万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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黒く

 暮れの中山、ホープフルステークスの勝者はタヤスツヨシ。朝日杯を勝利したフジキセキと並んでサンデーサイレンスの教導を受けた者が結果を残したと言える。

 その一方で、マーベラスサンデーの走りは凡走と言ってよいものだった。この結果についてファンの間では様々な意見が飛び交った。

 ビコーペガサスを引き合いに出し「網トレーナー率いる《ミラ》でもすべてのウマ娘がGⅠを取れるわけではない」と期待のし過ぎを諫める者。「マーベラスサンデーは晩成型だからここから伸びてくるのだ」となお期待する者。

 あるいは「網トレーナーのことだから本気を出させていないに違いない。そうやって実力を誤認させてクラシック三冠に控えているのだ」と訳知り顔で語る者もいた。

 そして、そんな者たちのうちいくらかは、「ジュニアとはいえGⅠで手加減をして捨て石にした」と憤りを口にする。

 

 日本においてジュニア期のGⅠというものは、他のGⅠに比べて軽視されがちだ。それこそ、ジュニアGⅠを勝ったきり一向に勝てないウマ娘に対して用いる時の『ジュニア最優秀ウマ娘』という言葉が、早枯れという意味の蔑称になり得るほどに。

 その傾向は特にトレーナーに強い。あからさまにジュニアGⅠを軽視するような言動は取らずとも、どこかそう考えるところがあるトレーナーは多く、自身にそのような考えはないがそう考えることを理解できるというトレーナーは更に多い。GⅠを勝つためにGⅠを叩き台に、ということも少なくはない。

 一方で、その傾向はウマ娘には少ない。GⅠはGⅠ、それ以前に勝負は勝負だ。それを理解しているから、レースで手を抜くということに抵抗があるのだ。

 クラシック三冠を取りに行くための作戦だ、決して手を抜いているわけではない。そう理屈で理解はできていても感情が勝手に燃え上がる。

 

 なお、そんな彼女たちが網の腹の(うち)を知ったとしたら、その肌は赤兎の如く赤く燃え上がっただろう。実力を誤認させるためというのも、マーベラスサンデーの地力を鍛えるためというのも、どちらも間違いではない。

 しかし、網の個人的な思惑の最も多くを占めている理由はそれらではない。マーベラスサンデーの本気を温存したい理由は酷く単純。そのほうが面白いからだ。

 マーベラスサンデーの真価はインパクトが大きい。それ故に、それをクラシック三冠のはじめに持ってきたかった。

 戦略的な要素も十二分にあるが、網が最優先に考えたのはエンターテイメント性だ、などという要らぬ事実は知らぬが仏だろう。

 

 閑話休題、有記念である。出走ウマ娘は例年通り国内有数の実力者ばかり。

 ふたりが引退し、残るひとりもジャパンカップへ出走して不在の前年の強豪BNWに代わり、香港トリプルクラウンを制覇したトウカイテイオーと、有記念3年連続3着という珍記録を持つナイスネイチャ。前年ふたりに勝って引退したツインターボを含めてTTNと呼ばれていたふたりが、クラシックを駆け抜けてきた今年の優駿を迎え撃つ。

 その中でも特に抜きん出た人気を誇っているのが、『"絶対"なる皇帝』以来のクラシック三冠を制覇したナリタブライアンだろう。

 

 皐月賞、4()()()()

 日本ダービー、6()()()

 菊花賞、9()()()

 

 無敗でこそないものの、合計1()9()()()()の歴史的大差をつけた圧倒的な爆発力と、肉食獣を彷彿とさせる地を這うかのような走行フォームによって濁りひとつない黒鹿毛がバ群をぶち抜いていく様は人々を魅了し、『影を纏う(シャドーロールの)怪物』とまで称されていた。

 世間の評価などどうでもいいナリタブライアンであったが、昨年の菊花賞で『怪人』網怜が言っていた……と、ツインターボが漏らしたことで定着した『陰を演じる(シェードロールの)怪物』*1という姉であるビワハヤヒデの異名に(なぞら)えたネーミングには満悦していた。

 他にも、秋華賞とエリザベス女王杯を勝利し、なおかつナリタブライアンに名指しで「なかなかやる」と評された『女傑』ヒシアマゾンや、彼女とティアラ路線で鎬を削った《C-Ma》出身のオークスウマ娘『超越の賛美歌』チョウカイキャロル。ナリタブライアンとクラシックを競い、三冠の舞台でこそ敗北したものの、クラシック期の彼女に唯一土をつけた『大星』スターマンなどが注目を浴びている。

 しかし、それでもやはり多くに期待されているのはナリタブライアンだろう。

 

 地下バ道、ナリタブライアンがひとり瞑目し集中力を高める。ナリタブライアンにとってははじめての、自分より経験を積んだ相手との戦い。しかしそれは、ナリタブライアンの中で『格上との戦い』を意味するものではない。

