万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい 作:仙託びゟ
8月1日。チーム《ミラ》の面々はトレセン学園正門前へと集まっていた。昨年はなかった夏合宿を今年はやると網馬が言い出したためだ。
とはいえその話がなされたのはナイスネイチャのメンタルが死んでいた5月末のこと。丸2ヶ月準備期間があったため特に問題なくことは進んだ。
ちなみに、アルバイトをやっていたアイネスフウジンとライスシャワーは長期欠勤手続きをした上での参加になる。アイネスフウジンに関しては、ダービーウマ娘になってからはバイト先に一目見ようと野次ウマが詰めかける事態になり、接客業系のバイトは辞めざるを得なくなっていたのだが。
正門前に現れた
「なげー!」
長かった。
ストレッチリムジン。金持ちが乗ってる胴体部分が長いあの車が、トレセン学園正門前に鎮座していた。
実はその事象自体はそれほど珍しくない。名家のウマ娘が実家に送迎を頼んだ場合、大抵こういうお前はどこへ向かうんだといった風情の高級車が現れるからだ。
問題は、送られるのが揃って庶民の一般人だということである。
「お待たせしました。乗っちゃってください」
「乗っちゃってくださいっていうか……えー……」
ナイスネイチャが困惑の声を出している間に、網馬がドアを淡々と開けていく。
イメージしているようなキャバクラのソファとテーブルがそのまま入ってるような横向きのベンチシートは既に法で禁止されているため、単純にシートの列が増えただけだが、それでも十分な衝撃を与えている。
固まって動けないナイスネイチャとナリタタイシンを尻目に、ツインターボとライスシャワーが躊躇なく乗り込んでいく。もう一度言うが、ライスシャワーはこれが初見のはずである。
「わー……伸ばしたの?」
「あぁ、いえ、これは別に買いました。車種は同じですが。ストレッチリムジンしかないと不便ですし」
(そりゃ不便だろうけど。そんなシャー芯のBとHBみたいなノリで?)
混乱しているナイスネイチャは自分の
とはいえ乗らなければ始まらないので、慣れているために先の質問の後すんなりと乗ったアイネスフウジンに続いてナイスネイチャとナリタタイシンも乗り込んだ。
助手席にアイネスフウジン、2列目に躊躇なし組、3列目に躊躇組である。
高級車の多機能によるOMOTENASHIを受けながら1時間弱、目的地に到着したチーム《ミラ》は駐車場からさらに移動する。
「そういえば、これから合宿なのに車は置いてくの?」
「知人に頼んでトレセン学園へ運転していってもらう予定です」
「……ねぇ、さっきから気にしないようにしてたんだけど……ここ、空港だよね? ……合宿先って、どこ?」
ナイスネイチャが冷や汗を垂らしながら網馬へ聞く。先程の高級車のことを考えると可能性がないと言い切れなくなったからだ。
そしてその問いに、網馬はあまりにもあっさりと答えを述べた。
「パリです」
パリ、巴里、Paris。フランスの首都。花の都。
いきなり告げられた海外渡航にナイスネイチャとナリタタイシンが宇宙へ行っている間に、手続きは完了し、チーム《ミラ》は空の上へと旅立った。
ちなみに、パスポート類は海外遠征の可能性から入学時に発行手続きが行われており、生徒手帳と同じカバーケースに入れられているため、基本的にみな持ち運んでいる。
「アノ……合宿1ヶ月間って聞いてたんスけど……パリに? 1ヶ月?」
「そうですね。30泊31日です」
「桁……!」
飛行機の中、庶民派ウマ娘のナイスネイチャが頭を抱えた。当然初海外である。
トレセン生が想像する夏合宿の行き先と言えば、海か、山か、避暑地――例えば北海道である。それがまさかのパリ。
「昼は外で食べるよー」などと親に連れ出され、ファミレスでも行くのかなと思っていたら高級レストラン、しかも親はいつの間にかドレスコード完璧みたいな状況に戸惑うナイスネイチャは、自分の
「え、どうしよ。アタシ、フランス語とか話せないんだけど」
「こちらの伝手で通訳を依頼してありますし、パリ市内なら主要な施設は英語が通じますよ。それに、最近のウマホの翻訳アプリはすごいですしね」
加入から2ヶ月の間に敬語が抜けたナリタタイシンの真っ当な心配を、網馬がしっかりとフォローする。網馬家は家業の関係で海外へ行くことが多いため、通訳との広い伝手があった。
なお、これらの会話は口頭ではなくメッセージアプリを介して行われている。理由は簡単で、口頭の会話ができる状況ではないからだ。何故か。
「ねぇ、目を逸らしてたんだけど、これってファーストクラスなの……?」
「いえ、ビジネスクラスですけど」
「これで……!?」
ほぼ個室だからである。
飛行機でイメージするような1列6席とかのシートではない。壁に囲われたネットカフェのような、しかしさらに豪華度を増したような席である。
