万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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風神と雷神のワイルドハント

 時は9月22日。ナイスネイチャが参加したセントライト記念。ナイスネイチャが1着となったこのレースのインタビューでチーム《ミラ》のトレーナーである網怜が、昨年のダービーウマ娘アイネスフウジンによる凱旋門賞出走を公表した。凱旋門賞の開催日が10月6日なので、既に開催2週間前である。

 それはまさに青天の霹靂だった。報道陣にとっても、ウマ娘レースファンにとっても、URAにとっても、そしてナイスネイチャにとってもである。

 GⅠレースすべてで連対、GⅡ以下では負けなし。なるほど、確かに海外挑戦は妥当な判断である。しかもトライアルレースとなるフォワ賞を既に制覇しているとさえ言っている。

 この時点で、フォワ賞からは既に1週間経っており、URAから問い合わされた仏連の職員はこれが事実であることを証言しながら「何故貴国がこのことを知らないのか」と心底不思議そうに質問したという。

 

 マスコミ各社は慌てた。アイネスフウジンへインタビューしようにも、既にフランスへ旅立ってしまっており、では他のチームメンバーにと思っても、そちらにとっても初耳であったろうことは意識を宇宙へ飛ばしているナイスネイチャを見れば瞭然だった。

 残っているのは網だけで、こちらはのらりくらりと追及を避けてくる。公表が遅れたことに関する批判も同様で、「びっくりしたでしょう?」という一言しか返ってこなかった。

 旅行会社は慌てた。シンボリルドルフのアメリカ遠征以来の、日本ウマ娘による海外挑戦。しかもURAの悲願である凱旋門賞である。当然その集客力はすごいものとなる。飛行機の予約は瞬く間に埋まり、中には今からパリへ飛んであちらで凱旋門賞を待つ者さえいた。

 URAは慌てた。飛行機の予約が埋まっており、テレビ中継スタッフが現地へ飛べないのだ。最終的に、国営テレビのスタッフを中央トレセン学園理事長の自家用機に乗せてパリへ飛ぶことになった。

 

 そして、ナイスネイチャも慌てた。翌日、何も聞いていなかったのにクラスメイトから質問攻めされたためだ。とはいえ先日、ツインターボを筆頭にフランスでの夏合宿の話をしてしまっている。無論、ナイスネイチャも鼻につかない程度に自慢していた。なにか知っていると期待するのも仕方ないことだろう。

 

 そんなこんなで各所がとにかく準備に奔走している間に、2週間はあっという間に過ぎた。

 

「最近皆さんお疲れ気味のようなので、3日ほど休養を取ります」

 

 お前のせいだろと言いたくなる網の一言で練習が休みになった凱旋門賞当日、学園にいると質問攻めに遭いそうなナイスネイチャは、商店街の馴染みのバーへと足を伸ばした。もちろん、そこの人間関係とお馴染みなだけであり、ナイスネイチャが飲酒をしたことはない。

 

「あら、ネイちゃんいらっしゃい」

 

「おぉちょうどよかった! ネイちゃんちょっとそっち座って! ひとり帰っちゃってメンツが足んねえんだわ!」

 

「ちょっと〜、アタシうら若き乙女なんですけど?」

 

 そう言いながらも、ナイスネイチャは据えられた麻雀卓の空席へ座る。馴染みのおっさんふたりとトレセン生の知らない先輩であろうウマ娘が席に着いていた。

 「菊花賞頑張ってね」などと言われながらサービスされるオレンジジュースをありがたくいただき、周囲の環境から慣れてしまった手付きで牌を並べていく。

 店の天井近くにあるテレビには、これから始まる凱旋門賞の中継が映っている。

 

「今あれに出てる娘、あなたのチームメイトなんでしょう?」

 

「へ? あ、えぇはい。そうですね……」

 

 先輩らしきウマ娘に聞かれて、ナイスネイチャは若干生返事気味に答える。その様子を見て、そのウマ娘は更に質問を重ねた。

 

「相手は強敵。前走キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで7馬身差を叩き出したGⅠ4勝ウマ娘、ジェネラスと、そのジェネラスとアイルランドダービーで競り合ったスワーヴダンサーのふたりを筆頭に全員が日本のGⅠウマ娘クラス……本当に勝てると思う?」

 

