万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
「トレーナーさん!?」
「っ……! ヒシアケボノ……」
突然入ってきた自身の担当の姿を見て我に返った飛田は、慌てて網馬の胸ぐらから手を放し、そのまま最敬礼した。
「も、申し訳ない!! 頭に血が上っていた!!」
「いえ……こちらも無神経な言い方でした」
それは本当にそう。
とはいえ、双方の態度にもいたしかたない点はある。網馬は明らかに言い方が悪し様であったが、《ミラ》には元々体が弱い上に自分ではブレーキをかけることができないマーベラスサンデーや、目を離したら壊れているサイレンススズカのような放置できないメンバーがいる上に、海外挑戦を控えているナリタタイシンやシンコウウインディもいる。
さらに言えばそこにいるビコーペガサスはヒシアケボノと同じ短距離からマイルの路線を走るライバルである。そんな状況でヒシアケボノを引き取るというのは、メリットどころかデメリットしかない。
加えて、網馬はまるで気にしていないのだが、世間体というものがある。まだGⅢ級とはいえ有望株であるヒシアケボノを《ミラ》が引き取ったとすれば、邪推する者は少なくないだろう。
その事自体は網馬はまるで気にしないのだが、その邪推がチームメンバーに及ぼすであろう影響にまで考えが至っていない飛田に対しての苛つきはあった。
一方の飛田にも情状酌量の余地がある。そも、事は命に関わることなのだから。
一歩間違えば、間が悪ければ、『流星の貴公子』の悲劇が繰り返されることとなる。《ミラ》のメンバーにさえ、その分岐点はいくつもあったのだ。
にも関わらず、当の担当は既にその瀬戸際を走る覚悟を決めている。トレーナーの名家で厳しく育てられた飛田だからこそ、想定していたよりも遥かに過酷な死地へ担当を送り出すことも、担当の覚悟と望みを無下にすることもできず板挟みになっていた。その結果が、網馬の一言で爆発してしまった訳だった。
普段はカタブツであり仏頂面で厳しくはあるが、声を荒げたり暴力を振るったりすることはなかった飛田の見たことのない行動に、ヒシアケボノは飛田を案ずるように隣に立ち支える。
一方ビコーペガサスは網馬の性格を知っているため、おおよそ非は網馬にあるんだろうなぁと思ったがヒーローなので口には出さなかった。
「……今日はこれで失礼します……どうやら、私は少し頭を冷やした方がいい……」
結局、飛田はヒシアケボノに連れ添われて部屋を出ていった。その背中を、ビコーペガサスは何も言わず見送った。
☆★☆
ビコーペガサスが再び飛田を見かけることになったのは、それから数日後のことだった。偶然ビコーペガサスが通りがかったベンチに、飛田が座っていたのだ。
何をするでもなく、ただ座って地面を見つめているだけ。その姿を見て、ビコーペガサスは無性に声をかけなくてはならないという使命感に襲われた。
「こんにちは、ボノのトレーナー」
「……君は……」
飛田はビコーペガサスの挨拶に反応すると、慌てて居住まいを正し、やや深めに会釈した。
「先日はそちらに迷惑をかけた。すまない」
「あぁいや、多分うちのトレーナーが余計なこと言ったんだと思うし、気にしなくても……」
事実、あの騒動は《ミラ》になんの影響も及ぼさなかった。そもそもあの騒ぎを知っているのは網馬とビコーペガサスだけだし、当の網馬が一切気にしていなかったのだから当たり前である。
飛田はビコーペガサスの返答に「そう、か……」と小さくこぼし、ビコーペガサスから顔を背けて座りなおす。ビコーペガサスはなんとはなしに、その横に座った。
「……君は……君たちは、怖くないのか?」
「へっ?」
「《ミラ》のツインターボ、ライスシャワー、ナリタタイシン……いや、《ミラ》だけじゃない。サッカーボーイ、トウカイテイオー、メジロマックイーン。君たちは死と隣り合わせの場所で、超えるべきでないラインを簡単に超えようとする……走るのが、怖くないのか?」
何度も言うが、彼のそれは決して杞憂ではない。
世の中のウマ娘の割合で言えば、競走ウマ娘でないウマ娘はそれほど少なくはない。走らずに生きる道は決して間違っていないし、そういう選択肢は確実に存在している。