シートもふかふかで、おおよそ庶民が想像できるものではなかったため、アイネスフウジンは絶句した。
網馬的にはファーストクラスにしなかっただけ庶民派たちの胃と精神に配慮したつもりであるが、彼女たちは完全にファーストクラスだと思い込んでいたのだ。
ビジネスクラスと聞いていくらか楽になったが、残念なことにビジネスクラスでも片道で1人2桁万円後半ほどの値段になることを彼女たちは知らない。ちなみにファーストクラスだと1人200万円ちょい*1だ。
無邪気にアニメ映画を見てキャッキャしているツインターボや機内食のカレーをもりもり頬張るライスシャワーが図太いのである。いや、ツインターボに関してはすごさを理解しきれていないのかもしれない。
「パリまでは13時間ほどかかるのでそれまでは自由時間です。メッセージアプリが使えているのでおわかりでしょうけど、
その直後、ナリタタイシンはウマホゲーへと没頭し始めた。自分のよく知る世界へ旅立つことで精神を落ち着けようとしているのだ。
アイネスフウジンも持ち込んでいたサブトレーナー試験*2のテキストを読み始め、会話が完全に途切れた。
ナイスネイチャはこの落ち着かない空間で何をしようか迷った挙げ句、結局機内食を食べて寝る以外は、ウマホでのインターネットサーフィンで時間を消費したのであった。
パリに到着したチーム《ミラ》一行は、現地空港で通訳と合流し、マンションへと向かう。流石に1ヶ月の長期滞在となると、ホテルよりマンスリーマンションを契約したほうがやすくあがった。
流石に到着したその日は休みとなり、翌日からのトレーニングとなった。
日本に比べてウマ娘レース先進国であるフランスは流石と言ったところか、一般に開放されているトレーニング広場でもしっかりと芝が張られているところがあった。
申し訳程度にレーンがあるだけなので、決してレースコースと言えるようなものではないが、トレーニングには十分だ。
「洋芝は、例え丈が日本の野芝に比べて短くても、地下茎の密度が高いためクッション性が高く、力が吸収されて伝わりにくい傾向にあります。十分なパワーを発揮するにはしっかりと芝を掴むことが必要です」
そう説明されてどんなものかと走ってみたチーム《ミラ》のメンバーだったが、言われた通り思うようにスピードが出せない。日本のダートコースや重バ場を走っている感覚に近く、足が沈み込んでしまうのだ。
結局、1日目はロクに慣れることもできないままトレーニングを終えることとなったチーム《ミラ》のメンバー。夏合宿でのトレーニングはおおよそこの感覚に慣れることに費やされた。洋芝でしっかりパワーを伝える感覚を養えれば、それは日本の芝でも活かせる武器になる。
それと同時に、《ミラ》の普段のトレーニングでは脚への負担を考えてあまり行われないために養いにくい『前へ踏み込む筋肉』を鍛えるトレーニングを行った。
洋芝への適応が早かったのはアイネスフウジンだ。元々最近は洋芝を見据えたトレーニングを多く積んでいたのが要因だろう。とはいえ、それでも合宿期間ギリギリまでかかってのことだった。
アイネスフウジンに次いで慣れ始めるのが早かったのはツインターボだった。元々ピッチ走法は芝質やバ場状態での不利が比較的少ないためだろうが、しかし慣れはしてもトップスピードは日本でのそれよりかなり落ちていた。
苦戦したのはナイスネイチャ、ライスシャワー、ナリタタイシンの3人だ。ナイスネイチャは単純に向いていない。ライスシャワーは向いていないなりにコツは掴んでいたがパワー不足。ナリタタイシンは適性はあるがパワー不足と言ったところか。
トレーニングの内容はコツを掴むためのペース走、インターバル走と、パワー強化のための併走が主で、週に1回ずつ、完全オフで観光をする日とフランスのレースを観に行く日を作った。やはり、生で見てみるとわかることも多い。
「さて、レースを幾つか見てもらいましたが、日本のレースとの主な違いがわかりますか?」
「はい! 全体的にスローペースなレースが多かったの!」
「うん、あれだと、追込のペースで走っても中団より前に出るかもしれない」
フランスのレース場は自然の地形を利用したものが多く、日本のコースに比べると起伏が激しい。そのため、スタミナを多く消耗し、パワーも必要になる。その上に洋芝の重い芝質だ。前半は大幅にペースを抑えると言うのがフランスのレースの定石となる。
「それを理解しないで走っていると、普段のレースが出来ずにペースを崩し、負けてしまうというパターンは多いです。逆に、凱旋門賞をとったようなウマ娘がジャパンカップでは高速バ場に適応できず、スピードについていけないまま負けてしまうパターンもあります」
「なるほど……」
「はい! でも、ひとりすごい速く走ってるのいたよ? ギューンって!」
