万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
夏祭り。トレセン学園の生徒たちにとってそれは、府中にある
東京において最大規模の夏祭りであるこの大慶祭は、合宿に行っている生徒を除く多くのトレセン生にとっては夏の一大イベントであり、中には合宿地から大慶祭のためだけに一時期帰還する生徒もいるほどだ。
とは言ってもその内容自体はごく普通の夏祭りであり、春秋のファン感謝祭とは逆にファンたちが屋台を出してウマ娘たちをもてなし交流を行うその雰囲気が唯一の特徴か。
大きなレースが少ない、ある種の空白期間となっている夏季の、ウマ娘たちにとっての貴重な慰安であるため、各名門やトレセン学園、URAなどから開催費のカンパもあり、人手もトレセン学園OGや中央の生徒と交流を持ちたい近隣の地方トレセン生によって十分確保されている。
そんなこともあり、夏のこの時期に府中が最も盛り上がるのが、この大慶祭の3日間なのである。
しかし、そんな夏祭りに一切関わらない人間も存在する。
網馬怜。人混みという存在がゴキブリレベルで嫌いな種族である。
これは彼の生育環境が大きく関わっており、幼少期に半ば無理矢理参加させられていた、資産家や好事家による社交パーティーの、酒と下卑た悪意の臭いを思い出してしまうためである。
そのため、彼は担当しているチームメンバーを夏祭りに送り出してからは、ひとり黙々と自身のトレーナースキルを上げるために勉強を行っていた。
網馬の能力の高さはその観察眼と、ストックした膨大な知識を元としている。言わば検索機構のようなものだ。反面、実を言うと応用能力に乏しい。
彼の応用能力が高く見えるその要因こそが、サンプルとして蓄える知識の量にある。照らし合わせる能力に貧しているのを、量でカバーしているのだ。
だからこそ、網馬にとってそのまますべての能力に直結する知識の蓄積量を、彼は常に磨き続けている。
そんな網馬が勉強の合間にふと窓の外を見たとき、初めてそれの存在に気がついた。
かなりの毛量がある栃栗毛を革製の髪飾りで左右に結っている背の低いウマ娘が、満面の笑みで部屋の中を覗いていた。
網馬は冷静だ。ウマ娘にはとにかく
網馬は勉強の手を止め、席を立って窓を開け対話を試みることにした。
「こんにちはお嬢さん、ここはチーム《ミラ》のチームルームですが、なにかご用事ですか?」
「こんにちマーベラス!!」
網馬はめげない。
例え相手の第一声が自分とは異なる文化圏の挨拶だったとしても。
「ネイチャいますかー?」
「ナイスネイチャのお友達でしたか。彼女なら現地集合だからと既にここを出ましたが……連絡は行っていませんか?」
網馬がそう伝えると、そのウマ娘――マーベラスサンデーは自分のウマホを取り出して確認し、「ワォ!」と呟いた。
「教えてくれてありがとうございマーベラス!」
きちんとお礼を言えるのは偉い。しかしこれはきちんとなのだろうか。そんなことを考えながらも、網馬はそれをおくびにも出さずに、走り去るウマ娘を見送った。
一方のマーベラスサンデーは、会場までの道すがらマーベラス探しをしながらふらふらと歩いていた。
ナイスネイチャのトレーナーはなかなかマーベラスだったと思いながら歩くマーベラスサンデーの耳が、なにやらマーベラスな雰囲気を察知する。
当然そんなマーベラスをマーベラスサンデーが見逃すはずもなく、道を逸れて声が聞こえる方へと歩き始めた。とは言え、元々行く方向からはそう外れていないところでそれは見つかったのだが。
「それじゃあ、マックイーンちゃんの脚は大丈夫そうなの?」
「はい、お陰様で菊花賞には間に合いそうですわ」
「ホント、間に合ってよかったよ!」
そこにいたのは、マーベラスサンデーでも知っているウマ娘たち。アイネスフウジン、メジロマックイーン、メジロライアンの3人だった。
どうやら3人共行き先は大慶祭であるようで、マーベラスサンデーが向かっていたのと同じ方向へ歩いていた。
「わたくしより、おふたりのご友人のほうが心配ですわ」
「タイセイはね……屈腱炎の方はよくなってきてるみたいなんだけど、メンタル面がね……」
「メンタル……なにかよろしくないことがあったんですの……?」
話の流れがマーベラスではない方向へ行き始めたのを察して、マーベラスサンデーは気をしっかりと保つ。
「タイセイって、オグリさんの大ファンなんだよ……」
「あぁ……そうですわね、オグリキャップさんも大変ですわよね……」
