万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
「ふぅん……それじゃあカフェ、君は《ミラ》に入ることにしたと?」
中央トレセン学園の一室、元々は空き教室であったその部屋には既に空き教室の面影はなく、神秘と科学という相反する属性を持った品々で真っ二つに分かれている。
その部屋でソファに腰掛けながらコーヒーをすするマンハッタンカフェに向けて鹿毛のウマ娘、アグネスタキオンはそう問いかけて、手元のカップをザラリと傾けた。
「まだ試用期間です。決まったわけではありません」
「その話が出たのも2週間前だろう? 決まったようなものじゃないか! それだけ近くにいるなら、霊障の洗礼も受けたんだろう? 彼はどう切り抜けたのかな?」
「……なにも」
「……ほう?」
マンハッタンカフェに仮契約を持ちかけた《ミラ》のトレーナー、網馬は、俗に言う零感、つまるところ、怪異に対するチャンネルが一切開いていない人種だったのである。
それは霊が見えないということではない。それだけでは正確ではない。彼は
「ふぅん……それはまた、なんとも拍子抜けな結末だねぇ……君のパートナーは君と同じものを見られるか、霊障に対して『慣れた!』なんて肝の太いことを
「パートナー……というほど近い関係でもありませんよ。彼の伴侶は、強いて言うならアイネスフウジンさんでしょう」
「それにしても、《ミラ》には私も目をつけていたんだけどねぇ。まさかカフェに抜け駆けされるとは……私のことも推薦してくれないかな?」
「抜け駆けした覚えはありませんが……止めておいたほうがいいですよ。恐らく、あなたと彼は反りが合わない」
「……ふぅん? 私は似てると思ったんだがねぇ。彼は私と同じ『理論的な浪漫派』だろう?」
「ある一面を見ればそれも間違っていませんが……近くで見た限り、網馬トレーナーは自作の薬剤とか認めないタイプですよ。博打はするけどそのための無駄なリスクを排するタイプですから」
「よし、《ミラ》は諦めよう。彼とは利益を提示しての情報交換程度にとどめておいたほうがよさそうだ」
清々しいほどに前言を撤回するアグネスタキオン。その判断とマンハッタンカフェの洞察は正しいと言えるだろう。網馬は正しい治験をしていない薬品を認める気はないし、それを自分の身で治験するほど狂ってもいないからだ。
☆★☆
『ハ゛ヤ゛ヒ゛デ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛ッ゛!!!!! ド゛ン゛マ゛イ゛だ゛よ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!』
『スマン、ノイズキャンセリングでほとんど何言っているのか聞こえなかった』
「ヘッドホンの音質良くしたことが凶と出ることってあるんだ」
高音も低音も綺麗に通す高音質ヘッドホンは、爆音を超えた爆発音も正確に伝達しナリタタイシンの鼓膜を破壊した。
UMACORD*1を介しての通話をしているのは、ナリタタイシンがフランスにいるからである。
あの長ったらしい名前のGⅠを勝ったあと、ナリタタイシンはフランスへ飛んだ。そこに滞在し、凱旋門賞に向けて洋芝への馴致を進めているのだ。
そんなナリタタイシンと、日本にいるウイニングチケット、ビワハヤヒデが通話をしているのは、ナリタタイシンのKGⅥ&QEステークス勝利を祝うためではない。*2
『いや、実際強かったよ、メジロマックイーンは。完全に勝利の方程式を――それこそゴールの瞬間までなぞっていたはずなのに、負けていた。正直意味が分からなかった。というより、今も意味がわからない』
サマー・ドリーム・ミドル、阪神レース場2200m。宝塚記念を模したドリームシリーズのレースに出走したビワハヤヒデは、対戦することとなったメジロマックイーンにクビ差で敗れたのだ。
引退当初はドリームシリーズへの出走を否定していたメジロマックイーンだったが、担当トレーナーであった奈瀬によりケーキバイキングと引き換えに出走を受諾。*3ただ、今後も超長距離を走ることはないとのこと。
「脚は大丈夫なの?」
『なんとかな。周りからは引退せずに一年間調整してればよかったのにとも言われたが、走った感覚から計算するとやはり引退したのは正解だったよ……これからまた調整だな』
