万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
6月2週、京都レース場、宝塚記念開催。
チーム《ミラ》にとっては、初めてのグランプリレースとなる宝塚記念、アイネスフウジンは人気投票1位での出走となった。
他にはメジロ家からメジロライアンとメジロマックイーン、GⅠ3勝のハクタイセイ、カノープスのホワイトストーン、有馬記念では出遅れたミスターシクレノン、クラシック級のイイデサターンとイイデセゾン、古豪のバンブーメモリーなどが出走している。
アイネスフウジンが地下バ道を通ってターフに向かう途中、メジロライアンとそのトレーナーが話しているのを見かけた。
気迫がここまで伝わってくる。網馬ほどハッキリわからないが、それでもメジロライアンの調子が極まっていることはアイネスフウジンでもわかった。
自分の心に生まれそうになる弱気を押し込んで、アイネスフウジンはターフに立つ。例え負けるとしても、負けるつもりでターフに立つことはあってはならない。やるからには、全力での真っ向勝負。
ゲートが開く。真っ先に飛び出したアイネスフウジンは、ハイペースのままレースを進める。先頭に立ち、距離は離れているはずなのに、背中に受ける気迫は全く変わっていない。
ハクタイセイの鋭い気迫ではない、熱い、灼熱のような気迫。間違いない、メジロライアンの気迫だ。
しかし、アイネスフウジンにできることはひとつだけだ。全力で走り、押し切る。そうしてアイネスフウジンが最終直線に入ったとき、地鳴りが響いた。
それは、幻覚ではない。多くの観客が目にしていたのは、湯気。
メジロライアンの筋肉が隆起する。血管が脈動する。脚に溜まる乳酸の阻害を丸々無視して、前へと力強い一歩を踏み出し続ける。
全身が持った熱が汗を乾かし、湯気となって可視化する。
一歩一歩が地面を鳴らし、瞬く間にアイネスフウジンとの距離が詰まる。アイネスフウジンの"
麗しき肉体は麗しき精神より形作られる。暴風の前でも、奇跡の前でも、暗夜の前でも諦めず、ただ挑戦し続けた大器がその片鱗を遂に現した。
ゴール板が力強く踏み越えられ、観客席からは声援と黄色い声がかけられる。麗しきメジロの挑戦者が手にしたトロフィー。メジロの新たな道への第一歩を多くの者が祝福した。
そんななか、それを複雑な眼差しで見つめる人影を、メジロライアンは見逃さなかった。
「ごめんトレーナーさん、インタビュー後で受けるんで抑えといてください!」
「ちょ、ライアン!?」
レースからライブまでは、選手の体を休めるためのクールタイムが取られる。その時間はインタビューを受けたりもするのだが、メジロライアンがどこか走り去っていくのをアイネスフウジンは見かけた。
いつにもまして真剣な表情だったメジロライアンを心配して、アイネスフウジンはハクタイセイとともにメジロライアンを追いかけることにした。
選手用の通路と観客席の合流口に、果たしてメジロライアンはいた。観客席から来た誰かと話しているようだが、ライブホールへ行くところであったなら道が違う。恐らくそのウマ娘は帰るつもりだったのだろう。
鹿毛の長髪に細い流星。令嬢らしい服を纏った彼女の人相をアイネスフウジンは見たことがなかったが、その名前には覚えがあった。
「観に来てたんだね……パーマー」
メジロパーマー。アイネスフウジンと同世代にデビューしたもうひとりのメジロであり、メジロ家の未来を託されたメジロライアン、メジロ家の過去を課されたメジロマックイーンとは違い、誰が口にしたわけでもないが、
「……まだ、ライブがあるはずですが、ライアンさん」
「パーマーを見かけたからさ……そっちこそ、帰ろうとしてたよね」
「……このあと、トレーニングがありますので」
表面的にはにこやかに話しているようだが、メジロパーマーの表情には影がある。丁寧に突き放すような言い回しに、しかしここで引き止めなければ決定的にすれ違うような気がして、メジロライアンはさらに言葉を重ねた。
「あ、あぁ、ところで、最近調子はどうなの? 昨日のニセコ特別は惜しかったけど……」
「……いえ、私にはどうやら障害レースの才
「ちょ、障害レース!? なんで!?」
障害レース。有名かつメジャーなターフやダートで行われる平地レースに対して、長い距離を置かれた障害を飛び越えながら競い走る、ハッキリ言ってダートよりも更にマイナーな種目だ。
未勝利のまま一年が経過して出られるレースがなくなったウマ娘が、苦肉の策として障害レースへ転向する話は比較的よく聞く。しかし、メジロパーマーはオープン級で勝っている。障害レースへ転向するとはメジロライアンは思ってもいなかった。
そしてそんなメジロライアンを、メジロパーマーは更に突き放す。
「ライアンさん、私ごときにわざわざ意識を向けなくても構わないんですよ。所詮、私はあなたの予備なんですから……」
「ッ!! そんなことない!! パーマーはそんなんじゃ……」
「事実です。いいんですよ、私自身が一番わかっています。自分の才能が、あなたたちに遠く及ばないことくらい」
菊花賞と春の天皇賞を制覇し、メジロ家の使命を果たしたメジロマックイーンと、ここまでGⅠ勝利はなかったものの重賞では結果を出し、そして今日遂にGⅠを初制覇したメジロライアン。
それに比べると、メジロパーマーはメイクデビュー後連続2着、その後の未勝利戦とオープン戦で連勝したきり勝ち星がないまま骨折で長期療養。復帰してからも勝つことができぬまま、また故障。
その格差、実力差は素人目に見ても明らかであり、他ならぬ本人が一番それを理解していた。だから、障害レース転向も視野に入れたトレーニングを始めていたが、メジロパーマーは有り体に言って、障害を飛び越えるのが拙かった。
元々他のふたりに比べて期待されておらず、結果も出せていないから注目すらされていないメジロパーマーの中では、あからさまなほどの劣等感が渦巻いていた。
「そ、そんなこと……」
「中途半端に優しくしないでください……! もう、私はあの家に見放されているんです。これ以上、私をあそこに縛り付けるのはやめて……」
そう吐き捨てて、メジロパーマーはメジロライアンの制止を振り切って走り去る。ライブの時間が迫っているメジロライアンがそれを追うことは叶わず、結局、その背中を見送ることしかできなかった。
メジロパーマーの背を見ながら、メジロライアンは呟く。
「……なら、なんで観に来てくれたんだよ、パーマー……」
諦めたいのに、諦められないから辛い。ウマ娘が最も多く体験する苦難を抱えた縁者に、メジロライアンはただ自分に何ができるのかを考えていた。
重たい空気の中、しかしライブが始まりかねないためにアイネスフウジンもメジロライアンに声をかけざるを得ない。あまりにも気まずく、どちらが声をかけるかハクタイセイと譲り合っているうちに、メジロライアンがアイネスフウジンとハクタイセイの存在に気がついた。
「あ、えっと……ライアンちゃん、ライブ始まっちゃうの……」
「あぁ……ごめん、ありがと。情けないとこ見せちゃったね」
困ったように笑うメジロライアンの顔には、グランプリの勝者とは思えない悲哀が見て取れた。
メジロ家の暗雲は未だに晴れず。
メジロ三部作、メジロライアンの無力感→責任感、完結。
メジロパーマーの劣等感へ続く。