万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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勝者は選び、敗者はただ受け入れるのみ。

『ゲート開いて今一斉にスタート! ハナを切るのは見なくてもわかるぞ、エンジン音を響かせて、今日もツインターボは全開だ! スタートが上りの途中にあることなどものともしない! 後を追うのはイイデサターンとシンホリスキー、ふたりとも皐月賞では苦渋を飲まされた逃げウマ娘、雪辱を果たすために追走しますが既に差は2バ身から3バ身、ツインターボ影を踏むことすら許しません!!』

 

 スタートから第1コーナーまでの460m、不気味なほど静かに日本ダービーは始まりを告げた。

 いつものように逃げるツインターボと控えるイブキマイカグラにシャコーグレイド。ポジションを奪いに来ると思われていたレオダーバンも、他の出走者に働きかけると思われていたナイスネイチャも、そして大外のトウカイテイオーも、ポジション争いをせずにそのままコーナーへと向かう。

 優勝候補たちの動きに戸惑ったのは他のウマ娘たちだ。目立つということは、多かれ少なかれ基準にされることを意味する。特にトウカイテイオーとナイスネイチャは最重要なマーク対象だ。

 しかし、大外から動かないトウカイテイオーは言わずもがな、牽制すらしないナイスネイチャをマークしていいものかという迷いが周囲には生じていた。

 そして来たる第1コーナー、展開が動く。

 

『トウカイテイオー! 皐月賞でも見せた大外からの強襲! 類まれなる足捌きで瞬く間に内側へと詰めていき、イイデサターンの後ろにピタリとつけました!』

 

 まずトウカイテイオーがポジションを確保。東京のホームストレッチはゆるやかな上り坂となっている。スタミナ勝負になるだろうこのレースで、ゆるやかでも坂道での斜行を嫌ったがためのタイミングだ。

 皐月賞と同じポジションになるが、この判断は正しい。皐月賞では仕掛けるタイミングを間違えたために差しきれなかったものの、事実として距離が2400mあれば勝てていた。

 今のポジションは、トウカイテイオーの脚力があれば、ツインターボが垂れようが垂れまいが飲み込むように差し切ることができる位置だ。

 

 再び沈黙するレース展開。ツインターボがジリジリと離していき、それに食らいつくシンホリスキーと動かないイイデサターンという構図になった先頭集団。

 トウカイテイオーを皮切りに中団も動き始める。なおも動かないナイスネイチャを数人がマークし、自在脚質のホクセイシプレーがトウカイテイオーを外側からマークする。

 ほぼフリーなレオダーバンはバ群の中、追込勢は動かない。

 

(……そろそろかな……っ)

 

 鋭く息を吐きながら、第2コーナーでナイスネイチャが前に出た。コーナーでわずかに膨らんだ前の内を突きするりとマークから逃れると、そのまま内ラチ沿いに上がっていく。

 それに野性的な速度で反応を返したのはレオダーバン。豊富なスタミナに物を言わせて、ナイスネイチャについていく。

 ナイスネイチャはそのまま中団を通り過ぎ、先行の集団の後ろへ――つかずにそのまま更に前へ出た。

 

(はぁ!?)

 

(嘘だろう!?)

 これに驚いたのは追込のふたり、イブキマイカグラとシャコーグレイドだ。ナイスネイチャが「掛かった」ようには見えない。ツインターボと同じチームのナイスネイチャがペースにつられて掛かるとも思えない。

 

(ナイスネイチャに、レオダーバンまで……? ツインターボが垂れないことを前提に動いてはいるけど……まさか、なにかあるのか? あの位置からじゃないと差しきれないなにかが……トウカイテイオーもかなり前に構えて……くそっ!)

 

 シャコーグレイドと同じ考えに至った差しと先行が位置を上げる。シャコーグレイドも、自分の脚と相談しつつ位置を前目に修正した。

 一方のトウカイテイオーは第2コーナー終盤でそれに気づく。

 

(っ、いやらしい! ネイチャだなっ、これっ!!)

 

 ナイスネイチャに追い立てられて上がってきたバ群がトウカイテイオーの後ろ、さらには横につく。スリップストリーム目当てに風除けとして使っていたイイデサターンが蓋になり、トウカイテイオーが包囲される形になった。

 

(向正面の上り坂で十中八九イイデサターンは垂れる……それまでに包囲から抜け出さないとボクも垂れるしかなくなるっ!)

