万魔殿の主〜胡散臭いトレーナーとウマ娘たちは日本を驚かせたい   作:仙託びゟ

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秋の盾

 10月27日、東京レース場。天皇賞開催。

 天候ハ小雨、不良バ場ナリ。

 

「今日は勝ーつ!! いや、今日も勝ーつ!!」

 

 地下バ道に響き渡る高い声。

 今この栄誉ある天皇賞に挑む18の優駿の中で唯一のクラシック級ウマ娘にして、GⅠを制した経験のあるふたりのウマ娘の片割れ。

 最早その実力を疑う者はいない。皐月賞での勝利と日本ダービーでの接戦、そしてトライアルである前走オールカマーでの圧勝。

 「3000m走れないからシニアに逃げた」という、今後しばらくは更新されないだろう訳のわからない評価をいただいた破滅しない破滅逃げ、『不滅の逃亡者』ツインターボである。

 正直に言えば網的には2200mであるオールカマーはギリギリか? とハラハラしていたのだが、思いの外ツインターボを警戒した他バが脚を残すために距離を開きすぎ、差しきれずに前残りしてくれた。

 

 ツインターボが如何にアホみたいな、事実アホそのものである言動を取ろうが、今この時流、戦国時代と呼ばれるこの年のクラシック組の中で、ミドルディスタンスであれば最強候補と目される彼女は当然、この2000m(ミドルディスタンス)である秋の天皇賞において2番目に警戒されて然るべき存在である。

 そう、2番目に。

 

「っ! 来たぞ……」

 

「あぁ……やはり気迫が違う……」

 

 地下バ道がザワつく。威風堂々とした姿で現れたのは、今回最も警戒されている1番人気。長距離級では未だ負け無しの現役最強級ステイヤー。

 『メジロの体現者』メジロマックイーン。

 

 ツインターボとメジロマックイーンとの人気の差は僅かだった。ミドルディスタンス同世代最強候補のクラシックウマ娘と、夏の上がりウマ娘であり覚醒後は2200mと2400mでも十分な実力を示しているシニアの最強級ステイヤー。

 適性と実力を鑑みて彼女たちの優劣を分けたのは、まさにその1年の差。なにせ、URA前史において、クラシック級で天皇賞を勝利したウマ娘は未だいないのだから。

 しかし、それでもメジロマックイーンを除いた16のシニア級ウマ娘を退け2番人気。メジロマックイーンが鋭い視線を向ける先にいるのは当然、ツインターボだった。

 

「……いやぁ、まさかまさかだよねえ。()()タボボとマックちゃんがライバル同士って……1年前の私に言っても信じないだろうね」

 

 そんなふたりを観察する芦毛。

 GⅠには勝てない。しかし掲示板には載り続ける。チーム《カノープス》のジンクスを体現した善戦ガール。後に語り継がれる名勝負を特等席で観察し刻み込まれたその体、誰が呼んだか『白い石碑』。

 実を言うとメジロマックイーンとはクラスメイト、ツインターボとは気の合う友人、ついでにナイスネイチャは母親の妹弟子であり、トウカイテイオーは母親の師が同じで交流もある。

 最近の話題の中心たちとことごとく交流を持つ彼女も、周りから注目されずとも虎視眈々と勝利を狙っている。

 3番人気なのだからもう少し警戒されてもいいはずなのだが、どうにも彼女は影が薄い。そして、その影の薄さを彼女は伏兵として最大限活用する。

 

「ネイちゃんは最近目立つことで色々やってるみたいだけど、私はいっそこうして目立たないことで色々やってくんだわ」

 

 

 

 発走直前、ゲート入り完了。

 ゲートが開くと同時に、ツインターボが飛び出し、僅かに遅れてムービースターとミスターシクレノンが続く。最も重い段階である不良バ場。加速しにくいそのターフを蹴って、各々が四苦八苦しながらゆっくりとスタートした。

 スタートしてしばらく直線が続き、最初のコーナーが見えてくる。府中の2000mはポケットからのスタートになるため、コーナーは3つしかない。そして、直線から間もなくコーナーに入る特性上、府中の2000mは内枠が大きく有利だ。

 

 2枠3番、ピッチ走法で不良バ場を駆けるツインターボが当然のようにハナをとる。一方、7枠13番の不利を貰っていたため内をとろうと進路を傾けようとしたメジロマックイーンの脳を、強烈な記憶が駆け巡った。

 

(……危ない、雨と悪路のせいで視野が狭くなっていましたわ。このまま行っていたら斜行……もしかしたら降着になっていたかも……)

 

 その記憶は日本ダービーのもの。ナイスネイチャが進路妨害による降着を自己申告した、今年のクラシックで最も印象深いシーンだろう。

 

