万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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書く予定なかったから試行錯誤になった閑話です。


【閑話】白百合の述懐

 彼女の人生は決して良いものとは言えないものだった。

 会社員の父と、地方トレセンで2勝クラスだった母の間に生まれた彼女はお世辞にも走りの才に恵まれたとは言えず、彼女自身も中等部で本格化を迎えてから地方トレセンの1勝クラスで現役を終えた。

 競技者としてはまず名を残すことができるような成績ではなく、"かけっこ"と割り切れない程度にウマ娘としての本能に対して真摯でひたむきだった彼女は、最後まで苦悩し続けた。

 その末に、彼女はトレセン学園を辞めた。中等部でピークアウトを迎えたウマ娘が高校でトレセンではない学校へ転入することは、競争が激しく夢破れるものが多い競走ウマ娘界では少ないことではない。彼女もそのひとりだった。消化不良ではあったが、納得してのことだった。

 

 転入した先の高校で彼女は、彼女の心をデビューから支え続けていた同い年の『ファン』の少年と再会を果たした。

 何が琴線に触れたのか、ただの未勝利戦でも勝った時には涙を流して喜んでいた少年。そんなふたりの間に恋心が芽生えるのは当然のことだろう。平均的な青春時代を過ごしたふたりは、高校卒業から程なくして籍を入れた。

 

 共働きでの生活は楽なものではなかった。稼いだ賃金のほとんどを、ふたりの共通の夢である花屋の開店資金として貯金に回していたからだ。

 幸いだったのは、彼女がウマ娘として――どころか、人間と比較しても少食だったことだろう。ウマ娘の支出で高い占有率を誇る食費が大きく浮いたことは、家計への大きな助けになった。

 

 そうして彼女たちが二十代半ばに差し掛かった頃に、府中近くの商店街の片隅でひっそりと、彼女から名前をとった『フラワーショップリリー』はオープンした。

 愛想の良い彼と、小動物のような雰囲気を持つ彼女が経営する花屋は、ちょうどその商店街の同業が店を畳んだタイミングだったこともあって、地元の人間からすぐに受け入れられ、間もなく軌道に乗った。

 生活に余裕が出れば、授かりものもあった。日に日に大きくなるお腹を撫でながら、幸せな日々を過ごしていた、ある日のことだった。

 

 彼が、命を落とした。

 

 なんの前触れもなく、彼の命は事故によって奪われた。車を運転していたのはとある産婦人科の一人息子だった。彼女たちの家から最も近いところにあったのだが、その一人息子の素行がよいとは言えないこともあって避けていたというのに。

 受け取った慰謝料は彼女が現役時代に稼いだ額どころか、ふたりで貯めた開業資金よりも大きな数字になった。自分たちの思い出が小さく見える寂寥感(せきりょうかん)と、彼の命はこの程度のものなのかという憤懣(ふんまん)との間の葛藤で何も手につかない日々。

 そんな中で、彼女はひっそりと破水とともに、誰にも見られることなく彼の忘れ形見を産み落とした。

 近隣住民によって呼ばれた救急車が到着する頃には、へその緒が繋がったまま産声を上げるウマ娘の赤子と、貧血で意識が遠のきつつある彼女が、清潔なタオルケットの上に横たわっていた。

 

 喪中に産まれた娘の存在だけが、彼女の心を支えていた。自分が折れるわけにはいかないのだと。この小さな命を潰えさせるわけにはいかないと。

 亡き夫は実家との折り合いが悪く、義父母を頼ることはできなかったが、幸いなことに彼女の実父母は移り住んで娘の世話を見てくれた。

 状況が状況なだけに、近所の大人たちがあれこれと気を回してくれたことも大きく、彼女の心労は大きく軽減されたのも助けとなっただろう。しかし、これには悪い面もあった。

 

 子供というのは大人が思っているよりも大人の動きに敏感だ。だからこそ、周りの大人がこぞって世話を焼く存在が現れたことを、本能的に「気に入らない」と感じたのだろう。

 彼女の娘――ナリタタイシンと名付けられたウマ娘は、他の子どもたちと大きな隔意を作った状況で育つこととなった。

 そして子供は大人が思うよりよほど狡猾で、ナリタタイシンがうまく周りに馴染めていない理由を、おとなしくて引っ込み思案であると思っていた彼女が本当の理由を知るのは、ナリタタイシンが小学生の高学年になってからになってしまった。

 

 その頃になれば、子供も大人からの注目というようなものは排他の理由としては弱いものになっていた。が、それでも幼い頃から続いている「なんか気に入らない」という感情がなくなるわけではない。

