万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
ナイスネイチャとツインターボがトウカイテイオーと和解したその週の日曜日。ライスシャワーがメイクデビューに勝利した。
アイネスフウジンやナイスネイチャのようにメイクデビューで緊張したわけでもなく、苦戦したわけでもなく、先行押し切りで普通に走って普通に勝った。
ライスシャワーの課題は肉体面よりも精神面である。具体的に言えば、ライスシャワーは強い目標がないとステータスに大きなマイナスがかかるような不安定さがあったのだ。
あったのだが、網馬が対処する前に勝手にミホノブルボンという超えたい相手を見つけて勝手に目標に据えてしまったため、網馬が手を出すまでもなくなっていた。網馬としては楽なものだ。
時折変に自意識過剰かつネガティブになるのさえどうにかしてしまえば、ライスシャワーはかなり手のかからない娘だった。オーバーワーク気味だったのも言ったら辞めたし。
というわけで思わぬところで手が空いた――本来はライスシャワーを抜いてもひとりで3人の監督をするのは至難の業だが、網馬の指導方法はトレーニングと食事のメニューを考えて、あとはやってはならないことをやらせないだけなので難しくはない――網馬は、少し早めに予定を消化することにした。すなわち、新人のスカウトである。
本来、ライスシャワーの同期をスカウトするなら遅すぎるし、その次世代なら早すぎるのだが、ライスシャワーからの相談でスカウト相手が決まっており既にアプローチをかけている。
そうなると、変に時期を待つより早めに手元に置いてしまったほうがいい。他のトレーナーからは睨まれるかもしれないが、網馬はウマ娘からの評判はともかく同業者からの評判は特に気にしていなかった。
「ライスシャワー、その段ボール箱を持ってついてきてください」
「? はーい」
軽い様子で返事をして、ごく一般的なサイズの段ボール箱を軽く持ち上げるライスシャワー。女の子に荷物を持たせるとはと思うかもしれないが、この文化圏では普通のことだ。
トレセン学園に通うウマ娘はおおよそ間違いなくサラ系馬種であるためそれほどでもないが、バ車ウマ娘やばんえいウマ娘で有名な中重系馬種などは特にものを運ぶことを好む者が多い。
その影響で、未だに多くの文化圏で「ウマ娘により多くの荷物を持たせられる男は甲斐性がある」などという言説がまかり通っており、無論、荷物は基本ウマ娘が持つものだ。
なお、人間の女性に荷物を持たせようとする男は普通に引かれる。
そんなこんなでやってきたいつものカフェテラス。目的のウマ娘はひとり、ウマホをいじって待っていた。
ライスシャワーと同じくらいには小柄な体躯は、意外とガッシリしているライスシャワーとは違い華奢なためさらに一回り小さく見える。
短めに整えられた鹿毛が揺れるのを見て、網馬は「そういやうち鹿毛か黒鹿毛しかいねぇな」などという感想がよぎった。
彼女こそ、今回のスカウト対象であり、ライスシャワーのアルバイト先の花屋の娘でもある、高等部のナリタタイシン。ナリタ流の所属ウマ娘である。
まとめて名門、寒門とくくってはいるが、名門は正確には名門と名家に分けられる。メジロ家、シンボリ家、トウショウ家など名門の代表とされているのは大概名家だ。
名家というのは、文字通りの『家系』である。ウマ娘レースに人生を懸け、自らの"血統"と"技術"、そして"矜持"と"名前"を繋いできた、連綿と続くウマ娘レースの貴族たちだ。それが影響しているのか、名前の一部を同じくするウマ娘が産まれやすい。
一方の名門は言ってみれば『流派』あるいは『私塾』に近い。サクラ軍団を筆頭に、ヒシ梁山泊、キョウエイ・インター組、マチカネ一門などがあるが、これらは血の繋がりは関係なく、小学生ほどの才あるウマ娘たちを集めて、トレセン学園へ入学するまでの指導を行うのだ。
この名門と名家に当てはまらないのは、名家である本流のニシノ宗家と、その分家であるが血縁はないために名門に分類されるセイウン分派やシロー分派を纏めての呼び方、ニシノ一家。
そして、かつてはひとつの名家であった幾つもの名家が連携して、ひとつの名門のように振る舞っている最大規模の派閥、
