万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
3回くらい書き直した結果です。
過去一難産でした。
前走まで、ラムタラはマークする相手に合わせた脚質で走っていた。相手が先行なら先行で、差しなら差しで。そして、ナリタタイシンが相手だった前走では追込で。純然たる才能と能力の暴力だけで勝利していた。
それは競うためだった。今までは、ラムタラは僅差での勝利に固執していた。それはある意味では勝利よりも娯楽を優先したと言える。より正確に言うのならば、ラムタラにとっては勝利は優先せずともついてくるものであったからだ。
しかしそれも、ナリタタイシンに敗北するまでの話。今、ラムタラの望むものは勝利しかない。それ故にラムタラは、この凱旋門で勝つための作戦を選んだ。
ゲートが開くと同時にラビットのウマ娘が勢いよく飛び出していく。欧州において、勝つための逃げというのは未だあまり一般的ではない。個人競技である日本では逃げは各個が勝利するための作戦として認識されているが、チームプレイが許されている欧州では、逃げはイコール仲間を勝たせるための
だから、
一方のナリタタイシンはいつもと同じく追込の位置取り。だが、ナリタタイシンが位置取りを決めようとした直後、目の前に他のウマ娘が割り込んで進路を塞ぐ。さらに、外側から別のウマ娘が、内ラチへと圧迫してきた。
散々馴らしたとはいえ本調子とは言えない重い洋芝の上で躱すこともできず、内側へと押し込まれる。ロンシャンレース場はスタートから1000m地点まで長い直線となっているため、内側を走るメリットはない。
しかし、このまま蓋をされた状態でレースが終盤に入ってしまえば、いくらナリタタイシンの加速力があったからと言って差し切るのは至難の業だろう。
スリップストリームを取られないように、真正面からはややズラしているのが巧妙だ。
(ちっ……鬱陶しいな)
ナリタタイシンは激しいマークと強固なブロックに眉根を寄せながらも、隙がないかと周りを観察する。そうしているうちに、マークを受けているのがナリタタイシンだけではないことに気が付いた。
ラムタラやカーネギー、カーリングといった列強たちは皆、多かれ少なかれ厳しいマークを敷かれていた。流石に、2人がかりというのはナリタタイシンとラムタラくらいのものであったが。
ナリタタイシンと同じくふたりからのマークを受けているラムタラはしかしそれを一顧だにしていない。ナリタタイシンの反骨精神のような精神力の強さではない、神たる余裕から生まれる精神力の強さ。
これまで、チーム《ミラ》のメンバーは欧州のレースにおいて、チーミングでの妨害を受けたことはなかった。それは、アイネスフウジンは欧州には珍しいハイペースの逃げで、ライスシャワーは圧倒的なスタミナですり潰すことで、それぞれマークを寄せ付けなかったからである。
しかし、ナリタタイシンはそうではない。序盤は脚を溜め、終盤で爆発させる典型的な追い込みの直線一気型だ。それ故に、真価を発揮する最終直線以外では付け入る隙がある。最終直線での一気を潰すための、最内への封印。
一方先行するラムタラへは、コーナーでスタミナを無駄使いさせるためにこまめに干渉しながら外へと誘導している。それぞれに有効な潰し方を、しっかりと実践してきていた。
(とはいえ……できることもないよね)
ナリタタイシンは冷静にその位置で追従する。前述の通りロンシャンレース場はスタートから1000m長い直線なので、この状況がただちに悪影響を及ぼすことはない。
それに、この状況を想定していなかったわけではない。序盤から厳しいマークをされることは、網馬からあらかじめ示唆されていた。
というか、フランスでのレースでチーミングによる
だから、
(……なにこれ……どんな脳みそしてたらこんな連携できんの……?)
直線が終わりコーナーへと差し掛かった辺り、ナリタタイシンはこの辺りでブロックに緩みが出るだろうと踏んでいた。前にいるウマ娘は難しいかもしれないが、ナリタタイシンの左側を塞いでいる方なら、少し下がって外側を回ることにはなるが突破できるだろうと。
だが、蓋を開けてみればふたりの連携が崩れることはなかった。横をブロックしているウマ娘が膨らんだから間を抜けようとすれば、前をブロックしているウマ娘がすぐに塞ぎに来る。
それで内が空いたから今度は右を抜けようとしても、前のウマ娘が合わせただけでなく、膨らんでいた横のウマ娘も詰めてきて身動きを封じられる。
これが、ナリタタイシンが加速し始めた直後に横から飛び出してくる形で塞いだのなら違反が取れる。しかし、このブロックの仕方では違反にはならない。
言うは易し、しかして実際に行うとなれば簡単なことではない。特に前を走るウマ娘は、後ろも見ずにナリタタイシンの動きに合わせる必要がある。そも、約70km/hで走りながら細かく位置取りを調整することさえ、並の能力では難儀するのだ。
人間で、車に乗っていて、かつ60km/h前後でも車線変更に苦手意識や恐怖心を持つ者は少なくない。それをより速い速度で走っている生身で、より繊細にコントロールしなければならない。
前後の位置取りならばともかく、左右の位置取り変更はそれほど制御が難しく、容易には行えない技術なのだ。ましてやそれを後ろも見ずに、スリップストリームを取られないように微調整するなど。
コーナーは終盤に差し掛かる。ここを超えれば最終直線の前にある第二の直線、通称『