 そして、ナリタタイシンの矮躯はそんな子供たちに、自身の悪感情を理由づけさせるには十分なものだった。より露骨になった行動は、彼女が娘の置かれた状況を把握するのにも、同じく。

 しかし、ナリタタイシンは大人を頼らなかった。いじめの事実をひた隠しにし、母に心配をかけまいとした。それどころか、家事などは進んで引き受け、母の負担を減らそうとし始めた。

 

 そうしたある日、彼女は自身が足枷に思えてしまった。

 ナリタタイシンが隠し続けていながらも半ば察していたいじめの現場を目の当たりにし、堰を切ったように流れ出す涙を止めることもできず、それが優しい娘にとって重荷になると解っていても、懺悔せずにはいられなかった。

 

『もっと大きく生まれたかったよね……ごめんね……』

 

 その言葉が呪いになるとわかっていても、彼女も限界だったのだ。

 支えられて生きてきた。支え合って生きてきた。支えを喪って、娘を支えにしてしまったから、彼女は脆かった。

 産んだのが自分でなければと、そう思ってしまう。自分は娘のために、何もしてやれていないのだ。

 

 自身とは逆に、普通校だった中学から中央トレセン学園へと娘が進学したときは、まるでパンドラの箱だと思った。そこにはきっと、無数の絶望とほんの僅かな希望が入っているのだと。

 娘の才能は稀有なものだと、親の贔屓目なしにそう思っていた。だからこそ、自分が受け継がせてしまった身体は、あまりに重すぎるハンディキャップであり、自分はどこまでも娘の足を引っ張っているのだと打ちのめされた。

 

 それと同時に、寮生活になったがために娘の状況が完全に隔離され、本人からの連絡からしか情報が得られなくなったことで、彼女の想像はネガティブな方向へ行き続ける。

 胃に穴が空いた。吐く日も多くなった。魘されることもまた。仏壇の前で、夫に何度も祈った。どうか娘を守ってほしいと。

 少しでもと娘の情報を欲して、学生限定のアルバイトも雇い始めた。幸いなことに、中央のトレセン学園からもふたりのアルバイトが来ることとなったが、当時はそれほど娘のことは語られなかった。

 2年が経ち、娘がデビューする様子は見られない。彼女の悪い想像が膨らむばかりだったある日、それは一気に好転を見せ始めた。

 

 娘が唐突にデビューする旨を告げたかと思えば、自分には縁さえなかった中央の重賞を立て続けに勝利し、果てにはGⅠ、クラシック戦線の一冠である皐月賞を勝ってしまった。

 あまりにも実感がない出来事。娘の現状がわからないどころか、今や街の至る所が娘のことで持ちきりになった。

 三強としての戦い、ジャパンカップでは日本総大将として力を見せつけ、海外に渡ってまたGⅠを獲った。そして、今。

 

『「小柄でも勝てた」じゃない、「小柄だから勝てた」んだ。アタシは「アタシ」でよかった』

 

 娘にかけてしまった呪いは、祝福へと変わった。

 世界最難関のレースを勝利し、ナリタタイシンはその花を見事に開かせた。

 アルバイトとして雇っていたふたりのトレセン生は、なんの運命かふたりともが娘のチームメイトとなって自身の隣で喜びを分かち合っている。

 

 かつて流した涙の何倍もの涙を流しながら、嗚咽を必死に抑え込む彼女に、最近できた友人たちから声がかけられる。

 

「おめでとう、まぁ今日は飲みな。ウチから特上の酒持ってきてるからさ」

 

「これからが私たちの正念場ですよ。タイシンちゃんが作ってくれたネームバリューで、お客さんすごいことになりますから。うちもそうでしたし」

 

 片や酒屋を経営する肝っ玉母さん。片やヒトミミのお淑やかなママさん。さながら彼女らの娘たちのように三者三様、まるで違った個性を持つ友人たち。

 そんな彼女を見て、もう一組の『親たち』もまた、静かに息をつく。何もしてやれなかったと悔いていたのは、彼らも同じなのだ。傷つき続ける娘を見ながら、できたのは孫の世話くらいだったのだから。

 

「……さて、私たちも祝杯といきましょうか」

 

「そうだな……寿司でもとるか」

 

 ふと、老眼鏡越しに見えた仏壇の遺影に写る青年の笑顔が、普段よりも輝いたような気がしたのは気の所為かあるいは歳の所為か。

 ただ、彼は一度も酌み交わすことのなかった酒を一杯、義息子に供えた。




 コロナ感染→年末年始→再就職とかいう多忙コンボキメられてこのザマです。
 次も遅くなるかもしれませんがエタらないので見捨てないでください。
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