万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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信じられない

 網がナイスネイチャの走りを見てまず覚えたのは、圧倒的な既視感だった。

 あぁ、努力してきたんだなぁ。そう感じさせられる走り。努力してきたみんながやる走り(・・・・・・・・・・・・・・)だ。この道に進むなら、多かれ少なかれ努力なんて誰だってやる。

 この教科書には、テキストには、サイトには、こう走れと書いてある。だからこう走る。それを手がかりに頑張って脚を速くしよう、スタミナをつけよう、パワーをつけよう。そういう走り。

 短距離(スプリント)を走りたいのか、マイルを走りたいのか、中距離(ミドル)か、中長距離(クラシック)か、それとも長距離走者(ステイヤー)になりたいのか。どれにしても中途半端で目的がわからない、強いて言うならスプリンターの才能はないということと、中団で走ると言う手段(・・)だけはハッキリしている。

 

 筋肉の付き具合も歪だ、と言っても、これはアイネスフウジンもそう違わなかった。下半身偏重の筋肉の付き方。名門ではない、ノウハウのない彼女たちにとって、脚を速くすることはイコールで脚を鍛えることに繋がるのだろう。言わずもがな走ることは全身運動だ。全身の筋肉を余すことなく使うことになる。

 アイネスフウジンは『長い期間走る』ことと『マイルが得意だからそのくらいを走る』ことははじめからハッキリしていたから、それを目安において指導することができた。

 『GⅠをとりたい』なら選択肢が多いミドルからクラシックディスタンスに舵を取るし、『誰かに勝ちたい』ならその相手を仮想敵にして勝ち方を教える。あるいは向いていないであろう『短距離で勝ちたい』ならやんわりと向いてないことを伝えつつ、最悪本人が満足するまでマイル転向できる程度に鍛える。

 そのおおよその道筋をつけるための簡単な質問。

 

「貴女は何を目標として走るつもりでいますか?」

 

 それをきっかけとして、網によるナイスネイチャの精神分析は幕を開けた。

 

「えー……と……とりあえず重賞制覇……ですかね?」

 

「ふむ……出てみたい重賞は?」

 

「あー……思いつかないです、すみません……」

 

「いえいえ、重賞とだけ聞かれてパッと出てきませんよね」

 

 にこやかにそう返しながらも、網はナイスネイチャの内面を少しずつ読み取っていく。

 ナイスネイチャには大目標がない。それこそ、コツコツ勝てるレースを勝てればいいとしていたアイネスフウジンと同タイプ。知識にあるのは有名なGⅠレースばかりだが、自分がそんな大きなレースに出られるとも思えない。

 無論、重賞と言うくくりであればGⅠも重賞であるなどという揚げ足を取るまでもなく、こういう手合は妙にGⅠ以外を軽視しがちなのだが、それは単純に感覚が追いついていないと言うだけだろう。

 それならそれでやりようはある。むしろ、下手に理想が固まっていない方がいい。ナイスネイチャはアイネスフウジンほど才能があるわけではない。それなら、走る距離は長いほうがいい。

 

「では、目標に菊花賞を据えて、それに向けて鍛えていくことにしましょう。最終的な目標はGⅠ勝利、菊花賞で達成できたら次の目標を決め、出来なかったら翌年の大阪杯か秋の天皇賞を……」

 

「ちょちょ、ちょ、ちょっと待ってください、菊花賞!? アタシがですか!?」

 

「はい。勝算はありますが?」

 

「レースの映像見たんですよね? アタシですよ!? そ、それに、来年なんですよ? トウカイテイオーも出ますよね!?」

 

「出ますねぇ。あぁ、彼女は無敗三冠を目指しているようですが、対抗して自分もと言うのはやめてくださいね。皐月賞と日本ダービーはツインターボに取らせる予定ですから」

 

 「言いませんよ!」と言おうとして、その直後に続いた言葉にナイスネイチャの思考が止まる。ツインターボに二冠? トウカイテイオーを倒して?