 たとえシニア級の先達が相手であろうと互角以上に勝負ができる。それだけの自負があった。

 獲物を見定めるような視線が地下バ道を這う。視線は喉元に噛みつくように、ひとりのウマ娘、トウカイテイオーへと突き刺さった。

 香港トリプルクラウンを記念して作られた新たな衣装。最初の青白の勝負服に似ているがアレンジが施された意匠は、『帝王』から『戦士』へと印象を変えたように思える。

 つい半年前まで最も意識していた実姉から告げられた、自分よりも強い相手。果たしてその実力は自分の渇きを癒すに足るものなのかと、心のなかで舌なめずりをする。

 

 そんな視線を受けて、トウカイテイオーはしかし不敵に笑った。全く違うはずなのに、自分と似ていると感じたからだ。

 あれは別の道を歩いていたときの自分だ。だからこそ負けられない。そして当然ナリタブライアンだけでなく――

 

(ネイチャ。キミにもね)

 

(あらあら、意識してくれちゃってぇ……まっ、負ける気なんてさらさらないんですけど)

 

 交差した視線にナイスネイチャは笑う。トウカイテイオーとナリタブライアン、それだけではない。4度目の参加になる有記念で、キラキラしていないウマ娘などいなかった。

 星の如き(まばゆ)いばかりの輝きは闇を切り裂いて道を示す。しかし、強すぎる光は時に目を灼き視界を奪う。かつて流星の光に狂った少女は、今、正しく前を向いている。この4年で築き上げてきた蹄跡は、そう簡単に見失うようなものではない。

 

(毎年毎年有に出させてもらえるのもありがたいけど……そろそろ勝ちが欲しいじゃん?)

 

 そうして、ナイスネイチャの体がゲートに収まる直前のことだった。レースを前に拡張された感覚が、観客席から向けられる毛色の違う視線を捉えた。

 そこに含まれるのは、憧れというにはあまりに濁った色の感情。羨望、あるいは、嫉妬。ナイスネイチャは知っている。光が強くなれば強くなるほどに、そこにできる影もまた濃く大きくなるのだと。

 

 

 

 ビワハヤヒデはチーム《リギル》のサブトレーナーとして有記念に来ている。単にナリタブライアンのレースを見届けるという目的もあるが、それ以上に、メンタル面が心配なチームメイトの補助としてもここに来ていた。

 そんなチームメイトはまっすぐにナリタブライアンを見つめている。そこに敵意はない。悪意もない。嫉妬や羨望の感情でもない。ただひたすらに悔しい。そんな目だ。

 なにせ、一生に一度のクラシックで()()()()()()()()()()()()のだから。

 

「ローレル……大丈夫か?」

 

「えぇ……ねぇ、ハヤヒデさん。ブライアンちゃんは()()()だよね……?」

 

「……大丈夫、だろう……」

 

 言葉に詰まった。正直、大丈夫だと言えるだけの自信がビワハヤヒデにはなかった。ナリタブライアンの走り方は脚にかかる負担が大きい。特に、ナリタブライアンは()()()()()()()。なんとか競られたときの掛かりグセは矯正できたものの、その分の負担はすべて末脚に行ってしまっている。勝てるようにはなったが、負担の総量は変わっていない。

 サクラローレルはナリタブライアンをライバル視していた。ナリタブライアン自身、今はともかく《リギル》に入ってサクラローレルと知り合ってからサクラローレルが故障するまでは、彼女の実力を認めていた。

 もちろん今は認めていないというわけではないが、ナリタブライアン側からサクラローレルを意識することはほぼなくなった。『自分の渇きを満たす相手』という枠に入らなくなったのだろう。

 『戦うことすらできなかった』ことへの無念が、サクラローレルの中にドロドロと渦巻いている。これでナリタブライアンが故障でもしてしまえば、サクラローレルのメンタルがどうなるかわからない。

 

 ビワハヤヒデがサクラローレルへ再び視線を向けたとき、サクラローレルの奥にいるウマ娘に視線が飛んだ。

 スターマンがつるんでいる《C-Ma》のメンバーが、スターマンのトレーナーから許可を貰ったからかそこにいた。シリウスシンボリを筆頭にスターマンと仲がいいであろうメンバーが揃っているのだが、そのうちふたりが、これからレースが始まろうというのに関係者席をあとにしたのだ。

 これが知りもしない相手であれば、トイレにでも行ったのかとスルーしていただろう。しかし、片方が決して看過できない相手であったから、ビワハヤヒデの顔は悲痛に歪んだ。

 だからといって声をかけることはできない。自分とナリタブライアン()の存在が、()()にどれだけの精神的負荷になっているかわかっているから。

 

「タケヒデ……」

 

 強い光は、濃い影を作る。

*1
本来は『日陰役の怪物』という意味であったが、「妹の影に隠れて目立たない」というマイナスの意味にも解釈できるため、後日SNSでアイネスフウジンが『陰を演じる』と能動的かつ戦略家としてのイメージになるようフォローした。『日陰役の怪物』は口頭で読みだけだったので世間的には『陰を演じる怪物』の方しか伝わっていない。


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