閑話休題、ナリタ流と言えば、オースミ流と源流を同じくしながらも指導方針の違いから独立し、ナリタの冠名*1を専門に指導するようになった門派であり、名門と言うには少々新興である。しかし、実績自体は出している。
ではナリタタイシンの評判はと言えば、あまり良いとは言えない。その原因は彼女の体格にある。ツインターボやライスシャワーを筆頭に小柄なウマ娘は少なくないが、ナリタタイシンは華奢に過ぎた。
「本当に走れるのか?」という台詞が嘲笑や揶揄、あるいは忠告や心配として囁かれる一方、強いという話はとんと聞かない。それは、彼女の後輩に当たるナリタブライアンが、デビューは更に先になるにも拘わらず既に高い評判を得ているのとは完全に反対にと言っていいだろう。
「お待たせしました、ナリタタイシン」
「……えっ、あ、はい……」
現れた人物が予想外だったのか、一瞬フリーズしたナリタタイシン。普段は気を張って比較的おおよその人物に対して敬語を使わないのだが、反射的に敬語が出てしまっていた。
元来臆病で人見知りする性格であり、さらには若干人間不信気味であるナリタタイシンにとって、胡散臭さの塊である網馬は一種の鬼門だった。胡散臭くはあるが慇懃で丁寧、かつ基本笑顔であるため、強く出ることに抵抗を覚えるためだ。
「私が今回貴女をスカウトしたいと考えている、チーム《ミラ》担当の網馬です。こちらはご存知かもしれませんが、うちに所属しているライスシャワー」
「えっと、ナリタタイシン……です」
「よろしくお願いします。あぁそうだ、ジューサーは気に入っていただけましたか?」
「!! えっと……あれ高いんじゃ……」
「先行投資です。それに経費で落ちます」
そんな話から始まった面接は、しかし「基本的には手紙に書いたとおりです」で終わった。ナリタタイシンにスカウトされる意思があり、網馬にはスカウトする意思がある。それで十分だった。
例えばこれが、時期が選抜レース直前でナリタタイシンが焦っていたり、悪評が今よりも更に多くトラブルが続いて精神を消耗していたり、トレーナーが無名の新人で第一印象に地雷を踏んでいたら、ナリタタイシンはもっとひねた反応を返していただろう。
しかし今のナリタタイシンは、今までの積み重ねで精神的な消耗はあるもののまだ余裕があり、新人ではあるものの実績を上げている網馬のアプローチが落ち着いた事務的なものであったために、冷静に受け入れることができた。
先に数万円にも及ぶ物資的投資を受けていたという点も大きい。価格というわかりやすい指標で示された期待であったために、人間不信気味なナリタタイシンであっても信用することができた。
ここで一度、場所を部室へ移すことになった。ナリタタイシンが加入を渋るようなら、ライスシャワーに持たせていた段ボール箱を渡して一度保留にするつもりだったが、案外するりと加入してしまったために、ライスシャワーは特に意味もなく荷物を持って往復することになった。
部室で腰を落ち着けて、網馬は本題へと入る。先んじての聞き込みで、ナリタタイシンがその体躯をコンプレックスとしていること、地雷であることはわかっていたために、先に「当面は弱点の補強を軸にします」と前置きした上で話し始める。
「自覚はあるかと思いますが、貴女の弱点は
「……はっきり言ってくれていいんだけど。体が小さいのが悪いって」
「いえ、小柄な体躯は戦術でどうにでもなりますのでそれはあまり」
てっきり普段受けているそれに繋がると思って強がりな面を出しかけたナリタタイシンは、肩透かしを食らってキョトンとした顔をする。
「バ群に入ると不利になるなら逃げか追込の脚質を選んで、そもそもバ群に触れないように逃げ切るか大外から差しきればいいので、問題は単に体を作るための栄養が足りていないことです」
「は、はぁ……」
「なので、当面は体質改善ですね。筋肉の材料であるタンパク質が不足した状態で過度にトレーニングを積むと、体は今ある筋肉を分解してエネルギーに変えようとするので、完全に無駄に終わります」
「あ、それライスも言われた。肩コリ」
「カタボリック*2です」
意識の隙を突かれて気の抜けた返事をするナリタタイシンの前で天然ボケを炸裂させるライスシャワー。それに突っ込む網馬が続けた説明は、わかりやすく的確だった。
