万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
4月3週、中山レース場、クラシック戦線初戦、皐月賞開催。曇り空の下行われることとなった第1の冠、芝は稍重。
まだ肌寒さが残る中、会場は十分すぎる熱気に包まれていた。
「トウカイテイオーさん」
「ん……あぁ、えっと……イブキマイカグラ、だっけ……」
カツン、カツンと蹄鉄で地下バ道の床を鳴らし、『テイオーステップ』を踏むトウカイテイオーに話しかけたのは、今日の2番人気、イブキマイカグラだった。
足袋と雪駄のような形のシューズ、黄色と赤の帯を締めた、紅葉のような赤を基調とした着物のような勝負服、その黄色の枯れ葉模様をあしらった袖を翻して、袖口で口元を隠しながらトウカイテイオーに言葉を返す。
「せやよ。名前、覚えてもろてたとは思ってへんかったわぁ」
「アハハ、いい名前だと思ったからね」
心にもないことをおくびにも出さないで言い放つイブキマイカグラ。
トウカイテイオーは天才である。そして、多くの天才の例に漏れず、トウカイテイオーも興味がないものを記憶する力が弱い。
トウカイテイオーの眼中にないかのような態度は悪意あるものではなく、
そんなトウカイテイオーの傲慢を皮肉るイブキマイカグラの言葉を、トウカイテイオーは意に介することなく受け流す。皮肉に気づかなかったわけではない、トウカイテイオーはその態度に反して聡明な方ではある。
ただ単に響かない。キミたちだって興味のないものは忘れるだろ? 覚えてほしければそれだけの価値を示してみせてよ。そんな感性を持つトウカイテイオーにとって、その皮肉は的外れでさえあった。
それだけの実力がある。傲慢に相応しい才能がある。トウカイテイオーはこれまでのレースで、
イブキマイカグラと同じレースを走ったことはないが、イブキマイカグラのレースを見た上で自身の方が上だという認識に変わりはなく、そしてそれは正確な認識だ。
だから、イブキマイカグラはこうして話しかけた。精神的に揺るがさなければ勝てないから。
『流星の帝王』、地に住まう者の手の届かぬところで光り輝き、わざわざ地まで降りてきて格の違いを見せつける生まれながらの上位者。
「
言いたいことを言って踵を返すトウカイテイオー。彼女の弁護をするようだが、本来はこんな積極的に毒を吐くような性格ではない。意地の悪いところはあるが、自覚している行動は極めてサッパリしている。
だからこの態度は、イブキマイカグラの土俵に上がったというただそれだけのことだ。
(なんや、
イブキマイカグラは、トウカイテイオーに呼吸の合間をついて踵を返されたことで会話が中断されてしまったため言い逃げをされてしまったが、もう少し楽しめたかもしれないと少し惜しさを抱えた。さりとて、ゲート入りも近く既に地下バ道には誰もいない。
そんな、少しのモヤモヤが原因だったのだろうか、以前は話しかけるのをやめた青い髪がふらりと視界の端に入った。ひとり残っていた。
ツインターボ、フルゲート18人立ての皐月賞で6番人気の、あの暴走機関車が、軽くストレッチをして体を温めていた。
だから、野次程度に軽く問いかけた。
「なんや、あんさん、今日は走ってきいひんかったんやね」
そんな問いかけに、ツインターボはイブキマイカグラの想像より淡白に答えた。
「ん? んー、今日はもういいって」
そう一言だけ告げて、ツインターボもゲートへと向かう。すると、ゲート前のウマ娘から一瞬だけ視線が向く。
ツインターボのペースに乗ったら破滅する。その情報はすでに知らない者はいない状況で、逆に無理に追いかけなくとも勝手に落ちてくるというのも共通認識だった。
それは、トウカイテイオーも同じだ。トウカイテイオー自身は覚えていなかったが、トウカイテイオーのトレーナーがツインターボの存在を気にかけていたため、自分たちが見に行くことはないが、カメラマンに依頼して*1若葉ステークスのレース動画を撮影してもらっていた。
一般的な規格であるゲート入り完了から順位確定までのその動画を見た結果、ツインターボはトウカイテイオーの興味から外れた。考慮に値せずと。
トウカイテイオーは皐月賞のレコードを更新するつもりでいる。例年と変わらない程度のタイムなら敵ではないと判断したのだ。
「フッフッフ……ここで会ったが百年目……年貢の納めどきだ!! テイオー!!」
「……えっと、誰だっけ……? 会ったことある?」
「ツ、イ、ン、タ、ア、ボ!! お前を倒すさいっきょーのウマ娘だぁ!! 覚えとけ!!」
叫びながら誘導員に半ば引きずられるようにゲートへ運ばれるツインターボ。1枠1番の彼女が入らないと他が入れない。頭にハテナを浮かべながらそれを見送って、大外の自分のゲートへ向かった。
(……「
一方のイブキマイカグラはゲートへ向かいながら、表情が引き攣るのを感じた。彼女が気づいた通りであれば。
(これ、今気づいてもどうにもできへんやないの……!)