(自ら申し立てたからこそスポーツマンシップと見做されただけで、本来降着となることは恥……メジロの名を背負うわたくしがそのような痴態を晒し名に泥を塗るなど許されません)

 

 メジロマックイーンは気を引き締め直し、ゆっくりと他の出走者を妨害しないように内へと移動した。結果的にやや中団気味の位置になった。

 

 

 

「持ち直しましたね、メジロマックイーン」

 

 一方、関係者用の観客席では、ツインターボを見守る網たちがその様子を観察していた。

 

「ただ、メジロマックイーンの悪いところも出ていますね。斜行を警戒しているんでしょうが、慎重になりすぎてます」

 

「トレーナーさん? 実際のところ、勝てるの? ターボは」

 

「ふむ……そもそも、クラシック級とシニア級のウマ娘で大きく違うところはどこだと思いますか?」

 

 ナイスネイチャからの問いかけに逆に問いかけた網。その漠然とした問いに、ナイスネイチャは自信なさげに答える。

 

「あ〜……強さとか、そういうわけではなく……ですよね?」

 

「えぇまぁ……強さにもいくつか種類があります。このうち、身体能力的な面で言えば、実はそれほど差はありません」

 

 「1年も長くやってるのに?」というナイスネイチャの質問に答えるように網は「成長曲線が異なりますからね」と答え解説を始める。

 ツインターボの成長曲線はごく普通のものだ。シニア級まではおおよそ上昇を続け、それ以降は少しずつ衰えていく。

 一方、このレースで有力とされているメジロマックイーンは典型的な晩成型である。夏の上がりウマ娘であった彼女はクラシック前半をほとんど活躍せずにおわった。

 その代わり、菊花賞から頭角を現し始め、そこから少しずつ上がっていく。1年経ったが、ここがピークではないだろう。

 

「もうひとつ、シニア級がクラシック級に絶対的な有利を持つ点があります。それは、経験値です」

 

「あー……レースに出た回数が多ければ、それだけ状況判断はやりやすくなりますよねぇ……」

 

 レースはトレーニングの数倍成長する。そう言われる理由はそこにある。実戦で磨かなければどんな作戦も机上の空論で終わる。

 レースに出ればそれだけ技術は実戦で使えるものへと最適化される。牽制への対応力も上がるし、駆け引きもうまくなるだろう。

 しかし、それは一般的な観点でしかない。

 

「ツインターボには関係ありませんからね」

 

「まぁ……そうよねぇ……」

 

 雨を体に受けながらも先頭を突っ走る小柄な体躯。

 数バ身開いた距離はあらゆる駆け引きを拒み、牽制を無効化する。経験によって研がれた武器を投げ捨てさせ、レースを駆けっこに、単純な速さ比べにする。だから極論、経験の差など関係ない。

 実際、バ群のなかで小競り合いがあれど、ツインターボはそれに一切関わることなくハナを進んでいる。

 

 長らく膠着した展開が動いたのはレース後半になって間もなく。ツインターボから10バ身ほど遅れてバ群が最終コーナーに入ったタイミングだった。

 

(……わたくしはわたくしの務めを果たす。天皇賞の制覇はメジロの悲願。それは秋の天皇賞も例外ではありません。適性外の距離なれど……時は来ました、参ります!)

 

 メジロマックイーンの周囲が色づく。曇天の灰色から緑と花のそよぐ庭園。それはメジロマックイーンの原初の風景。始まりの中庭。メジロマックイーンが()()()()()()()あの日の景色。

 メジロマックイーンがバ群を抜け出しツインターボを追走する。距離が短いならその分距離単位で使えるスタミナは増える。

 メジロマックイーンの強みは、その余分なスタミナを正確に割り振れることだ。余らせず、不足させず、確実に成功するロングスパート。

 

(これがわたくしの最速……ツインターボさん、お望み通りの速さ比べですわ!!)

 

 府中の最終コーナー入り口からスパートをかけ始めたメジロマックイーンの姿に、観客席からどよめきがあがる。

 ツインターボとの差を詰めていくメジロマックイーンを見て、網も低く唸った。

 

「流石最強級のステイヤー……府中の最終コーナーからロングスパートを始めるとは……」

 

「あたしのダービーでは、ライアンちゃんやタイセイちゃんは第3コーナーからスパートし始めてたけど……」

 

「2400mより2000mの方が短いから、道中のペースは速くなります。スタミナというのはスピードが上がるほど消費が増えますが、消費量が加速するタイミングが2箇所ありまして……長くなるので帰ってからにしましょう。下に行きますよ」

 

 網の指示でチーム《ミラ》のメンバーは、ゴール近くのスタンド付近にある待機場所へ向かう。

 一方、ツインターボは最終直線、急坂を登り終え残り300m。そのタイミングで、遂にメジロマックイーンがツインターボの後ろへ張り付いた。

 メジロマックイーンはまだジリジリと加速している。両者ともにスタミナは十分残っている。

 

