万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
一人称、口調など修正しましたが、性格や言動などに違和感が残るものになっています。ご了承ください。
どんより。
そんな擬音がまさに似合うと言った空気が、中央トレセン学園のとある教室、その一角に展開されていた。その席に座っているのは、当たり前ではあるがトレセン学園の制服に身を包んだウマ娘である。
長い芦毛を襟首で結んで背中に流し、木綿の鉢巻を締めたウマ娘。両肘を机につき、手の甲に口元を埋める彼女の目つきはギラギラと鋭く光っている。
元々目つきが悪い方ではあった。何が不機嫌なのか、今の彼女は普段のそれを大きく上回る、触れるもの皆傷つけるような危うさがある。
周りのウマ娘も、今までの生活で触れてきた彼女の人格を鑑みれば、無闇矢鱈と人を傷つけるようなことはしないとわかっていても、本能的な恐怖が先に来るようで、彼女の周りには空白ができていた。
そんな彼女に遂に声をかけたのは、教室に入ってきたばかりの彼女の友人たちであった。
「ちょっ、ハクタイセイ大丈夫!? ダイエット中のマックイーンみたいになってるけど!?」
「何かあったのー?」
「……ライアン殿……アイネス殿……」
そのウマ娘――ハクタイセイは、絞り出すようにか細い声を返す。普段の凛とした彼女とはかけ離れた雰囲気だ。
アイネスフウジンのメイクデビューから数日後、ハクタイセイもメイクデビューに挑んでいる。メジロライアンはアイネスフウジンよりも先にメイクデビューを終えているので、この3人は既に全員がメイクデビューを迎えていることになる。
生憎、アイネスフウジンはバイトのシフトが入っていたためにハクタイセイのメイクデビューを見に行くことはできなかったが、URA公式アプリの出バ表を見る限り、ハクタイセイもメイクデビューを勝ち抜いたはずだ。
「レースの内容に不満でもあった?」
「も、もしかして、故障とか……?」
2人の言葉にハクタイセイは弱々しく首を振る。そして、弱々しい声で一言「パドック……」とだけ返した。
パドック。準備運動のための周回レーンと中央にあるランウェイで、ファンたちに自分の調子をアピールする場のことだ。
このパドックでの様子を見て、ファンたちはウイニングライブをできる限りいい席で見るべく1着を予想して、あるいは単に推しだからという理由でチケットを購入する。
そんなパドック。要するにお披露目台であるが、何かあったのだろうかと、アイネスフウジンはウマチューブを開いてハクタイセイのメイクデビューのパドック映像を調べ始める。
そして、すぐにそうとわかるタイトルの動画が出てきた。
「『【悲報】オグリファン芦毛ウマ娘、パドックでスベり怒りの大差勝ち』」
無慈悲なアイネスフウジンによるタイトル読み上げにより、ハクタイセイの体がビクンと大きく跳ねる。
再生された動画に映っていたのは、上着のジャージを纏ったハクタイセイ。その目は鋭く観客を向いており、仕上がりは上々に見える。
そして数秒後、ハクタイセイは羽織っていた上着を勢いよく脱ぐと、その場に力強く叩きつけた。ビターンと音をたてるがごとく。
ハクタイセイには心から尊敬するウマ娘が3人いる。
ひとりはハクタイセイの師である、『日本の』とさえ呼ばれたアイドルガール、ハイセイコー。
ひとりは恵まれない生まれながら不屈の闘志で這い上がり、有終の美を飾ってみせた『白い稲妻』、風か光かタマモクロス。
そしてもうひとり、地方からやってきて中央を震撼させた、今の日本で知らない者はいないだろう『芦毛の怪物』オグリキャップ。
縁深い自らの師とは別に、日本ウマ娘業界に蔓延る論説、「芦毛のウマ娘は走らない」という呪いから自らを解き放ってくれた芦毛のふたりを、ハクタイセイは尊敬、いやさ崇拝、或いは信仰していた。
自らも芦毛の先達に続き、芦毛への偏見を払拭してみせる。あるいは偉大なる先達に恥じぬ走りを見せる。そんな決意を籠めたアピールだった。
の、だが。オグリキャップ自身の知名度は高くとも、GⅢのパドックの出来事である。言ってしまえば、マニアック過ぎてわかる者が少なかった。