もしそうなら、イブキマイカグラに打つ手はない。もはや自分の脚を信じるしか。いやしかし、それでも、心構えができるだけマシだとイブキマイカグラは思い直す。出走している何人がこのことに気づいているのかわからないのだから。
せめて、掛からないようにするしかない。
「……
「ターボちゃんと最後なにか話してたから、余計なこと言ったのかも?」
「へ? え、なんのこと……?」
「ターボさんになにか作戦を……?」
観客席から見守る網馬が双眼鏡でイブキマイカグラの表情を見て確信に近い推測を口にする。それに対するアイネスフウジンの返答は的を射ていた。
ナイスネイチャとライスシャワーはなんのことかわかっていない。網馬が意図して話していなかった。そのほうが効果があるし、実際、あの時の頭を抱えたナイスネイチャの姿は説得力を増したと言っていい。
アイネスフウジンは単純に網馬の性格から察したいつものやつである。
「小細工ですよ。トウカイテイオーの"
「あ〜……あのグンッて伸びるやつ……理不尽だよネェ……」
トウカイテイオーの走法『テイオーステップ』には、その先に"
トウカイテイオーの"
その反面、トウカイテイオーはその"
一方、幸運なことに1枠1番の最内に配置されたツインターボの隣、1枠2番のゲート内では、白のインナーに黄色い燕尾服風の勝負服、頭には赤い、師と同じシルクハットを被ったウマ娘、シャコーグレイドが顔を顰めていた。
18人中16番人気という位置に甘んじることになったシャコーグレイドの師は、シンボリルドルフの1年前に三冠を達成した『ターフ上の演出家』ミスターシービー。それ故に、シンボリルドルフの弟子であるトウカイテイオーを強烈に意識している。
若葉ステークスの事件の際、唯一トウカイテイオーを追って若葉ステークスから弥生賞へと移るほどに。
だからこそ、トウカイテイオーの他に意識するウマ娘がいる。世間がトウカイテイオーのライバルと囃し立てるイブキマイカグラ、トウカイテイオー自身がライバルと宣言したナイスネイチャ。
そして、シンボリルドルフとマルゼンスキーが言及したというツインターボ。
だからこそ、ツインターボに対しても一片の油断もない。常に最悪を想定して、それに対応できるように仕上げてきたつもりだった。だが。
(……隣、メッチャうっさい!!)
右隣から聞こえてくる、キーンという甲高い音と、プシューという噴出音。それに若干集中力を乱されていた。
ゲート入りが終わってファンファーレが鳴る中、網馬が呟く。
「まぁ、"
「「……えぇ!?」」
網馬の言葉に驚いたのはナイスネイチャとアイネスフウジン。ライスシャワーは、驚いてはいるようだが声を上げてはいない。
3人とも、ツインターボのレースを何度か見ているが、"
「えーっと……それじゃあターボの"
「いえ、むしろ1番緩い部類の"
網馬の返答にさらに混乱するナイスネイチャと、何かに感づいて双眼鏡でツインターボを凝視するアイネスフウジン。
「そもそも、ツインターボのレースを見ておかしいと思いませんでしたか? 何故ツインターボがあれほど毎回きれいに
「……あ」
多くのウマ娘はゲートを嫌う。それは本能的なものであり、克服するにはゲートが開くのを待ち続ける強い集中力が必要だ。
対して、ツインターボは明らかに注意力散漫なタイプに分類される。しかし、そんなツインターボがスタートに失敗したところをナイスネイチャは見たことがなかった。
「答えは簡単。ツインターボの"
アイネスフウジンが覗く双眼鏡の先に見えた、ツインターボの足。
アイネスフウジンには、ツインターボが履いた靴に付いているエンジンマフラーが微かに震え、その後方の空気が熱で歪んでいるように見えた。
そして、ゲートが開くと同時に、ターボエンジンが炸裂する。
『各ウマ娘一斉にスタート!! ――先頭を行くのはやはりこのウマ娘!! ツインターボ、今日もターボエンジン全開であります!!』
2000mの死闘が始まった。