 挑発じみた質問に、ナイスネイチャは相手の顔を改めて確認する。が、鹿毛の長髪をポンパドールにセットしたそのウマ娘の顔に、やはり見覚えはない。

 だからナイスネイチャは、当たり前のことを答えることにした。

 

「いやー、勝てるかどうかはわかりませんけどね。少なくともアイネスさんは勝つつもりであそこに立ってると思いますよ」

 

 そう答えて視線を戻したテレビ画面の中では、見慣れたピンクの勝負服のウマ娘がゆっくりとストレッチを行っていた。

 

 

 

☆★☆

 

 

 

 10月6日。パリ・ロンシャンレース場。凱旋門賞、開催。

 バ場は湿り気を含んだ稍重。洋芝でこの重さは相当な覚悟が必要だと、アイネスフウジンはウォームアップランで念入りに感覚を確かめる。

 1番人気は前走を同格のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで後続に7バ身差の圧勝を見せたジェネラス。アイネスフウジンはフォワ賞での勝利を加味しても、14人いる中で12番人気だった。

 久方ぶりの日本からの挑戦者を、フランスの目が肥えたレースファンたちは興味深そうに眺めている。そしてウマ娘からは、やや侮りの視線が向けられていた。

 

『ウマ娘後進国から来た挑戦者か……しかも、前走が初めての海外戦……ラビットを相手にした経験もないのか……?』

 

 母国語で呟いたのはスワーヴダンサー。明確にライバルと決めているのはジェネラスであり、アイネスフウジンは変わったラビットとでも考えるつもりだった。

 何故なら、アイネスフウジンの脚質はハイペースな逃げ。パリ・ロンシャンでのセオリーとは真逆のものだからだ。

 何か挑発してやろうと思っても、どうやら言葉がまともに通じない。これだから英語後進国*1はと、スワーヴダンサーは悪態をついた。

 

 アイネスフウジンは先日のフォワ賞を走って得た経験を思い出す。坂が得意なアイネスフウジンでも、このパリ・ロンシャンレース場の坂はキツいと感じるものだった。600m間で高低差10m。

 これは、日本のレース場で最も大きな急坂である中山レース場の急坂の2倍を超える高低差になる。さらに、平坦な最終直線は東京レース場の最終直線とほぼ同じ長さである。

 観客席に詰めかけた日本人観光客の数は例年の数倍となっている。それだけの人間が、アイネスフウジンのレースに期待しているのだ。

 

 フランスのレースにファンファーレはない。風車下のゲート内でアイネスフウジンは深く集中する。アイネスフウジンはゲートが得意である反面加速力に難がある。テンの遅さをゲートの巧さでカバーしているのだ。

 だが、凱旋門賞においてはその不利はおおよそ関係なくなる。

 

 ゲートが開くと同時に2番のアートブルーが飛び出す。速いペースが他のウマ娘たちの感覚を狂わせる。間違いなくラビットだ。

 一方のアイネスフウジンはゆっくりと加速してバ群を抜ける位置までアガると、グリーンベルト*2へ移動しながら少しずつ加速を続けた。

 基本的に、急加速や急減速はスタミナを大量に消費する。周りがセオリー通りのスローペースを維持するなら競り合ってくる者もいないと、ゆっくりとスピードを上げていく。

 そして、アートブルーを躱し、後続と5バ身差をつく位置につけるように今度は少しずつ減速し、アートブルーのペースに合わせる。400mをフルに使ってポジションを確定させた。

 1番人気のジェネラスはバ群の中からそんなアイネスフウジンを眺める先行の位置。スワーヴダンサーは後方待機の策を取ってスタミナを温存する。

 

(ラビットにしては中途半端……そもそも日本からの参加はコイツひとりだ。何を考えてる?)

