万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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【閑話】大切な真珠のようなあなた

 アイネスフウジンの母親は、アイネスフウジンにひとつ、嘘をついていた。アイネスフウジンは、母親が稼いだ賞金を切り崩して生活費に回しているものだと思っているが、事実は違う。

 

 何故なら、彼女は競走ウマ娘にはなれなかったからだ。

 

 産まれたときから体が弱かった彼女はレースに出られるだけの能力が備わっていなかった。幸いなのは、走りたいというウマ娘としての本能も薄かったことだ。その本能が正常であれば、彼女の人生は地獄だっただろう。この本能の欠如が障碍として認められ、国から補助金が支給されることとなったことも、不幸中の幸いだったろう。

 彼女は非常に人間関係に恵まれていた。周囲の人間にも、人生のパートナーにも、師と姉弟子にも。

 彼女の師はイギリスのウマ娘だったが、本能の欠如故に残った部分の本能をうまく御せない彼女に根気よく教え込んだ。

 姉弟子は自身が子供を成せない体であったため、妹弟子である彼女の子の誕生を我がことのように喜んだ。アイネスフウジンやその妹たちが着ている服や遊んでいる玩具の多くは、姉弟子によって買い与えられたものだ。

 

 彼女の夫となった男は献身的に働いた。彼女の主治医であったこの男は、どうにも儚げな彼女に入れ込んだらしい。彼女が死にかけた日には、仕事の外でも一晩中看病し続けた。

 男は結婚前はそれなりの資産を持っていたが、その多くは彼女の体調を人並みに戻すための治療費に消え、残りはアイネスフウジンたちの養育費となった。

 彼女が些細な見栄からアイネスフウジンに嘘をついたとき、彼女は罪悪感から一晩中涙を流した。夫はそのくらいの見栄と笑って赦したが、子供相手に嘘をついたことと、夫の献身を横取りした罪悪感は彼女の心を強く締め付けた。

 

 アイネスフウジンの馴致指導員として雇ったのは、馴致指導員として衰え始め、GⅠ2勝ながら安価で雇うことができたフランスのウマ娘だった。

 その指導員は彼女に対して非常に親身になってくれ、アイネスフウジンの保育まで請け負ってくれた。また、同時期に教わっていたアイネスフウジンの姉弟子となる芦毛のウマ娘も、非常に優しい性格をしていた。

 このふたりのおかげで、彼女たちは夫婦両軸で共働きという選択肢を採ることができたのだ。

 

 双子が産まれたのは、アイネスフウジンがトレセン学園へ通うようになる2年前のことだ。ギリギリになるまで双子であると判明しておらず、堕ろすことはできなかった。もっとも、早くわかっていても彼女にはその決断はできなかっただろう。

 妹たちが産まれ、急激に姉としての自覚に目覚めたアイネスフウジンは、その頃から進んで家のことを手伝い始め、些細なワガママも言わなくなった。

 そして、アイネスフウジンは奨学金を貰いながら中央トレセン学園に入学することとなった。トレセン学園が斡旋する中等部でもできるアルバイトをいくつも掛け持ちし、頻繁に帰ってきて妹たちの面倒を見るアイネスフウジンは彼女の自慢であり、無力さの象徴でもあった。

 

 なかなか本格化が起こらず中等部から高等部へ進学してからまた年が過ぎ、あぁあの娘は大丈夫だろうかと心配で仕方なくなってきた頃、本格化が来て選抜レースに出ることになったと連絡が来た。

 そしてその年の12月、無事1度目の選抜レースでトレーナーにスカウトされたと聞いた時に、心の底から安心した。これで、あとは少しでも長く走ってくれればそれでいい。あわよくばオープンウマ娘になれればいいが、1勝クラスでも2勝クラスでもいいと。

 競走ウマ娘になれなかった自分の代わりに、娘は中央のターフに立てるのだと。

 

 そんなアイネスフウジンのレースを初めて観たのは、翌年の年末、つまりほぼ1年後のことだった。

 体調を崩して入院していた彼女は、見舞いに来た夫と双子とともに、病室のテレビでレースを観ていた。そこに映し出された朝日杯のレース中継に、娘の姿が映ったのだ。

 朝日杯だ。GⅠだ。条件戦やオープン戦どころか最高格だ。しかも1番人気だ。前走がGⅡで大差勝ち?

 完全に混乱している間にレースは進む。先頭を一度も譲らない。結局、アイネスフウジンはGⅠの舞台で前を譲ることなく大差勝ちしてみせた。レースの世界に身を置けなかった彼女でもわかる、あまりにも強い勝ち方だ。

 小学生となった双子曰く、この時の夫妻の顔はまさに「ポカーンとした顔」そのものだったという。

 

 その1週間後、彼女が退院して既に帰宅し日常の生活に戻っていたとき、アイネスフウジンが帰省してきた。クリスマスシーズンから年始にかけては毎年クリスマスケーキを片手に帰省していたアイネスフウジンだったが、その年のケーキはホールだった。

 更に、妹たちに流行りのゲーム機をクリスマスプレゼントとして買ってきたと言って、妹たちに渡していた。大喜びの妹たちは、早々にサンタの夢からは覚めている。覚まさざるを得なかったことを、彼女はやはり気に病んでいた。

 それから妹たちが寝たあと、段ボール箱に詰まった妹たち用のシューズやら服やら文房具やらを"仕送り"として渡された。両親ともに遠慮しようとしたが、自分が持っていても仕方がないものだと言われれば納得するしかない。

