万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
「今回は厳しい戦いになる」と、ナリタタイシンは網馬からそう聞かされていた。ナリタタイシンにとっては「今回も」だが。
意外なことに、チーム《ミラ》にはジャパンカップに出走したメンバーがいない。国内の猛者とはグランプリレースで、国外とはそれこそ海外遠征で対決しており、他のチームより出走の意義が薄いことが大きい。唯一、ナイスネイチャは出走予定だったことがあるが、
とはいえ、《ミラ》の側にその気がなくとも、ファンやURAからしてみれば、彼女たちに出走してもらいたいという考えは非常に大きい。昨今は日本陣営が勝ち越しているが、それまでは海外勢に荒らされていた現実がある。日本総大将を背負う者は、相応の強者であってほしいのだ。世界に通用している《ミラ》の面々は恰好の旗印と言える。
ではそんな《ミラ》のうち、ナリタタイシンはどのような評価を受けているかと問われれば「微妙」と言う他ない。
「三冠ウマ娘が輩出された年は世代が弱い」という言説があるが、その逆の現象が起こっている。すなわち、「世代が強かったが故に目立たなくなっている」のだ。
最も目立つ日本ダービーで接戦ながらも圧倒的な走りを見せたウイニングチケット、同世代では抜きん出た実力を披露したビワハヤヒデ。そのふたりに食らいついて常に掲示板を外さなかったナリタタイシンは間違いなく強者である。
しかし「じゃあどれくらい強いの?」と聞かれると、勝ち星が少ないがために返答に困るのだ。洋芝とアスコットレース場に慣れるためとはいえ、海外遠征で黒星を貰っているのもマイナスだ。そしてやはり、長期間の療養でそもそも出走数が少なく、判断材料が足りていないということもあった。
決して弱いと思われているわけではないが、しかし他の《ミラ》メンバーと比べると一歩劣る。ナリタタイシンの評価は、おおよそそのようなものだった。
だから、結果的に日本総大将への期待はナリタタイシンに向けたものより、チーム《ミラ》のメンバーという肩書に向けられたものが多かった。悪意や隔意があるわけではない。ただ無意識に「"《ミラ》の"ナリタタイシン」という認識が強いというだけ。
ナリタタイシンの瞳に
これで目標を達成したと言うにはあまりにも中途半端。しかし、昨年の故障が影響して、名誉挽回の機会に恵まれなかったという焦りが、ナリタタイシンの中で燻っていた。
「マベちゃんの疝痛、だいぶ良くなってきたってネイちゃんから連絡来たの。年末には間に合いそうだって」
「診断するのは俺であってナイスネイチャじゃない。あとで様子を見に行く。あとアイネス、お前声の調子大丈夫か?」
「ちょっと遅れた声変わりなの。お医者さんは問題ないって」
「その辺りはB種免許の範囲外だから俺に言われてもわからんからな。しっかり専門医にかかりつけておけよ。さて……それじゃナリタタイシン。最終チェックだ」
網馬がそう言って、控室の壁にプロジェクターから画像が映し出される。
「まず要注意なのはブラジル出身のサンドピット。こいつに関しては恐らくお前が負けることはないだろう。だが、今回のレースで台風の目になるのは間違いなくこいつだ。何故なら――」
「大逃げウマだから、だよね」
映し出されたのは黒人種に近い褐色肌と金髪のような栗毛を持つ美丈女。白のワイシャツに黒のサスペンダーとネクタイ、そして黒のロングパンツを勝負服とする彼女が、アメリカの名優が演じた代表作の役柄に
「ツインターボに比べて
「大丈夫。リズム感には自信あるし」
普段から1Fの差を争う世界にいるナリタタイシンの体内時計は、ウマ娘の中ではトップクラスの精確さを誇る。同期のライバルに強力な逃げウマ娘がいなかったために目立っていないが、崩されにくさは自負通りのものがあるだろう。
「キングスシアターはKGⅥ&QESでのパフォーマンスこそ良かったが他はGⅠウマ娘としては平々凡々。特段気にする相手でもない。凱旋門賞を勝ったカーネギーは要注意だが、重バ場巧者で唯一芝が堅かったレースでは掲示板ギリギリ。突くとすればそこだな」
