万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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前例がない故に

 ゲートが開いてからしばし。もうじきに700mを通過するところだろうか。位置取り争いは既に一段落し、各々が終盤に向けてスタミナを温存しつつ流し気味のペースで走っている。そう、()()()()()のだ。それを許さない存在がここにはいるはずなのに。

 それをもっとも敏感に感じ取り訝しんでいるのが、考えうる限り最高の位置取りを手に入れたトウカイテイオーだった。

 

(ここまでおとなしいと普通は逆に怪しいんだけど……なにもしてないように見せて仕込みしてるときのネイチャってもっと自然にやるよなぁって言うのは、ボクの買いかぶりかな……?)

 

 トウカイテイオーがロスを最小限に後ろを確認する。後続の先行集団数人の後ろ、バ群の熱気に押され掛かり気味にも思える位置にナリタブライアンが見える。

 そして、さらにその後ろ。見慣れた赤緑の勝負服は、全体を睥睨し牽制できる絶好の位置にいた。にも関わらず、その顔は深い険しさがこびりついている。

 

(……ま、ネイチャとのマッチレースってわけでもなし。残念だけどネイチャの運が悪かったってことで)

 

 そもそも、ナイスネイチャだけに気を取られていられる余裕はない。かつての自分の夢を半分だけ叶えた怪物が相手なのだ。トウカイテイオーは前へ向き直ると、意識を己の走りに戻した。

 

 一方のナイスネイチャはトウカイテイオーとは対照的に、己の走りができないでいた。思ったように頭が働かない。そのくせ、心臓の鼓動はどんどん早くなっていく。そしてそれが()()()()()()()()()

 熱に浮かされるという表現がちょうど当てはまるような不安定な思考。視野が狭まり、まともに周りの状況がわからない状態では牽制もままならない。

 

 ただ、ひとりを除いて。

 

(――っとに、やってくれる――ッ!!)

 

 意識を後ろに向ければ否が応でも聞こえてくる足音。怯えた野生動物が林に隠れ潜むように他のウマ娘の気配がぼやける中、その気配だけはハッキリと存在を主張している。

 狩人であれば落第点。だが、彼女は狩人ではない。だからこそ、真っ向から敵の目の前に姿を現す。

 隊列は変わっておらず、相手はナイスネイチャの後ろにいるはずなのに、まるで併走で競り合っているかのような威圧がナイスネイチャにかかり続ける。それに呼応して、ナイスネイチャからも制御できない威圧が漏れ出し、精神力を削っていく。

 その"領域(ゾーン)"はさながら、どちらかが倒れるまで逃れることを許さない密林の檻。女傑が望む小細工も問答も無用の決闘場(コロシアム)

 

「さァ……タイマンだ」

 

 高みの見物を許さないナイスネイチャの天敵、ヒシアマゾンが牙を剥いた。

 

(最ッ悪……!)

 

 ナイスネイチャはあまりの相性の悪さに歯噛みする。地力で劣るナイスネイチャにとって、序盤に崩し、中盤で削り、終盤を損なわせるのが、か細い唯一の勝ち筋だ。

 対するヒシアマゾンの"領域(ゾーン)"は強制的な一対一への連行。徹底的なマークで意識を自身へ集中させ、視野を狭めて周囲への注意を疎かにさせるものだった。

 この時点でナイスネイチャは、ヒシアマゾン以外への牽制と、他者を経由して間接的に行う牽制を封じられたことになる。

 それだけではない。この"領域(ゾーン)"は宝塚記念でナイスネイチャ自身が見せた、周囲への疑似"領域(ゾーン)"の強制と類を同じくするものだ。ナイスネイチャのそれが他者の威圧を利用して効果範囲をバ群全体に拡めたのに対し、この"領域(ゾーン)"は対象を絞ることでそれ以外の効果を軒並み増幅させている。

 とはいえ、これは"領域(ゾーン)"に限りなく近い現象を技術だけで再現したナイスネイチャの異質さにこそ舌を巻くところなのだが……

 閑話休題。過集中の影響で長所を潰され、"領域(ゾーン)"の効果で技術を封じられたナイスネイチャに出来ることは、一刻も早くヒシアマゾンとの精神力勝負(タイマン)に勝利し"領域(ゾーン)"から脱け出すために、《八方睨み》に温存している精神力を攻撃に回すことだけだった。

 一方、ヒシアマゾンも余裕があるわけではない。

 

(ハハッ、コイツが《八方睨み》ってワケか……TTNの『赤緑の刺客』は伊達じゃないってことだねッ!!)

