万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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スーパーカー

「よかったの? 出なくて」

 

 暮れの東京。大きなレースが終わり普段は閑散としているレース場が、今は大きく揺れている。当然だろう。これから始まろうとしているのは、文字通り夢のレースなのだから。

 その観客席、特等席と言ってもいい場所を陣取ったウマ娘――既にギプスを外しているビゼンニシキが、横に座る旧友へ問いかける。相手の名は言うまでもないだろう。

 ただの観客席さえ玉座に見えるほどの威風堂々とした姿を見て、それが誰かと問いかける日本人はいない。今日本一有名なウマ娘。

 『"絶対"なる皇帝』シンボリルドルフだ。

 

()()()()と戦いたいという猛者は多い。私の我儘でその枠をひとつ埋めてしまうのは気が引けてね」

 

「マルゼンスキーと一番戦いたがっていたのは、ルナ、あなたじゃない?」

 

「……ニシキ、そう呼んでくれるな。私にも世間体というものがある。流石に幼名をこの歳になって呼ばれるのは……」

 

「はぐらかさないでよ」

 

 ビゼンニシキの追及に普段の微笑みを消したシンボリルドルフは、再び、今度は別種の笑みを浮かべて眼下を見下ろす。

 

「私は中央トレセン学園の生徒会長であり、URA特別広報委員だ。観客が何を見たいかは把握している……これはマルゼンスキーとツインターボのレースだ」

 

 他の出走しているウマ娘――幼馴染であるシリウスシンボリさえも敢えて除き、シンボリルドルフはそう答える。

 その笑みはすべてのウマ娘の幸福を願う穏やかな生徒会長のものからは程遠い。

 

「私が出走()たら、主役を簒奪(うば)ってしまうじゃないか」

 

 荒ぶる、君臨せし皇帝の冷笑。

 「それはとても"退屈"なことになる」と嘯くシンボリルドルフを横目に、「やっぱり隠してるだけで本質は変わってないのね」と内心で独り言ち、ビゼンニシキはコースへと視線を戻した。

 

 

 

 マルゼンスキーは今で言うクラシック三冠、当時はまだ八大競走と呼ばれていたそれに出走していない。当時のURAは父母のどちらかが外国人であるウマ娘がそれらのレースへ出走することを禁じていたからだ。

 「誰の邪魔もさせない。大外枠でいい」と言い募った彼女のトレーナーの言葉は、今も多くのファンの間で語り草となっている。

 マルゼンスキーの愛弟子であるサクラチヨノオーが日本ダービーを勝った時も、URAの制度が改定されハーフのウマ娘がクラシックレースに出られるようになったときも、マルゼンスキーの名はまず真っ先に語られた。出ていれば勝っていた『幻の三冠ウマ娘』のひとりとして。

 勿論、嬉しかった。トレーナーが自分のため、必死に規則と戦ってくれたことも。弟子がダービーウマ娘になったことも。可能性ある後輩たちの未来が拓けたことも。

 

 しかしそれと同じくらい、「消費された」という思いがどこかにあった。

 

 もちろんその思いは彼ら彼女らに向けたものではない。自分が日本ダービーに、クラシックレースに出られなかったことを、美談に繋がる()()として消費する世間に対して。

 ドリームシリーズに転属してからも出走したのは初期の数回だけで、それからはたとえシンボリルドルフから挑発交じりに出るように言われても出走しようとしなかったのも、そんな蟠りを抱いたまま走るのが嫌になったからだった。

 

 それが変わった契機は、やはり《ミラ》の存在が大きい。

 良くも悪くも、《ミラ》のトレーナーは自由だった。ウマ娘の希望を第一に、世論の批判は盾となるというトレーナーは少なくない。しかし、真っ向から世間の批判を捻り潰しに行くトレーナーなどどれほどいるのか。

 いかな人格者も大衆からの批判には勝てない。少数の雑音に声を荒げれば最後、それを野蛮と評し無数の矛先を向けられることになる。そうして自分の評判が悪くなればスカウトもままならなくなり、生活に困ることになるし、なにより教え子の評判にも関わる。

 たとえ野次へ攻撃し、撃退に成功したとして、それが大衆からの攻撃に繋がれば元も子もない。

 だから多くのトレーナーは、教え子を守りつつただ耐えることを選ぶ。例えば、トウカイテイオーの初代トレーナーである安井のように。そうすればそのうち少数の雑音は、多数から疎まれるか飽きるかしてどこへともなく消えていく。

 

