万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
1000mまでは余裕だった。1400m過ぎたあたりで疑問に変わり、1600mで焦りに変わった。1800mで確信に変わったそれは、2000mで衝撃に変わった。
いつもの如く、スタートと同時に飛び出したツインターボを、ナイスネイチャは後ろから追走する。いずれ息を切らして垂れてくるだろうとたかをくくって脚を溜めていた。
侮り。相手が見知ったツインターボであること、その実力を知っていると思い込んでいたからこその油断。
ナイスネイチャとツインターボが最後に模擬レースを行ったのは4ヶ月前。その間、自分がほとんど成長していなかったが故に、そんなものだと認識していた。
だが現実はどうだ。一向に垂れてこないツインターボをよくよく観察してみれば、そのランニングフォームが見違えていることくらいわかる。
以前のダバダバと擬音が出ているような走りではない、まだ荒削りではあるものの形になりつつある無駄の少ない走り。
垂れるどころかコーナーでさらに差を広げられそうになり、ナイスネイチャはようやく自身の間違いに気づく。ここで急いで早仕掛けを始めた行動力には光るものがあるだろう。
だが、それでは足りない。はっきり言ってしまえば、ナイスネイチャがツインターボに勝つことのできる手段は、はじめからひとつとして存在していなかった。
その理由も、ひどく単純な彼我の力量差。ステータス差による蹂躙。
4バ身。ツインターボにつけられた着差。そのことを噛み締めながら、荒れた息を飲み込んだナイスネイチャはツインターボを見る。
以前はレース後、精根尽き果てたかのように地面に転がっていたツインターボは、息は絶え絶えであるもののしっかりと立ってウォームダウンを行っている。
「お疲れ様なの」
「うひゃっ!?」
ひんやりとした感覚が急に頬に触れ、変な声を出してしまったナイスネイチャが思わず振り向くと、いたずらな顔をしたアイネスフウジンがスポーツドリンクを持って立っていた。
「水分補給、大事なの。汗びっしょりだよ?」
「あ、あぁはい、ありがとうございます……」
友人の様変わりした走りに身も心も追いつかず、半ば呆けたままそれを受け取るナイスネイチャ。実際、ツインターボの力のつき方は目覚ましいものがある。
ツインターボは物覚えが悪かった。そりゃあもうとことん悪かった。頭にも体にも使われない栄養はどこへ行っているのか首を傾げざるを得ないほどだ。
一方で、体の覚えはよかった。元々字が綺麗だったりムーンウォークが得意だったりと、脳を使わない体で覚えるようなことはぐんぐん吸収するタイプだったのだ。
だから、網馬はとにかく正しいランニングフォームを反復練習で覚えさせた。その結果がこれだ。
「どうだった? 走ってみて」
「……速かったとは思います……でも……」
トウカイテイオーよりも強いとは思えない。
ナイスネイチャの中で、その考えに変わりはなかった。だが網馬は、今のままの自分たちでもトウカイテイオーを倒すのに十分と言ってのけたのだ。
その真意を知りたい。どんな考えで、その答えに至ったのか。
「すみません、《ミラ》のトレーナーさん」
だからその答えをナイスネイチャは網馬へ問いただす。
「どうして、トウカイテイオーに勝てると思うんですか?」
「お答えできません」
返ってきたのは簡潔過ぎる拒絶だった。
「は……はぁ!?」
「いえ、お答えすることそれ自体は簡単なんですけど、どうやらナイスネイチャさんはトウカイテイオーに対して強いこだわりがあるご様子。仮にその貴女がトウカイテイオーに抱くイメージが変わり、人間関係に齟齬が出たとき、今のままでは責任をとれないんですよ。これでもトレーナーなので、口にする言葉には社会的な責任が伴う身ですから」
そこまで言われれば、ナイスネイチャにも何を言わんとしているかわかる。それと同時に、これは挑発だ。
ナイスネイチャは勝てないと思った。網馬は勝てると思っている。幼い頃から間近でそのキラキラを見続けてきたナイスネイチャより自分の方が正しくトウカイテイオーを理解できているとそう言っているのだ。
無論、運動後の血圧上昇に伴い頭に血が上ったナイスネイチャの思い込みによるものが強いこの考えではあるが、網馬にそんな挑発的な考えがまるでないことを除けば、遠回しにそう言っているも同じというのは間違っていない。
「わかりました。なら、アタシ、《ミラ》に入ります」
「……それでは、契約書類の準備をしましょう」
先にシャワーを浴びてくるようにとナイスネイチャとツインターボに促す網馬と、それに素直に従うふたり。
そしてそれを眺めて「やっぱりああいう台詞似合うなぁ」などと考える
シャワーを浴びて再び頭が冷えたナイスネイチャは先程の自分の醜態に内心悶絶し、冷や汗だか脂汗だかを垂らしながら書類を書いていた。
目の前にはにこやかな(胡散臭い)トレーナー。横にはツインターボを膝に乗せたアイネスフウジンが座っている。
現在地はチームの部室……ではない。エントランスホールの一角にあるカフェテリアのような場所だ。周囲には他の生徒たちの姿も見える。