同時に、彼もそれに答えがないことをわかっている。それはいうなれば、彼女たちの『
走ることが怖いのは彼女たちではない。自分なのだと。
「……師に、相談したんだ。『それでよくトレーナーが務まるな』……だとさ」
はっきり言えば、驕っていた。
ヒシアケボノの直前に担当したウマ娘は間違いなく優駿だった。エリザベス女王杯で2着、春秋マイルを同年制覇し『マイルの女王』とまで言われ有終の美を飾って引退した。
掲示板を外したこともなければ、脚部不安に悩まされたこともない。間違いなく優秀なウマ娘だった。
それを自分の手柄だと思ったことはない。しかし、忘れていた。こんなにも近くに、死があるのだという恐怖を。
言ってしまえば、怖気づいたのだ。自分が走るわけでもないのに。あるいは、自分が走るわけではないからこそ。
師の言葉は、そんな飛田の怯懦を的確に捉え、刺し貫いた。
「わからなくなってしまった。ヒシアケボノの無事を祈る私の考えはエゴでしかないのか。彼女と話し合えば合うほどに……」
項垂れる飛田。担当とちゃんと話し合えなんて、そんなありきたりなアドバイスが的を射るような段階はとうに過ぎていた。
だが、そんな飛田に対してビコーペガサスが投げかけた言葉もまた、ありきたりなものだった。
「欲張りでいいんだよ」
項垂れていた飛田は顔を上げて、いつの間にか飛田の前に立ちあがっていたビコーペガサスを見る。会話が繋がっていないように感じたが、しかしその言葉はどこか芯を捉えているようにも思えた。
「欲張り……?」
「うん。ボノのトレーナーはボノに故障してほしくない。もっと言えば、レース中に故障してそのまま死んじゃうのが嫌なんでしょ? でもそれって、走らせちゃいけないってことじゃないよね」
「それは……そうだが……」
無事に走り切れるとは限らない。裏を返せば、走れば故障すると決まったわけではないのだ。そして、レース中に故障をしても、それで死んでしまうとは限らない。
「じゃあ、ボノは走らせて、そのうえで怪我させなければいい」
「……できるのか? そんな都合のいい方法が……」
「わかんないよ。アタシはトレーナーじゃないんだから」
ともすれば無責任にも思えるほどにあっけらかんとビコーペガサスは返した。思わず縋りそうになった直後に梯子を外された飛田はビコーペガサスの顔を見たまま唖然とする。
「怪我をさせない方法って、トレーナーが考えるものじゃないの?」
「それは……そう、だが……」
「うん、だからアタシ
「信じる……」
飛田はそこで、ようやくビコーペガサスが何を言わんとしているのか理解した。
ウマ娘はトレーナーを信じて、トレーナーの教えが無事に帰してくれると信じて走る。だから、トレーナーはウマ娘が無事に帰ってくると信じて送り出す。それは、ウマ娘とトレーナーの関係の初歩だ。前に担当していたウマ娘は、怪我の予感もさせずに走りぬいた。だからいつの間にか意識しなくなり、忘れていた。
「私は……ヒシアケボノを信じ切れていなかったか……」
「それでよくトレーナーが務まるな」と、師の言葉が蘇る。言われて当然だ。パートナーを信じることは、トレーナーとしての義務だ。それすらできないような人間に、トレーナーが務まるはずがない。
「まぁ、アタシは、ボノのトレーナーくらい心配性なトレーナーがいてもいいと思うけどな」
自責し始めた飛田に対して、ビコーペガサスは続ける。
「ボノのトレーナーなら、ボノが怪我しないようになんだってするだろ? それこそ、この間うちのトレーナーに頼みに来たみたいに。それだけボノのことを想ってるんだから、ボノだってボノのトレーナーのこと信じられると思う」
「……そうかな。そう、思ってくれているのかな、彼女は」
「ボノの友達として断言するよ。ボノはそういうやつだから」
飛田はヒシアケボノのことを思い返す。あの体も器も大きな少女の事を。
「……ありがとう。結局、私の覚悟が弱かっただけの話だったんだな」
飛田はビコーペガサスに礼を告げると、ベンチから立ち上がる。
「君のおかげで助かった。この礼は必ずしよう」
「いらないよ」
飛田の言葉に、ビコーペガサスは首を振って、ニカッと笑った。
「人を助けるのは、ヒーローとして当たり前のことだからな!」
ただしD-HEROデストロイフェニックスガイ、テメーはダメだ。