万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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人は見たいものを見て信じたいものを信じる

 3月3週、阪神レース場、若葉ステークス開催。

 理由は不明ながら、元々出走を予定していたトウカイテイオーが1ヶ月前に出走を弥生賞に変更したため、当初10人立てだった出走人数が当日にはフルゲートの16人立てとなっていた。

 その多くは当然、皐月賞への優先出走権を狙ってのものだ。若葉ステークスは上位2着まで皐月賞への優先出走権が与えられる。

 トウカイテイオーが出走を予定していた時は、1着が実質的に確定していたから残り1枠……というのが、凡百のウマ娘、トレーナーの共通認識だった。

 ウマ娘は基本的に負けず嫌いだ。それが裏返り「負けるのが嫌だから勝負しない」となる者も少なくはない。もちろん例外の方が多いが、()()がいる世代ほどその傾向は顕著に現れた。

 そこでトウカイテイオーが抜けたらどうなるか。まず優先出走権が増える。そして単純に、1着になれる可能性が出てくる。中には弥生賞の出走予定から若葉ステークスに変えた者までいた。

 これは良くないと、URAは異例の措置を打ち出した。トウカイテイオーの出走取り消し以前に出走登録をしていたウマ娘に対し、若葉ステークスの優先出走権を与えたのだ。

 トウカイテイオーが出走していたとしても出走を決意していたウマ娘たちが、賞金額優先のルールによって除外されてしまう可能性を防ぐための処置である。

 

 そして、そんな事情とは一切関係ない出走者がひとり、地下バ道で体をほぐしていた。

 栗毛のおかっぱに前髪を覆う大流星、ジュニア級にも拘らず昨年度の『三女神様につけてもらいたかった名前ランキング』で堂々1位に輝いた注目株、イブキマイカグラである。

 阪神ジュベナイルフィリーズ1着、ホープフルステークス2着という、実績だけ見ればトウカイテイオー以上の注目株であり、既にどうなろうと皐月賞への出走は揺るがない彼女が何故若葉ステークスへ出走を決めたかというと、端的に言えば偵察である。

 偵察は偵察でも、威力偵察である。

 

 ネットで情報収集中に見つけた記事、大慶祭での一幕。見出しや内容のメインはトウカイテイオーがライバルだと明言したナイスネイチャに関してのものだったが、その中にもうひとつ、別の名前があることに気がついた。

 しかも、ナイスネイチャだけではなく、かの皇帝シンボリルドルフにまで言及されている。ここまで来て、情報を集めないわけにはいかない。

 しかし、恐らくはナイスネイチャかトレーナーの作戦だろう(と、イブキマイカグラは考えている)か、その相手は今までダートのオープン戦にしか出ておらず、芝のレース自体もこの若葉ステークスが初めてになる予定だった。

 基本的に一般公開されているレース映像は重賞のもののみで、メイクデビューや条件戦、オープン戦のレース映像はドリームカップへ進んだウマ娘かURA職員にしか公開されていない。

 もし見たいのならばそれこそレース場で撮影している物好きな一般人が、動画サイトにアップロードしたものを探すしかないのだが、あいにく未だにマイナーと言わざるを得ないダートで、しかも地方レース場の大井。探してもレース動画は出てこなかった。

 そして、この若葉ステークス以降は間違いなく皐月賞へ直行するだろう。ここを過ぎればもう偵察のチャンスはなくなる。そう考えたイブキマイカグラは、観客席からの映像撮影をトレーナーに任せ、自身は同じターフの上で偵察することを決めたのだ。

 

 ナイスネイチャのチームメイトであり、完全なダークブロワー*1*2、ツインターボの偵察を。

 これを威力偵察としたのは、ダートのオープン戦しか走っていなかったため、皐月賞に出るにはツインターボの賞金額がいささか心もとなく、出走優先権なしでは除外の可能性も十分にあり、イブキマイカグラがそれを奪うことでそもそもツインターボを皐月賞に出られなくするという作戦も、駄目で元々程度に考えていたからである。

 

 容姿はわかっていたため探し人はすぐに見つかった。目に痛い鮮やかな青い髪。ツインターボだ。イブキマイカグラはジャブ程度に軽く声をかけようとして、やめた。

 イブキマイカグラにとって、少し頭がいい程度の相手はカモだ。自分のペースに持ち込んで精神的に疲弊させられる。逆に少し頭が悪い程度の相手なら、軽く混乱させてやれば集中力を乱せる。そして頭のいい相手は、やりあっていて楽しい。これも問題ない。

 イブキマイカグラの天敵は、言葉の裏、行間、空気を読もうとさえせず、皮肉も当てこすりも社交辞令も通じない、ただただ脊髄反射的に言葉を返してくる、要するにバカだ。

 こちらが言葉を弄すれば弄するほど疲れるのはこちら、という相手がイブキマイカグラは特に苦手であり、ツインターボからその雰囲気を感じ取ったのだ。

 結論としては、イブキマイカグラの判断は正解だったと言える。

 

 ツインターボが走り始める。いつも通りの全力全開、阪神レース場の最終直線、下りから一転しての急坂をものともせずにゴール板を駆け抜けた。

 ざわつく観客席、驚きで声も出ない者もいる。出走しているウマ娘たちはほとんどが後者だ。イブキマイカグラも言わずもがな後者である。

 ツインターボはどうだと言わんばかりのやりきった顔で息を整えながら地下バ道へ戻っていく。間違いなく、そのポテンシャルをいかんなく発揮した素晴らしい走りだった。

 

 ただし、ウォームアップランであるが。

 

(……えっ、アホなん?)

