万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
日本時間10月1日、中山レース場。
男はその日、初めてレース場へと足を運んでいた。
それまでの人生、男はとんとウマ娘レースに縁がなかった。よく会う範囲の親戚にウマ娘もおらず、家族揃ってウマ娘レースを観ることもない。正直に言って、あまり興味もなかった。
そんな男をレース場に誘った無二の親友も、男の知る範囲では男と同じようにウマ娘レースに興味を持っていないはずであったのだが、いつの間にかどハマリしており、交通費やチケット代はおろか昼食代まで出すと言い張り男をレース場へ連れ出したのだ。
GⅠレースがある日は少なくとも昼前に来なければ座って観れる席はなくなると言われ、昼食後すぐに引っ張ってこられたにも関わらず立ち見席。GⅠレースを観るからと言われて――GⅠがどうすごいのかもわからないものの――連れてこられた手前、それ以外のレースを観る気にもなれず、友に場所取りを任せて自身はGⅠレース直前までパチンコで時間を潰し、レース30分前に友からの鬼電で連れ戻された男は、満員に近い賑わいを見せるレース場の観客席で、友のうんちくを聞き流しながらボーっとコースの方を眺めていた。
「でよぉ、キャラ作ってる疑惑があってな。この前ウマチューブのライブでホラゲやってたとき自分のこと『わたし』って呼んでから『ライス』って言い直しててよぉ」
「待て待て待て待て。知らん競技に出場する知らん選手のチームメイトの知らないほうがいい裏事情なんか聞きたくねぇよ。胃もたれするわ」
なお、ライスシャワーは別にキャラは作っていないが、自分の容姿なら一人称名前が許されることを自覚してはいる。
男は「今日ここに連れてこられてなかったらあの6万は負けてなかった」とパチンコの大負けを友人に責任転嫁しつつ、しかし貴重な休日を削られたからには少しでも元を取ろうとコースの方を眺めた。
すでに出走するウマ娘たちは半分ほどがゲートに入っており、間もなくレースも始まるだろうといった様子。その中でもひと際目を引くのが、周りのウマ娘から頭一つ抜けている8番のウマ娘だった。
当然、素人である男にはウマ娘の才能など見ただけでわかるはずもなく、この頭一つ抜けているの言うのは実力の比喩表現ではなく物理的な意味でだ。
すなわち、
「デケェ……」
「あぁ、ヒシアケボノ? ダートにいた頃は伸び悩んでたけど芝に来て化けたよね。ここ最近は1着が続いてるし期待できると思うよ。とはいえやっぱりビコーペガサスには劣るかな、昨年のスプリンターズステークスでは2着に入ってるし安田記念も――」
まくしたてるように俄仕込みの知識をひけらかす友人の言葉を聞き流し、男は自分よりも一回りも年下の、一回りも大きな少女に目を奪われていた。
ゲートが開き、先頭に躍り出たのは特徴的な緑のボタンが4つ胸元についた勝負服のウマ娘。それに続いて、黄色と水色の縞模様が入ったちゃんちゃんこのような勝負服を着たウマ娘がつける。集団から飛び抜けて、他を寄せ付けないように走るふたりは互いに好戦的な視線を合わせる。
その後ろ、バ群に揉まれる位置に、彼女はいる。あれだけの乱戦で、レースを観ることに慣れていない男の目にも、彼女の姿はハッキリと捉えられていた。
ワンストロークが大きい。ピッチが遅いわけではない、ただ、ただひたすらに、歩幅が大きい。それはある意味、かの帝王と同じストライドピッチの世界。帝王が天性の柔軟性で成している無法を、彼女は天賦の肉体で押し通す。
ウマ娘たちの踏み鳴らす地面の揺れが心臓の鼓動と共振し、押し出された血流が全身を熱くする。テレビでたまたまやっていたレースの様子を流し見ていたことは、男にもあった。しかし、こればかりはレース場に足を運ばなければ得られない感覚だ。
野次も声援も掻き消してしまいそうなほどの重い重い
瞬きの間にレースは進み後半戦へと移る。スタートでハナを取ったふたりは未だに先頭をキープし続けている。ともすればこのままゴール板を踏み抜いてしまうのではないかと、男の頭にそんな予感がよぎる。しかしその予想はすぐに裏切られた。
それは唐突だった。バ群を割るように現れたのはあの巨体。バ群の中にいたのに誰よりも前にいるようにさえ見えるヒシアケボノが、カーブの遠心力によって外側へと弾き出された。それは質量と遠心力という自然の摂理だ。