わかる者はわかる者で「ほう、あいつなかなか分かってるじゃないか」と勝手に納得して騒ぎ立てたりはしないので、パドック現地はただただ沈黙が降りてしまった。
故に、スベった。
映像のハクタイセイは渾身のドヤ顔を観客に向け、その雰囲気を察するごとに若干表情がひきつり、やや速歩きでパドックを後にした。
そしてシーンが変わり、映されたのはゲートが開いた直後に大逃げを始めるハクタイセイの姿。ハクタイセイの得意脚質は王道の好位追走、つまりは先行である。
解説の「掛かってしまっているようですね。一息つけるといいんですが」の声が現状を正しく表していた。
その結果、大差での勝利にはなったが、代償としてスタミナを使い尽くしグッタリと倒れ込むハクタイセイの姿が映されて、動画は終わった。
動画を見ていたアイネスフウジンとメジロライアンの視線がハクタイセイに戻る。あるいはやり取りに耳を傾けていたクラスメイトたちの視線がハクタイセイに集まる。ハクタイセイの目は据わっていた。
「オグリキャップ殿を模倣しておいて大衆の前で無様を晒す……あまりにも……あまりにも生き恥……師の顔に泥を塗る蛮行……」
拙い。その後の展開を覚ったクラスメイトたちが身構える。比較的ハクタイセイに近いが故にいつでも押さえられるようにする者。極力関わらないように後列に引っ込む者。ウマホを取り出す者。
「……っ! 私は恥ずかしいっ!!」
それはそうだろう。そんな感想が心中で一致したクラスメイトたちの見ている前で、ハクタイセイは椅子から崩れ落ちたかと思ったら、その場で正座をした。
勢いよく制服のトップスを脱ぎ捨てると、女子高生にしては簡素なブラに包まれたバストがあらわになる。当然ヒトオスはこの場にいないので、そんなサービスシーンに興奮する者も僅かだ。
「到底生きていられんっ!!」
ハクタイセイが慣れた手付きでカバンの外ポケットから取り出したのは、彫刻用の小刀であった。
ハクタイセイは小刀の鞘を素早く抜き放ち、刃先を自らの白く滑らかな腹部に向ける。
「かくなる上は命で以て
「確保オォォーッ!!」
それを合図にハクタイセイを拘束するクラスメイトたちの手付きは手慣れていた。いつものことなのだ。
「放せ!!」
「放すわけないだろアホ侍!!」
「誰か刃物! 刃物
「後であんたらのウマスタとウマッターチェックするからね!! これあがってたらマジ往復ビンタね!!」
「ライアンさぁん!! 早くっ、そんな保たない!! なんで死に向かってそんな毎度アグレッシブになれるのこの娘ぉ!!」
漢字の成り立ちがよくわかる光景である。
結局いつものように、メジロライアンによるアームバー*1が炸裂して事態は終息に向かう。
「ぐあああああああ!!」
「今だ!! 刃物取れ!! だから写真じゃねえって!!」
「待って!! ライアンさんプロレス技かけて恍惚としないで!!」
「はっ! ごめん、筋肉が喜んでたから……」
「これだからメジロ家は!!」
「死ぬ! 死んじゃう!!」
「いや死のうとしてたんでしょアンタ」
☆★☆
「……騒がしいですね……私、抗議しに行って参ります」
「ハハ、元気があるのはいいことだよ、ルビー」
「それでも限度があります……!」
そんな大立ち回りが演じられているアイネスフウジンたちの教室の直下。保健室でふたりのウマ娘が話していた。
片や黒鹿毛を2本の縦ロール――ツインドリルではなく横髪をロールするタイプである――にセットしたウマ娘。長く伸ばした後ろ髪のサイドは三つ編みの編み込みがあり、結び目にはルビーの髪飾り。左耳につけた耳飾りは赤と黄の薔薇をあしらったコサージュになっており、後頭部に結んだ大きな赤リボンが目立っている。
もうひとりは弱々しくベッドの上で体を起こしている、水色の短髪のウマ娘。右耳に青いラインが入った黄色い耳カバーが特徴的だ。
「ミラクルさんのお体に障ったら大変なんですよ? 一昨日もまた高熱を出したと聞きましたし……」
「父さんもルビーも大袈裟だよ。おれにはこのくらいいつもの事なんだから……」
「ミラクルさんが呑気すぎるんです……! 皆さんに恩返しするのでしょう? 私だってミラクルさんがいなくなったら……」