 

 ウォームアップランで最終直線の約350mを全力疾走したツインターボ。確かに間違いなく速かった。あのテンの速さは脅威だ。実際のレースになれば、スタート直後にハナを奪うのは不可能だろう。

 なにかのブラフか? 逃げを見せておいて実際は脚を溜めるつもりか? そんな疑念が渦巻きながらのゲート入りが終わり、発走。

 

 ツインターボはなんの衒いもなくハナを奪いに行く。それを見て、他の逃げウマ娘が必死に後を追う。逃げという脚質は作戦として逃げを打つ者以外にも、その性格から逃げざるを得ない者もいる。

 しかし、ツインターボに追いつくことはできない。そこから勝負根性で粘れるか、精神的に追い詰められ疲弊しバ群に沈むかは彼女たちしだいだ。

 

 イブキマイカグラは追い込みを得意としている。今回もバ群の殿、最後方で脚を溜めながら虎視眈々と前を狙う、しかし。

 

(ハイペースすぎる……! うち追込なのに先行のペースで走ってへん……!?)

 

 イブキマイカグラは早々にバ群についていくのを諦めてペースを緩めた。どうせ1着をとらなくても皐月賞には出られる。ここで無理をする必要はない。

 しかし、他のウマ娘はそうはいかない。折角トウカイテイオーがいなくなって皐月賞への切符が手に入るチャンスが回ってきたのだという焦りが判断を鈍くしていた。

 破滅的なスピードで逃げ続けるツインターボを追走して、まず追加で出走した6人のウマ娘が掛かった。そしてそれを見て、元々出走を決めていたウマ娘たちも掛かった。

 中にはイブキマイカグラと同じように、冷静に脚を溜めようと減速した者もいるが、それでも自分が普段より速いペースで走っていることに気づかない。

 

 最終コーナーを曲がりきるまでにひとりまたひとりと脚が限界を迎えて垂れていく。少なくとも、逃げと先行の脚質だった者たちは全員が脱落し、もはや走りの(てい)をなすのがやっとといった様子だ。

 差しや追込はどうか。後方、まだ第3コーナーにさえ達していないイブキマイカグラを除けば、こちらもなんとか走っていると言った様子だ。

 そしてこの状況を作り出した張本人であるツインターボは。

 

「ッヒュー……ッハッ……」

 

 ただひとり最終直線へ入りながらも、遂に逆噴射。差しや追込と同じくヘロヘロになりながら走っている。速度は刻一刻と落ちていっている。

 今のツインターボならば、差しや追込はもちろん先行でも簡単に躱すことができるはずだ。ただし、万全の状態であれば。

 もはや死屍累々、誰も彼もスタミナを使い切って、前半のハイペースが嘘のように泥沼のスローペースが展開されている。

 ツインターボがなんとか最後の急坂の前まで辿り着いたとき、イブキマイカグラが最終コーナー手前からスパートに入った。

 ゾンビのようにコースをふらつくウマ娘たちを一気に躱しツインターボの背中に迫るイブキマイカグラ。しかし、早々に冷静になったとはいえ、序盤の僅かな間でも破滅的ペースで走っていた影響は容赦なく脚にのしかかる。

 ツインターボが坂を登りきった辺りでイブキマイカグラも急坂へ脚を踏み入れる。差しきれる。観客も、実況も、イブキマイカグラ本人さえそう錯覚した。

 自分の体を襲うあまりの重さに、脚に怨念が纏わりついたかのような感覚を受ける。中山の急坂で経験したはずのそれよりも、今この瞬間の急坂は遥かに高い壁となっていた。

 大減速。イブキマイカグラの走りとは思えないゴール前の失速で観客席がざわめく。故障を疑う者さえいた。

 ウマ娘のレースとしてはあまりにゆっくりとツインターボがゴール板を踏んで間もなく、イブキマイカグラがゴール板を踏み、そして、3着以下がタイムオーバーになるまで、ゴールすることはなかった。

 

 このレースでタイムオーバーとなったウマ娘全員にかけられる罰則期間は、1着のツインターボのタイムが例年の1着とそれほど変わらなかったにも拘らず、URAの裁定によって免除された。しかし、出走したウマ娘のほとんどが、これから1ヶ月を完全休養にあてざるを得ないほどの疲労が残った。

 波乱と言えば波乱、衝撃と言えば衝撃。そんなレース結果を、各紙はレース後倒れ込んだツインターボの写真とともに、重賞レースもかくやというほど大々的に報じた。それほど話題性があったのだろう。

 一部の目敏(めざと)い専門家はツインターボのコーナリングを称賛したが、ほとんどの人間はこの勝利をフロック(まぐれ)だと断定した。トウカイテイオーの対抗バとなりうるイブキマイカグラをくだしてしまったことも一因にあるだろう。

 一部の反応には、「他のウマ娘の脚を故意に壊そうとした悪質な走り」と批判する声もあったが、いつの間にかツインターボの選抜レースの動画――若葉ステークスと同じく破滅逃げで、かつ他のウマ娘は掛かっておらず、ツインターボが最下位に沈む様子――が出回り始めてからは一気に鳴りを潜めた。

 

 そして、皐月賞がやってくる。

*1
Dark Blower。誰からもマークされていない、大番狂わせを起こす者を表す慣用句。ダークブロワーという慣用句自体、ウマ娘レースが由来となっている。

*2
Blower、英語でウマ娘を表す単語。直訳すると「吹く者」となることからホラ吹きや送風機を意味することもある。語源としては、走ったあとに荒く息をする様子から「吹く者」を意味するBlowerと呼ばれたという説や、走る様子が強風のようだったため、強風を表すBlowから転じたという説が主流。アメリカの最上級GⅠレースであるBCは、Blower's Capの略称である。




ツインターボのウォームアップ参考映像
https://i.imgur.com/EnIgLp0.mp4

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