流石に、ここで最終直線と勘違いしてスパートを始める、なんて間の抜けた姿を露呈するウマ娘は多くない。しかし、「直線が終わらない」という状況は、走者に予想以上の精神的負荷をかける。
焦りは強張りを生み、スタミナを浪費させる。本当にスパートできる距離を見誤らせることもある。最終直線と勘違いしたからではなく、仕掛けどころの感覚を狂わされたがゆえに。
しかし、そもそも現状ナリタタイシンはスパートをかけられる状態にない。偽りの直線に入る直前になっても、ナリタタイシンは特注の檻から脱出できていないからだ。
苦虫を噛み潰したような顔で眼前のウマ娘を睨みつけるナリタタイシン。その眼差しがブロッカーへと突き刺さり、チリチリと皮膚が焦げるようなプレッシャーが彼女を襲った。
しかし彼女は喉から漏れかけた悲鳴を噛み殺し、自分の役割に没頭する。ナリタタイシンの進路は依然塞がれたままだ。
「……シッ」
他方、鋭く息を吐き、ラムタラが神威を振り撒く。ラムタラをマークしていたウマ娘たちは、ただそれだけで目の前が暗闇に覆われたような錯覚にさえ陥った。
不安定になったマークの隙を突き、ラムタラがスパートをかけ始める。その後を追うのはスウェイン、カーネギーも来ている。
その姿を視界に収め、ナリタタイシンはひとつ舌打ちをした。
「焦るなよ、ナリタタイシン……」
関係者席で網馬は呟く。焦燥を顔に浮かべるナリタタイシンとは対照的に、網馬は至極冷静に趨勢を見守る。
網馬の目には勝ち筋が見えている。あとはナリタタイシンがそれを拾えるかどうか。
『
それと同時に、ナリタタイシンの動きを察知したマークマンふたりもナリタタイシンを詰める。同じように速度を落として蓋になるような動きを継続させたのだ。
後ろを確認せずにマーク対象に合わせて位置取りを変える絶技。それは素直に感嘆に値するものだ。仲間の勝利の礎となるために磨かれた技術。前方にいたマークマンはその集大成に手応えを感じていた。
彼女の
「
思考が追いつかない。掠めるように彼女を抜いていったナリタタイシンはすぐに彼女の眼前までレーンを戻す。そして、急激な進路妨害と見做されないようにそのままスパートへ移行した。
その直後、彼女の右側を内ラチが通過して、初めて彼女はナリタタイシンを封じ込めていたラチが一時的に途切れていたのだと気づく。しかし何故。その答えはすぐにやってきた。
『ご、合流地点……!? いや、でもだからって……!!』
『
しかし、それで柵が途切れるのは合流地点ひとつに対して僅か50m程度。時速70kmで走っているならタイムにして2.5秒ほどの、まさに刹那。その間にレーンを変更して、追い越してレーンを戻す。それをやりきらなければ、戻ってくるレーンに正面から衝突する危険行為。
しかし、ナリタタイシンはやり遂げた。『
そして、正真正銘最終直線。ナリタタイシンは間違いなく勝利を射程範囲に捉えた。
『(ッ……ここで来るか、ナリタタイシン……!!)』
背後から近づいてくる鬼気迫る勢いにラムタラが一瞬たじろぐ。しかし、すぐに精神的に立て直したラムタラは、残り400m地点で神威とも呼べるプレッシャーをさらに強く周囲へ叩きつけた。
カーネギーやスウェイン、そしてもちろんナリタタイシンもそれをもろに食らうが、そこは歴戦の優駿であり、さらに特に反骨精神の強いナリタタイシン。勝負どころで増したプレッシャーに潰されることはない。
それはもちろんラムタラも承知の上。だからこれは、ナリタタイシンを狙ったものではない。
ラムタラが狙ったのは、自分を狙っていたふたりのマークマン。ギリギリで粘っていた彼女たちだ。
スタミナも底を突こうとしていながらも意地だけで走っていた彼女たちは、ラムタラのプレッシャーを浴びて遂に心が折れ、急激に失速していく。そんな彼女たちが、壁となってナリタタイシンの眼前に降ってきたのだ。
横にそれるには時間が足りない。彼女たちを躱すには一度速度を下げてからでないと――観客たちの意見は万事休すで染まる。
――網馬以外は。
「そうだナリタタイシン。進め。茨の先に答えはある」
その直後、ナリタタイシンがさらに加速する。まるで壁に突っ込むかのように。
ヤケになったかのような暴挙に観客席から悲鳴があがる。しかし、彼らの予想した悲劇は起こらなかった。
迫ってくるふたりの間、ほんの僅かに空いたその隙間が閉じる前に、ナリタタイシンは
やや体勢を崩しながらも加速し続けるナリタタイシンがラムタラを追う。残り300m。もはや着差は2バ身もない。
ナリタタイシンの頭に過去の記憶が走馬灯のように過ぎる。それは、ナリタタイシンを脆弱に産んでしまったことを涙しながら謝罪する母の姿。
(もう、謝らせないッ!! 勝つんだ、この体でッ!!)
応報を。敵意に仇を、悪意に罰を。そして、慈愛に恩を。今ナリタタイシンは、
食いしばったナリタタイシンの奥歯が砕けるのと、彼女たちがゴール板を踏み抜けるのは同時だった。口の中の違和感を気にする間もなく、ナリタタイシンの目は掲示板へと向く。
フランスロンシャンレース場に沈黙が降りる。誰もが、その決着を固唾を飲んで見守っている。ただひとり、網馬だけが、応急キットを持ってナリタタイシンのもとへ急いでいた。
写真判定が終わり、順位が確定する。その日、歴史は再び更新された。
史上2度目の、日本ウマ娘による凱旋門賞制覇。日本から来た小さな鬼神が、神馬に再び敗北を突きつけた。
凱旋門賞、1着。ナリタタイシン。
それは、ナリタタイシンが真の意味で、すべてに打ち