万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
ゲートが開くと同時に、周囲の風景が一変した。
まず現れたのは一面に続く砂漠。広大な大地に敷かれた砂のカーペットは、しかし我々が想像するよりも白く透き通っている。
レンソイス・マラニャンセス国立公園。ブラジルに存在する、世界有数の美しさを湛えた白砂漠こそが、彼女の"
大自然の織りなす芸術さえも
(TOKYOの
通常、ナリタタイシンのような直線一気による最後方強襲タイプの追込は、ペースのハイロー以前に縦長の展開に弱い。
ナリタタイシンも例に漏れず。クラシック級で活躍できたのも、バ群を伸ばす強い逃げウマ娘がいなかったことと、
もちろん、ナリタタイシンを指導する網馬がそんな弱点をただただ放置するわけもなく対抗策は持たされているのだが、それよりも先に
サンドピットの前方、影一つ落ちていなかった砂の海に、突如墨のような黒の幻影が垂れる。
それに反応する間もないまま重力に引かれるように後ろへと傾いていく重心を、サンドピットは前傾姿勢を強めることでなんとか持ち堪える。
しかし、重くなった脚は加速を妨げ、急速に疲弊を増すサンドピットの目には、まだ平坦なはずのコースの先がまるで急な登り坂のように見えた。
(……っ!! 違う! 登りはまだ……どころか、もうすぐ下りのはず! 確か……音!! 音だ!!)
サンドピットを襲ったそれの正体は、"音"によって起こされる"
ツインターボとメジロパーマー。URA史に名を刻んだふたりの大逃げウマ娘と相対し、その中で編み出した
(――『諸人登山』はキッツいら?……結局タボちゃんもパーマー先輩もまたぶつかる前に引退しちまったけえが、お披露目には
日本はナリタタイシンだけではないと、
結局、大逃げとしてはそれほど速くないペースが定まり始め、おおよそのポジションが確立されていく。ナリタタイシンは当然、最後方。
眼の前のウマ娘を壁にして体力を残しつつ、下り坂を減速せずに駆け下りる。ただそれだけで観客が沸き立つのが煩わしく感じた。
テレビで評論家が賢しらに『《ミラ》のお家芸』などと語っていたが、そんな大層なものではない。これは《ミラ》にいれば
《ミラ》、あるいは網馬の指導下において、もっとも重要視されるのが体幹の筋肉である。それがすべての運動の基礎であり、基礎のない土台の上に成り立った技術など砂上の楼閣でしかないからだ。
それ故に、《ミラ》ではまず走ることすらさせられず、むしろ禁じられ*1、全身運動のためのトレーニングを徹底させられる。その延長線上にある技能こそ、強靭な体幹が生み出すバランス感覚による、坂道での姿勢制御能力である。
閑話休題、ナリタタイシンは苛立ちを自覚すると、レースに集中できてないのだとそれを頭の隅へ追いやった。気もそぞろな状態で競える相手などここにはいない。
『イくぜ』
パンクファッション風の勝負服を着込み、『
象るのは彼女が冠する『
アメリカはブルックリン、キングス郡にある
舞台上で骸骨たちが奏でる退廃的な
レオダーバンの咆哮のように"
『些事』
それに惑わされることなくペースを維持しているのは、機関車とその運転手をモチーフにした勝負服に、キングスシアターと同じく『赤地白星』のワッペンを付けた鹿毛のウマ娘。『鉄鋼王』カーネギーだ。
同名の実業家の他、重バ場を踏み抜くパワーと揺るがないメンタルからそうあだ名される彼女には、キングスシアターの"
『やっぱアンタにゃ効かねえか、ネグ!』
『笑止』
同じチームで走っているわけではないし、生まれや育ちにも関わりがないふたり。その共通点であり関係性の要である『赤地白星』のワッペンは、ウマ娘レース界で多大な功績と影響力を持つさる国の王族が
普段以上に"
パラダイスクリーク、彼女は"
『敵を知り己を知れば百戦殆うからず』。かつて同じこのジャパンカップで『白い稲妻』と『芦毛の怪物』を下した『
だからこそ、多くの出走者の目が向いているナリタタイシンがマークしているのが自分であることに、パラダイスクリークは早い段階で気づくことができた。
(なるほど……やっぱり駆け引きもできるようだ。こっちからは手の出しにくい位置をキープしている。クラシック期はビワハヤヒデの陰に隠れていたか)
ナリタタイシンがとってくるであろう戦術の予想はついている。抜刀術の如き一瞬の切れ味で撫で切りにしてくる最後方強襲。そのために、確実に潰されないルートを探すことを優先しているのだろう。ナリタタイシンからパラダイスクリークへのアプローチはない。
しかしその分、ナリタタイシンへも手が出せないような位置取りを徹底していた。ここまで来ると、むしろ他のウマ娘が総じてナリタタイシンを意識していることが裏目に出ているとも言える。
結局、サンドピットはそれほど大きくリードすることはできず、それでも自慢のスタミナで粘りながら終盤を迎える。
かと言って、"
(この辺り……ナリタタイシンは強襲の前に、最終コーナーで位置を上げてくる)
最後方強襲を謳いながらも攻めっけのあるナリタタイシンが発現した"