 

 400m地点を過ぎ、心臓破りの上り坂が始まると、2番手になったアートブルーのスピードが明らかに下がる。直線600m間で続くこの上り坂は、東京レース場の急坂よりも急な坂が4倍の距離続くと言えばどれほどのものか想像できるだろうか。

 坂が得意なアイネスフウジンも、稍重と洋芝でパワーが伝わりにくい中のこの急坂を相手に苦戦を強いられる。洋芝自体に慣れることはできていても、能力的な問題は早々解決できるものではない。

 しかし、稍重の苦難は洋芝とこのレース展開に慣れている他のウマ娘たちにも平等に降り注ぐ。落ち着いて脚を進めるスワーヴダンサーに対し、ジェネラスは競り合いによる消耗が始まっていた。

 

 アイネスフウジンの作るペースは例年よりも明らかに速いが、日本のレースに比べればかなりのスローペース。にもかかわらず、アイネスフウジンの体力は通常のハイペース並に削られている。

 そして中間地点を過ぎた。パリ・ロンシャンは後半からペースが上がり始める。上りと同じ勾配の、今度は下り坂が第3コーナー、第4コーナーと続く。スピードを出しすぎれば勝手にスパート状態になってしまうし、この重い芝ではあっという間に膨らんでしまうだろう。 

 ここでスパートをかけてしまっては、残りの800mなどとても保たない。凱旋門賞は、『偽りの直線(フォルスストレート)』までで如何にスタミナを温存し、最終直線へ活かせるかになってくる。スタミナを浪費するわけにはいかない。

 それでもこの下り坂を走っている以上、どう頑張ってもスピードは少しずつ上がっていく。スパート状態になればスタミナを消費するのだから、この600mのカーブも我慢するしかない。

 

 はっきり言ってしまえば、アイネスフウジンの走りはこのレースに対して非常に有利に作用していた。ラビットやブロックは意味をなさず、加速しにくさはハイペースで走ることで帳消しになる。

 だからポイントは、坂でどこまでスタミナを節約し、後ろからの猛追を退けるかの一点に絞られる。

 アイネスフウジンはこの下り坂に対し、ただ単純に駆け下りてスタミナを犠牲に加速しスパートに繋げるでも、セオリー通りゆっくり降りてスタミナを温存するでもない。

 チーム《ミラ》お得意の、前傾姿勢と重力を使った加速。上半身主導で脚をついてこさせることで、スタミナを節約しながらスピードを上げる策を採った。

 

 事ここに至ってようやく、スワーヴダンサーやジェネラスを始めとした出走者がアイネスフウジンの狙いに気づいた。

 日本よりも遥かに逃げに厳しい欧州レースで、東京レース場よりも遥かに逃げに厳しいこのパリ・ロンシャンレース場で、セオリーを無視したラビットのようなハイペースでの逃げで、凱旋門賞を制覇しようというのだと。

 それは最早、日本ダービーで破滅逃げをするかのような狂気の沙汰。しかし、彼女についているのはそれを指揮し、制覇直前まで導いた若き天才だ。

 

 フォワ賞ではハイペースな逃げでなく、先行に近い逃げを見せた。このレースよりも遥かに劣る相手が、しかも7人しか出走しなかったフォワ賞は、そんな欺瞞の脚質でも獲ることができた。

 いくらダービーウマ娘でも、フランスでのアイネスフウジンは無名だ。アイネスフウジンについて調べたところで、フォワ賞を見ていれば「アイネスフウジンは先行ウマ娘」というバイアスが働く。

 ただでさえ日本のウマ娘は欧州レースのスローペースに対して適応できず、ハイペースで走ってしまう傾向にある。だから、今回のアイネスフウジンの走りも『掛かり』だと見做されていた。

 しかし、ここまで自分のスピードを制御しきってなおこの速度を出していたとしたら。

 

 やや加速した状態で『偽りの直線(フォルスストレート)』へと突入したアイネスフウジンはスパートのタイミングを待つ。この緩やかなカーブの途中、ゴールまでスタミナが保つギリギリの位置を。

 後続も続々と『偽りの直線(フォルスストレート)』に入りスパートへの準備を始める。パワーとスタミナを重視する欧州のウマ娘はここからが本番だ。

 

 そして『偽りの直線(フォルスストレート)』の中間地点、アイネスフウジンがスパートをかけ始めた。

 スパートをかけてからスタミナの消耗が激しくなるまでには時間差がある。スタミナの消耗はスパートをかけたか否かではなくスピードに依存するからだ。

 当然、スピードが出るまでに時間がかかれば、それだけスタミナの減り始めは遅れる。それを計算してのスパートだ。

 一方スワーヴダンサーは『偽りの直線(フォルスストレート)』出口付近で大外に出てスパートをかける。これもまた、バ群を抜けて内を突く凱旋門賞のセオリーからは外れた作戦だ。