 しかし網は違った。彼にとって後ろ盾がない故に元から0だった評判も、資産がある故に考えることのない収入の低減も関係ない。

 だから徹底的にやる。自分の考えを押し付けてくる相手に対しては、その弁舌でとことんまで反論する。それで相手が考えを変えるにしろ変えないにしろ引き下がるならそれでいい。意見の相違を認めていないわけではない。

 対してそこで攻撃してくるのなら採算度外視で法に訴える。構図が逆転する。安全な外野からトレーナーを攻撃して人生を危ぶませていた者が追い立てられる側になる。

 それがわかれば、もう迂闊に攻撃などできない。人生を捨ててまで攻撃し続ける価値などないのだから。

 

 清々しいほど自分の道を生きていく網に導かれるように、彼のもとに集ったウマ娘たちも自分の道を貫いていく。その在り方を羨ましいと思った。

 自分のトレーナー以外を選ぶことなど考えたことはない。ただ、網のような存在が、自分がトゥインクルシリーズを走るより前に、せめてドリームシリーズへ入るより前にいてくれたら。

 

(いえ、これ以上はきっと、求めすぎね)

 

 マルゼンスキーは周囲を見渡す。

 かつて諦めた府中の2400m。走るウマ娘はマルゼンスキーを含め、2()4()()。今回のドリームレースで擬えている日本ダービーのフルゲートは18人立てであるが、今回特例処置でこの人数でのレースになった。

 抽選の当選枠を増やさなければいけないとURAを思わせるだけの人数からこのレースへの出走希望が相次いだからだ。そもそもドリームシリーズへ出走できる者がほんの一握りであるにも関わらず。 

 そして今この場にいるウマ娘で、諦めの表情を浮かべている者などひとりとしていない。瞳に宿るのは闘志、戦意、渇望。ウマ娘の本能を剥き出しにした感情。――かつてとある同期が最後まで自分に向けて浮かべてきた表情。

 

(スピちゃん……)

 

 ひとりを思い出せば、他に印象深い同期も思い出される。

 クラシックの一冠を取りながらも評価が伴わず引退後に過酷な労働環境に身を置き、病院のベッドの上で見舞いに行ったマルゼンスキーに「あなたのせいじゃないよ」と微笑んでみせた者。

 『最も運のいいウマ娘が勝つ』と言われる日本ダービーを勝利し「名前通り歴代で一番運がいい」と揶揄されたと笑って話した者。

 マルゼンスキーが思わず足を止めるほどの鬼気迫る勝利への執念を見せ――なお届かず、「何故止まった」と詰め寄り襟首を掴みながら泣き崩れた者。

 ひとりとして、ドリームシリーズへ来ることが叶わなかった。

 背負うものが重いわけではない。背負うことさえできなかった事実が重かった。公式の場で戦えないことが。

 

 パン! と。マルゼンスキーは自身の両頬を打つ。これからレースが始まるのだ。集中しなければ、ここに集まった者たちに失礼だ。そう気を取り直し、先にゲートへ進んでいった者たちを見る。

 

 例えば『開拓の一等星』シリウスシンボリ。

 例えば『百獣の咆哮』レオダーバン。

 例えば『報恩の"忠臣"』サクラチヨノオー。

 

 そして、『不滅の逃亡者』ツインターボ。

 

 胸が躍る。本能が『強敵』だと認めている。早く走らせろとエンジンが空吹かしを繰り返す。

 ゲートに向かって歩を進める。クジの結果、マルゼンスキーにあてがわれたのは奇しくも大外枠。8枠24番という本来有り得ない数字のゲートに入り発走を待つ。

 

 不意に、彼女の隣のゲートに誰かが入った。

 左隣ではない。そこには既にレオダーバンが入っていた。右隣。存在しないはずの、25番。

 そして、立て続けにまた3回。26、27、28番のゲートが埋まる。

 驚いて大外枠のはずの自分よりも更に外枠を見たマルゼンスキーの目に、見覚えのあるウマ娘たちが映る。

 観客も、事態を把握して叫ぶ。興奮と、歓喜と、期待の叫びだ。

 

 皐月賞ウマ娘、ハードバージ。

 ダービーウマ娘、ラッキールーラ。

 菊花賞ウマ娘、プレストウコウ。

 

 そして、ヒシスピード。

 

 ドリームシリーズに来られなかったはずの彼女たちが、そこにいた。

 

 言いたいことはたくさんある。しかし、ゲートの中で、レースの前に、言葉を交わすのは無粋。

 これから思う存分語り合えるのだ。この広大なターフの上で。

 

 マルゼンスキーのクラシックが、始まる。




 なおハクタイセイは嬉しすぎて死んだ。

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