「趣味はゲームとお聞きしたのですが、もしかして夜遅くまでゲームをやったりウマホをイジっていたりしませんか?」
「あ、えっと……はい……」
「夜は早めに寝てください。トレーニングの量が減るので趣味はその時間に。それと、ブルーライトカットメガネを支給するので、夜間はそれを使用して、ウマホもブルーライトを抑制するリラックスビューを使用してください。大抵どの機種にも付いています。
理由としては、睡眠が浅くなるからです。睡眠が浅いと、深い睡眠のときにしかされない成長ホルモンの分泌に差し障りますし、寝不足にもなります。実際昼寝をしているところが目撃されていますし。さらに、自律神経失調症にもなりやすくなります。こちらは既に症状が出ているようですね」
「えっ」
「見た限りでも疲れやすさや頭痛、ふらつき、イライラや不安、集中力と記憶力の低下、感情の起伏が激しくなるなどがあります。覚えがありますか?」
ナリタタイシンは頷く。身に覚えしかなかった。
「自律神経失調症は栄養不足と睡眠不足、ストレスから発症するのでそこを改善することです。なのでブルーライトによる負荷を減らして早めに寝てください。それと、食にこだわりもないようなのでこちらで消化吸収によいメニューを登録しておきます。食堂で三食食べてください。ジューサーで作るジュースも今後は食事メニューにあわせて指定します」
「は、はい……」
「トレーニング前にはBCAA、トレーニング後にはプロテインを摂取してください。これも当面はこちらで支給します。それと、ビタミンB群とビタミンCのサプリメントは、メモの通りの方法で摂取してください」
網馬からの怒涛の指示にもはや頷くことしかできないナリタタイシン。病院の診察のようだと感想を抱くが、実際これから始まるのは半ばリハビリである。
「トレーニングが軽くなるので不安はあるでしょうけど、貴女の体が正常に成長する状態になるまでは指示に従ってください」
「わ、かりました……」
「それと、今後のトレーニングメニューの参考にしたいんですが、なにか目標のようなものはありますか? 抽象的でも構いません」
ナリタタイシンは一度目線を下げ、何かを考えている様子を見せる。ナリタタイシンは今までの4人と違い、一門でレースに関する十分な知識を得ている。
それを踏まえた上で、しかしナリタタイシンは覚悟したようにこう述べた。
「見返したい……今までバカにしてきた奴ら、無駄だって嘲笑ってきた奴ら全員……!」
網馬から笑みが消える。ナリタタイシンは反応を試したのだ。網馬が信頼に足るか否か。
今までの問答で信用はできると考えている。しかし、身体を預けようと心を預けることができるかは別問題だ。
理解を示さないのであればあくまでビジネスライクな関係を築けばいいし、理解してくれるのならば。
網馬は少し考えたあと、再び笑顔を作って答えた。
「……了解しました。トレーナーとしてはウマ娘のモチベーションになるならそれでも構いません。具体的な目標は適性で判断しつつこちらで決定します」
あくまで事務的な反応。ひとまずはそれで納得しようとしたナリタタイシンに、しかし網馬はこう続けた。
「……というのが、
「……ぇ」
「私個人としては、是非成し遂げていただきたい。見縊られたまま終わりたくない、今まで嘲笑してきた奴ら全員吠え面をかかせてやると言う気概は非常に素晴らしい! えぇ、貴女の才能を見抜けなかった無能共を逆に嗤ってやりましょう、貴女なら叶います。いえ、私が叶えさせましょう!」
刺さった。網馬の心にぶっ刺さった。
何故ならこの男、まさにそのモチベーションでトレーナーとしての才能を開花させた男だからである。
「そうですね。それでは当面の大目標は凱旋門賞とキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスの制覇にしましょう。それとクラシックをひとつかふたつとりましょうか」
「えっ、ちょっ……」
そこまで行ったら見返すどころか大事件ではないだろうか。そんなナリタタイシンの思いをよそに、そもそも今年中に凱旋門賞制覇を予定している網馬はトレーニングメニューの調整に入る。
こうして、チーム《ミラ》に新たなメンバー、ナリタタイシンが加わり、ライスシャワーは「やっぱりこのトレーナーさん割と黒い人だ」との認識を再確認した。