万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
8月上旬、アメリカはサラトガレース場。
行われるレースはジュニアGⅡであるサラトガスペシャルステークス、ダートの6.5ハロン。約1300mで行われるスプリント戦だ。
シンコウウインディの適性距離からは外れているが、そもそも日本だとダートの重賞は3ヶ月は先だし、シンコウウインディのメイクデビューは1200mだ。そして、若干の適性外であることを踏まえても、アメリカの土質をシンコウウインディに体験させることのメリットのほうが、網馬は大きいと考えた結果だった。
同年代の日本のウマ娘と比べても小柄なシンコウウインディは、アメリカのウマ娘と並ぶと体格に歴然とした差があった。平均して頭一つ分ほど凹んでいると言っていい。さらに言えば、ジュニア期を重要視するアメリカのウマ娘はこの時期の体の仕上がりが違っている。それこそ、ジュニア級とクラシック級ほどの差があるのだ。
それをわかっていても、シンコウウインディの目から闘志は消えない。相手がどんな強敵だったとしても、最後の最後まで諦めない。目の前に抜けない壁があったとしても、絶対に噛み付いてやると。
『おっとこれはどうしたことだ!? 最終直線でシンコウウインディ失速!! 故障ではないようだがいったい何があったんだ!?』
『僕には前を走っていたブライトランチに対して噛みつきに行ったように見えたけど』
その通りです。
「ウインディちゃん、正座なの」
「……ウインディちゃんは悪くないのだ」
「正座」
「ハイ」
シンコウウインディ、初の海外遠征、4着。
数字の上で見てみれば、まぁよくやったんじゃないかという結果ではある。ダートが傍流である日本のウマ娘が、ダートの本場アメリカの重賞での初出走で勝ち取った順位なのだから。
さらに言えば、《ミラ》のトレーナーである網馬は担当の勝敗には頓着しない。富にも名誉にも興味のない彼が重要視するのは、面白いレースをするかどうかと、ついでにウマ娘本人の満足である。
とはいえ締めるところは締めなければならない。その点を担っているのが《ミラ》のサブトレーナー、現在日本唯一の凱旋門賞ウマ娘であるお姉ちゃん、アイネスフウジンである。
「ウインディちゃんに噛み癖があるのは知ってるけどあれはダメでしょ」
「あ、あれは、ちょっと、昂ぶったのだ……」
「噛まないようにできる? 目立ちたがりなのはわかるけど、ああいう目立ち方はウインディちゃんの本意じゃないと思うよ」
ツインターボの無呼吸スパートしかり、ライスシャワーのラチ下コーナーしかり、危険度の高い行為はたとえ勝つための戦術であっても、少なからず批判の声はある。
あまつさえシンコウウインディのそれは勝利自体に一切寄与しない、むしろ不利になる行為だ。今でこそ、ネットでの話題は笑い話で済んでいるようだが、これが続くようなら評価がどうなるかはわからない。
「……ちょっと難しいかもしれないのだ……」
「んー……怜さん、どうにかなるなの?」
「ガードでも着けてみたらどうだ? 物理的に噛めないようにすれば変わるだろ」
網馬が提案したのは、口の周りを覆う籠のようなものだった。以前サンデーサイレンスについて調べたときに、関連情報として出てきたのだ。なんでも、サンデーサイレンスの育ての親であり走りの師でもある『
画像付きでシンコウウインディに見せてみたところ、「悪役の拘束具みたいなのだ!」とまんざらでもない様子だった。
「まったくなの……それで、課題は?」
「純粋なフィジカル差だな。単純にあっちが仕上がってるのもあるが、日本の芝ほどじゃないにしろアメリカのダートだと適性が薄い。仕上がりの差はトリプルクラウンの頃には埋まってると思うが、適性に関してはこっちで走り込むしかない」
「どうする? またシアちゃんにお願いするの?」
「いや、そんくらいの金なら俺が出せる」
