万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
大慶祭、雰囲気を楽しみたい若者たちが本格的に来始めるのは夕方から夜にかけてであり、まだ日が高いところにある今はそれほど多くの人が詰めかけているわけではない。
屋台で買った遅めの昼食を食べるため、マーベラスサンデーの案内で連れてこられた『穴場スポット』とやらは、本当に他に人がいない……というより、言われなければ気づかないだろう神社の抜け道の先にあった。
雨水が流れ込まないよう、入り口が周りの地面より一段高くなっている、そう大きくない洞穴の入り口。マーベラスサンデーが持ってきていたランプを明かりに、天井のあまり高くない道を少し歩く。
1、2分の間に最奥に辿り着いたそこは、イメージとしては
トレセン学園の一部の生徒間で代々伝わっているというこの一角は、トレセン学園創立から間もない頃に当時のトレセン生の手によって作られたらしく、洞穴自体は天然のものであったらしい。
各々買っていた焼きそばやらたこ焼きやらお好み焼きやらを食べ終えて、息もつかぬうちに射的のような娯楽系の
「いやー、それにしてもテイオーも残るとは意外でしたなぁ。ネイチャさんはてっきりあのふたりと一緒にお祭りを満喫しに行くもんだと思ってましたよ」
「ボクはあそこまで子供っぽくないよぉ! それに、ここもなんか秘密基地っぽくてワクワクするじゃん? ボク気に入っちゃったなぁ」
子供っぽくないと言った直後に子供っぽいことを言い出すトウカイテイオーに、ナイスネイチャは呆れ笑いをこぼす。
しかし、本人を目の前にするとやはりつい考えてしまう、トウカイテイオーの脚にかかっているだろう強い負担。
トウカイテイオーのランニングフォーム、いわゆる『テイオーステップ』を自身でも試してみたナイスネイチャだったが、その負担を味わうどころか、そもそも再現さえすることができなかった。
あのストライド幅で、あのピッチで、走り続けることがどれだけ困難なことか。努力では到底届かない、関節の可動域という限界に阻まれるだけに終わった。
だから、トウカイテイオーの脚がどれほどダメージを受けているのかも、それをトウカイテイオーがどこまで自覚しているのかも、まったくわからない。
「そう言えばさ、ネイチャもやっぱりクラシック三冠、目指すの?」
「へ? あ、うん……皐月賞は回避するけど、ダービーと菊花賞は
唐突に振られた話題にナイスネイチャは少し驚く。対戦相手をあまり気にかけないトウカイテイオーが、大慶祭の最中にクラシック戦線の話題を出してくるとは思っていなかった。
質問に答えながら、ただの世間話だろうと納得したナイスネイチャだったが、トウカイテイオーはさらに深く切り込んだ。
「ふーん……
ナイスネイチャの言葉尻をとらえてそう煽ってくるトウカイテイオー。ナイスネイチャが珍しく強い言葉を使ったのをからかうように笑う。
ナイスネイチャも言葉選びに失敗したことを自覚しながら、しかし訂正する気は起きなかった。
「……うん、そう。当然。出るからには、勝つよ。テイオーにだって」
「! へぇ、言うようになったじゃん、ネイチャ」
トウカイテイオーへの宣戦布告と勝利宣言。今までのナイスネイチャであれば考えられない強気な態度に、トウカイテイオーは面白いものを見たと言うように口角を上げる。
実際、トウカイテイオーはナイスネイチャの実力を高く評価している。当然自身の方が強いことは前提だが、レース中の機転や勝負どころを見逃さない冷静さには特に一目置いていた。
それこそ、敵に回ると厄介だと、思うほどに。
そのナイスネイチャが、
「でも、ダービーも、菊花賞も、当然皐月賞も、このボク、テイオー様のものだ。どれひとつ譲る気はないよ」
「アタシだって譲ってもらう気はないよ。全力で奪い取る」
「アハハッ!! そうこなくっちゃ!!」
威風堂々。当然だ、ナイスネイチャにとってはトウカイテイオーへの挑戦であるが、トウカイテイオーにとっては幾多もの相手から向けられたうちのひとつにすぎない。
トウカイテイオーの態度にその事実を突きつけられ、ナイスネイチャは乾いた笑いが出た。