そうでもしなければビワハヤヒデに追いつけなかった、ということだろうが、ナリタタイシン自身の適性とはやや噛み合いが悪い。
ナリタタイシンが自身の"
(同じことを考えるのは私だけではないのも――)
(――まぁ察しとるわな)
オーストラリアの古強者、ラフハビット。
擦り切れた修道服を勝負服としている彼女が、ナリタタイシンの進路を塞ぎにかかる。意図するのは当然ナリタタイシンのスパートの妨害……ではない。
正確に言えばそれも目的のひとつだが、そう簡単に達成できるとも思っていない。彼女の主な目的はふたつ。前を塞がれそうになったナリタタイシンが暴発して仕掛けどころを間違うことか、ブロックを躱すためにレーンを変更してロスを食らうことだ。
(ウチはこれしかでけへんし、似たようなタイプは事前に察してくる……多分、"Slender-man"も対策は用意しとるやろ。でも、わかられとるからやらんっちゅーのは話が別やわ)
最終コーナー半ば、前を塞がれたナリタタイシンの動向を全員が警戒する。早仕掛けをしてくるか、大外に出るか。《ミラ》のメンバーなら、多少仕掛けどころを間違っても覆してくるだろうし、多少のロスなら飲み込むだろう。
しかし、ナリタタイシンは動かない。ラフハビットの背中についたまま、スリップストリームでロスを減らすような悪あがきをするだけ。
ある者はそれを意外に思いながら、ある者は《ミラ》だからといって警戒しすぎたかと興味を失いながら、ある者はまだ警戒していながらも自身の仕掛けを考えて、ナリタタイシンから目を離していく。
しかし、背中に張り付かれているラフハビットはそれどころではない。背後で膨れ上がる存在感と熱量に、冷や汗が止まらなくなっている。
その異変を敏感に察知して、パラダイスクリークもナリタタイシンを依然警戒している。
(一体どうする気? ――ダメ、最終直線が近い。これ以上気にしていられない)
パラダイスクリークが視線を前に戻し加速を始める。彼女のサポートを務めている羽原が言っていたことを思い出していた。ナリタタイシンの他に、日本勢で警戒すべき相手がいると。
マーベラスクラウン。正確には、彼女を指導している小宮山勝美。かつて『白い稲妻』を指導し、今は諸事情によって日本を離れている東条ハナの代理としてチーム《リギル》でナリタブライアンの指導をしている。
小宮山の泥臭さと諦めの悪さを、羽原は警戒していた。
(マージンを……とらない。インサイドブランクギリギリを突くつもりで……)
マーベラスクラウンの動きを見て確信した。羽原の予想通り、マーベラスクラウンは最内を通っている。もしもパラダイスクリークがいつも通りマージンをとってコーナーを回っていれば、ロスの分間に合わなかったかもしれない。
最終直線、サンドピットとフジヤマケンザンが垂れて、出てきたマーベラスクラウンとパラダイスクリークが並ぶ。マーベラスクラウンを差し切るためにパラダイスクリークが前を睨んだ、瞬間だった。
会場からどよめきが漏れる。時折悲鳴に似た声まで聞こえたそれは一瞬出走者の意識を引き付け、その後怒号のような感嘆の叫びに変わった。
爆心地は言うまでもなく、ナリタタイシン。
最終直線の直前までラフハビットの後ろに甘んじていたナリタタイシンが、最終コーナーの出口、最終直線に出た瞬間のことだった。
ナリタタイシンが出した右脚が、大きく滑った。
あわや転倒。そう動揺した観客たちとは打って変わって、ナリタタイシンは冷静だった。当然だ、最後方にいて後続の進路妨害にならないと判断されるだろうことをいいことに、
体が完全にラフハビットの陰から抜け出た瞬間、軽い体重を利用してあえて滑らせていた足を芝に食い込ませ、起死回生となる抜群の切れ味を誇る末脚を解き放つ。
ゴボウ抜き、撫で斬り、バ群を割って現れたナリタタイシンが、マーベラスクラウンとパラダイスクリークの背中を捉える。マーベラスクラウンとパラダイスクリークとの差は、観客のどよめきに気を取られたか否かだ。
パラダイスクリークとナリタタイシンがマーベラスクラウンを僅かに差し切り、ほとんど並んでゴール板を抜ける。
即座に写真判定のランプが点灯し、マーベラスクラウンはハナ差の3着と表示される。誰もがその結果に注目する中、パラダイスクリークは最終直線へ入ったタイミングからの映像が映し出されたスクリーンをじっと見つめていた。
(抜け出てくるとは思っていた。だから観客のどよめきも気にしなかったが……こんなムチャクチャな方法で抜けてくるなんて……!!)
一歩間違えば大事故に繋がるそれは、しかし
しかしそれは、ナリタタイシンの小柄故に軽い体重と、それに反した芝をしっかりと掴み切るパワー。そして、《ミラ》のトレーニングで培われた体幹とバランス感覚があってこそ成り立つものだ。
それを、このぶっつけ本番で成功させる度胸。
("
写真判定にかかった時間はURA史上最長の11分36秒を記録した。その結果を見た観客たちの歓声は、国際招待レースに相応しいものだったことは言うまでもない。
第14回ジャパンカップ。勝者、ナリタタイシン。
【追記】
天井