 ツインターボの実力も、トウカイテイオーの実力も、ナイスネイチャは知っている。ツインターボは笑われがちだが、いつかは重賞勝利できるだけの実力がある。だが、トウカイテイオーはそんなものではない。

 

「リップサービスではありませんよ? ツインターボの目標はそのまま『トウカイテイオーに勝つ』ことでして……まぁただトウカイテイオーに勝つというだけでしたら、今の実力でもおふたりとも十分倒せる(・・・・・・・・・・・・・・・・・)んですが……」

 

「嘘ッ!!」

 

 思わず、叫んでいた。それこそ、自分の実力なんてナイスネイチャ自身が一番知っている。トウカイテイオーには、天地がひっくり返っても敵わない。

 自分が夢見たキラキラ(・・・・)を侮辱させたくない。そんな衝動的な激情に任せて、相手が誰かも忘れて叫んでいた。

 机に叩きつけた手のひらがジンジンと痛み、カランと弾き飛んでいった椅子が床に転がる音が聞こえる。ツインターボはその様子に目を丸くしているが、アイネスフウジンは「またやってるの……」と言った表情だ。

 それを、網は冷めた目で見ていた。ちなみに、本人に煽った自覚はまるでない。が、特に反省もしていない。「あっ、ここが地雷かぁ〜」くらいの感覚だった。

 ナイスネイチャとトウカイテイオーの繋がりはツインターボの雑談で出てきたから知っている。ナイスネイチャの馴致(じゅんち)指導員*1はトウカイテイオーの母親、トウカイナチュラルの馴致指導員も務めていたナイスダンサーというウマ娘だ。

 恐らく、その繋がりで幼い頃から交流があったのだろう。そこで強い劣等感を抱くようになった。

 網は心中で述懐しつつ、激昂したナイスネイチャをいなす。

 

「落ち着いてください、何かご不満な点でも?」

 

「っ、あ、いえ、すみません……」

 

「いえ、お気になさらず。いきなりこう言われても疑う気持ちは理解できますので……そうですね、先にトレーニングを見ていただきましょうか。ついでに、ツインターボと模擬レースでもしていただければ、幾分かは納得いただけるのではないかと……」

 

「そう……ですね、じゃあ、それでお願いします……」

 

 怒鳴ったことへの後ろめたさがあるのか、尻すぼみ気味に了承するナイスネイチャ。そんなナイスネイチャを伴って、チーム《ミラ》の3人はいつも通りのトレーニングを始めた。

 まぁ要するに、走らないトレーニングだ。

 

「……えっと、本当にこんな感じなんですか……?」

 

「まぁ、基本こんな感じですね」

 

 現在、制服のままのナイスネイチャとレインコートにスーツ姿の網は、プールサイドからツインターボのトレーニングを見ていた。

 当のツインターボは楽しそうに水底にばら撒かれたゴムだか塩ビだかよくわからない材質の貝型の玩具を拾っていた。皆さん小学生の頃に経験したであろうあれである。

 ただし難易度は当然数段上がっており、ツインターボの片手にはその小物を入れる網に拾った貝が入ったものがあり、機動性は段々失われていく。さらに、ツインターボは3分は潜ったまま拾い続けており、息継ぎをしていない。

 特に訓練をしていない一般人が平均30秒程度、トレーニングを積んでも1分程度であることを考えるとかなりのレベルアップが見てとれる。

 

 一方アイネスフウジンが下半身のストレッチを終えたあと始めたのは、プールサイドに敷いたマットの上での、青竹踏みonバランスボードである。

 見たまんま、バランス感覚を鍛える円形タイプのバランスボードの上に、半分に割った青竹を接着しただけの代物だ。

 一見とてもではないがウマ娘のトレーニングとは思えない、精々ダイエットみたいな光景だが、網が真面目に考えて効果的と判断したトレーニングである。

 青竹踏みは足裏の感覚を向上させる効果がある。重い芝でも正確に力を加えて走るための基礎トレーニングだ。バランスボードはもののついでにバランス感覚も鍛えておこうと言うだけだが、不規則な重心の移動が足裏への刺激になるという嬉しい偶然があった。

 まぁつまり、来年のフランス遠征に向けたトレーニングなのである。

 