そもそも、ビワハヤヒデにトゥインクルシリーズに対しての悔いは既に残っていないのだ。人生に一度のクラシックを終え、天皇賞の盾とグランプリの杯をもぎ取っただけで得られる名誉としては十分。そして、勝利の方程式も完成させることができた。であれば、さらなる強者を求めドリームシリーズへ行くほうがむしろ自然だ。
それよりも、ビワハヤヒデは自分より心配する対象がある。それを関係ないこの場で口に出すことこそなかったものの、話題が近づいたことで頭をよぎったことは声のトーンから馴染みのふたりには容易に看破できた。そして、ふたりがそれを察したことも理解できたのだろう、ビワハヤヒデは雰囲気に応える。
『……あぁ、いや。ブライアンについては大丈夫だ。あいつは、強いからな……』
ナリタブライアンは阪神大賞典を勝ったあと、春の天皇賞を前に故障し、今もリハビリを続けている。そんな彼女の走りが見る影もないほどに乱れているのは、素人目にすら明らかだった。
元々、ナリタブライアンの怪物的な走りはその天性の肉体と野性的な勘に支えられたものだった。技術を打ち砕くフィジカルの暴力。だがしかし、それはその肉体と勘のふたつが噛み合ってこそ発揮されるもの。
要は、故障によって歯車が狂ってしまったのだ。噛み合わない感覚と肉体に、調整する技術を培わずに走ってきたツケが響いている。そして力を発揮できていないという事実が、ナリタブライアンを途方もない焦燥感に悩ませていた。肉体のダメージよりもむしろ、メンタルへの影響のほうが心配になるほどに。
しかし、ビワハヤヒデはそれを踏まえて、ナリタブライアンならば克服できると疑っていなかった。それがあるいは、ナリタブライアンという怪物の光を間近で見続けたが故に眼が眩んだ結果だとしても。
そんな理性的――と、自分では思っている――判断で、姉としてのただ心配だという感情を抑えられる程度には。
だから、ビワハヤヒデが心配する相手は、ナリタブライアンではない。
『……最近、タケヒデが口を利いてくれないんだ……』
「……はぁ」
弁解しておくが、ナリタタイシンの口から出たのは溜息ではなく気の抜けた返事である。とはいえ、そりゃそうだと言わなかっただけ頑張ったとも思える。
ビワタケヒデとは、あまり知られていないビワハヤヒデとナリタブライアンの妹である。
重賞を取れる程度の素質は見える。だから才能がないと言ってしまっては他のウマ娘に失礼だろう。だが、それも上ふたりの姉と比べてしまえばほんのちっぽけな光だ。
それがどれだけ彼女のプレッシャーに、コンプレックスになっているか。ナリタブライアンという巨大すぎる光を受けて、己を凡才だと錯覚する
「……思春期ってそんなもんだよ。少し放っといてあげな」
だから、ナリタタイシンはビワハヤヒデの嘆きをそれとなく誤魔化して、ビワタケヒデの精神の安寧を祈るのだった。
★☆★
ゴドルフィンレーシングのとあるチームの間でざわめきが起きていた。
曰く、
その理由も周知のものだった。KGⅥ&QEステークスでの敗戦。それは、勝ち続けてきたラムタラの、『敗北見えぬ者』の初めての挫折だった。
油断していた。慢心していた。本気ではあったが、全力ではあったが、決死ではなかった。だが、それを言い訳にできるほど、彼女は誇りを捨てていなかった。
そして、その程度の挫折で折れるほど、彼女は素直ではなかった。
『一皮剥けたではないか、ラムタラ』
『……ヤゼール。そう、見えるか』
現れたヤゼールと呼ばれたウマ娘は、尊大な態度を隠しもせずにラムタラへそう話しかける。
ラムタラの所属する団体の長、つまり、一国の皇子の娘、すなわち彼女自身も皇族。それがヤゼールの持つ肩書である。
ラムタラが神を名乗るようになったのは、彼女と出逢ってからである。生まれながらの王であったヤゼール。その在り方は、ラムタラの脳に強く焼き付いた。同じ王を目指しても紛い物にしかならないと、そんな確信とともに。
『日本の鬼神に負けたのがよほど響いたと見える』
『……いや、否定はしないけどよ……』
『余は、今の主の顔のほうが好ましいと思う。励め』
言いたいことだけを言ってさっさと去っていった王の背を、ラムタラは何も言えぬまま見送る。口の中で「言われなくとも」と呟いて、ラムタラはトレーニングを再開した。
既に、ラムタラに油断も慢心もない。その瞳に、二度目の敗北は映っていなかった。