 

 向正面入って下り坂を200m、ちょうど向正面の中間地点には、長さ100m高低差1.5mの急坂がある。今トウカイテイオーが入れられているのは、そんな泥沼への檻だった。

 そして、そんな様子を最後尾から、イブキマイカグラが冷静に観察する。

 

(ふぅん、ネイチャさん、()()()()()()()()()())

 

 イブキマイカグラの考えた通り、ナイスネイチャは今回ここまでを差しではなく先行気味に走っていた。

 そもそもナイスネイチャは中団で走ることを主な作戦としている。差しに限った話ではないのだが、意図的に今まで差ししか見せてこなかったことで自分を差しだと刷り込んでいた。

 さらには、同じ差し脚質のレオダーバンを目線と表情で挑発することで釣って、自分についてこさせた。青葉賞の時にレオダーバンの性格を把握して、それができると踏んだのだろう。

 差しであるナイスネイチャとレオダーバンが先行の位置まで上がってきているという事実と、トウカイテイオーが前目の位置につけているという事実、そしてツインターボの存在が、他のウマ娘のペースを狂わせた。

 

(他の娘ぉの目ぇがテイオーさんに行ってる間に下がって中団……前目の差しくらい? で待機……ほんまに計算ずくなんやね……さっきの加速もいうほど脚使うてへんやろ。頭下がっとったし)

 

 これも正しい。ナイスネイチャは下り坂を利用して重心を前に崩すことで加速しながらも脚のキレを守っていた。

 

(言うて、ハイペースになるんやったらうちにとっては都合ええけど……届くんかなぁこれ……)

 

 その一方、トウカイテイオーはナイスネイチャによって組まれた檻から抜け出そうと四苦八苦していた。

 第2コーナーが終わり直線が来る。問題の急坂は額面通りより殊更(ことさら)に近く感じる。

 普通の方法じゃ出られない。だからトウカイテイオーは()()()()()()()()を採った。威圧だ。地面が抉れるような力強い一歩と同時に放たれた威圧が、前を走るイイデサターンに直撃する。

 後ろから迫ってくるプレッシャーが急激に強まり、イイデサターンを呑み込まんと近づいてきたことでイイデサターンは見事に掛かった。

 

 イイデサターンが飛び出したために開いた前方の隙間から包囲を抜けたトウカイテイオーは、再び包囲されないようにやや外側へと移動しつつイイデサターンとシンホリスキーを避けるように位置取りを調整した。

 

(対応されたかぁ……まぁしてくるよね、そりゃ)

 

 相手はトウカイテイオーだ。このくらい対応してもらわなければ困る。

 

(それに()()()()()()()()()()。悪いねターボ、本気で行くよ)

 

 トウカイテイオーが威圧したイイデサターンが、ツインターボを追走していたシンホリスキーに近づく。最早、このふたりの逃げウマ娘に勝ち筋はひとつしか残されていない。

 すなわち、まったく失速せずにゴールしつつツインターボが垂れるのを祈ることだけである。

 はっきり言ってしまえば不可能だ。しかし、このハイペースで二の脚も残せない逃げにはそれしか残されていない。

 幸いなことに、あるいは不幸なことに、ふたりにはそれなりの勝負根性というものが備わっていた。その勝ち筋を掴み取ろうと、後続を少しでも引き離すために下り坂を使って加速する。

 その結果、ふたりは見事ツインターボの影を踏むこととなった。

 

 先頭3人からトウカイテイオーまでおよそ12バ身。そんな状況でもツインターボは後ろを振り向くことはない。後ろを振り向くという小さなアクションも破滅逃げにとっては削るべき無駄だからだ。

 しかし、ウマ娘にはその鋭敏な聴覚がある。足音、呼吸音、それらが自分の真後ろから聞こえてくることに気づいたツインターボは、掛かった。

 破滅逃げは始めからスパートをかけていると表現されるが、それは微妙に語弊がある。正確には、持久に向く有酸素運動から無酸素運動に切り替わらないギリギリのスピードで走っている。