 

 歯を食いしばりながらも冷や汗を垂らすヒシアマゾン。ナイスネイチャは確かに身体能力や才能で劣る。しかし、その精神力で劣っているわけでは決してない。

 元々の根性であるとか、生来のメンタルの強さであればヒシアマゾンに軍配があがるだろう。だがその分、ナイスネイチャは長い期間をこのトゥインクルシリーズで戦い抜いてきた経験と、それに鍛えられた精神力がある。

 それでもヒシアマゾンはナイスネイチャ相手に勝ち負けできると踏んで、ナイスネイチャをフリーにして周りを利用した牽制で削られるくらいならタイマンに持ち込んだほうが勝ち目があると考えて行動したのだが、ナイスネイチャの精神力はヒシアマゾンの推定を大きく上回っていた。

 

(でも、そうこなくちゃ面白くないッ!!)

 

 レースは既に後半戦に入ろうとしていた。

 

 

 

(結局、牽制らしい牽制も来ないまま終盤か……)

 

 ナリタブライアンは脚を溜めながら、先行集団の最前列を走る背中を、獲物を狙う肉食獣のような眼光で見つめる。スターマンの限界は菊花賞で見切り、ヒシアマゾンも先行でマークされたならともかく追い込み相手なら問題はない。トレーナーから注意されていたナイスネイチャからの牽制が来なかった今、注意すべきはトウカイテイオーただひとりだ。

 その判断はあながち誤りというわけではない。しかし、この視野の狭さはナリタブライアンにとって明確な弱点と言えた。

 今までその基礎スペックの圧倒的な高さから、搦手を受けても真正面から踏み潰すことができたが、これからもそうだとは思えない。というのがナリタブライアンのトレーナーを務める小宮山勝美の考えだった。

 だから、忠告より直観を優先しがちなナリタブライアンに、実際にナイスネイチャの搦手を体験させるつもりだったのだが、当のナイスネイチャがヒシアマゾンに封じ込まれてしまったのは誤算だっただろう。

 

(そろそろ動くか)

 

 それまで温存していたスタミナをエネルギーに変換して右脚に籠める。ミシリと地面が軋み、芝のクッションを貫通して行き場を求めた力が大地の奥底へ潜っていく。

 ナリタブライアンの"領域(ゾーン)"。なんの衒いも不思議もない。道中、己に課してきたリミッターの解除。掛からないように封じ込めてきた、"怪物"さながらな脚力の解放。

 道中で競り合っていれば、その時に溜まったフラストレーションによってさらに効果は上がるが、今回はナリタブライアンの威に圧された周囲が近づくことを敬遠したために、それが発揮されるまでには至っていない。

 そして、それで十分。

 

「――散れ」

 

 最終コーナー。ナリタブライアンが踏みしめた大地が割れ、光が漏れる。影も、壁も、罠も、敵も、己を阻むものすべてをただ力で粉砕する、圧倒的爆発力の表れ。

 瞬く間にトウカイテイオーを捉え、並ぶことなく追い抜く。その呆気なさに拍子抜けさえ覚えるが、しかし油断せずにさらに前を目指す。そんな性分だからこそ、ナリタブライアンはクラシック三冠で莫大な着差をつけて勝利したのだ。

 

 そう、だから、油断などなかった。にも関わらず、だ。

 

 最終直線、ナリタブライアンの横を流星が飛び去った。

 

「なァ……ッ!!?」

 

 瞠目するナリタブライアン。だが、先行していたトウカイテイオーに比べて、脚を溜めていたナリタブライアンはまだ余力は残っている。中山の短い直線、再び追い抜いてしまえばその差が明確に現れる。

 そう思って最終直線でさらに加速し、まさに全身全霊の末脚でトウカイテイオーに迫る。

 

 迫る。

 

 迫――れない。

 

 トウカイテイオーとの差が縮まらない。あの小さな背中に届かない。ナリタブライアンより遥かにスタミナを消耗しているはずのトウカイテイオーが見る間に遠のいていく。

 ナリタブライアンの肉食獣の如き走行フォームは特徴的で、それこそ『怪物』とあだ名される程のものだ。しかし、前例がいなかったわけではない。それは、同じく地を這うような極端な前傾姿勢で『怪物』と呼ばれた『芦毛の怪物』を例に出すまでもなく明らかなことだ。

