万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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華麗なるお嬢様

 11月3週、京都レース場、マイルチャンピオンシップ開催。

 

 レース直前の地下バ道、18名の出走者たちが各々のルーティンをこなすなかで、そのウマ娘は現れた。

 桃色を基調とした勝負服にサンバイザー、胸元には緑のバツ印。シニア級で安田記念と高松宮記念のGⅠ2勝をあげているバンブーメモリーを押しのけ、初のシニアレースにも拘わらず一番人気に躍り出た今年のダービーウマ娘。

 『レースを綾なす風神』アイネスフウジン。

 

 自然、多くの視線がアイネスフウジンへと向く。彼女は既にマイルのGⅠを2勝しており、また、マイルチャンピオンシップと同じ淀での開催であるデイリー杯ジュニアステークスも制覇している。意識しないことなどできない。

 さらに言えば、後方有利である府中の2400mでさえ、このアイネスフウジンは逃げ切っている。しかも、メジロの刺客とハイセイコーの愛弟子を振り切って。

 今日はそれよりも800mも短い。アイネスフウジンがハイペースを崩すことは、ほぼあり得ない。朝日杯、NHKマイル、日本ダービーの3つ全てでレコードを打ち立てたその脚が、垂れてくるという希望的観測はしてはならない。

 間違いなくこのレースでも、レコードを出してくる。

 

「……要はこっちもレコードを出せばいい。それだけ」

 

 そう言ったのは、水色のジャージのようなラフな上下に赤いリボンをぐるぐると巻き、最後にタスキのように斜めに結んだ特徴的な勝負服を着た、調子が良さげな鹿毛のウマ娘。

 目立った戦績はないが、CBC賞でバンブーメモリーを破った経験がある彼女の言葉は、その場のウマ娘から2種類の反応を引き出した。

 怖気づくか、奮い立つか。

 

(……シニア級でも逃げ腰になる方は多いのですね)

 

 彼女はそのどちらでもなかった。

 走るならば頂点を目指すのは当然、今更諭されるようなことではない。怖気づいた者は言うまでもなく、この程度で蒙を啓かれるような凡愚と同じであってはならないと己を律する。

 白いインナーのワンピースドレスに紫のジャケット。胸元にはアクセントの赤いリボン。

 今年の桜の女王にして、バンブーメモリーを下したスプリンターズステークスの勝者、『華麗なる一族』ダイイチルビーだ。

 

(脚質は大きな問題ではありません。要はこの1600mを誰より速く駆け抜ければいい)

 

 それは、このターフにおいて絶対の真理。最後に求められるものはただ、速さ。相手がどう走るかなどというのは、究極的には関係ない。

 そう考えれば、始めはあまり気に入っていなかった追い込みという脚質にも、抜かなければならない相手が常に見えているという利点がある。

 アイネスフウジンには作戦という作戦はないし、あったとしても距離の壁でほとんど関係ない。ならば、本当に勝負を分けるのは速さだけだ。

 

(問題は私が彼女を上回れるかですが……そこを憂いていては、そもそもターフを走るウマ娘足りえません。常に何者よりも自分こそが速い、その気概あってこそ、君臨する資格があるというもの)

 

 ダイイチルビーは、アイネスフウジンに次いで因縁の相手を見る。

 青の基調に黄色のアクセントをつけたカジュアルな勝負服に青いメッシュの入った黒鹿毛、ダイイチルビーが阪神ジュベナイルフィリーズで後塵を拝した、ダイタクヘリオスだ。

 何かにつけて絡んでくるダイタクヘリオスだが、最低限のマナーはあるのかレース前のこの地下バ道でちょっかいをかけてくることはない。

 好意的な見方をすれば、さしもの笑い袋もレースに対しては真剣に臨むということなのだろうかと、ダイイチルビーはそこまで考えて不必要な思考を頭の隅へと追いやった。

 

 ゲート入り。ゲートに怯えるウマ娘はシニア級になってもそれなりにいる。本能的なものはなかなか逆らえるものではない。

 人間で例えるならばバンジージャンプであったり、ブルーホール*1や街灯のない夜道に抱く感情が近いだろうか。

 ゲートが開くと同時にまず飛び出したのは、やはりと言うか当然と言うか、ダイタクヘリオスとアイネスフウジンのふたりだった。

 ダイタクヘリオスは総合優勝を果たしたサマーマイルシリーズの4戦のすべてを、大逃げから好位抜出、あるいは普通の逃げを駆使した、印象に似合わぬ巧妙な走りで駆け抜けてきていた。