オグリキャップ。言わずと知れた『芦毛の怪物』であるが、普段どおりの短いローテーションで、制覇した安田記念から人気投票で堂々の1位をもぎ取って向かった宝塚記念で、オサイチジョージに
そしてその数日後、両腕の
そのため、崇拝レベルの大ファンであったハクタイセイは自身の屈腱炎のことよりもそちらに対して落ち込んでしまっていた。
これに関してはメジロマックイーンも、贔屓球団の応援している選手が故障してしまったときに意気消沈した経験があるため、ハクタイセイに深く同情した。
「元々復帰は来年になる予定だったんだけど、それまでに心が折れないか心配で……」
「大袈裟にも思えるけどありえるの……」
「なるほど……なんとか勇気づけて差し上げたいですわね……」
その後しばらく話は続いていたが何か具体的な案が出ることはなく、今度なにか見舞いを持っていくということで結論がついた。
全体の話の流れとしてはマーベラスではなかったが、その麗しき友情はマーベラスだったので、マーベラスサンデーはとりあえずそれで良しとすることにした。
再び歩き始めたマーベラスサンデーの耳に、再びマーベラスの気配が届いた。
その気配を追って再び道を逸れると、フルーツパーラーのテラス席でシンボリルドルフとトレーナーと思われる男性が話しているのが見えた。
一見すればスキャンダルにも思える光景だが、その男の顔をマーベラスサンデーは見たことがあった。友人であるトウカイテイオーを担当しているトレーナーだ。
シンボリルドルフはトウカイテイオーの馴致を担当した師であると聞いていたため、マーベラスサンデーはふたりの会合をトウカイテイオーのトレーニングについての相談だろうと当たりをつけた。
「それでは、テイオーはなにも……?」
「あぁ。レースについては好調だし、トレーニングをサボることもない、至って平常運転だよ。その平常運転が同期のウマ娘を、少なくともレースの文脈では歯牙にもかけないというのは問題かもしれないけどね」
トウカイテイオーも悪意あってやっているわけではないし、コミュニケーション自体は正常にとっている。
単純に相手を『敵として見れていない』だけだ。油断とも余裕ともとれるが、いい兆候であるとトレーナーは考えていないようだ。
シンボリルドルフもそれは同感だ。確かに、シンボリルドルフの目から見てもトウカイテイオーの仕上がりは目覚ましいものがあり、今の時点ではそれに比肩するウマ娘はいないだろう。
しかし、それはあくまで今の時点ではの話であり、これから急成長を遂げるウマ娘がいないとも限らない。
「まぁ、そのあたりは俺がフォローしてみせるさ。帝王陛下からのご指名があったからにはな」
「あぁ、テイオーをよろしく頼む……そうだ、私について、なにか言っていなかったか?」
「ルドルフさんについて? いや、いつもどおりめちゃくちゃ言ってるけど。『トレーニングが忙しくてカイチョーに会いに行けない!』とか『カイチョー成分が足りない!』とか」
「ふむ……いつもどおりか……」
シンボリルドルフは先日マルゼンスキーから指摘された点を確認してみるも、トレーナーから見て普段の態度に変わりはないようだ。
ただ、マルゼンスキーが言っていた「出会った頃からおかしかった」と言うのが、どうにも頭から離れない。
心に抜けぬトゲを刺したままのシンボリルドルフに、トレーナーは別の話題を取り出した。
「俺から1つ心配なのは、やっぱり怪我だな。俺は
「あぁ……それは私からもフォローしておこう……?」
「どうした?」
「……いや、なんでもない……というより、言語化できない違和感があったんだが……駄目だな、考えてもわからん。今度、直接テイオーに会ってみることにしよう」
「あぁ、そうしてやってくれ」
ふたりの会話はそこで途切れた。
麗しき師弟愛、不穏ではあったがとてもマーベラスであったと、マーベラスサンデーは満足げに歩き出す。
そんな風にあっちこっちと道草を食いながら、他者の倍ほどの時間をかけてようやく目的地へと辿り着いた。
「もー! マベちん遅いよー!」
「まぁまぁ、マーベラスが遅いのはいつものことだから」
「マーベラース! ゴメーン! たくさんのマーベラスを見つけてたから遅くなっちゃった☆」
マーベラスサンデーを待っていたのは今日共に
マヤノトップガン、ナイスネイチャ、そして……
「マーベラスも来たんだし、はやく行こうよ! もうボクはちみー分が切れて禁断症状出そうだよ!」
先程話題に上っていた、トウカイテイオーである。