万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
「ナイスネイチャ、貴女はこっちです」
ナイスネイチャは外へトレーニングに行くチームメイトを追おうとして網馬に呼び止められた。
結局、ナイスネイチャは網馬の率いるチーム《ミラ》へ加入した。ナイスネイチャの加入後すぐにライスシャワーなる先輩が加入してきて、同時に3人!? などと驚いたが、どうやらライスシャワーは来年のデビューであるようだ。
流石に同世代3人となるとトレーナーひとりでは誰かしらおざなりになることは明白であるので当然と言えるだろう。そういったことができるのは、サブトレーナーなどを擁している大人数チームくらいだ。
と、そこまで考えて、ナイスネイチャはその同期の姿が見当たらないことに気がつく。
「トレーナー、ターボが見当たらないんだけど……」
「ツインターボは今日メイクデビューなのでいませんよ」
「へぇっ!? ホントに? それ見に行かなくていいやつなの……? ていうか、ついていかなくていいの!?」
「知り合いに付き添いを頼んであります。それに、今回のレースは見たところで大して参考になりません」
ナイスネイチャは社交的に見えて人との間に壁を作るタイプの性格をしているが、反面他者との距離感を掴むのがうまい。観察力とか視野の広さとか、呼吸を読むのがうまいのだ。
そんなわけで、トレーナー相手にも基本的には敬語を使わなくなった。ただでさえこのトレーナーは基本的に敬語人間なので、ある程度距離を詰めるにはナイスネイチャの側から寄る必要があったのだ。
とはいえ、ナイスネイチャの目から見れば網馬の態度には不自然さというか、ぎこちなさが見て取れるため、裏になにかあることには勘付いているのだが。
これは網馬の敬語が下手であるというわけではない。彼とて幼少期から悪意の坩堝で揉まれて育っている。素人相手はもちろん、相応の経験者相手にも簡単にボロは出さない。
単純に、ナイスネイチャの観察力が高すぎることがその理由だ。多くの人間に囲まれて生きてきたのは――そこに善意か悪意かの差はあれど――ナイスネイチャも同じだ。それだけ多くの人を見てきた。
そして、ナイスネイチャ本人もその仄暗い卑屈さと劣等感、自己嫌悪を覆い隠すために、社交的でのんびりとした表面的な性格を取り繕っている。そんなある種のシンパシーが、ナイスネイチャの嗅覚を鋭くさせていた。
そうして他者を観察する癖が、彼女の卑屈をさらに歪ませる原因にもなっているわけだから一長一短ではあるのだが。
そんなナイスネイチャからの追及に網馬は動じずに返すが、当然その意味がよくわからずに首をひねる。
そんなナイスネイチャに対して、網馬は出走予定表を見せて答え合わせをした。
「えっ、ちょっとなにこれ!? ターボが出てるのダートじゃないですか!!」
「いい経験になるでしょうし、今のツインターボならダートでも問題なく勝ち抜くことはできますから。彼女の走り方はダートでは有利に働きますし、それならばデータを取られないほうがいい……それに、あまり着差をつけすぎて勝ってしまうと警戒されますからね」
網馬の言っていることは理解できる。トウカイテイオーは多くのウマ娘やトレーナーから注目を受けている。それはつまり、警戒されていると同義だ。
それでいながら、毎回ぶっちぎって勝っている。先日のメイクデビューでもそうだった。あれはトウカイテイオーの本来の走りだろう。自身の底を隠していない、それは自信であり余裕、そして慢心であり油断だ。
研究して小手先の技でどうにかしようとも、この脚ひとつでぶっちぎってやる。そう言えば聞こえはいいが、自分の情報をできるだけ相手に与えないのは戦略の初歩である。それを疎かにするのは明確な失敗だ。
問題は本当にツインターボが勝てるのかであるが、今までのツインターボの姿を見ていれば心配にもなるだろうが、こうして《ミラ》に入ってからのツインターボを見てみれば、恐らく勝つのだろうとナイスネイチャは考えていた。
ツインターボのスタミナは相当強化され、走り方も洗練されてきた。不慣れなダートでの戦いであっても、1600m程度ならそれほど失速せずに完走できるだろう。
大逃げと破滅逃げの違い。それはよくスタミナが保つように計算するか否かと表現されるが、それは別の見方をするならば、スタミナが保つように
道中のスピードを自身の最高速よりも緩め、コース全体をバテずに走りきれるよう計算する。瞬間的な最高速ではなく、コース全体のタイムを合計した時に最高速になるように走るのが大逃げだ。
一方の破滅逃げは違う。大逃げが距離で、バ場の状態で、スタミナで、出力する速度を変えるのに対して、破滅逃げは最高出力を出し続ける。
だから最高速度は大逃げより速いが、失速した分をあわせた合計タイムは遅い。当たり前の論理である。だが、破滅逃げをしてなお足りるほどのスタミナがあるなら。走っている相手は悪夢だろう。
妨害も、牽制も、駆け引きも、撹乱も、あらゆる全てが距離という単純かつ絶対の壁に阻まれ、ただスタミナが切れることを祈るしかないのだ。
強いて言うなら、そんな理を破壊できるのは、理の通じない"
長々と破滅逃げの強さを解説したが、では破滅逃げが強いのかと言われると否である。それは上の解説が『成功すれば』の仮定に伴うものであり、そして破滅逃げは、成功しないから破滅逃げであるからだ。