「垂れてたけどね……あと、露骨にブロックしてるのとか……」
「ラビットと呼ばれる選手ですね。海外レースはチーミングプレイが制限されていないので、反則にならない程度にペースを乱したりブロックしたりと、他陣営を妨害する専門の選手が走るんです。日本ではあまりないことなので、走るときは気をつけてください」
芝質の違いの他にも、このように基本戦術からチーミングなど、慣れない定石の壁に阻まれるケースは非常に多いことを、網馬は繰り返し伝えた。
そして次のレースの終盤辺り、アイネスフウジンがモゾモゾとし始め、ゴールと同時に勢いよく立ち上がった。
「ご、ごめん、ちょっとお花摘んでくるの!!」
「あ、ちょっと、通訳を……あー……」
余程焦っていたのか通訳を置き去りにして観客席を出て、会場内でトイレを探していたアイネスフウジンだったが、なかなか見つからずに焦り始めた。
従業員に場所を聞こうにも、フランス語は当然ながら英語でもなんと言えばいいか思い浮かばず、尿意と焦りは翻訳アプリの存在も忘却させていた。
本格的にヤバい。旅の恥はかき捨てというが、数ヶ月後ここに全力をぶつけに来るのにこんな恥をかき捨てていけるわけがない。アイネスフウジンがなんとか身振り手振りで場所を聞こうと決意したとき、後ろから声をかけられた。
「あれ、アイネスなにしてんの? トイレ行けた?」
「た、ターボちゃん!」
「場所わからないの? ターボ聞いてこよっか?」
アイネスフウジンが何か言う間もなく、飲み物を買いに来たツインターボがトテトテと従業員に寄っていった。
そして驚いたことに、とても流暢な英語で会話をし始めたのである。
アイネスフウジンが尿意も忘れ呆然とそれを見ていると、ツインターボがにこやかに戻ってきた。
「あっちだって! 行こ!」
結論から言えば、アイネスフウジンは間に合った。
その後、網馬たちと合流し、先程の出来事が話題に出る。
「ターボちゃんが英語話せるって知らなかったの……」
「そう言えばターボが英語の授業で撃沈してんの見たことないし、英語の成績は異様にいいんですよね……」
「そりゃ日米ハーフですからね、ツインターボは」
「「そうなの!!?」」
網馬から落とされた衝撃の事実に、ふたりは驚きの声を上げた。ナリタタイシンとライスシャワーはあまり興味がないのか、ふたりでチュロスを食べている。
「彼女のお父上がアメリカの生まれで、馴致指導員もアメリカの方だったから、幼い頃から英語に触れる機会が多かったんでしょうね。聞いている限り日本語より達者に話してますよ」
「へぇ〜……人は見かけによらないってホントだよね……」
網馬も含めたチーム《ミラ》の中で1番英語が得意なのがツインターボだったりする。ちなみに、網馬は普通にフランス語で会話をしていた。
そんなこんなで1ヶ月が経って夏合宿が終わり、再びビジネスクラスの飛行機へ乗り込んで日本へ、そしてトレセン学園へと帰ってきた。
ツインターボなどは夏休み明けに自慢するなどと言っているが、学校の課題がかなり残っていることを忘れているので網馬に泣きつくことになる。
ひとり部室に残っていたアイネスフウジンが、網馬へと話しかける。
「次に行くのは9月の中頃かぁ……ねぇトレーナー、本当にフォワ賞に出ることは
「あぁ。凱旋門賞も、レース中継の準備やら現地でみたいやつ向けの旅行プランの準備がギリギリできるあたりまで公表しない。そのほうが驚くだろ?」
フォワ賞と凱旋門賞はフランスのレースであり、当然URAの管轄ではない。そのため、極論を言ってしまえば参加を報告する義務はない。*3
凱旋門賞挑戦は色々なところにとってのビジネスチャンスなので、直前まで隠しておくと流石にバッシングが来る。
そのため、時期を見計らって凱旋門賞挑戦の方は公表するつもりだが、フォワ賞は場合によっては、誰も知らないうちに終わるだろう。海外遠征が報道されていない状態では、海外のGⅡレースを見る者はかなり少ない。
「それより大丈夫か? 通訳以外ついていかせなくて」
「大丈夫なの。できれば当日くらいは来てほしいけど……ネイちゃんやターボちゃんの菊花賞と秋天も近いし、ライスちゃんも結局クラシック期で海外の長距離重賞挑戦するでしょ? ついててあげてほしいの」
フランスでは話題にあがらなかったが、海外遠征での敗因にはもうひとつ、メンタル面が大きなウェイトを占めている。
言葉が通じない完全なアウェー。心細くないはずがなく、精神の摩耗はそのままレースに直結する。
「そうか……キツくなったら連絡よこせよ。半日待てば着くから」
「何十万かかるのをそんなに気軽に言えるのは稼げるようになってからも全くわからない感覚なの……」
約束を果たすため、風神は花の都を駆ける。
その日は、着々と近づいていた。
海外へ行った経験がないため描写に違和感がある可能性があります。お許しください。