網馬は言っていた。トウカイテイオーは精神的に未熟ゆえに挑発に弱いと。これのどこが精神的に未熟なのかと、ナイスネイチャは久方ぶりに本心から網馬の言葉を疑った。
「さて、そろそろボクらも行こうか、マヤノたちを待たせすぎても悪いしね」
「あ、うん、そうだよね。行こう」
トウカイテイオーに促され、洞穴を出て大慶祭の会場へと戻ってきたナイスネイチャは、先に屋台で遊んでいるだろうマヤノトップガンとマーベラスサンデーを探す。
すると、屋台の前を避けた道の端になにやら人だかりが出来ているのが見えた。
「なんだろう、あれ」
「さぁ? 行ってみる? ふたりがいるかもしれないし」
ナイスネイチャとトウカイテイオーが人だかりのほうへ近づくと、にわかにトウカイテイオーの耳がピーンと反応した。
「カイチョーの声だ!」
「へ? ちょっ、テイオー!?」
カイチョー! などと言いながら人だかりをかき分けていくトウカイテイオーを、ナイスネイチャができるだけ迷惑をかけないように少しずつ人混みを縫って追っていく。
ナイスネイチャが人だかりの中心に辿り着いたそこには、困ったように笑うシンボリルドルフとその腰にひっついたトウカイテイオーの姿があった。
「ちょいとテイオーさんや。マヤノとマーベラスはどうすんのさ」
「カイチョー優先だよー! ボク最近カイチョーに会えてなくてカイチョー欠乏症になっちゃいそうだったもん!」
アンタはちみーでも同じようなこと言ってなかったかとやや呆れ気味のナイスネイチャをよそに、シンボリルドルフに甘えまくるトウカイテイオー。
そんなトウカイテイオーを撫でながら、シンボリルドルフはナイスネイチャへ話しかける。
「テイオーの友だちかな? いつもテイオーが世話になっている」
「あ、えっと、な、ナイスネイチャって言います! その、テイオーのお母さんがアタシの姉弟子にあたる人で、それで割と昔から付き合いがあって……」
「ほう、ということは私よりよほど深い関係かな?」
「確かにネイチャの方が長いけどカイチョーとの方が深いよ!」
シンボリルドルフの言葉にトウカイテイオーが否を唱えると、ナイスネイチャとシンボリルドルフの表情は苦笑で一致した。
ふと、ナイスネイチャはシンボリルドルフからならトウカイテイオーも無茶な走り方を改めるよう説得できるのではないかと考え、今脚のことを話題に出そうとして、思いとどまった。
今周りには、恐らくはシンボリルドルフ目当ての人だかりがあるし、そうではなくてもシンボリルドルフ自身影響力が大きすぎる。責任をとることができないナイスネイチャが今そのことを話題にするのは無責任だと考えたからだ。
そんなナイスネイチャの様子を緊張したものと思ったからか、シンボリルドルフは自分からナイスネイチャへと話題を振った。
「ナイスネイチャくんは、もしかしてテイオーと同期になるのかな?」
「あ、はい! えと、ついこないだデビューしまして、クラシックはテイオーと当たる予定になります……」
「ふむ、身内贔屓になってしまうが、テイオーは強いだろう。勝つ算段はあるのかな? はっきり言って、ティアラ路線も視野に入れていいと思うが……」
これは、現在のナイスネイチャのことを考えると正しいアドバイスだ。ナイスネイチャとトウカイテイオーとの実力差を覆すのは、それこそ強力なサポートがなければ難しい。
それならば、トウカイテイオーとの対決を避けてティアラ路線を進むというのも確かに1つの手だ。マルゼンスキーから聞いた有望株の中に、ナイスネイチャが挙がっていなかったことも理由のひとつだ。
特に、シンボリルドルフは『ティアラ路線に進んでいれば有望であっただろう好敵手を、クラシック路線で潰してしまった』経験があるために、半ば余計な世話であることを自覚しながらもそう口に出した。
そんなシンボリルドルフに反論したのは、意外なことにトウカイテイオーだった。
「大丈夫だよカイチョー! ネイチャ強いから! ていうか、多分ボクが負けるとしたらネイチャだもん。ボクのライバルだから!」
「て、テイオー!?」
「ほう、テイオーがそこまで言うか……」