 

 そして、最終直線。真っ先に飛び出してきたのはアイネスフウジン。どんどんと加速していくアイネスフウジン。それを追うのは、バ群の外から一気を仕掛けるスワーヴダンサーだ。

 ジェネラスも先行の好位から抜け出して追おうとするが、スタミナを消費しすぎた影響で思うようにスピードが出ない。

 ハナのアイネスフウジンと14人中11番手にいたスワーヴダンサーとは10バ身差。直線に入った直後、スワーヴダンサーの"領域(ゾーン)"が発動した。

 

 雷が落ちたかのような爆音がパリ・ロンシャンに響く。『落雷の踊り子』の異名を誇る彼女の圧倒的な末脚が牙を剥き、府中とほぼ同距離ながら府中とは違って平坦な533mの最終直線で垂れたアートブルーを躱して、一筋の稲妻と化したスワーヴダンサーがアイネスフウジンへと詰め寄っていく。

 一方のアイネスフウジンも『偽りの直線(フォルスストレート)』を滑走路代わりにして加速したスピードをさらに上げていく。

 フランスの実況はスワーヴダンサーに差し切れと叫び、日本の実況がアイネスフウジンに逃げろと祈る。海外レースならではの贔屓実況を、ファンが、ウマ娘が見守る。

 

 スワーヴダンサーの圧倒的な加速力も稍重の芝に削がれ、残り300mの地点でようやく1バ身まで詰め寄った。

 そこで遂に、アイネスフウジンが"領域(ゾーン)"に入る。乱気流を身に纏い、再びスワーヴダンサーを突き放さんとさらなる加速を見せる。

 しかしそれでスワーヴダンサーのスピードが落ちたわけではない。更に加速し始めたアイネスフウジンを逃すまいと追って、スワーヴダンサーも加速を続ける。

 残り200m、ふたりが完全に並ぶ。後ろから追いすがるマジックナイトが展開した宵闇の"領域(ゾーン)"は、ふたりの"領域(ゾーン)"へ割って入るに至らない。

 このまま行けば、最高速度の差でスワーヴダンサーが僅かに上回る。それを、アイネスフウジンは持ち前の勝負根性でなんとか押さえつけ前を譲らない。

 

『極東の風神と西欧の雷神が花の都を掻き回す!!』

 

 日本の実況が叫ぶ。

 

『パリを襲った《嵐の決闘(ワイルドハント)》の終焉は間近だ!!』

 

 フランスの実況が叫ぶ。

 

『勝者はどっちだ!? いや、勝ってくれ!! アイネスフウジン(スワーヴダンサー)!!!』

 

 願いが重なる。残り100m、僅かに抜け出したのはスワーヴダンサー。遠くなる横顔を追うも、壁のように立ちはだかる向かい風がアイネスフウジンを押し流そうとする。

 アイネスフウジンを守る乱気流の盾が剥がれていく。あと一歩が重い。諦めが頭にチラつき、それを押し込める。

 

(負けたくない!!)

 

 余計な考えは失せた。アイネスフウジンに残されたのはただ強い本能。

 少しでも前へ、少しでも先へ、目の前の雷光を追い越すために限界を超えたその先で、遂にアイネスフウジンの集中が切れ、"領域(ゾーン)"が壊れる。残り50m 。

 

 

 

 そして、新たな風が吹いた。

 身を護るための乱気流()ではない。より速く駆けるため、より先へ進むために背中を押す追い風()の"領域(ゾーン)"。

 負けたくない、ではない。勝ちたい。目の前の強敵に。今の自分自身に。

 

(()()()()勝ちたい!!)

 

 三度(みたび)加速したアイネスフウジンがスワーヴダンサーに追いつき、ほとんど横一線に並んだまま、ふたりはゴール板を通過する。

 写真判定、その結果を誰しもが固唾を飲んで見守る中、そんなもの見るまでもないと、黒い男は観戦席を離れ地下バ道へと向かう。

 

 

 

 

 

 翌日のフランスの朝刊の大見出しに踊る話題はただひとつ。

 曰く、『極東より神風(きた)る!!』だった。

*1
事実。

*2
仮柵によって前走まで保護されており、他の部分よりも遥かに荒れが少ない最内のコース。


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