 しかし、リステッド1戦とGⅢ3戦を経てのこのGⅠの大一番でダイタクヘリオスが選択したのは、NHKマイルカップのときと同じ爆逃げだった。

 

 アイネスフウジンのおよそ1バ身前をキープしながらハイペースで逃げ続けるダイタクヘリオスを、アイネスフウジンが追う。

 NHKマイルではなかなか終わらなかったこの追いかけっこは、しかしこの淀の舞台では早々に終わりを告げる。1600mではスタート後直線の次に来る淀の坂である。

 ダイタクヘリオスが坂が苦手というわけではない。しかし、アイネスフウジンは特に坂や重バ場を得意とするパワー系のウマ娘である。刻一刻と差は縮まり、坂の頂上に達した時にはふたりはほぼ並んでいた。

 

 それを追うのはふたりのハイペースに食らいつく者と余力を残す者。例えば逃げを基準にいつもの差し切り位置をなんとか維持するバンブーメモリーは前者であり、自分の脚を信じ直線一気まで脚を溜めるダイイチルビーは後者だった。

 特に、スプリンター寄りのダイイチルビーはバンブーメモリーに比べスタミナが少ない。ギリギリまで仕掛けを我慢しなければ、そもそもハイペースに飲まれて沈む可能性さえある。

 

 中盤の上り坂でスタミナを根こそぎ奪われたダイタクヘリオスが下り坂の加速でなんとか粘るが、最終コーナーからスパートをかけ始めたアイネスフウジンに突き放される。

 それにつられて、坂の頂上にいたバンブーメモリーを含む数人が同じように仕掛けた。ここで仕掛けないと逃げ切られる予感に駆られたのだ。

 やや遅れて、体が直線に向いた瞬間、下り坂から緩く加速し始めていたダイイチルビーが動き出す。

 

 ダイイチルビーの一族は皆、さながら今後ろへと垂れていったダイタクヘリオス(バカ)のように逃げで自分のペースを展開することを得意としている。

 そんな一族の中で『天翔けるウマ娘』による馴致を受けた彼女は、『偉大なるターフ上の演出家』と同じ直線一気の才能に目覚めた。

 桜花賞で、ダイタクヘリオスに抱いていた苛立ちの一因が脚質への嫉妬だったことに気づいた時は、あまりの屈辱に反吐が出るほどだった。

 そして、人格はマシとはいえアイネスフウジン。ハイペースな逃げでダービーを勝ったウマ娘。

 不甲斐ない自分と自分の前を走る者共への怒りで固く握りしめた拳から滲んだ血が後ろへと垂れていく。

 

(私は華麗なる一族、ダイイチルビー……)

 

 充血した目が真っ赤に染まる。ダイイチルビーの後ろを走っていた最後方の追い込みウマ娘は、ダイイチルビーの足下に弾け、砕け散った紅玉(ルビー)の足跡を視た。

 

「私の前をッ、走るなぁあああああああ!!」

 

 爆発的な加速と同時にぐんぐんと前との差を詰めていくダイイチルビー。途中躱されたバンブーメモリーも懸命にそれを追うが差は開くばかり。

 ダイイチルビーが至ったそれは、間違いなく"領域(ゾーン)"の入り口であった。

 府中ほど長くはないが、平坦な道が続く最終直線、既に追い込み始めたダイイチルビーに周囲の光景は見えていない。事前に確認し、空くと予想して決めてあったルートを盲目的に走るからこそ、追い込みは他の脚質を凌駕する加速と最高速度を誇る。

 平均速度こそアイネスフウジンには及ばないが、少なくともこの最終直線でのダイイチルビーの速度は、アイネスフウジンを遥かに上回っていた。

 