 しかし、今この瞬間、ツインターボは確かに()()()()()()()()()()()()

 

 直後、上りの急坂。ピッチ走法でそれを難なく駆け上るツインターボに対して、他ふたりの逃げウマ娘たちは限界が訪れた。

 追走していたふたりが垂れ、足音が離れていくことによって冷静さが戻ってきたツインターボは、上り坂の直後に来る第3コーナー半ばまで続く下り坂を利用して脚を休めつつ息を整える。

 ただ全力で走るだけではない。この1ヶ月続けていた低酸素状態での坂路トレッドミルによって、ツインターボは全力で走りながらこの程度の思考なら保てるまでになっていた。

 

(思ったより冷静になるのが早い……成長したね、ターボ!)

 

(負けない! 負けない! 絶対に勝つんだッ!!)

 

 《ミラ》同士の食い合いの中でもうひとつ、動いた影があった。

 

「あたしを無視すんなぁああああああ!!」

 

 ナイスネイチャを、トウカイテイオーを追い抜いて、大きく吼えながらロングスパートをかけたのは、フリー状態だったレオダーバンだった。

 レオダーバンはツインターボ並に考えるのが苦手だ。ナイスネイチャの挑発にも即座に乗っかり利用された。しかし、その実力は間違いなく本物だ。

 レオダーバン、トウカイテイオー、ナイスネイチャの順で坂を登りきる。ツインターボとの差は24バ身ほど。

 

 そして坂の下りから、トウカイテイオーが遂にスパートをかけ始めた。『テイオーステップ』によるピッチ走法並の回転数を誇るストライド走法と下り坂によって急加速するトウカイテイオー。

 しかし、下り坂での『テイオーステップ』は文字通りの自殺行為だ。元々「骨を支える筋肉が柔らかすぎるために、体重による衝撃や蹴ったときの脚力から骨を守りきれなくて負担になる」のが『テイオーステップ』の弱点だ。

 それなのに、下り坂というストライドの落差が大きくなる地形でそれを行うのだから、骨にかかる負担もより大きくなる。

 そんな諸刃の剣を抜き放ったトウカイテイオーが、瞬く間にレオダーバンを躱しツインターボに迫る。

 

 しかしツインターボも再度それを引き離そうと必死に脚を動かす。未だエンジン止まらず、失速の気配はない。

 舞台は中央のレース場で最長を誇る526mの最終直線へと移り変わる。

 ツインターボが真っ先に最終直線の門番たる高低差2mの急坂へ突入する。坂とコーナーは本当の意味でツインターボがトウカイテイオーに(まさ)っている点だ。ほぼ失速なしに駆け上がる。

 膨らみ気味に最終コーナーを曲がり切ったトウカイテイオーは上り坂でやや減速する。柔らかい筋肉はどうしても瞬間的な力に欠ける。

 僅か150mの上り坂、ツインターボはここで再び僅かながらにトウカイテイオーを引き離す。差は19バ身ほどか。

 

 シャコーグレイドは中盤で浪費した体力が仇となりまだスパートにたどり着けていない。一方後ろからまくりのスパートをしかけて迫りくるイブキマイカグラを振り払うように、レオダーバンも最終直線へと入った。

 ツインターボが急坂を登りきり、ここからは真綿で首を絞めるようななだらかな上りがゴールまで380mほど続く。

 口は開き、前傾姿勢を保って重心を維持するのがやっとな様子になっても、ツインターボは垂れない。しかし、その後ろから急坂を登りきったトウカイテイオーが、流星のような末脚で追走しグングンと差が縮まる。

 19バ身は15バ身に、10バ身に、5に。そしてゴールまで残り200mほどになったとき、遂にその距離が1バ身まで縮まった。

 

「これがっ!! ボクの!! 『テイオーステップ』だあッ!!」

 

 ツインターボの視界が突き抜けるような青空に塗り替わる。それを遮る雲の群れは、残酷なまでの才能の壁の象徴。そして、軽やかにそれを跳び越えて天に腕を伸ばす"領域(ゾーン)"の主。

 どれほど土に塗れようと、トウカイテイオーは紛れもなく天才だ。

 

 

 

 それがどうした。

 

 

 

(ッ!!?)