シアとは、ライスシャワーの友人でありアメリカ出身のウマ娘、先日の宝塚記念を勝利してGⅠタイトルを勝ち取ったダンツシアトルのことである。
去年の今頃などは彼女の別荘を借りてアメリカ合宿と相成ったわけであるが、流石に連年で世話になる訳にはいかない。
結局、シンコウウインディはサブトレーナーであるイナリワン、英語が堪能なツインターボの3人でそのままアメリカに滞在、突発的だがアメリカ合宿を行うこととなった。
なお、2日でイナリワンがキレてウマ娘のシッターを雇うことになったのは完全に余談である。
☆★☆
「おい、そろそろやめておけ。壊れるぞ」
中央トレセン学園旧校舎の校庭にあるトラック。
そこが、シリウスシンボリ率いる非公式チーム《C-Ma》が使うことを
在校生であり現役のドリームシリーズウマ娘であり、しかもトレーナーとしての免許も持っていない――サブトレーナーの免許は持っているものの――シリウスシンボリは当然チームを持つことなどできない。だが、シリウスシンボリによって悪循環からすくい上げられた者の成績はバカに出来ない。
例えば天皇賞を勝ち取ったネーハイシーザー。オークスウマ娘となったチョウカイキャロル。全盛期のナリタブライアンに勝ちきったスターマン。中山障害春秋連覇を達成したアワパラゴン。これだけの優駿が埋もれていたのだ。
「すべてのウマ娘に幸福を」というシンボリルドルフと理事長の理念にも通ずるシリウスシンボリの功績は、明確にルールに違反しない限りの黙認という形で認めることとなった。
「シリウスさん……でもアタシ……」
しかし、実る果もあれば腐る果もある。
よくつるんでいた他のウマ娘たちがことごとく結果を出しているなか、彼女たちのなかで真っ先にOP入りした彼女は、故障の連続で重賞を勝つに至っていなかった。
彼女の競走能力が劣っているとは、シリウスシンボリは考えていない。だからこそ、目の前で苦悩する彼女の姿がひどく痛々しい。
「右脚、治りきってないんだろ。それに、左も最近……」
「……バレてましたか」
「どんな強いやつでもケガには勝てない。それで大事なレースに出られないなんてことになったら、一生後悔するぞ」
そんなウマ娘をひとり知っている。
『最強の戦士』の最後の教え子。無敗で皐月賞を勝っておきながら、故障に泣いてダービーに出られなかったウマ娘を。
無論、出ていたとしても
「……ウス」
そんなシリウスシンボリの心情が伝わったのか、バカ4人組のひとりである彼女は、シリウスシンボリに投げ渡されたタオルで滝のように流していた汗を拭った。彼女自身、焦りがあったことは認めている。
同期であるナリタブライアンの三冠と故障、友人たちの輝かしい活躍、そして、同じく同期であるサクラローレルの、競走能力喪失に等しいとさえ言われている大怪我。
自分の事ではないはずのそれが、まるで死神に「次はお前だ」と言われているように思えた。
「……まぁ、焦ってるのはお前だけじゃないがな」
そう言ってシリウスシンボリが視線を飛ばした先にいたのは、一つ上の姉に似た鋭い目つきと鮮やかな黒鹿毛を持つウマ娘。まるで強迫観念に駆られるように走るその姿は、明らかに追い詰められた人間のそれだった。
「タケヒデ……」
「あいつもあいつで難儀なことだよな……まったく、くだらない」
こちらも、シリウスシンボリには覚えがあった。他でもない自分の事だ。前年に竹馬の友――シリウスシンボリ本人に言えば「腐れ縁だ」と否定するだろうが――であるシンボリルドルフが史上初の無敗三冠を達成し、歴史に名を刻んだ。当然、流れが違うとはいえ同じシンボリ家であるシリウスシンボリにも期待がかかった。そしてそれが原因となり、トレーナー間のトラブルによって皐月賞に出ることができなかったのだから。
「カミサマってのがいるなら、とんでもない下種野郎だな」
それでも、人は神に祈らずにはいられないのだ。一等星は静かに息を吐いた。