 今回はナイスネイチャがいるから、プールサイドでもできるこのトレーニングをやらせているが、普段はツインターボが水泳部になっている間はアイネスフウジンはひとりでダートや坂路を走っている。

 ちなみに、網自身坂路の有用性を深く理解できているわけではなく、「関節にダメージいってないな……やり得か?」程度の考えでやらせているため、サブの練習項目である。

 

「……これ、アイネスフウジンさんも……?」

 

「去年の今頃は泳いでましたね」

 

 アイネスフウジンの顔をちら見するナイスネイチャ。苦笑いのアイネスフウジン。学園の基礎メニューにも水泳はあるが、ここまでガッツリ泳ぐとは思わなかったという気持ちと、トレーニングと言うからには走るものだと思っていたという気持ちは、同じ市井の出としては痛いほどわかる。

 でも、効果的なのだ、これが。

 

「ツインターボ、そろそろ模擬レースをしますから一度上がってシャワーを浴びてきてください」

 

「ガボボボ(トレーナーの敬語やっぱ気持ち悪いな)」

 

「では、ナイスネイチャさんも用意をして第3グラウンドに来てください」

 

「は、はい……」

 

 また3……などと呟きながら去っていくナイスネイチャとツインターボを見送り、アイネスフウジンが後片付けをしながら網に問いかける。

 

「それで、どんな感じなの?」

 

「才能で言えばツインターボ以上お前以下くらい。普通にものになるしトウカイテイオーに勝てるってのもマジ。GⅠのふたつみっつとれんじゃねえか?」

 

「問題はメンタル?」

 

「メンタルだな、間違いなく」

 

 露骨に面倒くさそうな顔をする網に、アイネスフウジンは苦笑する。

 

「でも担当するつもりなんだ」

 

「放置してたら見ててイライラしそうでな」

 

「昔の自分と被るから?」

 

 真顔でアイネスフウジンの顔を見る網。ニヤつくアイネスフウジン。

 網は軽くアイネスフウジンの鼻をつまんで引っ張る。

 

「ぷぇ〜〜……」

 

「おもしれぇ口利くようになったなぁおいお姉ちゃん。妹さんに悪影響じゃねえか?」

 

「トレーナーに似ちゃったの〜」

 

 網が昔のことを欠片も気にしていないことを知っているからこそのからかい。アイネスフウジンはこのあたりの距離感を掴むのが抜群に上手かった。

 

「それで、そのメンタル面はなんとかなりそうなの?」

 

「できるだけ穏便な方法でなんとかするが、ダービーに間に合わなきゃ荒療治だ」

 

「あれ? ダービーはターボちゃんにとらせるんじゃないの?」

 

「単純に時間の問題だよ。ダービーあたりに間に合わなきゃ菊花にも間に合わん。皐月は出さんがダービーには出して、GⅠの空気に慣れてもらわなきゃ直るもんも直らん」

 

 後片付けを終えたふたりが第3グラウンドへ向かうと、ツインターボとナイスネイチャがそれぞれ準備を終えていた。

 軽くウォーミングアップをしていただけのナイスネイチャに対してツインターボが「ストレッチはちゃんとやっといたほうがいいぞ!」と声をかけ、何か釈然としない気持ちを抱えながらも体を伸ばすナイスネイチャがいたことは余談である。

 

「ふたりとも準備はできてますね。距離はジュニア級であることを考えて芝の1600m、右回り。ナイスネイチャさんの要望があれば1800mか2000mにもできますが……」

 

「……じゃあ、2000mでお願いします」

 

 ナイスネイチャの心中、無意識のちょっとした打算があった。スタミナに自信があるわけではないが、距離が長いほどツインターボがバテる確率は上がる。

 闘志とはまた違う、仄暗い『負けたくない』という感情を抱いたまま、ナイスネイチャはゲートへ向かった。

*1
馴致は慣れさせること、馴染ませること。実際の馬では乗馬馴致、幼駒馴致などとして使用するが、当作品での馴致は主に「子供の頃に基礎的な走り方を教える」ことを指すものとする。


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