 しかし、トウカイテイオーの()()に前例はない。小柄な体のバネを隅々まで使い、何度も引きちぎれては編み直された筋肉で折れるたびに補強された骨を武装し、柔らかすぎるとまで言われた関節を最大限に駆動させてようやく実現する、前人未到のストライドピッチ。ストライド走法の歩幅をピッチ走法並みの回転数で成す無法。

 ()()()()走りの限界を極めた、しかし"絶対"に有り得ない机上の空論を、実現してみせた彼女のその走りを、前例がない故に人々はこう称する他になかった。

 

 究極の『テイオーステップ』と。

 

 爆発力? 限界を知ったこともないのに。()()()()()()()()()()()()()()()。皐月賞を勝った程度で調子に乗るな。

 スタミナ? 1年で覚えた付け焼き刃の温存術で、4年間の挫折と復活の末に培ってきた技術と経験を上回れると? 菊花賞を勝った程度で図に乗るな。

 怪物? 狩る側の肉食獣? ()()()()()()()()()()()()()()()

 

「"絶対"なんてないさ……ッ!!」

 

 格上の意味を、格上の範疇を、履き違えていた。

 油断こそしていなかった。しかし、それは確かに慢心だった。奇しくも、()()()()()()()()()()()を見たことがなかったが故に。

 そして、それは明確な"隙"。

 

(……なるほど、こんな感じ……?)

 

 砕いたはずの影が、ナリタブライアンに牙を剥く。後ろから絡みつくように伸びてきた影が四肢に巻き付き視界を閉ざす。今までに体験したことのない事態に動揺しながらも、ナリタブライアンは歯を食いしばりながらトウカイテイオーへ追い縋る。が、脚が思うように動かず、トウカイテイオーの背中は暗闇に消えていく。

 影に覆われた視界でナリタブライアンに突き刺さる視線のような威圧。体の動きが鈍る。脚が前に出ない。呼吸が荒れ、心臓が跳ねる。ナリタブライアンの精神は今まで経験してこなかった事態に飲まれていく。

 

 ふとナリタブライアンが我に返ったときには既にゴール板を越えており、掲示板のナリタブライアンの名は3着に表示されていた。

 1着、トウカイテイオー。2着、ナイスネイチャ。世代交代はまだ早い。

 

「ッ……最後の……」

 

 アレさえなければ。もう少しトレーナーの言葉に耳を傾けていれば。そう言いかけてナリタブライアンは口を噤んだ。言い訳はいくらでも湧いてくる。しかし、ナリタブライアンの矜持が言い訳を許さなかった。

 だが、ナリタブライアンは無表情気味である割に感情が表情に出やすい。おおよそ何を考えているのか分かったのか、トウカイテイオーがナリタブライアンに声をかけた。

 

「お疲れ様、ブライアン。それと……最後のアレ、食らったのはブライアンだけじゃないよ?」

 

「……そう、なのか……?」

 

 そんなことで嘘をつく意味はないとわかっていても、にわかには信じがたかった。ナリタブライアンには、むしろあの瞬間トウカイテイオーは更に加速したようにさえ見えたからだ。

 そして、それが本当だとするならば――最早なんの余地もなく、完敗だった。

 

「……テイオー」

 

 トウカイテイオーが地下バ道へと足を向ける直前、ナリタブライアンがそれを引き留める。そして、もし仮に負けたとき聞こうと思っていた問いを、トウカイテイオーに投げかけた。

 

「姉貴は、私より強かったか?」

 

 ナリタブライアンの問いに、トウカイテイオーは笑って答える。

 

「うん、手強かったよ。君よりよっぽど、ね」

 

 トウカイテイオーが右手を挙げたのを見て、観客からテイオーコールが鳴り響く。彼女の手はさながら天を衝くかのように、ただ一本、人差し指を立てていた。

 

「ま、ボクとしては、引退レースがただの()()にならなさそうでホッとしてるけどね」

 

 

 

★☆★

 

 

 

 有記念翌週、大晦日。15:00、東京レース場。

 今日行われるのは夢の祭典。綺羅星の如く駆け抜けた優駿たちが夢の続きを駆ける舞台、ドリーム・シリーズのレース。東京2400mで行われる、ドリーム・ウィンター・クラシック。

 マッチレースなどありえない、出走するすべてのウマ娘が伝説級のそれであるこのレースで、しかし人々は「マッチレースになるのではないか」と囁いていた。

 

 1枠1番、『不滅の逃亡者』ツインターボ。

 8枠24番、『"無敵"のスーパーカー』マルゼンスキー。

 

 青と赤、ふたつのエンジンが唸りをあげる。

 

 今日もあなたの夢が、私の夢が走る。

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