万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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即堕ちガマガエル

 声を発したのは中年の記者だった。よれたスーツに恰幅のいい体、イボの多い顔は唇が厚く、前髪は後退している、眼鏡の奥の目はじっとりと湿っていて、一言で言えばガマガエルのような風体をしている。

 

「月刊ターフの蒲江と申しますけども、脚部不安であったウマ娘にわざわざ大差をつけさせることはなかったんじゃあないですかな? しかも、わざわざ、脚に負担がかかりやすい逃げで」

 

 言いがかりのような質問に抗議しようとしたアイネスフウジンを網が押さえる。

 

「もしも脚部不安が改善していなかったらどうするおつもりです? そうでなくとも再発するかもしれない。ウマ娘の脚はひとつの財産です。それが失われた時、あなたは責任を取れますか?」

 

「責任ですか……」

 

「えぇ、そうですとも。リスクを承知で力を誇示することを指示したんですから、当然責任を取るつもりもあるんですよね?」

 

 ある種、卑怯な質問だ。気づかずに「責任を取るつもりだ」とでも答えれば、その手前の部分を切り取って「脚部不安の疑いが残るウマ娘に危険な指示をした」と報道するだろう。

 それなりに場数を踏んでいれば引っかからないが、経験の浅い新人トレーナー相手に、蒲江はこの手で何度もそういう記事を書いてきた。

 もし気づかれても「あぁこれは失礼」とでも言って誤魔化し、「で、責任は取れるんですね?」と質問を続けることで抗議の隙を潰すつもりでいた。

 胡散臭いが人の良さそうな網の対応を見て、いけると思ったのだろうし、今までもその判断で成功してきた。しかし、今回に限っては相手が悪かった。

 

「ははは、いやだなぁ。どうやら、月刊ターフさんの記者というのは冗談がお好きなようだ。わざわざ大差、力を誇示、ですか……ふふ、あの程度(・・・・)で……」

 

 記者からは苦笑に見えたであろう網の笑みは、アイネスフウジンには舌なめずりに見えた。

 

「まずひとつ。私はアイネスフウジンに『指導内容をひとつずつ確認するために流してこい』と指示しましてね。全力とは程遠いですし、大差は言うならば結果としてついてしまった(・・・・・・・・・・・・)に過ぎないのですよ」

 

 この発言に驚いている記者もいたが、乙名史含め全力を出していないことに気づいている記者もいた。蒲江も引っ掛けようとしただけで後者だ。

 引っかからなかったかと内心舌打ちをしながら、蒲江はそれを表情には出さずに続ける。

 

「これは失礼しました。いやぁ他のウマ娘を赤子扱いでしたからてっきり……それで、責任を取るつもりはおありだったんですか? 決して全力でなかったとしても再発の可能性はあったでしょう」

 

「いえいえ、それこそ、中央トレーナーB種免許を持つ者として責任を持って『可能性はなかった』と断言しましょう」

 

 この発言には皆が面食らった。B種免許は通常のトレーナー業務に加え、故障や脚部不安の有無について正式に診断を下し、一部の医療行為を行う資格を持つ者に与えられる免許である。

 名門の出ならまだしも、ただの資産家の生まれである網が取得していることは想定していなかったのだろう。

 当然、可能性がゼロなどと断言はできないのだが、網はその肩書を盾に注意を向けハッタリを押し通した。

 そして、網はまだ足りないというかのように追撃する。

 

「ところで月刊ターフさん! 先程ウマ娘の脚は財産だとおっしゃっておりました。えぇその通りです。でしたら、あなたの発言でうちのウマ娘が走れなくなったら当然責任を取るおつもりだったのでしょうね?」

 

「……は?」

 

 その返しが予想外だったのか、蒲江は呆けたように声を漏らす。あまりにも詰めが甘い。弱者ばかりを食い物にしていたために、弱者に擬態していた者からの反撃に慣れていないがゆえに晒した無様である。

 そしてその隙を網は逃さない。

 

「だってそうでしょう? あなたは月刊ターフ……失礼、創刊からどれほどかは承知しておりませんけども、タイトルから察するにウマ娘を専門とした記事を書いていらっしゃる。それほどの方がウマ娘相手に『君は脚部不安で故障するかもしれない』とおっしゃった。それがウマ娘の心身にどれほどの影響力を持つことか……B種免許を持つ私でもそう声をかけるときは非常に気を使いました。あぁもちろんここまで録音させていただいておりますので言い逃れは結構。ウマ娘にとってそれはそれこそ死刑宣告に等しい一言……レース中に故障すれば命を落としかねないのですから、走ることに恐怖を覚えるかもしれません……そのくらいは承知の上で、自らの発言に責任を持っておっしゃられたのですよね!? 月刊タァーフさん!!」

 

 まくし立てる網には先程までの愛想の良さは残っていない。慇懃な口調こそ残しているが、その声色から察せられるのはあまりに嗜虐的な色である。

 網の身長は高い。背の割に痩身ではあるが、188cmの上背から見下された蒲江はまさに蛇に睨まれた蛙の様相である。

 

「そ、そんなつもりは……」

 

「そんなつもりはない!? ほぉう! 言葉を扱うことを生業としているあなたが!! 自らの発言で与えるであろう影響について考えず、軽はずみにあのような言葉を投げかけたと!?」