 しかし、あと少し、あと少しで手が届くというその瞬間、目の前のアイネスフウジンが暴風を纏ってさらに加速した。

 日本ダービーで入門したアイネスフウジンの"領域(ゾーン)"。スリップストリームを取るか取られるかした時の風の乱れが、アイネスフウジンの過集中のスイッチを入れる。

 それと同時に、ダイイチルビーの脚が重くなる。スタミナ切れだ。そもそも、京都の外回り1600mはマイラーには不利なコースだ。

 心臓破りの坂は言うに及ばず、レースの前後半でタイム差がつきにくいこのコースでは息を入れるタイミングが非常にシビアで、他の1600mと比べてスタミナを節約するのが難しい。

 だからこそ、東京と同じく京都の外回りは後方有利のコースではあるのだが、本質的にスプリンターなダイイチルビーとダービーを勝ち抜いたアイネスフウジンではスタミナの絶対値に大きな差があった。

 

 ダイイチルビーの後ろから鋭く駆け込んだ赤リボンのウマ娘が、並ぶことなく一瞬でダイイチルビーを躱してアイネスフウジンに迫るのを見ながら、それでもダイイチルビーは止まりそうにさえなる脚を懸命に動かしてゴール板を駆け抜けた。

 

『アイネスフウジンとパッシングショット、並んでゴールイン!! 3着はダイイチルビーです!! 1着はちょっとわかりません、現在写真判定が行われています! 確定までしばらくお待ちください』

 

 思わず内ラチに(もた)れかかったダイイチルビーの見る先には、互いの健闘を称え合い握手をするアイネスフウジンと赤リボンのウマ娘――パッシングショットの姿。

 掲示板に確定の文字が表示され、映された結果は両者コースレコード、ハナ差でパッシングショットの差し切り勝ち。

 なかなか勝ちきれず2着3着に甘んじてきたパッシングショットがようやく掴んだGⅠのトロフィーに、むせび泣くファンの姿も見られる。

 本気で走ったとは言え既に息は静まり始めていて、まだ余力が見えるアイネスフウジンに対して、すべてを出しきって息も絶え絶えと言った様子でトロフィーを掲げるパッシングショット。

 周囲のウマ娘は、特に今回初めての黒星を喫したアイネスフウジンと、以前彼女に敗北した経験のあるバンブーメモリーはパッシングショットのその様子から、彼女の限界を覚っていた。

 

 勝利者インタビューによって明かされたパッシングショット引退宣言とウイニングライブが終わり、帰り支度を済ませながら絡んできたダイタクヘリオスを適当にあしらっていたダイイチルビーは、その道すがらアイネスフウジンの後ろ姿を見つけた。

 話しているのは彼女のトレーナーである男性と、ダイイチルビーも交流がある名門メジロ家出身の寵児メジロライアンと、先日菊花賞を制したメジロマックイーンだ。

 アイネスフウジンの姿を見て、ダイイチルビーは悔しさがぶり返してきた。あの時の感覚――ダイイチルビーはそれを"領域(ゾーン)"だと気づいていないが――をものにしていれば、勝敗は自分に傾いていたかもしれない。

 しかし、勝負の世界でもしもは禁句。だから悔しさを押し込めて、押し込めて、押し込めきれず、アイネスフウジンに近づいたダイイチルビーは懐から取り出した白手袋を放った。

 庶民には馴染みのない習慣ではあろうが、メジロ家と交流があるなら意味はわかるだろうと予想しての、宣戦布告。

 

「アイネスフウジンさん、来年の安田記念で今日の借りは必ず返します。首を洗って待っていてください」

 

 なんともテンプレートな台詞を吐いて颯爽と去っていくダイイチルビーにツボったダイタクヘリオスの笑い声をバックに、アイネスフウジンは呆気にとられながら考える。「もしあたしが安田記念出ない予定だったらどうするつもりなんだろう」と。

 お嬢様の例に漏れず、ダイイチルビーも周りが見えなくなりがちな性格であった。

*1
海穴。海の一部分だけ深くて色が濃くなるやつ。海洋恐怖症の画像でよく見る。




 アイネスフウジンメインだとただ走って最後ギリギリで躱されただけになって物語性もなにもないのでダイイチルビーをメインに。チョイ役のパッシングショット(史実勝ち馬)を添えて。
 流石にGⅠを完全スルーとはいかなかったので今後も出てくるダイイチルビーとアイネスフウジンを接触させる回になりました。

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