網馬自身アイネスフウジンに付随して……いや、ウマ娘間ではアイネスフウジンに負けず劣らず高い知名度を持つようになった。ウマ娘にとってはアイネスフウジンは憧れの対象であり、そんなアイネスフウジンを育てたトレーナーにスカウトされれば自分も、という発想が出るのは自然な成り行きである。
そんなわけで、いくら胡散臭いとは言え有名人。しかも多くの生徒はオグタマライブでのタマモクロスやオグリキャップからの人物評を聞いているため、網馬に対する警戒の眼差しはかなり緩くなっている。
強いて言うなら、名門出身の警戒心が強いウマ娘であったり、単純に臆病、あるいは人見知りなウマ娘からは遠巻きにされたり避けられたりする程度だ。
とはいえ、そんな有名人ふたりと別の意味で有名なツインターボ、顔の広いナイスネイチャが集まっていれば、当然注目は集まる。網馬の狙い通りであった。
ナイスネイチャから書き終わった書類を受け取った網馬が事務受付へ席を立って、ようやくナイスネイチャは息を入れることができた。
先程までの自分の行動にどうにも納得がいかない。頭に血が上りやすい状況ではあったとはいえ、あそこまでカッとなりやすかっただろうかとナイスネイチャは首を捻る。
しかし、結局答えが出ないままに網馬が戻ってきてしまったため、改めて網馬と相対する。
「では先程の続きですね。おふたりがトウカイテイオーに勝てると言った理由……の前に、まずひとつ勘違いしているようなので正しておきますと、トウカイテイオーに勝つために、
「……へ?」
梯子を外されたような感覚に呆気にとられた声が盛れるナイスネイチャ。そんな反応も想定内だった網馬は、さらに続ける。
「確かにトウカイテイオーは才能豊かで強いウマ娘だ。間違いありません。柔軟な筋肉に天性のバネ、それを使いこなす本能に学習能力を持ち合わせている。弱いわけがない。しかし、『だから負けない』なんて口が裂けても言えないんですよ」
今の世で『絶対』の二文字を名乗ることが許されるのはただひとり。そしてそれはトウカイテイオーではないと、網馬は言う。
ナイスネイチャだってそれは知っている。上には上がいる。トウカイテイオーが憧れ、慕う存在。しかしそれは自分たちよりも当然格上の存在だ。
「そしてその『絶対』でさえ3度……あるいは2度敗北している。まぁ皇帝に土をつけた彼女たちが
王を殺すのは王ではない。兵士も、処刑人も、暗殺者も、あるいは民衆も、王より下の存在だ。網馬はそう語る。
「何より、弱点らしい弱点が見当たらない皇帝陛下に比べ、トウカイテイオーには明確な弱点が多くある。精神的に未熟で挑発に弱く掛かりやすい。頭はいいが駆け引きに弱い。瞬間的な判断力に欠ける。
柔軟な筋肉が可能にするピッチ走法相当の回転数を持つストライド走法……『テイオーステップ』は脅威ですが、加速力と速度持続を併せ持つ代わりにs……弱点も併存してしまっている」
双方の走法。くだらない洒落になりかけた文脈を無理矢理かき消した網馬の判断は英断だったと言える。何故ならナイスネイチャのツボだったからだ。間一髪である。
「トウカイテイオーの筋肉が柔らかいと言うこともあって、単純にパワー不足。加速力は回転数で補っていますが、上り坂に弱くコーナーで膨らみやすい。スタミナの消費もピッチ走法相当。総合して、牽制や駆け引きが苦手でスタミナを浪費しやすい。これがトウカイテイオーの弱点です」
圧倒的な分析力。ナイスネイチャがなんとなく感覚だけで気づいていたものも、まったく気づいていなかったものも、それぞれが整理されてまとめられた説明に一切口を出すことができなかった。
「ですから、貴女たちをトウカイテイオーより強くするには相応の時間が必要ですが、トウカイテイオーに勝つという目的を果たすのであれば弱点をつけばいい。納得いただけましたか?」
網馬の言葉には半ばハッタリがある。まずナイスネイチャの実力が網馬の分析より低かったこと。これは先程の模擬レースで発覚したことだが、ツインターボとの着差は開いても2バ身だと予想していた。
だから正直、今のナイスネイチャの実力では作戦があっても足りない。それをわざわざ告げる必要はないと判断したから言っていないが。
今はまず、ナイスネイチャが劣等感の中で自分を守るために培ってきてしまった誤った価値観を少しずつ破壊し、正しい知識を与える。それが網馬の目的だった。
(しかし、一気にやり過ぎると拒絶反応が起こるんだよなぁ……加減が面倒クセェ)
思考回路がオーバーフローしてしまったナイスネイチャをツインターボに任せて今日は解散とし、アイネスフウジンを伴って部室へ戻ってきた網馬がナイスネイチャをどこから籠絡していくか考えていると、アイネスフウジンが少し緊張した様子で話しかける。
「トレーナー、聞きたいことあるんだけど……さっきの説明、テイオーちゃんが故障する可能性については敢えて触れなかったの?」
流石に気づいてなかったことないよね? と言外に問いかけるアイネスフウジンに、網馬は溜め息をついた。
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