 それから、両親に対してもささやかなプレゼントが渡された。ちょっとだけ豪華なマッサージ機と、男性物の腕時計。孝行娘からのクリスマスプレゼントに彼女は感涙し、夫は「母さんは泣いてばかりだな」と笑いながらも、その声は鼻水混じりのものだった。

 

 正月に予約のおせちやら妹たちへのお年玉(2千円ずつだったので流石に遠慮するほどでもなかった)を渡したアイネスフウジンは、三ヶ日の終わりとともにトレセン学園へ帰っていった。

 アイネスフウジンが帰っていったあと、学費の引き落とし口座が変更されたことが通知され、その意味を察した彼女は立派な娘を持った誇らしさと親としての不甲斐なさでまた泣いた。

 

 2月頃、不穏なニュースが彼女の目に留まった。アイネスフウジンがトレーナーによって不当に扱われているのではないかという疑惑の記事だった。

 心配になって娘に電話したものの、「勘違いされやすいだけで悪い人じゃないの」とDV被害者のようなことを返されるばかり。娘の言葉を疑うわけではないが、親としては心配が抜けきれない。

 そこで姉弟子に相談してみるとその記事を載せていた雑誌の名を聞くや否やボロクソに罵倒した。

 

「人の見た目を揶揄した挙げ句、桜の冠にケチつけようとした、難癖をつけることしかできない蝿どもだ。竈の(たきぎ)にもならないから資源回収に出しちまいな」

 

 どうやら、姉弟子も現役時代に被害に遭ったようで、『マイルのGⅠで大差勝ちはありえない、薬でもやったんではないか』だの『ウマ娘としても異様な筋肉。バケモノみたいだ』だのと書かれたようだ。

 とは言え、後者は悪い言葉を使えばと前置きした上で褒めていた評論を、わざと悪し様に載せて批判のように見せていたのだが。

 

 ちなみに、現役時代『アマゾネス』と呼ばれたこの姉弟子は、確かに筋骨の存在が目立ちはするが、烏の濡れ羽のような漆黒の青毛に豊満な肉体と女性的魅力に満ち溢れたようなウマ娘であり、多くの男性ファンを作りながらも未だに独身を貫いているとか。

 

 そして「人間がウマ娘に勝てるわけないんだから本当に危なくなったらどうにでもしてしまえる。そんなに気にするな」と脳筋極まりないアドバイスをした姉弟子は、妹たちに菓子を買い与えて帰っていった。

 

 その後、NHKマイルカップで同じマイルのGⅠウマ娘であるダイタクヘリオスに完勝を納め、このままマイル路線に行くのかと思っていた彼女は、試合後のインタビューで明かされたダービー挑戦の報せに言葉を失った。

 GⅠの中2週が危険な挑戦であることは彼女でも知っていた。トレーナーが無理にやらせているんじゃとも思ったが、自信を持って自分の判断だと言い切る娘の顔に嘘の色は見えなかった。

 その顔は、かつて彼女が夢見たターフで走っていた、鮮やかなヒーローたちと同じ表情を宿していた。

 この娘はもう、自分が心配するほど弱いウマ娘じゃない。ひとりの立派な戦士なんだと思い至り、ようやく彼女は子離れをするに至った。

 それからの彼女は、アイネスフウジンの活躍で心を痛めることはなくなった。

 

 痛めることは。

 

 挑戦すると聞いた時はただただ無事で帰ってきてくれと祈った日本ダービーを、皐月賞ウマ娘とメジロ家の令嬢を押し退け制覇したのを目の当たりにしたときは腰が抜けかけたし、その後のGⅠでも常にあと少しで1着という位置にいるので毎度ハラハラしている。

 「湯治に付き合ってほしいの!」などと言っては家族全員を連れて温泉旅行へ行ったり、定期的に保存の利く食べ物を送ってきたり。

 挙句の果てにはばんえいウマ娘という姉弟子を遥かに超える筋肉を持つウマ娘たちの民間警備員が警備と身辺警護をするからと挨拶され、実際にマスコミが追い返されているのを見るなど、今までの生活では考えられない出来事が多々あった。

 そして遂に日本初の凱旋門賞ウマ娘になってしまった時にはしばらく放心状態になって、数日経った頃にようやく実感が湧き、また久しぶりに大泣きに泣いた。

 

 URAからは以前から届いていた、GⅠウマ娘の親族向け高セキュリティ物件への転居補助制度。大袈裟だと思っていたけど、こうなると心配になってくる。

 あまりにも贅沢な悩み事を持って帰ってきた自慢の娘は、以前とまったく変わらない態度で、あの頃と同じ表情で笑ってみせる。

 

 その笑顔は彼女にとって、真珠の宝石のようにキラキラと輝いていた。




 調べて改めて知ったんや……アイネスフウジンの母が競走馬としてデビューしてなかったとか……

 姉弟子に養子入りしてるルートとか考えたけど双子との歳の差の問題でどうにも上手くいかずこの方向になりました。
 姉弟子さんは好きな競走馬のうちの1頭です。桜の実況含めて大好き。あのCMシリーズの中でも屈指の出来だと思う。

 
【挿絵表示】

 これは需要があるのかないのかわからないけど自分で描いた死ねどすさん。
 色合い調節したら鹿毛みたいになっちゃった。

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