続いて鹿毛のウマ娘がふたり、連続で映し出された。今年開催されたナリタタイシンの目標となるレースを勝利したウマ娘たち。網馬は大したことないなどというが、当然上澄みも上澄みだ。
ナリタタイシンからしてみればこのふたりでさえ十分な格上であるのだが、網馬が「厳しい戦いになる」とまで言うのだから、それはこれ以上の難敵が存在するということでもある。
そして、最後に映し出されたウマ娘こそ、このレースでもっとも注意すべき相手だった。
「ブリーダーズカップターフ2着、パラダイスクリーク。成績だけならマイルからミドルディスタンスあたりが適性といったところだが、最近は少しずつ適性距離を延ばしてきている」
パラダイスクリークは珍しい経歴の持ち主だ。元々はアメリカに所属していたが、今年から日本へ転属しながらアメリカでレースを続けており、このジャパンカップが日本での初出走なのだという。
それをサポートした後ろ盾が名家ニシノ家だというのだから話題にならないはずもなく、現在はニシノ家の繋がりと、旧友であるらしいマヤノトップガンからの紹介で、マヤノトップガンの担当である羽原トレーナーがサポートについているらしい。
「状況判断と駆け引きが巧い。生半可なコース取りをすれば前を塞がれかねないし、道中警戒しすぎてもスタミナを削られるだろう。特に、相手はこちらをマークしてくる蓋然性が高い」
「他に押し付けるのも難しいってことね……厄介」
「強いて言うならアメリカ出身にしては
網馬の濁した言葉にナリタタイシンは視線で続きを促す。それに応えて、網馬は「あくまで想定だが」と枕において話し始めた。
「サポートについている羽原トレーナーがその辺りの矯正をするだろう。アメリカでのトレーナーであるマシュー・ディラン・"
「つまりどうすればいいわけ?」
「前が詰まったら終わりだからな。スパートするときはとにかくよく観察してからだ。安易に内を突くと塞がれるだけだから、多少ロスを覚悟して外に出たほうがいいな。ただし、できるだけ覚られないように」
「了解」
ミーティングが終わり、ナリタタイシンは控室を出て地下バ道へ進む。今回出走している相手に特段親しい相手はいない。必然、孤立する形になる。
じろりと周囲を見渡すナリタタイシン。ナリタタイシンは小柄ではあるが顔は美人系に分類され、どちらかといえば大人びている。また、小柄であるがゆえに下から見上げる形になりやすく、自然と三白眼になりがちだ。そのため、目つきが悪くなりやすく、意図的に睨んだつもりがなくとも怯まれることは間々あった。それは、海外レース一戦を除いたレースでも同じことであった。
しかし、今この場に怯むようなウマ娘はひとりとしていない。皆が皆、ナリタタイシンを睨み返し、好戦的な態度を向けている。
ここにいる多くは海を越えてまで強敵と戦いに来た海外の猛者と、それに相対しようという日本の軍勢。その程度の眼光で怯むはずがない。
そして、このジャパンカップにおいて普段と大きく違うことがある。その違和を、地下バ道の空気がナリタタイシンへと伝えていた。
本来、ホームなのは日本勢であり、海外勢はアウェーだ。あくまでも個人競技であるとはいえ、海外からの刺客を迎え撃つという同じ志のもと、ある程度纏まった、一種の連帯感が生まれる。
それに対して海外勢は連れ立っての参戦でもなければ基本的に個人で寄る辺ない。だからこそ、帯同ウマ娘というメンタルサポーターがいるのだ。
しかし、今年のジャパンカップはその点異様だった。運が悪いのではない。必然の果ての現実だ。
海外勢が、打倒《ミラ》、打倒ナリタタイシンで纏まっているのだ。
アウェーの空気が覆される。たとえ誰一人意識していなくとも、無意識のうちに向けられる意識の矛先は揃えられ、ナリタタイシンへと牙を剥く。
網馬が要注意と評した者も、そうでない者も、そのどれもが大きな壁に見えた。
あるいは、「今回は厳しい戦いになる」という言葉は
生きてます。