会場の一部からは悲鳴さえあがる。メジロアルダン、ケイエスミラクル、トウカイテイオーを例に挙げるまでもなく、ウマ娘の脚はガラスに喩えられるほど繊細で脆い――より正確に言えば、それは物質としての絶対的な剛性に由来する評価ではなく、彼女たちの出力しうるエネルギーと比較してのものなのだが――その上、走っているときは当然の成り行きとして、遠心力が乗った体重を片脚一本で交互に支えなければならないのだから。
最後の直線へほとんどのウマ娘たちが顔を向けた。ここから電撃戦の最終局面が始まる。先頭のふたりは尽き始めたスタミナを振り絞り、短い中山の直線を走りきらんと歯を食いしばる。
だがその時、前にだけ向いていた彼女たちの意識が、斜め後ろに現れた強大すぎる威圧感によって、無理矢理に引っ張られた。
みしりと鳴ったのは、脚か大地か。だがその足取りに、脚が壊れることへの恐怖など微塵もない。ただ己の持てるすべての力を速さに変えて、ヒシアケボノは直線で加速し続ける。
ヒシアケボノはそのパワーにそぐわず、それほど加速するのが早いとはいえない。むしろどちらかといえばズブい部類に入る。それはひとえに、彼女の巨躯故にだ。
だがしかし、いや、だからこそ。
そして、巨大で高速なものに対して、生物は本能的に恐怖を覚えるように設計されている。触れることが命の危機に直結しうるが故に。
人間よりも本能に近い位置で生きているウマ娘に対し、それは劇的で――
「「――ッ!!!?」」
巻き込まれた彼女たちはそれを目にする。
自らを見下ろす巨大な影。天蓋さえ低いと言わんばかりの巨躯が、視線を自分たちへと向けてくるのを。
それは当然、"
観客からしてみれば、ただ外からあがってきたヒシアケボノが、先頭の二人を抜き去ったようにしか見えない。
しかしそれでも、その圧倒的なまでのパワーと巨体は、人々の目を惹きつける。
結局のところ、人間というのは『わかりやすい強さ』を好む。
それは例えば、最初から最後まで破滅寸前のペースで先頭を走り続けるツインターボであったり、最後方からすべてを撫で切るナリタタイシンであったり、圧倒的なまでの着差をつけて勝利するナリタブライアンであったり。中には何もわからないが手品感覚で楽しまれている
ともあれ、だからヒシアケボノの目に見えてわかりやすい、思うがままに振るわれる巨体とパワーに、観客たちは魅せられる。
数多のウマ娘によって踏み鳴らされるドラムのような足音が掻き消されているようにさえ感じる轟音を伴って、ヒシアケボノの体がゴール板を通過する。
その様子を、手を鬱血するほどに握りしめながら観ていたことを、男はたっぷり3分呆けたあとにようやく気づいた。
「どうだった、生のウマ娘レースは……」
「……やべぇ」
男はパチンコで10万勝ったときより興奮していた。*1これほど興奮したのは小学生のとき、湘南の海を見たとき以来だった。あの時両親に「海の男になる!」と嘯いた少年は今、海物語をメイン戦場にする漢になってしまったが、それでもあの日の興奮と海の青さは目に焼き付いていた。
あの青い空と海、そして白い雲が、青と白を基調としたパティシエ風の勝負服に重なって見えた。すべてを包み込む雄大な海。全生命の母。そうか、ヒシアケボノはお母さんだったんだ。ママ〜。
さらに言えば、男は入場チケットでは何となくという理由でヒシアケボノ予想のチケットを購入していた(しかも奢りだからとプレミアムチケット¥50,000-)ため、小うるさい友人(ビコーペガサス単勝一点買い)から引き離され特等席でウイニングライブを観覧することになった。
そう、大波濤である。眼の前でうねる波。上に下にとふたつの大波が引いては寄せて寄せては引く。レースよりも遥かに近くに海が観える波打ち際に立たされた男は、泣きながらペンライトを振っていた。
すべてが終わり、帰りの電車の中で男は友人に尋ねる。
「なぁ……ヒシアケボノが次に出るレースってどれだ……?」
「正式に発表されるまではわからんが、マイルチャンピオンシップには出るんじゃねえかな……11月に京都」
京都。近場だった中山レース場と違い、男にとって少し踏み出しづらい遠出になる。しかし、男の心はもう決まっていた。
自分(168.7cm)より10cm以上背が高いウマ娘でしか抜けなくなった男の姿を、エジプト展の中吊り広告が見つめていた。
お久しぶりです。
転職して仕事の時間が前に一時間後に一時間延びました。