 

「う……あ……」

 

「先程の問いにお答えしましょう、責任を持つ覚悟、無論ありますとも! ウマ娘の人生を預かる者として、自らの人生で(もっ)てそれに応えるのがトレーナーとしての責任です!」

 

「素 晴 ら し い !!」

 

 収拾がつかなくなるかと思われたその時、会話に割り込む形で声をあげたのは乙名史だった。

 ギョッとして身を引く網。その隙をついてほうほうの体で逃げ出す蒲江。ヒートアップする乙名史。

 結局乙名史は数分間、トレーナーとウマ娘との絆、ウマ娘に対するトレーナーの心構えを語り倒し、網とアイネスフウジンを称賛すると駆けつけた上司に引きずられて帰っていった。

 嵐のようなインタビューが終わりアイネスフウジンの魂が上の空から帰ってきたのは、網の運転する車の中、あと少しでトレセン学園に着くというところだった。

 

 沈黙。

 網にしてみれば、特段本性を隠していたつもりはなかった。大人として当たり前のよそ行きの自分。胡散臭さはどうにもならないが、それでも人当たりがいいほうがマシな印象を与える。

 しかし、この悪癖だけは昔からどうにもならない。揚げ足を取り、重箱の隅をつつき、引っ掛け、煽る。物心ついた頃から汚らしい建前と醜い嫌味や当てこすりに塗れた上流階級の社交場に身を置いていたが故に生まれた嗜虐趣味。

 不幸中の幸いであったのは、彼がそれに嫌悪感を覚えたことだろう。潔癖さ故の嫌悪と一抹の良心が彼に歯止めをかけていた。

 しかしその(たが)は、悪意(どうるい)と相対することで容易に外れてしまう。正当な反撃という大義名分を得ることで、溜まっていた鬱憤とともに濁流のように流れ出す。

 

「……トレーナー」

 

「……なんでしょう」

 

 平静を取り繕う網の声は強張っていた。トレーナーとウマ娘の間の信頼関係は何より重要視される。それこそ、生まれ持ったどの才能よりも、培ってきたどの努力よりも。

 だからこそ自分の醜さを、隠してはいなかったがだからといって見せたくもなかった。網自身と正反対の、裕福でこそないが家族と良き隣人の愛情に恵まれて生きてきたことが容易に推測できる少女の前では。

 

「……あの記者、逃げる時にズボンのお尻破けてたの」

 

「ブボッフ!!」

 

 予想外の一撃で気管支に多大なダメージを受けた網は、すぐさま車を路肩に止めてハザードを焚いた。

 何度か大きく咳き込み、ドリンクホルダーのお茶を飲んで呼吸を落ち着けるのを、アイネスフウジンはただ静かに待っていた。

 

「あと、大声出すときは先に合図してほしいの。耳が痛いの」

 

「あぁ、それは失礼……それだけ、ですか?」

 

「別に! あのくらいのおイタで目くじら立ててたら長女はやっていけないなの!」

 

 あまりにもあっけらかんとしたアイネスフウジンの言い分に虚を突かれた網とは対照的に、アイネスフウジンは「汗が臭っちゃうから早く帰りたいの〜」などと若干顔を赤らめながら呑気に言っている。

 決して無関心というわけではない。しかしまるっきり気遣っているが故の言でもないのだろう。ただ、受け入れた。そう考えるのが一番それらしい。

 

「……いいんですかそれで……こんな性悪、いつか貴女を食い物にするかもしれませんよ?」

 

「そんな悪人は『教え子に手なんか出さない』って声を荒らげてまで反論しないの」

 

「……聞いていたんですか」

 

「『手なんか出してない』から『爛れて死ね』まで聞いてたなの」

 

「全部じゃねぇかよぉ……」

 

 気が抜けた網はハンドルに突っ伏して項垂れる。アイネスフウジンが許容したのだからそれでいいはずなのだ。むしろ今までより関係は良くなるだろう。それでも、今の滑稽な自分を客観視する余裕が、網の自尊心にはなかった。

 

「あ、でもひとつお願いなの」

 

「合図と合わせてふたつ目ですが……?」

 

「さっきのは指示なの。お願いは、あたしの前では敬語じゃないほうがいいの」

 

 網はなんとなく、アイネスフウジンがそう言うであろうことを予期していた。半年以上の付き合いになるのだから、アイネスフウジンの性格はおおよそ把握できている。

 過剰に慇懃に、ビジネスライクに接せられるよりも、多少荒っぽくてもフレンドリーな方がいいのだろう。網は深く溜息をつきガシガシと頭を掻いた。

 

「……人前ではやらねぇぞ」

 

「それでよしなの!」

 

 屈託なく笑うアイネスフウジンに、眩しそうに目を細めた網は眼鏡を拭き、ハザードランプを切った。

 

「おら、汗臭えから帰んぞ」

 

「あー! セクハラなのー!」

 

「10年はえーよ」

 

 笑い合う2人の間にしがらみはもうない。

 その後、見事に門限を過ぎてしまい寮長のヒシアマゾンに2人揃って叱られることになるのであった。




月刊タァ↑ーフさん

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