万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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信じる者は儲かる

 トレーナーの意外な姿を見た日から2ヶ月ほど経ち、アイネスフウジンのメイクデビューの日がやってきた。

 ウマ娘の育成に触れたことのない人間からは、メイクデビューは軽く見られがちである。メイクデビューに出走するウマ娘は玉石混交の新人たちだ。言っては悪いが、その大半は未熟である。

 そこから原石を探し出すことに楽しみを覚える通もいるが、大抵の観客は強いウマ娘が気持ちいいレースをするところが見たいのである。

 

 一方、出走するウマ娘からすればどうかと言えば、端的に言うのならば重賞と同レベルの重圧がかかっていることさえある。

 メイクデビューを勝ち抜けるのは10人程度のうちわずか1人。勝てなければ未勝利戦へと進むことになるが、そこでも勝ち上がれるのは1人。

 そうして未勝利戦に勝てぬままデビュー翌年の9月になれば、参加できる未勝利戦がなくなり強制終了。その後は地方に転属するか障害競走に路線変更するか、引退するかである。

 遠い未来、未勝利戦に勝てぬまま行った格上挑戦に勝利、そのまま重賞まで勝ち進み見事重賞ウマ娘となった『流星のシンデレラ』が現れ未勝利ウマ娘に希望を与えるのだが、それは数少ない例外に過ぎない。

 『1着になれるのはたった1人』の意味合いが、メイクデビュー及び未勝利戦とそれ以外では、少し変わってくるのだ。

 

 だからこそ、メイクデビューの地下バ道というのは空気がヒリつく。重賞レースの『競い合う』雰囲気とはまた違う、焦燥感混じりの『奪い合う』熱気。

 コースに向かう途中で、地下バ道の壁に(モタ)れるトレーナーの姿を見つけて、空気にあてられて弱気が頭をもたげていたアイネスフウジンは、助けを求めるように視線を向けた。

 

「とりあえず軽く流してきてください」

 

 しかし、トレーナーから与えられたのはそんな言葉だった。

 

「へ? え〜っと……」

 

「手を抜けというわけではありませんが、全力も本気も出すまでもありません。ペースを作るとかそういうことを考えずとも、貴女が走りたいように走れば自ずと1着をとれます。レース中の注意として私が教えたことをひとつひとつ確認して来てください。それと、ゴール後のストレッチはきちんとやること」

 

「わ、わかったの!」

 

 叱咤でも激励でもない。しかし、トレーナーは自分の勝利をまるで疑っていない。いや、敗北することを考えてすらいない。

 過信でも盲信でもなく、予習復習までした問題を解いて検算まで行い、答え合わせを待っているといったような雰囲気で投げられた言葉は、思いの外アイネスフウジンの心を軽くした。

 

 ゲートに収まる。この狭く金属質な空間を嫌うウマ娘は多い。本能的に走ることを求める以上、その対極である拘束を嫌がるのは自然とも言える。

 メイクデビューではその傾向は顕著になる。前述の不安や焦り、練習とは異なる本番の重圧がそうさせるのだろう。

 だが、このゲートは必ず開く。一対の扉が作る狭い隙間が広がることだけに意識を集中させると、不思議と周囲の音も気にならなくなった。

 

 ゲートが開けばあっという間だった。軽く大地を蹴ってゲートを飛び出せば、他の足音は瞬く間に後ろへ流れていく。

 内ラチに体を寄せて無理なく思考できる速度を保ちながら、アイネスフウジンはトレーナーの教えを振り返る。身体の上下の揺れを極力なくし、滑るように走ること。上へ向ける力が多いほど前へ向ける力は減り、落下の衝撃は強くなる。

 無駄な力が脚を壊す。ウマ娘と人間とでは体の作りがところどころ異なるが、その一点は同じだとトレーナーは説いた。それは不必要な力を使うなということでもあり、使った力を無駄にするなということでもあった。

 

 後ろから聞こえた足音に気が付き、アイネスフウジンは少しスピードを上げて再び集中する。無駄のないコーナリング、体重移動、上半身の筋肉で下半身を補佐する、下半身に上半身が乗っているだけにならないように。

 正面から風が吹き付ける。いや、アイネスフウジンが空気に体当りしている。間違いなく走ることへの負担にはなっているが、その風がただ気持ちいい。

 もうすぐ次のコーナー、そう思ったとき突然大きな音が鳴って、アイネスフウジンは反射的に耳を伏せた。

 

「へ……? あれ……?」

 

 それが観客の声だと気づき、ゴール板がはるか後方にあることに気づき、レースが自分の勝利で終了したことを掲示板の確定の文字で知ったアイネスフウジン。

 しばらくその実感のなさすぎる勝利に呆然としていたアイネスフウジンは、混乱する頭に次に何をするべきかを尋ねる。どうしよう? えっ、終わり? どうするんだっけ?