走る速度と消費するスタミナは正比例しない。 スピードを上げれば、スタミナの消費量は指数関数的に増加する。ステイヤーはマイルでロングスパートかければ強いのではという理論が否定されるのはこれが理由である。いわんや、ゴールまで最高速をなど。
そしてそんな破滅逃げを、ツインターボは網馬の手によって開花させつつあった。無論まだまだ先は長い。完成などしないかもしれないが、最後まで保たずともリードを守りきれれば十分なのだ。
祝福、嫉妬、焦燥、安堵、様々な感情がないまぜになった自分の内面の、負の側面にどうしようもない厭悪を覚えるナイスネイチャを、網馬の声が現実へ引き戻す。
「さて、残っていただいたのは他でもありません。貴女のメイクデビューの日取りですが、来週に決まりました」
「えっ、ちょ、はやっ!?」
「今後のスケジュールと目標を考えて一番遠い日程にしたんです、これでも。もう少し早くお話を持ってきていただければ調整はできたのですが、昨日の今日ですので」
それを言われると、ナイスネイチャに返す言葉はない。うだうだと現実に反抗して時間を浪費したのはナイスネイチャ自身だ。
そんなナイスネイチャに網馬は無慈悲にも宣告する。
「ですので、それまでの時間いくらトレーニングに注ぎ込もうと、貴女が強くなる可能性は絶無です」
「……そこは、可能性はありませんとか、ゼロですとか、そういう言い方でよかったんじゃないっすかね……」
絶無て。事実かもしれないけど絶無て。納得できない思いを引きずるナイスネイチャ。しかし、そのナイスネイチャに聞き捨てならない言葉が聞こえる。
「と言うよりも、貴女はそう簡単に強くなれません」
「は……はぁ!!?」
いきなりの衝撃発言、いや、ナイスネイチャにしてみればもはや問題発言だろう。言葉にならない声をあげながら、身振り手振りを最大限使って網馬を問いただす。
「簡単に言えば、色々です。今までの間違ったトレーニングの穴埋めとか、体質とか、根本的な能力限界とか、まだまだ伸びしろはありますが、典型的な晩成型。しかも上がり続けるのではなく、ピークが長く続くタイプです」
「……それ、死刑宣告ってわかって言ってマス?」
お前強くなれないぞ。そんなことを面と向かって言われれば、どれだけ温厚なウマ娘でも後ろ回し蹴りを食らわせるだろう。
しかし、網馬は悪びれもこゆるぎもせずに返す。
「言ったでしょう、勝つのに強い必要などないと」
断言。一見矛盾するその言葉には、しかし有無を言わせぬ説得力がある。
「『弱者の兵法』。貴女にはそれを極めてもらう」
人間は飛ぶ鳥を落とすために石を用いた。人間は泳ぐ魚を曳くために網を用いた。いつだって自然に対して弱者だった人間は、それでも搦手で以て打ち勝ってきた。
運動は酸素を消費する。全身を使う運動は、平常時よりも多くの酸素を求め、容赦なく酸素を奪い取っていく。どこから? 普段使っている
「ナイスネイチャ、貴女の最大の長所はそこにある。貴女は走っているときに脳が使える酸素量が他のウマ娘に比べて抜きん出て多い」
ぐだぐだと、あぁ周りは速いな。脚が重いな。また3着がやっとか。そんなことを考えながら走っていた。己の無力さに述懐しながら、周りの走りに嫉妬しながら。
そんなことを考えながらも、コース取りを間違えたことはない。チャンスを見逃したことはない。間違えなくとも、見逃さなくとも、追いつけるだけの能力はなかったけれど。
「理由はわかりません。しかし、レース中の貴女の視線は、他のウマ娘の数倍は動いている。視野が広く、観察力が高い。レース中に貴女が見ているものは、他者より圧倒的に多い。その情報量を前に、貴女の走りは揺らいでいない。むしろ、安定している」
お馴染み3着。そんな自嘲。大多数のウマ娘が「ふざけるな」と声を上げるだろう、無知ゆえの傲慢な自嘲。
裏を返すまでもないがあえて裏を返すなら、それは馴染めるほどに3着を安定してとれるということだ。
「他者が必死になって体と頭で酸素の奪い合いをして、ようやく普段の数十分の一の速さで頭を回している中で、貴女は悠々と切る手札を選べる」
今までのナイスネイチャには、ターンが回ってきても切る手札がなかった。開いていく差を埋める手札もなく、惰性でパスを宣言するのみ。
しかし、そこで切る手札を持っていたら。
「学びましょう、策を。
その声音の隠しきれない愉悦の色に、ナイスネイチャは網馬の本性をなんとなく感じ取った。
本当にアタシ、キラキラできるのかな。そう考える彼女の目尻は、間違いなくキラキラしていた。
☆★☆
「いやぁ、流石中央所属。とんでもない走り方するね、キミ」
「んぁ? 当たり前だ! ターボはテイオーに勝つ最強のウマ娘だぞ! 芝だってダートだって一番速いんだ! ファンになった!?」
「アハハ、それに個性的だ。キミみたいなのがいっぱいいるのかな、中央。わたしも今からでも目指してみようかな。
「ん? お前も中央に来るのか? よっし! その時はターボの弟子にしてやるぞ!」
「うーん、弟子よりはライバルとして並びたいところだね。ツインターボ、いい名前だ。名前からして速そうだ」
「見る目あるなぁお前! よし、ターボ様が名前を覚えてやろう! 名乗るがよい!」
「ふふ、ツインターボほどじゃないけど、わたしも相当『走る』って感じの名前なんだよね。多分、一発で覚えられるよ」
「わたしの名はハシルショウグン。
砂駆ける描写なし! ドン!