「い、いや、アタシなんて突出したところのないごく平凡なウマ娘なんでぇ……ご期待に添えるかどうか……っていうか、テイオーアンタそんな風に思ってたの!?」
トウカイテイオーからの予想外の暴露に一気に平静を失うナイスネイチャと、当然と言った顔を見せるトウカイテイオー。そして、そこまで肩入れする相手がいることを知らなかったシンボリルドルフが三者三様の反応を見せる。
「確かに実力だけならボクの方が絶対強いけど、ネイチャには絶対負けないって言えないもん。油断してたら負けそうな感じがあるし……」
トウカイテイオーの言ったそれは、まさに網馬からの評価とおおよそ同じものだ。網馬が観察眼と知識から分析したそれを、トウカイテイオーは本能的に感じ取っていた。
「それに、ネイチャが所属してるのって《ミラ》じゃん! 今年のダービーウマ娘を育てたトレーナーがいるのにクラシック戦線までに大して実力が伸びないなんてあり得ないもんね」
「ほう、そうか君
「君
「いやなに、先日マルゼンスキーから『《ミラ》に所属するツインターボがトウカイテイオーのライバルになるかもしれない』と聞いてね。今度調べようと思っていたところだったんだ」
そんなシンボリルドルフの言葉にトウカイテイオーは「ツインターボ? 誰それ」と首を傾げているが、ナイスネイチャは驚いていた。まさかあのツインターボがマルゼンスキーとシンボリルドルフに目をつけられていると思っていなかったからだ。
しかも、あのマルゼンスキーをして「トウカイテイオーのライバルになりうる」と言わしめている。ナイスネイチャはその事実を知って、なぜだか嬉しくなった。
「いや〜、そうなんですよ。ツインターボってばアタシなんかより断然強くて、《ミラ》に入ってからは今のところ勝てたことなくて……」
「えー! そんなに強いの? そのツインターボっての……」
「かつての噂通りの彼女がそのまま強くなっているのであれば、私は最も戦いたくないタイプのウマ娘だな……」
シンボリルドルフはすべての能力が高水準に纏まっているが、その真価はレースそのものを支配下に置くほどの制圧能力にある
さながらチェス盤の駒を動かすかのように、シンボリルドルフは他のウマ娘さえ誘導し己の手足の如く
しかし、そんなシンボリルドルフの支配も、ツインターボまでは文字通り『届かない』。
「はは、それは流石に過分な評価かもしれませんけど……まぁ、強いには強いけどバカなんで、この間なんて『テイオーより強い皇帝にも勝つ!!』なんて大口――」
「ムリだよ!!!」
ナイスネイチャの言葉を割って入ったトウカイテイオーの否定にこもった感情の揺らぎは、シンボリルドルフにもナイスネイチャにも大きな衝撃を与えた。
トウカイテイオーと長い年月触れ合ってきた中で、その声は一度も聞いたことのない響きを持っていた。
ナイスネイチャとしては、まぁ「カイチョーに勝てっこないよ!」くらいは言われると思っての言葉だったが、ここまで強い、それこそ怒り半分の否定が入るとは思っていなかったため困惑のさなかにあった。
「テイオー……? どうしたんだ……?」
「ッ! ご、ごめんねカイチョー! ボク他にも友だち待たせてるから!! 今度また生徒会室に遊びに行くね!!」
「あ、ちょ、テイオー!? テ、テイオーがすみません……ちょっとあのアホ追いかけなきゃいけないんで失礼しますっ!」
「あ、あぁ……気にしないでくれ……」
そうまくし立てて、打って変わってその場から逃げ出すかのように離れていったトウカイテイオーを追って、ナイスネイチャも手短に挨拶をしてその場をたつ。
シンボリルドルフはトウカイテイオーの様子にマルゼンスキーの言葉を思い出して、なにか関連があるのではないかと思うに留まったが、トウカイテイオーの表情が見えていたナイスネイチャはそんなトウカイテイオーに危ない感覚を抱いていた。
ほんの一瞬、あの一瞬にだけ見せた、切羽詰まったような、追い詰められたような、普段のトウカイテイオーではあり得ない暗く淀んだその表情に。
そのあとなんとかトウカイテイオーやマヤノトップガンたちと合流できたナイスネイチャだったが、トウカイテイオーの様子はいつもどおりに戻っていて、結局なにも聞き出すことはできなかった。