 

「……そうだ、ストレッチ」

 

 地下バ道に戻ってからでいいものを、ターフ上でストレッチを始めてしまったアイネスフウジンが我に返るまで、あと2分。ライブは盛況のもとに終わったという。

 

★☆★

 

「ね? 言ったでしょう?」

 

「まったく実感が湧かないなの……」

 

 ウイニングライブが終わって、アイネスフウジンはトレーナーからお褒めの言葉を頂戴すると同時に「おおむね問題なしだが集中し過ぎて周りが見えていなかったのは減点」とぐうの音も出ない指摘をされる。

 

「没入するならいっそ周囲のことなんて目に入らないくらいに没入すべきですね。後ろから突っ込まれたからスパートをかけるのではなく、きちんと自分の体力と現在地を把握して、自分のタイミングでスパートをかけてください」

 

「はーい……でも、勝ったんだぁ……」

 

「えぇ、それはもちろん。文句なしの勝利でした」

 

 事実、網がレース前に言ったとおり、他のウマ娘は敵にもならなかった。アイネスフウジンとそれ以外、そんなレースの様相はかつてのマルゼンスキーを彷彿とさせるものだった。

 メジロ家のライアンとマックイーン。その2人を中心に動くと思われていた世代に現れた旋風。それが今のアイネスフウジンに抱かれているイメージだった。

 レース後に喜びもせずストレッチを始めたのもそれを後押ししていた。本人は混乱していただけだったのだが、ストイックに見られたらしい。

 

「あの、申し訳ありません。今お時間大丈夫でしょうか?」

 

 地下バ道、その中途で話していた2人に話しかける者がいた。その顔に見覚えこそなかったものの、風貌を見れば網はもちろんアイネスフウジンでも十分に素性を推測できた。

 

「私、月刊トゥインクルの乙名史と申します。もしよろしければインタビューをさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

 乙名史と名乗った記者の他にも、数人の記者がインタビューを申し出た。慣れないことに固まるアイネスフウジンを庇うように、網が前に出て矢面に立つ。

 

「アイネスフウジンのトレーナーの網と申します。アイネスフウジンは少々不慣れでして私が対応させていただきますが、よろしいでしょうか?」

 

「はい、それで大丈夫です。ありがとうございます。いやぁ、それにしても素晴らしい走りでした!」

 

 流れるように語りだした乙名史にアイネスフウジンは面食らい、網は半ば聞き流しながら相槌を打つ。一通り語って満足した乙名史は、一息ついてから質問を始めた。

 

「アイネスフウジンさんは1600mを走り終えてもまだ余裕がありそうですが、このままマイル路線に進むおつもりですか? それとも、スタミナを強化して中長距離2400mのオークスを含むティアラ路線まで見据えていますか?」

 

「次走はデイリー杯ジュニアステークス、そのまま朝日杯へ進むことを予定しています」

 

 乙名史の質問にそのまま答えることはなく、少しずれた答えをしかし明確に答えた。「マイル路線に行くのか」と言う問いに対して「次はマイルのGⅡ、その次はGⅠを走る」と答えれば、自然と思考は「マイル路線に行くのだな」と予想する。

 網は日本ダービーを見据えていたが、そのことを明かすつもりがないから遠回しに誤魔化したのだ。

 乙名史がその答えで満足すると、ついで別の男性記者がおずおずと手を挙げた。

 

駿女(しゅんめ)の高橋です。あの……たいへん申し上げにくいのですが、網さんがその……アイネスフウジンさんを脅して契約したのではないかという噂がありまして……」

 

「ち、違うなの!」

 

 その言葉を聞いて、反射的にアイネスフウジンは声を上げた。その誤解は自分が原因だ。自分が変に怖がったりしたから……あれ? いや普通に脅してたよねあの言い回しは? あれ?

 声を出してから改めて思い返して、アイネスフウジンは思考の迷路に迷い込んだ。実際、網には脅しているつもりは毛ほどもなかったが、あの場は確実に網の言い方が悪かった。

 固まってしまったアイネスフウジンの代わりに網が対応を始める。幸い、アイネスフウジンが反射的に返答したおかげで事実と違うということは記者にも伝わっていた。

 

「私、こんな風貌ですから、誤解を受けやすいんです。現在は改善していますが、アイネスフウジンが脚部不安だったことは事実ですし、その改善を契約の条件として提示しましたが、契約自体は両者同意の上で結んでいます。こちら、アイネスフウジンの当時の診断書です」

 

「あぁ、これはどうも……」

 

 質問してきた記者は診断書を見て、その発行元を見て息が詰まった。

 点十字病院。かつて『第三のウマ娘』と呼ばれたウマ娘が友を亡くした無念をきっかけに、自らの賞金の大半を出資して興された病院であり、現在この界隈に限れば最も権威のある病院である。

 本院ではなく分院のひとつではあったが、それでも十分信用に足る権威があった。ちなみにアイネスフウジンは診断書を取っていると知らなかったためそちらに驚いていた。

 

「大変失礼いたしました……!」

 

「いえいえ、こんな顔に生まれたほうが悪いんですよ、ははは」

 

 顔だけのせいじゃない。乙名史以外の全員が思ったが口には出せなかった。

 

「いやぁ、そうそう脚部不安、脚部不安についてなんですけども……」

 

 発せられたそのねっとりとした声音に、思わずアイネスフウジンは警戒をあらわにした。

 目を向けた先で、恰幅のいい中年記者が不気味な笑みを浮かべていた。


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