万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
7月3週、チーム《ミラ》のメンバーは中央トレセン学園にいた。7月から8月までを学園で過ごすチームは珍しい。大抵のチームはどこかしら夏合宿を行うことが多いからだ。
網馬曰く「合宿の意図は慰安による効率の向上だ。練習設備や練習環境だけならトレセン学園以上に整っている場所なんて各名門の敷地くらいだろう」との言に、ナイスネイチャの出走予定が重なった結果、7月中は学園でのトレーニング、8月中盤に慰安の催しを行うと発表された。
トレーニング狂じみたところのあるライスシャワー、合宿に惹かれてはいたものの慰安の催しに釣られたツインターボ、つい最近家族と温泉旅行へ行っていたアイネスフウジンから文句は出ず、自身が一因であることもあってナイスネイチャも否やはなかった。
「ナイスネイチャ、《ミラ》に所属して1ヶ月と少し経ちました。加入の際に少しいざこざもありましたし、少々面談をしたいのですが……」
「あ、はい、りょーかい……」
ツインターボとライスシャワーが遠泳へ行くのを見送り、ナイスネイチャはチームの部室で面談を行うことになった。
机を挟んで向こう側には網馬とアイネスフウジンが座っている。
「では、まず強く反応していたトウカイテイオーについてですが、どうでしょう。まだ絶対に勝てないと思いますか?」
「え〜と、正直、まだアタシがテイオーに勝てるっていうのは信じらんないです……ただ、トレーナーの指示や作戦があれば勝てないこともないのかな〜……って」
トウカイテイオーがグラウンドで走っているのを見かけるたび、やはりナイスネイチャはまだトウカイテイオーには届かないと思い知らされる。
前までであれば、勝てたとすればそれはまぐれだと。実力ではないと言い張っていただろう。しかし、今のナイスネイチャには『何がどう勝ちに繋がるか』の知識がある。
すべてが知識通りに上手くいくわけではないだろうが、勝つべくして勝った時は、きっとそれをありのまま受け入れられるだろうとナイスネイチャは認識していた。
「はい、今はそれで十分です。クラシックはそれでも問題は出てこないと思います」
「へ? えーと……そこから先は……」
「知識を積み重ねて自分で作戦を組み立てる訓練ですね」
ナイスネイチャは机にゴンと額をぶつけた。不満ではない。当たり前のことを失念していた自分への呆れであった。
覚えるだけなら誰でもできる。自分で使い所を見極めて、時には理論を分解再構築して応用するところからが本番である。
「それでは、改めてご自分で目標を決めてみてください」
網馬に紙とペンを差し出され、ナイスネイチャは考え始める。自分がどんな答えを求められているのか。
対して、網馬としては、答え自体はそれほど重要視していない。自分の中に一定の目標があるか。曖昧なものではない
しかし、ナイスネイチャはしっかりと成長を遂げていた。
「えー……と、まず一度オープン戦に格上挑戦したいですね。肌で感じたんですけど、多分条件戦の間は実力自体にそれほど差はないと思うんです」
そこで一度区切って、ナイスネイチャは網馬を窺う。当然、それに過度の反応を返すことはなく、網馬は目で続きを促した。
「多分……オープン特別……いや、リステッド競走*1くらいまでは実力に大きな差がなくて、差がついてくるのはGⅢから先だと思うんです」
「理由は?」
「GⅠ級の実力者が降りてくるのは重賞までだからです。それより下は
ナイスネイチャの考えは的を射ている。理由も概ね正しい。事実、重賞で好走したウマ娘はその後オープン戦以下で走ることが極端に少なくなる。GⅠを複数回勝利しているウマ娘など、GⅢに出ることさえなくなることもある。
これはナイスネイチャの言う通り、ウマ娘の脚が消耗品であるが故にコストパフォーマンスが悪いと言うのがひとつ。観客が同格同士の対戦を求めているというのがひとつ。
そして、同格同士の、いや強敵との勝負を求めているのは、他ならぬウマ娘の本能であるというのも大きい。
「えっと、アタシとしてはまずGⅢを勝っておきたいんですよね。重賞級か違うかで大きな差がありそうなので……ただ、GⅢを絶対に勝てるとはちょっと言い切れないので、先にオープンを勝っておきたいなぁ……って……」
弱気すぎただろうかとナイスネイチャが網馬の様子を再び窺う。網馬も変わらず続きを促すが、雰囲気が固くなったような素振りはない。
(えー……どういう感情なのそれー……あってんの? ダメなの? ゔー……)
ナイスネイチャは網馬の様子から考えの方針を導くのは諦め、玉砕覚悟で最後まで話すことにした。
「それでですね……チームに入ったとき、トレーナーはアタシが菊花賞、皐月賞とダービーをターボで分け合うって言ってたんだけど……アタシとしては、ダービーに出るからには、勝ちを狙いたい、ん、ですよね……」
この発言には、網馬も片眉を上げた。もちろん、悪い意味ではない。網馬としても、出走するからには勝ちを狙うべきではあるという考えが基盤にあるからだ。
その上で、手段としての出走も躊躇わないというだけで。
「自信があるってわけではないんですけど、でも、負けるつもりで挑むのは、なんか、もう嫌かな、って」
「……えぇ、いいと思います。その考えはとても。ツインターボも歓迎するでしょう」
「ヘヘ……えっと、なわけで皐月賞は回避して、ダービートライアルの青葉賞に出てからダービー、その次は神戸新聞杯を踏んで菊花賞。翌年は日経新春杯から始めて、阪神大賞典、春天と通ろうかなって……」
「ふむ……大阪杯でなくていいんですか?」
「えっ、そっちはターボが出るのかなぁって思ってたんだけど……違いました?」
「いえ、そのつもりなら助かります」
ホッと胸をなでおろすナイスネイチャに対して、網馬は感心していた。大まかな流れは自分が想定していたナイスネイチャのローテーションとほぼ同じだったからだ。
正確に言えば、ナイスネイチャは有馬記念にも出られると網馬は思っている。ナイスネイチャがそれに言及しなかったのは、単純に人気上位を取れるとまでは思っていないからだろう。
「では、結論から言いますと、メンタル面の問題はおおよそ改善できたようですね。正直、ここまで早く解消できると思っていなかったので驚いています。何か契機がありましたか?」
「アハハ……いえ、お陰様で……」
「では私から課題ですが、ホープフルステークスに出ましょう。もちろん勝つつもりで挑んでいただきますが、ダービーをとりたいならやはりGⅠの空気には慣れておきたいので」
ホープフルステークス。中山2000mのジュニア級のGⅠ。ある意味、皐月賞の試金石ともなるレースだ。だからこそ、ナイスネイチャはそこにもツインターボを出すものだと思っていた。
「ツインターボの初芝レースは若葉ステークスです。それまでにダートのオープンを何度か走ってもらいますが……ツインターボはまだトウカイテイオーに目をつけられていないので、ギリギリまで意識されないでおきたいんです」
さて、と。網馬が襟を正す。場の空気が緊張したことを感じ取り、ナイスネイチャも居住まいを正した。
「ナイスネイチャのメンタル面も改善が見られたので、これ以上先延ばしにするより、ここで伝えておきたいと思います」
「えーと……アタシなんかしちゃったり……?」
「いえ、トウカイテイオーについてです。貴女は知っておいたほうがいいかな、と」
一拍おいて、網馬はナイスネイチャの目をしっかりと見ながら、躊躇わずに口に出した。
「トウカイテイオーの走り方は負担が大きい。最悪、クラシック期中に故障します」