「ウェーイ! お嬢たちいるー?」
ガラガラと扉が開かれるや否やテンアゲ盛り盛りな声が聞こえたと同時に、赤リボンのウマ娘の顔から表情が抜けた。
そして現れたテンションの高い、青いエクステ混じりの黒鹿毛に対してアイアンクローをかけ始めた。
「あだだだだだだだぁ! やっべ、マジパない!! ガチの痛みでつらたにえんなんだけど!?」
「ミラクルさんが休んでらっしゃるんです。少し静かにしていただけませんか……?」
「あはは、ルビーとヘリオスは仲がいいなぁ!」
ダイイチルビー、ケイエスミラクル、ダイタクヘリオス。保健室の常連客たちである。もっとも、本当の意味で保健室を利用するのはケイエスミラクルのみで、ダイイチルビーはその付き添い、ダイタクヘリオスはそんなダイイチルビーを追いかけてやってくるのだが。
病弱で倒れがちなケイエスミラクルを一度助けたのをきっかけに、何が琴線に触れたのかケイエスミラクルの世話を焼き続けるダイイチルビーと、そんなダイイチルビーを気に入ってちょっかいをかけ続けるダイタクヘリオス。
3人ともに同学年ではあるが、ダイタクヘリオスとダイイチルビーは既にメイクデビューを終えており、ケイエスミラクルだけは体調の問題で来年デビューとなる。
マイル〜スプリントという短距離路線を争うライバルたちである。
「まったく……それで、なんの用事ですか?」
「……へ? 用事?」
「お帰りはあちらです」
「うぃ〜〜〜〜」
今日もお嬢様はつれない。促されれば特に文句も言わず帰るダイタクヘリオスを見送って、保健室の扉が閉まる。
ケイエスミラクルとの時間を邪魔されて憤懣やるかたないダイイチルビーと、それを微笑ましそうに見守るケイエスミラクル。なんだかんだ言いながら、これで成り立っている3人である。
一方のダイタクヘリオスはその日の放課後、ある一軒家に来ていた。
その家の主である女性はダイタクヘリオスの姿を認めると、「いつもありがとうね」などと声をかけて中へ招き入れる。
女性に手土産を渡して向かうのは2階の一室。部屋の中には、流星のある栗毛のウマ娘がひとり、ベッドの上に腰掛けていた。その左足には、鈍重なギプスがついている。
「……いやぁ、治らんねぇ、ゼンちゃんのイップス*2」
「心の持ちよう、というのは分かっているのだけれどね……」
栗毛の彼女は既にレースを引退した身だ。その原因は正真正銘左足の故障。現在は身体的には完治したはずなのだが、左足は未だに痛みを訴えてきている。
最大のライバルとされたあのウマ娘へ仕掛けてしまった斜行が原因か、あるいはその次のレースで受けた体当たりが原因か。それとも他に原因があるのか、彼女は心に傷を負って、未だ癒えていない。
厄介なのはその心の傷が表面的には本人にすらわからないことであり、目下その原因の最有力とされている相手には様々な理由で会えていない。
「彼女も忙しいから……」
「ゼンちゃん、マジお人好し過ぎんよ……ま、なんかあったらウチも協力するからさ! のんびりいくしかないっしょ!」
彼女はダイタクヘリオスの姉貴分のような存在だった。昔から色々と世話を焼いてもらい、ダイタクヘリオス自身も彼女のことを慕っている。
だからこそ、彼女の現状に納得いっていない。確かにあのクラシック戦線で、彼女はどうやっても二番手にしかなれなかったかもしれない。
しかしあとから分かったこととはいえ、彼女にはスプリンター、マイラーの資質があった。故障さえ、イップスさえなければ、マイルの天才として『マイルの皇帝』と対等に渡り合ったかもしれない。
現実はそうならなかったと分かっていても、そう思わずにいられない。
ふと、栗毛の彼女がベッドサイドにあるラックに並べられた写真立てを眺めていた。彼女は時折、在りし日を眺めるようにそうする。
ダイタクヘリオスも同じようにそれを見る。その瞳には彼女らしからぬ剣呑さが宿っていた。
「ルナ……私は……」
そう呟く姉貴分の前に、いつかあの『皇帝』を落日させて引きずり降ろす。そう心に誓い、太陽は今日も輝く。忘れてはならない。闇を照らす太陽の表面は、いつだってグラグラと煮えたっているのだ。