっていた。

 渇きは潤わず、飢えは加速する。それは日本ダービーでさえそうだった。そんなナリタブライアンの貴重なモチベーションのひとつが、自らが認め、あるいは自らが所属する生徒会の長である"絶対"よりも強いのではないかとさえ感じている姉、ビワハヤヒデとの公式レースだったのだ。

 わかりやすくぶら下げられた餌だが、それが遠のいたナリタブライアンの鬱憤は、表に出ていないだけでかなりのものだった。端的に言えば、拗ねていた。

 

「まぁそう言うな。私は出られないが、有記念にはきっと()()も出てくる。去年の有では『不滅の逃亡者』が勝ったし、『赤緑の刺客』もそれに迫るだろうが、試行回数を増やせば最も多く勝つのは恐らく()()だぞ」

 

「……確かに、有では姉貴が負けていたが、今なら姉貴のほうが強いだろう」

 

「――いや、恐らく、クラシックディスタンス以下の距離では私は勝てない」

 

 確かにビワハヤヒデは連対率は高いものの、勝率はそう高くない。相性や距離の問題はあれど、直近でも大阪杯ではミホノブルボンに負けている。

 これは何度も例示したことだが、強さには『格下に負けない』強さと『格上に勝てる』強さがある。前者はシンボリルドルフやメジロマックイーンで、後者はナリタタイシンやナリタブライアンだ。絶対性と爆発力とも呼ばれる種別。

 ビワハヤヒデの最も恐ろしいところは、それを両立させていることにある。ナリタブライアンほどの爆発力はないが格上相手にも勝ち筋を残し続け、シンボリルドルフほどの絶対性はないが格下相手の勝ち筋を潰し続ける。

 どちらかに極端に特化した相手以外には負けないし、特化した相手でも勝ち筋を見つける。それが勝利の方程式。そんなビワハヤヒデがハッキリと「勝てない」と言ったことが、ナリタブライアンには衝撃だった。

 

「当初の目標とは違うだろうが、彼女も香港で念願の三冠を戴いたからな。いやはや、お前や彼女を見ていると、悔しいが、天才はいるのだと思い知らされる」

 

「――それほどか」

 

 ナリタブライアンの顔には、知らぬ間に、獣のように獰猛な笑みが浮かんでいた。そんなナリタブライアンに、ビワハヤヒデが告げる。

 

「……神は、愛ゆえに人に試練を与える。挫折し、絶望し、それでも前へ進もうとする者を愛する。そして、試練を乗り越えたものに報い祝福を与える。であれば――トウカイテイオーこそ、現役で最も神に愛されたウマ娘だ」

 

 煮え滾る本能を押さえつけながら、ナリタブライアンは姉の言葉を脳に刻む。相手にとって不足なしと。

 

「ブライアン……お前はどこか、脇が甘い。油断や慢心はないんだろうが……隙はある。気をつけろ」

 

「フン……わかっているさ」

 

 既にナリタブライアンには年末の有記念しか見えていないのか、ビワハヤヒデの忠告にも気もそぞろのまま応える。

 そんなナリタブライアンに、ビワハヤヒデは小さく溜息をついた。


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