 

「っあ……」

 

 トウカイテイオーが戦慄し、ツインターボが呻く。

 恐怖か、怯懦か、悪寒か、怖気か、体中を這い回る嫌な感覚に神経が暴走する。

 殺意と悪意を煮詰めたようなそれは耐え難い重圧であり、射抜くような()()

 根こそぎに体力を奪われるような感覚に、軽やかだった足取りは瞬く間に重くなる。

 

 息を殺して、足音を合わせて、心音に潜んで、彼女はすぐ後ろまで迫っていた。

 戦場(レース)すべてを視界に収め、睨まれた者はみな沈みゆく。その様から、彼女は初GⅠ勝利のその時からその異名をつけられた。

 

《八方睨み》と。

 

「「ネイチャぁああ!!」」

 

「油断、するなって……言った、でしょっ!!」

 

 天才ならば、雲を超えていくならば、その脚を掴み引きずり落とせ。泥沼の、凡人(じぶん)のフィールドに。

 トウカイテイオーとツインターボが失速し、道中で坂を有効に使いながら脚を残していたナイスネイチャが一気にふたりを差しに行く。脚を残していたと言っても、ナイスネイチャも限界が近いことは変わらない。

 

「っぐぅ……ボクは、勝つんだッ!! ダービーをとるんだァッ!!」

 

「負けないっ!! 負けないっ!! 負けないっ!!!」

 

 ナイスネイチャがふたりの間を縫って差し切ろうとした瞬間、トウカイテイオーとツインターボは再起した。

 並んだまま、誰かがよれて、また、もつれ合いながら、残り50m。最早順位の入れ替わりがわからないギリギリの攻防。

 トウカイテイオーはもがく。帝王などという気高い姿からは程遠く、ただひとりのウマ娘としてみっともなくもがく。足音がひとつ後ろに遠のく。見なくてもわかる。ツインターボだ。何故なら。トウカイテイオーの視界に、見慣れた幼馴染の背中が映っていたから。

 

 観客席からあがる歓声。それを、トウカイテイオーは他人事のように見ていた。

 

 

 

 

 

 気がついたら、トウカイテイオーはひとり控室にいた。勝負服はじっとりと不快な汗で滲んでおり、運動の後だというのに恐ろしいほどに寒い。

 ゴールしたあとから控室に来て、椅子に座るまでの記憶がない。ただ、ハッキリ負けたということは覚えていた。ナイスネイチャの背中が目に焼き付いている。

 涙は出なかった。自分でもゾッとするほどに感情が動かない。トウカイテイオーはただ、疲れに身を預けるように項垂れていた。

 

「……テイオー」

 

 どれくらいそうしていただろうか。トウカイテイオーに部屋の外から声がかかった。それでようやく我に返ったトウカイテイオーは、急いで普段の自分の仮面を被る。気にしていないのだと。負けたものは仕方ないと言い聞かせて。

 

「と、トレーナー? 入って大丈夫だよ? 着替えてないから」

 

 努めて明るい声で応えるが、若干声が上ずって震えていることに自分でも気がついていた。

 控室に入ってきた安井トレーナーの顔は苦渋に満ちている。トウカイテイオーは、それを見てようやく、とっくに麻痺していると思い込んでいた胸が痛んだ。

 

「ライブだよね! 急がなきゃ、お客さん待ってるよね! 大丈夫、ボク2着の振り付けもちゃんと覚えてるし……っていうか、皐月の時とおんなじ――」

 

「1着だ」

 

「……へ?」

 

 トウカイテイオーは、安井の言葉が理解できなかった。何かの慰めかとも思ったが、その顔はあまりにも苦々しいもので。

 安井は、振り絞るように告げる。

 

「ナイスネイチャが、ツインターボへの走行妨害で降着になった」

 

 音が遠い。

 

「ナイスネイチャはツインターボの下に、ツインターボとお前はひとつずつ順位が繰り上がる。だから、1着はお前になった」

 

 ただ、理解したくない。

 

「審議を申し立てたのは、ナイスネイチャ自身だ」

 

 日本ダービーは、まだ、終わらない。




 賛否両論あるかもしれませんが、当初予定していたストーリーで押し通します。
 懸命に走った18人の主人公をお称えください。

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