(不良バ場なのでやはり走りにくい……しかし、これなら差しきれるはず……)

 

 メジロマックイーンが更にひと押し加速したその時。

 ツインターボが急速にスピードを上げた。

 

「ッ!!」

 

 残り150m急いで追走するメジロマックイーンだが、届かない。勢いそのままに、ツインターボはゴール板を突っ切った。

 URA史上初の、クラシック級による天皇賞制覇。歴史的瞬間を目撃した観客席から、雨の音をかき消すほどの喝采が響く。

 

 しかし、ツインターボが止まる気配がない。ゴール後もそのスピードを保ったまま走り続ける。観客たちが困惑の表情を見せ始めたとき少しずつスピードが落ちてきて、足元が覚束なくなったタイミングでようやく脚を止め、その場に倒れ込んだ。

 

「ちょっ、ターボ!?」

 

「ライスシャワーはツインターボをこちらに運んできてください。アイネスフウジンは酸素マスクの準備」

 

 素早く指示を出した網に従って、ライスシャワーがツインターボを小脇に抱えて待機場所へと持ってくると、アイネスフウジンが携行の酸素ボンベをツインターボに装着。網は屈腱付近を氷嚢(ひょうのう)でアイシングし始める。

 ツインターボは泡を噴いてグッタリしていた。

 

「トレーナーさん!? ターボは大丈夫なんですか!?」

 

「えぇ、ただの酸欠ですから」

 

「酸欠って……さっきの加速が原因?」

 

 ナリタタイシンがそう聞くと、網が頷く。オールカマーでも見せなかった急加速。どうやら、使ったあとの反動も大きかったようだ。

 

「あれって、結局なんなの? ダービーで出そうになった"領域(ゾーン)"?」

 

「いえ、違います。単なる技術ですよ」

 

 心当たりがあったナイスネイチャが網に問うが、網がそれを否定する。続く言葉と先程までの情報で、ナリタタイシンがなにか勘付いたようだ。

 

「もしかして、無呼吸運動?」

 

「正解」

 

「はぁ!?」

 

 ウマ娘は通常、走行時に大量の酸素を必要とする。それこそ、レース前に鼻血が出て鼻呼吸が出来なくなれば、競争中止の判断を下すほどに。

 しかし、タイミングよくほんの少しの間だけならば、疲労困憊にはなるが危険はない。

 

「人間でも使う技術です。呼吸を止めることで使っている筋肉を速筋に無理矢理切り替え、瞬発的に強い運動ができるようにする。当然無酸素運動になりますから急激に疲労します。ゴールまでに間に合えばいいですが、間に合わなければ逆噴射。奥の手と言うやつですね」

 

 そしてもうひとつ。ツインターボはこの無呼吸運動を行うときに網から言われていることがある。

 先頭にいて、もうすぐゴールのとき、後ろから足音が聞こえたら使っていい。そして、使ってるときは走ること以外考えるな。

 周りのウマ娘のことも、ゴールそれ自体のことも考えずに走るから止まれない。それこそ体力が切れるまで。

 

「お見事です。まさか、あんな隠し玉を持っていたとは……」

 

 2着でゴールしたメジロマックイーンが、チーム《ミラ》のもとへやってくる。令嬢らしい柔らかな笑みの裏には、未だ獰猛な戦意が見え隠れしていた。

 

「ダービーでは見せなかったものですわよね? 先程の加速。まさかダービーを天皇賞の布石にするとは……」

 

 違う。単純に最近覚えただけだ。

 

「えぇ、今回はわたくしの負けですわ。しかし、来年はこうはいきません。メジロに捧ぐため、来年の秋の盾はわたくしがいただきます。それまで、勝利は預けておきますと、ツインターボさんにお伝えください」

 

「……あっ、はい」

 

 言いたいことだけ言って、メジロマックイーンは去っていった。

 

「……流石にダービーを捨て石にはしねぇだろ……」

 

 思わず素が出た網の呟きを、近くにいたためにギリギリ聞き取りながら、アイネスフウジンはぼんやりと「お嬢様ってみんな思い込みが激しいのかな」などと、去年手袋を投げてきた令嬢を思い出していた。

 

 なにはともあれ、ツインターボはURA史に名を残す偉業を達成してのけた。恐らく、本人は何がすごいのかよく理解できないと思うが。

 

 

 

「……うん、やっぱ目立ちたいわ」

 

 一方、《カノープス》の善戦ガールはやはり善戦して3着に食い込み、またもや偉業を特等席で目にすることになったのだった。




 ホワなんとかさんが本来のネイチャポジに……

追記
笛関係、納得いかなかったのでやっぱ別のにしました。

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